Q.過去の失敗など、もう取り戻すことができないことや、自分の力ではどうすることもできないようなことを考えると、どうしても将来に希望が持てない気がしてしまいます。(架空相談)
A.過去の出来事で傷ついていたり、自分の力ではどうすることもできない周囲の状況によって希望を持てない気持ちになっていたりすることがあると思います。時間的に取り戻すことができないことや、自分の力の及ばない所で起きているようなことは、自分がカウンセリングを受けたとしても、もう変えようのない、どうしようもないことなのでしょうか。
因果関係とは、原因があるから結果があるという考え方のことで、私たちはこれに随分助けられて生きています。その代表が自然科学です。原因が分かればそれを取り除いたり対策を立てたりすることができ、結果を変えることができる。実際、大抵のものごとはこれで説明がつくと思われますし、逆に私たちも原因がわかるととりあえずホッとしたり、それで解決できたような気持ちになったりすることもあるでしょう。
しかし、理屈はわかってもどうしても受け入れられないことがあるように、こころのことは必ずしも因果関係に基づいた解決ができるとは限りません。こころはもっと多層的で複雑で豊かなものなのではないでしょうか。
また因果的な考え方には、もう一つ、私たちが陥ってしまいがちな落とし穴があります。それはこころを何か固定した目標や正解をもつものとして捉えがちになるということです。
「いつの間にか気持ちがフッと軽くなった」「ふとした拍子に今まで悩んでいたことがバカバカしくなって、次に踏み出す意欲がわいてきた」というようなことが起こるのは、こころが因果関係だけに縛られているのではなく、ガチガチに固められた目標などから自由な、「発見的」な状態になっているからだと思われます。
「発見的」というのは、こうあるべきという目標を持たないことです。これは一見、良くないことのように思われるかもしれません。もちろん目標を持つのは大切です。しかし限定的な目標を持つことは、私たちを因果的で狭い考え方の中に縛りつけ、未知であるはずの可能性を切り捨ててしまう危うさも有しています。「発見的」であることは過去や厳しい現実から自由になって、未知の可能性へと自分のこころを解き放つことです。それはこころが本来、因果関係だけに縛られていないからこそ、起こりうることなのだと思われます。
「向き合うべきか向き合わざるべきか、それは問題ではない?!の巻」
雨上がりの美しい月夜に誘われて、ミュウはちょっぴりウキウキとお散歩に出かけました。大きな水溜りの前で足をとめ、映っている自分の姿を眺めながら物思いにひたっていると、背中越しに揺れるシッポも目に飛び込んできます。月明かりに照らされて夜でもやっぱり赤く見えるシッポのせいで、せっかくの楽しい気分もみるみる萎んでしまいました。
「どうしてボクのシッポだけ赤いんだろう…」。思い返せば、ミュウは子ネコのときからこのシッポでいい思いをしたことがありません。周りのネコのシッポは黒や茶色なのでとても目立つし、自分だけ赤い理由も分からずモヤモヤするし、からかわれたり怖がられて仲間はずれにされてきたのでそれはコンプレックスでしかなかったのです。そういうわけでシッポのことは、考えるのはもちろん見るのも嫌でした。そんなとき、ミュウはよく空想にふけっていました。
「みんなはシッポのことを笑うけど、シッポが赤いのはボクが特別なネコだからだ。これは偉大な力の証拠で、自分のように弱くて困っているネコたちを救うんだ!」
ミュウは、いじめられるといつも、世界を救ったヒーローになって賞賛を浴びている姿を想像しながらまどろむのでした。そうしているときだけが幸せな時間だったのです。でも、そんなときに限って意地悪なお山の大将猫に見つかってしまい、偉大な赤いシッポを持つネコから、からかいの対象にすぎないシッポの持ち主という現実に突き落とされ、そのたびに深く傷つき、また空想の空しさを感じるのがオチでした。「シッポのことは考えても考えなくてもろくなことはない…」とミュウは思うようになっていました。それに少し大きくなってからは、スズメのピーという友達や『ネコの聖歌隊』の仲間もできたので、スーパーネコというヒーロー物語に逃げ込まなくても楽しく過ごせるようになり、夢見ることはずい分減っていました。