映像芸術学コース
| 卒論タイトル |
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| クリストファー・ノーラン『メメント』における「語り」の曖昧さ ―トドロフの幻想文学論から読み解く― |
| 女優マリリン・モンローの演技考察 ―セックス・シンボルの印象に隠れた演技― |
| 『素晴らしき哉、人生!』の受容の変遷 |
| 小津安二郎『戸田家の兄弟』における崩壊と再生の可能性 |
| 『呪怨』における暴力について ―ジェンダーの視点から― |
| 女性映画の「まなざし」 ―『ブリュッセル1018、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』と『子猫をお願い』からみる女性の「まなざし」と「女性映画」の独自性 |
| 記録映画と劇映画の間でフィクションという境界線が与えられた可能性について ―――羽仁進 三つの作品を中心に |
| ジャン=ピエール・メルヴィル監督 『恐るべき子供たち』(1950)における鏡の役割について |
| ジャン・ヴィゴ -『ニースについて』と『アタラント号』からみる作家性 |
美術史学コース
| 卒論タイトル |
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| ジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》研究 ―写実性と象徴性が生み出す詩的イメージ |
| デューラーの《1500年の自画像》が、見せる特異性 ―何故彼はキリストに似せたのか― |
| カンディンスキーの探求した「対象のようなもの」 |
| 『ポール・シニャックにおける色彩理論の実践と変化』 |
| 守屋家本騎馬武者像の像主について −足利尊氏像との比較を中心に− |
| 高橋由一に関する考察 |
| 下村観山《弱法師》について |
| 鳥山石燕の「妖怪に対する意識 |
| 橋口五葉研究 |
音楽学コース
| 卒論タイトル |
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| 「飲食店におけるBGMの効果と調和」 |
| ミュージック・ツーリズムが音楽文化をもたらす効果に関する一考察 |
| 心を動かす音楽 ―音楽と特定の事物や感情はどう結びつくか― |
| 80~90年代のアメリカにおけるヒップホップミュージックの普及とその要因の研究 |
| 〈韃靼人の踊り〉の楽曲分析と「ロシア的」音楽の考察キャンペーンCMを支える音楽の存在 ――JR東海キャンペーンCM「そうだ 京都、行こう。」とその楽曲《My Favorite Things》の関係について―― |
| ゲームにおける音楽の役割は何か. |
| KPOPが世界に広く受容される要因について |
| ベンジャミン・ブリテンの《戦争レクイエム》 |
| オアシス『モーニング・グローリー』における楽曲の特徴とその普遍性 |
| バックグラウンドミュージックとは何か |
| ライブ、フェスは何故需要があるのか |
| 即興習慣の比較 −クラシックのフーガとその主題に基づくジャズ・ピアニスト即興演奏を比較− |
芸術メディア論コース
| 卒論タイトル |
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| 「私」と「おら」と「あまちゃん」 ―連続テレビ小説『あまちゃん』における自称詞の使い分けをめぐって |
| 『贈与論』からディズニー映画『美女と野獣』を読み解く ―ベルと野獣とガストンの関係をめぐって |
| 地元商店会の夢みる「未来の銀座」 ―銀座六丁目10地区第一種市街地再開発事業(現GINZA SIX)を事例に |
| 原爆Tシャツ論争をめぐる防衛少年団のファン『ARMY』の日本語ツイート分析 ―韓国・韓国人のイメージをめぐって |
| ドラマ『トクサツガガガ』に見る戦隊ヒーローものにおける赤と青のイメージ |
| 漫画『のだめカンタービレ』における天才の描き方 |
| 『パワーパフガールズ』とはどんな「女の子」たちなのか |
| 共同生活のなかで若者たちが語る仕事観 ―リアリティーショー『テラスハウス』を題材に |
| 「ぶりっこ」はいかに構築されたか ―『週刊明星』に見る松田聖子言説 |
| 漫画『鬼滅の刃』で語られる女性イメージ |
| 『non-no』は就活女性の髪型をいかに語ってきたか―1980-2020 |
| 結婚情報誌『ゼクシィ』に描かれる結婚のイメージ ―「しあわせ」と「おかね」 |
| 女子学生の就活メイクに見る男女雇用機会均等法の時代 ——雑誌『JJ』を題材に |
| 欲望の楽園 —「あつまれ どうぶつの森」における消費行動— |
| 女性ファッション誌が提供する女性の理想像とは何か。-『CanCam』の着回しコーデを題材に |
| 先を行く者と背中を押す者 ——漫画『宇宙兄弟』に見る兄弟という関係 |
| のぞき見る人たち ―監視としてのYouTubeルーティン動画― |
| コロナ禍オンライン音楽配信ライブの言説分析 ——cero “Contemporary http Cruise” を事例として |
| ジャニーズのアイドルたちはいかに女性を語るか ―雑誌『Myojo』を題材に |
演劇身体表現コース
| 卒論タイトル |
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| 「バレエ・ダクシオン」における物語の展開性 |
| 虚構性が生み出す現実における非現実 ―劇場建築とアイドルー |
| ミュージカル「RENT」から導かれる芸術の存在意義と社会との関連性 |
| 時代性とジェンダーにみる「薔薇の精」の両性具有性 |
| 「闇」 |
| 界隈の違いからみる芸能人オタクの消費行動 |
| 「ロミオとジュリエット」における“運命”の対峙 |
| 現代から考える「マクベス論」 ―「ことばの劇と翻訳」「魔女」「マクベス夫人」を考察して― |
| 「宝塚歌劇106年の歴史におけるファンの存在」 |
| 人間は影から逃れられるのか |
| 東京ディズニーシー「ビッグバンドビート」から考察する ⽇⽶のエンターテイメント⽂化の変遷 ― 100 年の歴史が詰まった 30 分のショータイム ― |
| “夢の国”のエンターテイメント ―東京ディズニーランドのパレードからの考察― |
| マシュー・ボーン版『シンデレラ』にもたらされているリアリズムの考察 |
| 朝倉摂が魅せる舞台美術の世界 |
| 竹内敏晴の〈からだ〉と〈ことば〉 |
| 『京マチ子の矛盾する二面性』 |
| 黒澤ヒューマニズムの全貌 |
| 世界の儀式から見る文化 ~人間の意識、表現に関する相違点と共通点~ |
| 波動という感情の正体 |
| 思考の入り口 |