明治学院初期の卒業生である島崎藤村は1913年(41歳)5月から1916年の4月まで、丸 3年フランスに滞在しました。この経緯については河盛好蔵(1988年文化勲章受賞)の『藤村のパリ』(1987年、二度目の読売文学賞)をご覧下さい。1914年 7 月、第一次世界大戦が勃発し、パリ暮らしをしていた藤村は、下宿屋のマダム、マリ・シモネに勧められ、中仏の町リモージュ市のシモネさんの姉の家に疎開します。家は駅から徒歩20分ほど。画家の正宗得三郎などと一緒でした。彼はこうしてパリの南方400キロのリモージュ市に11月中旬まで滞在します。持主は替わりましたが、外壁に藤村滞在を示す銅板が取り付けられた家(取付は1990年10月)はヴィエンヌ河の南河岸丘に現存します(写真2)。 「特別保存家屋」maison protégée という保護形態は、周囲500m以内の建造物に規制が及ぶ「歴史建造物指定」とは異なりますが、こうした保護を受けた家屋は改造、解体はゆるされず、市の許可を得ないまま他者に勝手に売却することもできません。現在居住者がいるので、内部に手はつけられませんが、市はまず老朽化した塀、藤村滞在を彫り込んだ銅板を改修するもようです。 1986年、リモージュ地方の新聞は河盛先生の「藤村のリモージュ」調査行を大きく報道しました。今回の措置はその余波とも言えます。直接的には「古都リモージュ再生協会」前会長ジャン・ルヴェ氏、現会長ミシェル・トゥーレ氏のねばり強い働きがありましたが、正宗得三郎の画集をリモージュに送った明学歴史資料館の原豊氏の功績も忘れることはできません。明治学院大学からリモージュ大学への留学は1987年から始まりましたが、こうした日本の留学生が市民に感銘を与えていることも嬉しいことです。(文責 フランス文学科工藤進) |
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