柳家 権太楼
Gontaro Yanagiya 柳家 権太楼さん 1970年 法学部 法律学科卒
小学生の頃から落語が好きで、将来は落語家にと心を決めていた柳家権太楼さん。明治学院大学法学部在学中は落語研究会に所属。落語を学び、また、楽しみました。
卒業後は厳しい修業を積み1982年に真打ち昇進。実力派の落語家として、また多くの人から慕われる心温かな落語家として活躍中です。

落語に魅せられて60年

落研の「部室」はヘボン館の地下

私は子どもの頃から落語が大好きで、テレビで見たり、実際に演芸場に落語を聴きに行っていました。将来は落語家になるんだと心に決めて、独学で覚え、高校生の時には、学園祭で披露したりしていました。
だから、早くプロの噺家さんに弟子入りして修業するという選択もあったのですが、大学にも行きたかった。私は加山雄三さんの「若大将」の世代です。学園生活に憧れがありました。当時、大学のサークル活動でも落語研究会、通称〝落研〞は、多くの大学にありました。私が入学した当時の明治学院大学にはなかったのですが、間もなくできて、もちろん私も入りました。公認のサークルではないので「文連(文化団体連合会)」には入れず、部室ももらえなかった。当時のヘボン館の地下にあったロッカールームを集合場所にしていました。でも、部員は多かったですよ。30人から40人はいたんじゃないですか。

学生の情熱と温かな周囲の目

立川談志さん、古今亭志ん朝さん、林家三平さんなどに来てもらって教室で独演会を開いたこともありました。今ならとても考えられないような、わずかな謝礼しかお渡しできなかったけれど、来てくださった。落研の発表会の前には、翁家さん馬さんにきてもらって、さらってもらいましたが、さん馬さんも手弁当で駆けつけてくださった。学生だからできたんですね。夢があって情熱があった。障害物はひたすらはねのけていった。まわりの人も、そんな学生を見て力を貸してくれました。今はそういう情熱が見えにくいけれど、これは学生だけに許された特権だと思いますね。
だから大学は好きでした。残念なのは、私の大学時代は、全国で学生運動が展開された時期で、私も3年生4年生の時にはほとんど授業がありませんでした。試験もすべてレポート提出に切り替わっていた。その点は少し悔しい思いが残ります。

全国に広がる同窓生の交流

でも大学に行って、本当によかったと思っています。中学、高校は、ほとんどの生徒が地元から集まってくるから、交友関係も、大体それまでの延長にある。ところが大学は全国から、さまざまな人がさまざまな志を持って集まり、卒業して社会に散っていく。だから、全国各地に、また、さまざまな業界に、同窓生がいるんですね。これがとてもいい。私は仕事柄、地方に伺うことも多いのですが、行く先々で「実は私も明治学院です」という人に会うことができます。大学には、高校の同窓会では考えられない広がりがあるんです。

徒弟制度が支える落語

大学を出てすぐに柳家つばめ師匠に弟子入りして、それからは修業の毎日でした。昔からの徒弟制度の世界ですから、師匠が「黒」と言えば、たとえ赤くても白くても「はい、黒です」といわなければいけない。でも、だからいやだとか辛いとかは、まったく思いませんでした。私にとってはそれも大好きな落語という世界の一部でした。その世界だからこそ、落語は生まれ、また受け継がれている、そう思いました。人の世の泣き笑い、嫉妬や反発や、さまざまな感情の動きや心のひだを、たったひとり高座に座り、一人二役、三役、時には狸まで演じて、お客さまの想像のなかにリアルに再現する。落語は究極の話芸です。それは徒弟制度のどろどろした世界を潜って、人の心の奥に踏み込まなければ、表現できないものでしょう。弟弟子は兄弟子にからかわれたりいじめられたりする。自分が兄弟子になったら同じことをすればいいんです。いや、すべきなんです。「ぼくは弟弟子の時にいやな思いをした。だから自分が上になっても同じことはしない」というなら、落語家になるのは諦めた方がいい。どんなに勉強しても、心の琴線に触れるような話芸は身に付けることができないと思います。

「まだ笑える自分を見つけた」

2011年3月11日。あの日は寄席の高座を務めていました。翌日も、またその翌日も、寄席は予定通り開かれました。電車もちゃんと動いていないような状況で、でも寄席は開かれていた。もちろんお客さまは、10人もいない。いっそ一人も来なければ休演にできるのにとよこしまなことも考えましたが、お客さまのじっと高座を見つめる目が涙で潤んでいる。はっと気付きました。落語を聴きに来たんじゃない。誰かといたい。安心したい。だから来ているんです。私は心の中で呼びかけました。無理に笑わなくっていいんだよ。俺はしっかり落語をやるから、聴いていってくれと。
 またある日のこと、私のところに手紙が来ました。見ず知らずの人です。上野の鈴本で私の落語を聴いてくれたという。「実はただふらっと入っただけで、別にお目当てがあったわけではなかった。それどころか、当時自分は生きる元気すらなくしていて、何をする気にもなれず〝いっそ……〞という思いすらあった。しかし、たまたまあなたの落語を聴いて、屈託なく笑っている自分がいた。まだ笑える自分がいると気付いた時、もう少し頑張って生きてみようと思った、だからお礼が言いたかった」と、そういう内容の手紙でした。私が好きで続けている落語が少し役に立った。うれしく思いました。これからも、もっともっと芸を磨いて、日本の素晴らしい伝統芸能である落語を楽しんでいただきたいと思っています。精進、精進。

柳家 権太楼

1947年東京都生まれ。1970年明治学院大学法学部法律学科卒業。明治学院大学では、落語研究会に所属。1970年5代目柳家つばめに弟子入り。1974年師匠つばめが他界後、5代目柳家小さんに弟子入り。1975年二ツ目昇進。柳家さん光と改名。1982年9月真打昇進と同時に3代目柳家権太楼を襲名。1978年NHK新人落語コンクール優秀賞、2002年浅草演芸大賞金賞、2012年芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能部門ほか受賞多数。2013年11月には、紫綬褒章を受賞。