コラム「キャンパスCLINIC」

たばこが違法になる日

白金通信2008年12月号

 たばこに違法性はあるのだろうか。まずおさえておきたいのは、他人の嫌煙権を侵害し、受動喫煙を誘発する喫煙所以外での喫煙、歩きたばこなどは論外だと言うことである。自らの喫煙権のみを主張し、他人の嫌煙権を無視するというのはいただけない。

 では、誰にも迷惑さえかからなければいいのか。『自分はたばこが大好きだ。この幸せを享受できるなら肺癌になろうが構わない、自分の生き方は自分が決める。』そういう考え方は果たして有効なのだろうか。それとも国家が「たばこは体に悪いからダメだよ」とパターナリスティックに介入・禁止すべきものなのだろうか。パターナリズムに関して言えば、それの一人歩きはやっぱり非常に危険だ。だが、それが合理性を含んでいるならば、それは客観性を持ちえることになり正当性を有してくる。
 日本では大麻や覚せい剤が違法とされているが、これらはこの合理性を優先したパターナリズム的法律の典型例である。一方で、酒やたばこは合法だ。なぜだろう。考えてみると、禁酒法なんてあったんじゃないか。みんなどれも同じ嗜好品であることに変わりは無い。現にオランダではマリファナが合法だったりする。パターナリズムが独り歩きした時代に禁酒法ができた。敬虔なプロテスタントの禁欲主義というイデオロギーが禁酒法を作ったのだ。要はみんな程度の問題なのだ。勿論、たばこや酒には幻覚作用は少ない。だが、中毒症状は麻薬よりもたばこや酒の方が強いという説もある。問題はあくまでもどれだけ合理性を持ちえるかということだ。本質的には大麻もたばこもそう変わらない。

 では、たばこは大麻のように禁止するに値するほどの合理性を有すると説明することは出来るのか。たばこの害についてはもはや言うまでも無いが、癌のリスクが増すことは科学的にも立証済みだし、様々な健康に対し害をもたらすことは周知の事実だ。もし、自分自身の体に於いて完全に自己完結して責任を負えるのであれば、たばこを吸ってもいいかもしれない。だが、現実問題としてそれはほぼ不可能である。癌になってもいいと言って癌になったとき、その人の世話は誰がするのか。その役割の多くは医療や福祉という形で国が背負うことになる。近年の医療制度改革では医療のあり方が事後調整型から予防型にシフトしてきている。たばこを禁止したら、これだけ癌患者がいなくなり、医療費は軽減されるというデータが立証されたら、たばこは将来禁止されるかもしれない。

法律学科三年 島 弘