vol.06 弱者の声を届けたい!

今回ご紹介するのは、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で国際学を学んだ大矢英代さん。現在は明学を卒業し、早稲田大学大学院で政治学研究科ジャーナリズムコースを専攻しています。彼女の行動のベースにあるのは「より弱い立場にある人々の声を届けたい」という思い。もしかして、数年後には世界を変える女性の一人になっているかも…!

大矢英代 (2009年3月卒業)

留学期間:2007年10月-2008年9月
2009年3月文学部英文学科卒業。子どもの頃から差別問題や国際紛争に関心があり、より立場の弱い人々に対する声を探るべく、明学ではアメリカのマイノリティ文学を研究。留学中は現地NGOで途上国支援のインターンシップを経験し、帰国後はより専門性を極めるため、早稲田大学大学院で政治学研究科ジャーナリズムコースを専攻している。

マイノリティの声を追いかけて

明学ではどんな勉強をしていましたか?

英文学科のアメリカ文学コースで、マイノリティ文学を中心に研究していました。アメリカのメジャー文学って白人男性が主流なんですが、私は黒人やユダヤ人、日系アメリカ人の作品に関心があって。好きな作家は『Another Country』を書いたジェイムズ・ボールドウィン。留学に行く前は、日系アメリカ人作家・ワカコヤマウチが書いた『And the Soul Shall Dance』を勉強していましたね。
これらマイノリティ文学で描かれているのは、アメリカの差別社会や、立場の弱い人々の声が抹殺されているという現実。そう、私って小さい頃から途上国の人々の問題や国際協力について興味があったんですよ。小学6年生の時には、カンボジアの埋蔵地雷で苦しむ同年代の子供について作文を書いていましたし、中学の時にも地雷について英語でスピーチして、表彰されたりして。それがまたモチベーションに繋がっていったんですよね。
留学先をUCサンタバーバラ校にしたのも、国際学部があったし、国際紛争やアジア系アメリカ人のことを学べる環境が揃っていたから。もうここしかない!って感じで決めました。

リゾートで英語漬け

サンタバーバラの暮らしや風土はどんな感じですか?勉強はどうでした?

サンタバーバラは、ロサンゼルスから車で2時間くらい北上したところにある高級リゾート地で、すごくいい環境でしたよ。海に面していて、山もあって、ムービースターの別荘もたくさんあります。リゾートらしい開放的な雰囲気のせいか、穏やかな人たちが多く、学生も皆明るくオープンな感じ。そして、カリフォルニア大学の中でも《UC white》と言われるほど、サンタバーバラ校には白人が多いのも特徴です。
大学では当然のことながら、みんなすごく勉強していますよね。日本なら大学院生くらい文献を読みますし、1週間に1冊読んで感想を提出してっていうのは当たり前。それから、問題ないだろうと思っていた英語が思いのほかハードでした!向こうの先生はトークが早くて、声のトーンもそれぞれ違うし、明学のネイティブの先生たちがどれだけゆっくり話していたかって感じ。授業はパワーポイントをどんどんめくって進行するので、それをメモしていると先生の話が理解できないし、話を聞いているとパワーポイントの内容がわからない(笑)。最初の3週間くらいは本当に大変で、3か月くらいかけて、やっと授業に慣れましたね。

UCDCのインターン制度とNGOでの活動

ところで大矢さんは、留学中にインターンも経験しています。どうやって実現させたのですか?

カリフォルニア大学にUCDCっていうプログラムがあるんです。これは、ワシントンにあるキャンパスで勉強しながら、市内のNGOや金融機関などでインターンができるという仕組み。日本にいるときはわからなかったんですが、現地で知って、ぜひやってみたいと思い、アプローチを始めました。
段取りは、まずUCDCセンターの所長と面接してOKが出たら、自分がインターンしたい組織にメールなどでアプローチして、受入先が決まればめでたく成立。住居は大学敷地内の学生用アパートに住めるので、余計なお金がかからないのもこの制度のメリットです。なので、私は07年9月からサンタバーバラで学んでいましたが、08年1月からUCDCへアプローチして、08年3月からアメリカを発つ6月まで、ワシントンで勉強しながら「アジアアメリカイニシアティブ」というNGOで活動していたんです。
NGOの考え方は国によっても異なりますが、アメリカ国内だとゲイやシングルマザーなど、国のカバーが来にくいところに働きかける非政府団体という感じ。国際的なNGOとなると、自国はもちろん、他国からも支援を受けない地域をケアするという考え方があるように感じます。私が学んできたマイノリティ文学と通じるところは、差別されている人の心に関わりがあるというところですね。

インターン先では、どんな活動をしていましたか?

