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ダナン大学奨学生の声

ダナン大学から明治学院大学へ留学した学生たちからのメッセージを紹介します。

Dinh Hoang Nguyen

ディン ホアン グエン


ダナン大学の学科:Architecture(建築学科)
留学期間: 2017年9月~2018年7月

私の名前はディン・ホアン・グエンです。ダナン大学の2年生です。建築を勉強しています。ベトナムのクアンナム省のディエンバン地方、ディエンフック村に生まれ育ちました。 私の故郷でベトナムの子どもたちを支援してくれているジュンコ・アソシエーションの皆さんに心から感謝しています。長い学生生活の最初の5年間、高橋淳子さんの名前を冠したジュンコ・スクールで学べたことは大きな誇りです。ジュンコ・スクールは日本とベトナムの友情の象徴です。そして、ダナン大学の学生であることも光栄に思っています。ダナン大学が多くの海外の大学との交流協定を締結し、質の高い海外留学の機会が増えていることを嬉しく感じています。

とても幸運なことにジュンコ奨学金を得て、明学に1年間留学することができました。ユニークな文化と質の高い教育環境の中で学べることは大きなチャンスで、毎日わくわくしています。明学での学生生活はとても楽しいです。先生方は大変熱心で、学業でも生活面でも困ったときはいつでも助けてくださいます。毎日、日本語を話すことで日本語力も伸びました。茶道、着付け、生け花、書道といった課外活動にも参加し、日本文化への理解を深めています。

新しく快適な設備を備えた留学生寮「MISH」での毎日の生活も楽しく、まわりの皆さんにいつも助けてもらっています。日本人の いたわり、心遣い、熱心さは感動的です。残りの留学生活でさらに日本語と素晴らしい文化を学び、もっとたくさんの挑戦をしていきたいと思っています。

Quang, Nguyen Phu

クアン ウィン フー


ダナン大学の学科:Mechatronics(機械工学科)
留学期間: 2015年9月~2016年8月

みなさん、こんにちは。ダナン大学の学生のクアンと申します。私は小学生のとき、ベトナムにあるジュンコ・スクールという小学校で勉強しました。私が小学校四年生のときに、明学の学生たちがジュンコ・スクールに来て、遊んだり、文化交流したり、絵を書いたりしました。そのとき、英語と日本語ができなかった私たちは日本の学生のことがわかりませんでしたが、笑顔や楽しさを忘れません。いつか日本へ行きたいと思っていました。

大学を選んでいたときは、好きな大学のホーチミン大学とダナン大学を考えていました。ホーチミン大学はダナン大学より大きいですが、ダナン大学は人気があるし、明治学院大学とつながりがあるので、ダナン大学に決めました。明学に留学するためにダナン大学で一所懸命勉強していました。専門の他にダナン市の面白い活動にも参加しました。大学に入ったときにくらべて英語にも自信がつきました。

明学への留学は私にとっていい夢みたいな時間でした。初めて一人で外国へ行くのは少し心配しましたが、本当に嬉しかったです。たくさんの明学生と友達になりました。日本の学生だけではなくて、外国の学生も多かったです。最初はみんなと英語で話せるかどうかわからなかったので、心配しました。でも、一度うちとけるとたくさんお喋りできましたよ。日本語の授業を受けたので、日本での生活や旅行したときにとても便利でした。日本の皆さんが優しくてよく手伝っていただきました。一年間留学して、私はもっと大人になったと思っています。
帰国して、ダナン大学で勉強し続けています。日本語も頑張っています。卒業したら、ベトナムで日本企業が作った工場で働きたいです。都合があえば日本にまた行きたいです。

Tran Thuy Tien

トラン トゥイ ティエン


ダナン大学の学科:バンキング (Banking)
職業:ツアーオペレーター
留学期間: 2011年9月~2012年7月

子どもの頃、初めて会った外国人は日本人で、明治学院大学のJUNKO Associationの学生でした。肌が白くて、きれいな人だなと思っていました。そして、私も日本語が話せればいいのになとよく考えていました。「大きな栗の木の下で」と「翼をください」という日本語の歌を教えていただきました。その時、歌の意味が全然分かりませんでしたが、嬉しかったのを覚えています。ジュンコスクールは田舎にあり、先生と学生たちは素朴で優しかったです。ジュンコスクールに通えてとても幸せでした。

大学1年生の時は、他の町や県出身の人と寮に一緒に住んでいて、表現や文化の違いを感じとても面白い日々でした。また、ダナン大学は海から近いので、夕方に寮の友達と海に行ってバレーボールをやったりしていました。

大学時代、4回奨学金をいただきましたが、一番良かったのは明治学院大学の奨学金です。これは私の人生の岐路となりました。明治学院大学に留学したときは「今日は何を食べますか」ぐらいの日本語レベルで苦労しました。しかし、試練は好機です。日本語しか使えない環境だったので、日本語が早く上手になりました。JUNKOのメンバーの家で日本のお正月を経験したことはいい思い出です。

日本が大好きなので、ダナンに戻ってからも日本と関係がある仕事をやりたかったです。今の仕事では日本人の観光客がベトナムの中部にきたら、ツアーの準備をしています。ガイドやバスやホテルなどを手配しています。日本とベトナムの距離は近くなっていると感じています。

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