Q. 4月に入学して、あっという間に1ヶ月が過ぎてしまったのですが、最近なんとなく気分が晴れません。授業にもあまり身が入りません。他の人たちは楽しくやっているのに、自分だけが取り残されているようで、焦りも感じてしまいます。よく「五月病」という言葉を耳にしますが、自分もそうなのでしょうか。
A. 大学入学後の新入生が、あわただしかった4月を過ぎて一段落するころ、ちょうど5月頃に、抑うつ、不安、焦りなどの精神的症状、不眠や食欲不振、下痢といった身体的症状を訴えることがあり、それを「五月病」というときがあります。しかし、この言葉は広く知られてはいるものの、正式な「病気」や「病名」というわけではないようです。
「五月病」はどんな状況であらわれるのでしょうか。
大学入学はとても大きな環境の変化です。特に、大学はこれまでの学校生活とは違って、自分で決めて、自分で行動するという主体性が様々な選択時に要求されることが多い場所です。単位の取得についても、課外活動についてもそうでしょう。今までの生活に比べて、学業、対人関係で取り組む課題は量としては多く、複雑さの程度も強いのではないでしょうか。今までのやり方ではどうもうまくいかない、と感じることもあるかもしれません。
「五月病」というのは、新しい環境に対処するにあたっての、精神的、身体的な反応と考えることが出来ます。新しいことをはじめるのは多かれ少なかれ危機であり、誰しも不安を感じるものです。一時的に混乱したあと再び方向を見出すひともいれば、思いのほか長引いてしまうひともいるかもしれません。
しかし、不安や危機は単に否定的なものではなく、さらなる成熟や新しい選択の転機になることもしばしばです。とはいっても、不安の只中にいると、堂々巡りをくりかえし、消耗してしまうことも事実です。誰かに話してみることで、何かがひらけることもあるかもしれません。
学生相談センターでは、皆さんの学生生活を充実したものにするため、臨床心理士が様々な相談に応じています。「五月病」だけでなく、大学生活においては入学後もいろいろな問題に遭遇することでしょう。そんなときのために、問題解決のための選択肢の一つとして学生相談センターを記憶に留めておいてください。
利用される場合は、予約制をとっておいますので、電話か、あるいは一度来室して相談を申し込み、日時の予約をしてください。
(白金通信2006年5月号「紙上カウンセリング」より転載)
Q. 私は対人関係が苦手です。自分の気持ちや考えをはっきり言うことができなくて相手の言いなりになってしまいます。こんな自分が嫌で最近は友達を避けて一人で過ごすことが多くなりました。
人前で発言するのも苦手で、先日のゼミ発表では極度の緊張から何を話しているのか分からなくなって困りました。実は、中学の時に部活で苛められたことがあり、その影響もあるかと思います。
そろそろ就職活動が始まるというのにこんなことでは駄目ですよね。何とか今の自分を変えて少々のことでは揺るがない自信を身につけて社会で活躍したいと思うのですが、かなわない願いでしょうか。
先日、友達からあるセミナーに誘われました。たった数日間の合宿で自分を変えられるというので「これだ!」と思ったのですが、後になって「大丈夫かな」と不安になってきました。
A. 「へーんしん」と魔法を使って即座に自分が変われたらどんなに素晴らしいことでしょう。でも、現実にはそんなに簡単に自分を変えられるものではありません。
人は生まれてから今日に至るまで、母親を初め多くの人々と関わりながら今の自分の生き方を選択して来ています。その過程で捨てられた心の断片は心の奥の無意識の領域で影の存在となっています。対人関係や性格、症状に悩み、今の自分に生きにくさを感じて自分らしく生きようとする人は、その影に光を当てなければなりません。
あなたの対人不安も、きっかけは苛められた体験ですが、その背後では捨てられた過去の影の力が働いていると考えられます。心はそれ自体が全体性を求めています。無意識が投げかけるメッセージを受け取って、心の全体性を回復させましょう。カウンセリングや心理療法がその働きを促進します。不安や脅威のない安心できる関係の中で自分の生育や親子関係を振り返り、影を自分の中に統合できれば、心は一回り大きく成長します。
その安定した心から「これが自分だ」という確信が生まれて、相手と対等な自己主張のできるコミュニケーションが取れるのですね。自分を変えたいという今の気持ちを大切にして、しっかりご自分の問題と向き合ってください。
ところで、あなたの誘われたセミナーは「自己啓発セミナー」のようですね。これはグループセラピー(集団心理療法)の手法をマルチ商法関係者が模倣して対人関係の改善に役立てようと構成した講座なのですが、その手段に問題があります。
受講費が数十万円かかる上に受講生自身に勧誘活動が課せられる段階があり、しかも自己負担ですので、アルバイトやローンで苦しめられる学生が多いのです。また、マインドコントロール的に異常な興奮状態の中で自分を見失うことにもなりかねず、一旦参加すると抜けられなくなる可能性もあると聞きます。
学生相談センターへ相談に来てはいかがですか。
(白金通信2006年7月号「紙上カウンセリング」より転載)
Q. あるサークルの部長をしていますが、最近サークル内で揉め事が起こり、そのことで部員やOBから強く非難されています。よく人から、まじめで一人で抱え過ぎるところがあるからもっと気楽に、といわれるのですが、責任を感じています。今まで成績にはこだわりがあってがんばってきましたが、年明けの試験も今回はなんだかものすごく負担に感じられます。彼女との仲もギクシャクしていて、この年末、世の中が賑わっているのを見ると、余計に気持ちが落ち込みます。(架空相談)
A. ある一つの問題、悩みには何とかもち堪えることができても、そこに第二、第三の追い討ち要因が重なると心理的に危機的な状態が発生しやすいといわれています。
そもそも学生の皆さんにとって年末年始はレポート、試験、卒論等々のさまざまな課題があって、ゆっくり休むというよりも、慌しく、落ち着かない時期です。サークルや彼女の問題を抱えるあなたにとってはなおさらのことでしょう。
加えて、おそらく普段はリーダーシップを発揮し、しっかり者と見られているあなたでしょうから、困ったときに愚痴や弱音を吐くこと、誰かの援助を受けることが難しくなっているということはありませんか?