フィリピン南端にあるミンダナオ島のイスラム教徒に対して、生活向上ための支援をしていました。ここは約300年前からキリスト教徒とイスラム教徒の民族紛争が続いていて、いつも紛争が絶えない場所。でも、フィリピン人のほとんどはキリスト教徒ですから、マイノリティであるイスラム教徒にはあまり支援がこないんですね。そこで、私たちが農業や教育のサポートとして、文房具を配ったり、学校の援助をしたりという活動をしていたんです。
私はここで、ウェブサイトの日本語訳を中心に、毎朝、活動方針についての会議に出席して議事録を作ったり、募金を呼び掛けたり、いろんな取り組みにチャレンジすることができました。募金は断られることも多かったんですが、アメリカには人のために何かしようっていう習慣があるせいか、チャリティには積極的だと思いましたね。断ったとしても、店の決まりがあるとか、提供できるクーポンの数の在庫が切れているとか、できない理由をきちんと説明してくれます。日本だと、商店街に行って交渉したら「隣のお店はどうしたの?…ダメ?じゃあうちもやめておこう」って展開もありますよね(笑)。

アメリカ人の本性見たり?

NGOで活動する中で、いろんな刺激を受けたでしょう。

ええ。みんながすごく積極的なんですよ。それも「仕事はありませんか?」って聞くんじゃなくて、自ら「こういうことを考えたんだけどどうですか?」って働きかけて動く人が多くて。私もウェブサイトの日本語訳の仕事は自分から申し出たことですし、日本とアメリカのNGO同士が繋がりを持てたらいいなと思って、その接点作りもさせてもらいました。結局、アプローチしても関係を持てないところが多かったんですが、やってみたことで現状を知ったことが大きかったし、名前を知ってもらえただけでもよかったなと。
それから面白かったのは、アメリカ人って討論が盛り上がると白熱しちゃって、全然人の話を聞かなくなるケースが多いこと!よく、アメリカ映画を見ていて、男と女が同時にバーッと話すようなシーンがありますよね?それがいつも目の前で起こってるんですよ。時々、会議でぼーっと見ていたりすると「あなたもなんかしゃべってよ!」って即座に怒られたりして(笑)。そこで「一生懸命リスニングしてるから後で話すわ」って伝えて、いざ話し始めると10秒くらいで「それは間違ってる!」とか言われたりして…。彼らの本性を垣間見ることができた気がします(笑)。

留学を経て早稲田の大学院へ

現在は早稲田大学大学院政治学研究科でジャーナリズムコースを専攻しています。留学経験は、この進路選択にどんな影響を与えましたか?

NGOの活動をしていて、私には専門性がないなって感じていたんです。ずっと途上国に関わる仕事をしたいって思っていたけど、モチベーションだけで、これができるっていうのがないから。でも実は、翻訳をしながら、言葉の大切さや伝えることの難しさを学んでいたんですよね。同じことを伝えるにも、言い方を変えるだけで人は興味を持ってくれたりするじゃないですか。それに気づいたとき、私が極められるのはこれかもしれないって。そこで、早稲田大学の政治学研究科でジャーナリズムコースを専攻することにしたんです。
選んだ理由は、学術的なことと技術的なことの両方を学べるから。どういうことかというと、アカデミックでは政治学や政治思想を学び、プラクティカルでは写真の撮り方や文章表現などを学ぶんです。まだ、できて間もないコースなので、実験的な部分もたくさんありますが面白いですよ。学生も、日本全国49都市でエイズのイベント行ったとか、個性的な人が多くて刺激になります。

これからアジア人として

今まで学んできたことを、将来どのように生かしていきたいですか?

アフリカやアジアなどの途上国で、アジア人として何か伝えることができたらという思いがあります。国内の問題にも関心がありますね。具体的には米軍基地問題、六ヶ所村の核燃料再処理施設問題、在日難民問題の3点です。
米軍基地については、留学中、大学で対日外交官の講演を聞いて心が動いたことがあったんです。その時、私は「アメリカでは米軍基地の存在を知らない人が多いし、知っていてもいいものだと思っている人が多いけど、これは両国民の税金にも関わるし、日本国内で起こっている事件も含めて、もっとメディアで真実を伝えて、アメリカ人も基地問題について考えてもらう必要があるのでは?」って質問したんですね。そしたら彼は、笑いながら「それは君たちにとっていい取引だよ。もし戦争を仕掛けられてきたら、死ぬのは日本人じゃないんだから」って…!
でも、私は利益の問題じゃないと思うんです。なのに、そこで言い返せなかった自分が悔しくて。あの時、日本人の声をきちんと伝える人がいなければ!って思ったのも、ジャーナリズムを専攻しようと思った理由のひとつですね。私は、届かない人の声を伝えたいっていう思いが、ずっと自分の核にあるんです。