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「国際ボランティアから地域へ」

ボランティアコーディネーター 磯野昌子

2020年度春学期よりボランティアコーディネーターとなりました。明学では約20年前に縁あって「国際ボランティア論」という講義を非常勤講師として担当しておりました。折しも明学にボランティアセンターが設立したばかりの頃です。私は某大学附置の研究所で国際協力の研究と活動に教育という視点から携わっていたことからお声がけをいただきました。まだ若くて大学の教壇に立つのは初めてでしたが、熱心な学生さんたちから様々な問いかけをいただき、共に頭を悩ませながら議論しあった楽しい時間でした。

そもそも私が「国際ボランティア」に関心をもったきっかけは、中学生の時にマザーテレサが来日し、マザーの生き方に感銘を受け、将来は世界の貧しい人々のために貢献したいと思ったからです。大学生になってからは、当時流行っていたバックパッカーとして、インドやネパールをはじめ様々な国に行きました。しかし、現場では援助の難しさや限界を感じることの方が多く、自分が役に立たないことも思い知らされました。

カルカッタ(現コルカタ)にあるマザーの「死を待つ人の家」は、貧しくて物乞いをするために家族によって手や足を切られたような人たちが(その方が憐れんでもらえるから)、終いには家族にも見捨てられて路上で倒れているところを助け介護をするホームです。食べ物や飲み物を運び、ただ手を握る、そのことで「あなたの命は尊い、生きて下さい」と態度で伝える、それこそが愛の実践なのだという話に感銘して、ボランティアに飛び込みました。しかしながら、いざ現場に行くと愛情よりも恐怖が前面に出てしまい、ただ言われた通りにモノを運び、おどおどと手を差し出すだけで、愛の実践にはほど遠い自分がいました。また、ボランティアをしているのは世界各国から集まってくる外国人ばかり。次々と運びこまれて亡くなっていく人たちがいる一方で、裕福に暮らす太ったインド人たちがおり、このボランティア活動は、インドの圧倒的な貧困の解決につながるのだろうかと疑問を感じざるを得ませんでした。帰国してから、インド研究の専門家に話をすると、「マザーテレサはインド人に人気がない。インドは他国に施しを受けるような国ではないのに、マザーテレサは世界に対してインドを貧困の代名詞のように宣伝し、インドの尊厳を傷つけた、と考えているんだ」と聞き、大きなショックを受けました。

その後は、環境問題に関心を持ち、コスタリカで世界14か国の若者と一緒に植林活動をしたり、ヒマラヤの森林破壊の問題の解決のために、ネパール語を学んで村にホームステイをしながらたくさんの人にインタビューをしました。それが大学院の修士論文となりました。その時には、十年後にネパール人と結婚することになろうとは思いもしませんでしたが。また、フィリピンでは、戦後に取り残された日系人たちの支援活動にも携わりました。スリランカの奇跡と言われ、仏教思想に基づく開発哲学を実践するサルボダヤ運動にも首を突っ込みました。思い立ったらすぐに現場に行けるということがどんなに恵まれていたことかを、このコロナ禍の中であらためて思い知らされています。

海外に行くと、日本での生活や価値観を客観的にみることができます。私は自分がなぜアジアやアフリカ、南米といった当時「第三世界」と言われた国々にそんなに心が魅かれるのかが分かりませんでしたが、今思うと、そこには懸命に日々の暮らしを生きている人々がいて、圧倒的な生のリアリティがあったのだと思います。猛烈な優しさで見ず知らずの私を受け入れてくれました。それに対して、日本ではバブル時代もポストバブルも、生きる意味や意欲を失くし、あふれかえるモノに埋もれながらさらにモノを求める人々が、アジアやアフリカの人々をあいつらは働かないから貧しいんだとか、未開の国、遅れている、よくああいう国に行けるね、といって馬鹿にするのをとても悔しく思いました。

海外援助によって日本のような国を増やすよりも、日本の私たちこそ変わる必要があるのではないかと考えた私は、本当に幸せな社会とはどのようなものかを考えながら、そのために必要な活動をする市民が増えることが大事だと考え、それを「開発教育」というのだと知ってから、開発教育こそが私のライフワークだと考えるようになりました。中学、高校、専門学校、大学、大学院など(専門は、社会学、コミュニケーション論、異文化理解、国際協力、市民社会、開発とジェンダー論等)、様々な場で教鞭をとらせてもらい、「ワークショップ版世界がもしも100人の村だったら」などの教材開発にも携わってきました。

市民活動としては、2005年に仲間と共に立ち上げた「かながわ開発教育センター」という組織を通して、JICAや学校でワークショップをしたり教材作成をしています。また、国際協力NGOでは、神奈川県の生活クラブ生協の運動からできた「特定非営利活動法人地球の木」の理事長として、ネパールやカンボジア、ラオスでの国際支援活動をしています。

子どもが生まれてからは電車で遠くまで出て行くのも難しくなり、自分が住んでいる地域、逗子で活動するようになりました。本来、地域で循環する経済やエネルギーの仕組みをつくることが大事だと思っていたので、2011年に出会った「フェアトレードタウン運動」は、現在に至るまで、私にとって第二のライフワークとなっています。(関心を持たれた方は『フェアトレードタウン』(渡辺龍也編著、新評論)に詳しく書いてあるので、ぜひ読んで下さい。ボランティアセンターで貸出しています。)

これまで、そして今も、常に試行錯誤で壁にぶつかりながら半世紀を歩んできましたが、そんな経験が少しでも学生の皆さんのボランティア経験やこれからの人生の歩みにおいてお役にたてればと思っています。

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