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コラム「キャンパスCLINIC」

「大丈夫?」と一言声に出してみませんか?

白金通信2003年12月号

ちょっと考えてみてください。もし、自分の目の前で見ず知らずの人が倒れたら、あなたならどうしますか? 恐らく多くの人が「手助けをしなければ」と、心の中で思うでしょう。でも、果たして何人の人が「手助け」を、実際の行動として起こすことができるでしょうか? 先日、私が大学で授業を受けている時、一人の長身の男子学生が急に立ち上がり、教壇で授業をしている先生の所へ歩いて行きました。体調が悪かったのでしょう。先生に退出の許可をもらい、一人で教室を出ようとした瞬間、二、三度体を左右に大きく揺らしたかと思うと、バタリと倒れ、気を失ってしまったのです。 一番前に座っていた学生が、大学の本部へ連絡をするため、すぐに教室を飛び出して行きました。先生は、倒れた学生のもとへ行って声をかけ、やおら座席で静まり返っている学生の方を見ました。恐らく、この教室にいた学生のほとんどは、この先生の表情が「誰か手伝ってくれ」と言っているように見えたはずです。 ところが、倒れた学生の付近にいた学生は、誰一人立ち上がって手伝おうとはしないのです。 すると、後ろのほうに座っていた学生が先生の表情に気付き、あわてて先生のもとへ走って行きました。と同時に少し離れた所に座っていた私も、反射的に先生のもとへ行き、数名の学生達と倒れた男子学生の処置を手伝っていました。 倒れている男子学生を運び出し、教室に戻った瞬間、私は腹立たしいような気持ちを覚えました。「どうして、この人たちはだまって見ていただけだったのだろう?」と、一つの疑問が湧いてきたのです。 私は別に自分のやったことが正しいと、自慢したいわけではありません。意識して動こうとしたわけではなく、本能的に体が動いていたのです。しかし、私が普段仲良くしている友人にさえ、だまって見ていたという行為に対して腹立たしく思いました。 もし、みなさんが倒れた方の立場だったらどうですか? 私は昔、突然に目まいを起こし一人では動けなくなったことがありました。その時は目まいと、言いようのない不安に襲われて、「誰か声をかけてくれない!」と心の中で叫んでいたのを思い出します。 恐らく、似たような経験をした人もいるのではないでしょうか。「もし自分が同じ立場だったら・・・。」私は今回、この気持ちによって自分が「手助け」を行動化できたのだと思います。 「もし自分が同じ立場だったら・・・。」この気持ちは、何も今回のような倒れた人を助ける時だけのことではありません。もっと、自分の身近なことに置き換えてみることもできます。 近年、うつ病などにより自殺する人が増えています。生きていく中で、不安や悩みは誰でも持ちます。でもそんな時、一人で悩んでいた自分に、声をかけてくれる人がいたらどうでしょうか? 具体的な解決策は見つからなくても、相手にただ話を聞いてもらうだけで、どこか安心できる部分があるのではないでしょうか。 逆に、不安そうにしている、何かいつもよりもふさぎこんでいる友だちに対して、声をかけていますか?「大丈夫?どうしたの?」という誰かの一言で救われる人は大勢いるでしょう。 今回の急病人のエピソードも含め、「大丈夫?」の一言を言葉に出してみるだけで、状況は変わることもあるのです。完璧な処置、完璧な解決策を私達は知りませんが、同時に求められてもいないのです。 求められるのは「手を貸す」「声をかける」という、ほんの少しの行動です。 さぁ、あなたはまわりの人に「大丈夫?」と一言、声をかけられますか?

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