これらのことを考えると今のあなたがとても切迫した状態にあることが理解できます。今までがんばれていたことが負担に感じるようになるというのは、こころが悲鳴をあげているサインです。
それではこのようなとき、どうすればよいのでしょうか。
こころが追い込まれ、余裕をなくしているとき、この背後に「怒り」の問題が潜在していることが多いように私は感じています。たとえ自分に責任があるにせよ、一方的に非難されるのは理不尽ではないか、誰か味方になってくれてもよいのではないか、といった気持ちです。そのような「怒り」が表に出ず、行き場をどこにも見出せないとき、「怒り」は自己否定的方向に作用します。
昨今いじめによる自殺が頻発しています。そこでも自分の中にある怒りの受け皿となってくれる存在がないまま、追い詰められてしまうということが起きているように感じます。
「怒り」というのは冷静に伝えることが難しい、扱いづらい感情です。ただ吐き出すしかないこともしばしばです。でもそれもひとつのコミュニケーションです。今あなたの周囲にいる人たちを思い起こしてみて、そのコミュニケーションに応えてくれそうな人はいないでしょうか。
大学の中にもこうした問題に思いを致している人がいるということも、こころに留めておいてもらいたいと思います。
(白金通信2006年12月号「紙上カウンセリング」より転載)
Q. 現在三年生ですが、周囲は就職活動で忙しそうなのに、私はまだ何も始められていません。普通に一般企業に入るのは何か抵抗があるのですが、かといってやりたいことがあるわけでもなく、また何が向いているのか分かりません。
最近、やたらと不安になり眠れなくて、友達に相談したのですが、自分だって就活は不安だから同じだよと言われ、取り合ってもらえませんでした。
A. あなたは高校や大学進学をどのように決めましたか。人生には大小さまざまな節目がありますが、学生から社会人になるのはかなり大きな節目ですね。未知の世界に進むのだから誰しも不安になって当然です。ただ、あなたの場合それだけでなく、自分は何者かが未だ漠然としており、それがあなたを不安にさせるのではありませんか?
進むべき道どころか、自分自身が見えないというのは心もとないでしょうね。でも見方を変えれば大切な一歩を踏み出したと言えるかもしれません。どんな職に就くかを考える前に、曖昧であれ何であれ、自分の姿を認識することは必要なことだからです。何者になりたいか、いかに生きるかは、職業だけで語れるものではありません。
自分はどんな性格か、向き不向きは何か、人生において何を重視し、十年後どうなっていたのか、そうしたことを少しでも語れる人は、道に迷ったり目標を見出せないでいるとしても、今の時点で何が大切で何をすべきかを見極めることもしやすいでしょう。
節目節目でしばしの間立ち止まり、そこに気持ちを留めること。過ぎ越し道に思いを馳せ、自分のありようについて考えてみること。それは自らをデザインすることになり、アイデンティティの確認作業にもなります。いくつになっても必要な心の作業なのです。
長い人生です。今からでも遅くはありません。あなたも自己確認のクセをつけるため、焦る心を抑え、いろんな角度から自分の姿を眺めてみてください。一般企業の何が嫌なのか、マイナスイメージはどこから生まれたのか、そうした問いかけの中にも手がかりが含まれているはずです。自問自答のプロセスを誰かに話してみることも役に立ちます。「自己を語る」こと自体が、ピンぼけの姿に焦点を当てることになるからです。
(白金通信2007年2月号「紙上カウンセリング」より転載)