ボランティアセンター長 猪瀬浩平
高校生のときに、文化人類学を学ぼうと思った。
大学に入ってから文化人類学の授業を履修し、文献を読み漁った。いつか異国で長期のフィールドワークをすることにあこがれた。当時はボランティアなんかそっちのけで、自分自身のことばかりを考えていた。そもそも単なるベッドタウンに過ぎないと思っていた地元から離れたくて、わざわざ関西の大学を選んだのだ。
大学3年の時にバックパックを担いで、インド、ウズベキスタン、中国を周った。その旅の中、ウズベキスタンの首都タシュケントのこと。パキスタンからやってきた行商人に、「なんで日本の若者は、そんなに海外に旅行するのか、自分の国には何もないのか?」と聞かれた。本当に何もないのか、と考えた。すると、自分のずっと身近にあった地元の障害者運動のことを思った。何もないと思っていたところに、何かはあることに気づいた。
その後、帰省するたびに地元の障害者団体を尋ねて、さまざまなボランティア活動をするようになった。頭でっかちだった僕は、その未熟さを笑われ、ときに励まされた。事前に文献を読んで分かったと思っていたことが、現場では通じないのは度々だった。なんとか分かったと思ったことを表現するのは難しかった。同時に、自分の思いついたことを伝え、それを実現していくことにやりがいを感じた。それまでなんとなくしか知らなかった、地元のさまざまな人びとと出会いなおした。団体の過去の資料を読み漁り、関わってきた人の話に耳を傾けた。失敗の連続だったが、次第に彼らが実践する活動の意味を少しずつ理解するようになっていった。気づけば、何もないと思っていた地元が、さまざまな想いをもって活動する人びと――そこには障害のある人もいるし、高齢の人もいるし、子どもも外国人もいる――のつくってきた分厚い歴史のある<現場>であることが見えてきた。
身近な他者と出会うこと、内なる異文化と出会うこと、自分にとってのボランティアを通じた学びはその言葉につきる。そしてそれは、他者を理解する学問、異文化を理解する学問、そのうえで自らの文化の偏狭さを批判的に問い直す学問としての文化人類学を、自分の足場から再発見することでもあった。
現場にいる人間としての自分を鍛えていくこと、学問する人間として自分を鍛えていくこと、その二つを追い求めた先に、いまの自分がいるように思う。