宮本 裕子

ミヤモト ユウコ

映像芸術学コース

担当授業

【学部】映像芸術学序説P/S、映像芸術学演習2、映像芸術学文献講読A/B、映像理論演習、卒論ゼミナール

メッセージ

映像芸術学コースの教員をしています。私自身、明治学院大学文学部芸術学科映像芸術学コースの出身です。そのまま大学院後期課程まで上がり、他の大学の教員になった後、明治学院大学に戻って参りました。

最初は実写映画の研究を志していたのですが、途中からアニメーションの研究へと道が逸れて行き、現在はその両方を教えたり研究したりしています。そのようなわけで専門が曖昧な感じがしますが、根本的な関心は動く映像にあります。

映画やアニメーションの感想というと、物語や俳優についてのものが多いかもしれませんが、映画やアニメーションを分析するようになると、カメラの動きやキャラクターの動きといった細部を見ずにはいられなくなります。動き自体にある快に目覚めると言ってもいいかもしれません。しかし、動きというものは眼前で出現しては去っていく儚いものなので、言葉にするのが意外ととても難しい。その去っていく動きを掴もうとしていたら、研究者になっていました。

動く映像の芸術は、物語内容や俳優の演技、音響や編集といった様々な要素から成り立っていますが、それらは全てイメージの動き、あるいは変容の中にある。そして、そうした運動が現実にではなく、そこから隔てられたスクリーンや画面の中にあること、これが映画やアニメーションの魅力の核だと思います。

動きは画面の向こう側にありますが、動く映像の技術自体が、現実の私たちと切り離されたものではありません。映画は、一九世紀末に発明された技術ですが、それを可能にしたのは、同時代の機械技術だけでなく人間の生理や生体についての研究でもあります。つまり、映画とは、近代における技術と人間そのものへの眼差しが交差したところに出現したのです。その意味で、映画は深く人間に関係します。

また、ベルナール・スティグレールという哲学者は、見る人の期待がスクリーンに投映された時、しかしその期待がその人自身にとって予想外のものであったとき、映画は届くのだ、というようなことを言っています。少しややこしいですが、映画の受け取り方は、個々人があまり意識していない記憶や経験に深く関わるということだと思います。そうであれば、みなさん一人ひとりにしか書けない映画やアニメーションの記述というものがあるはずです。また、それは自分自身にとっても予期していなかった文章になるのかもしれません。そうして生み出されたみなさんの言葉を聞かせてほしいと思っています。

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