どちらにしても、赤いシッポのことをどう考えていいのか分からず、見て見ぬフリをしていることに変わりはありませんでした。けれどもミュウは最近、また気にせざるをえない理由を持つようになっていました。というのも、新しく聖歌隊に入ったメンバーが、練習中ミュウのシッポを遠くから見つめていることに気づいたからでした。それは白くて美しい毛並みのネコでした。「何だろう…」。そのことを思い出し、ミュウは水溜りの前で佇んだまま不安な気持ちになりました。聖歌隊は親切なネコばかりで、ようやくできた居場所です。それがまた何か言われて居づらくなったらどうしようとミュウは憂鬱になり、ピーに相談してみることにしました。シッポのことを話そうと思ったのは初めてのことでした。翌日、ピーは感慨深げに話を聴き終わると言いました。
「ミュウはずっとシッポのことで悩んできたんだね。でも今までは、自分ではどうしようもないことだと思って考えないようにしてきたのかな。僕に相談してくれたのは、ちゃんと考えなきゃと思ったからなんだろうね」。そう言われてみると、確かに今までは空想の世界に逃げ込んだり、自分は本当は英雄で、特別なネコなんだと思うことでしか気持ちを慰めることができませんでした。
「うん、そうかも…。でもピーが話を聴いてくれるようになってからはちゃんと考えれば何とかなることもあるのかなと思うようになったんだ」。
ミュウはそう答えながら、たまにはボクもいいこと言えるぞ?!とばかりのドヤ顔になって「よく自分と向き合うことが大切だって言うだろ?」と付け足しました。するとピーは言うのです。
「そうだね。たいていの問題はちゃんと向き合ってちゃんと考えれば、どうすればいいかが見えてくることも多いと思うよ。でも、今ミュウが困っているのは、その白猫や昔ミュウを仲間はずれにした猫たちのことかい? それとも赤いシッポのことをどう考えればいいかという問題のことかい? もしそうなら、それは向き合えばいいというだけではないかもしれないよ」。
それはミュウにとってはまたしても思いもよらぬ言葉でした。「向き合わなくてもいいの?」混乱しながら家路についたミュウは、どうしていいか分からなくなって、最近はめっきり減っていた空想にまた走っていきました。
久しぶりの空想の中で、ミュウはいつものスーパーネコになって人間にいじめられて困っているネコたちを助けていましたが、どういうわけかふと、もしネコのシッポがみんな赤かったら、世界はどんなふうに変わるんだろう…と思ったのです。そして、昔自分をからかったりいじめたネコたちのシッポも含めて、みんなのシッポを赤く塗りつぶしてしまいました。想像力って便利ですね。それはともかく、全部のネコが赤いシッポになってしまうと、自分のシッポの色は気にならなくなったけど、今度は誰が誰だか、自分のことさえちょっと見分けにくい気にもなります。ミュウはなんだか妙な気持ちになりました。それからしばらくの間、みんなが赤いシッポだったら自分はどうなっていたんだろうとか、仲間はずれにされなくてすんだのかなとか…、ミュウにしては珍しくあれこれ思い巡らしましたが、なかなかスッキリした気持ちにはなれませんでした。そうこうしている内に、聖歌隊の次の練習日がやってきました。ミュウは、またジロジロ見られて落ち着かない思いをしないように他のネコの陰に立ってみましたが、最後まで上の空で練習どころではありませんでした。そして、一刻も早く空想に逃げたい気分でそそくさと帰ろうとした矢先、あろうことか白ネコが近づいてきて声をかけてきたのです。ミュウは全身が総毛立つくらいドキッとしました。
「そのシッポ、きれいね」「え、あー、そうかい? そんなふうに言われたのはボク生まれて初めてで…」。
アタフタして言葉につまるミュウに追い討ちをかけるように白ネコは言いました。
「あら、みんなでウワサしてたのよ。マフラーみたいに首に巻いたらきっとステキよねって」。
ミュウは誉められたのかからかわれたのか分からず、最後の言葉に動揺を隠せないまま、挨拶もそこそこにその場を立ち去りピーを探しにいきましたが、ピーはどこにもいませんでした。しかたなく、トボトボと雲の上を歩いてるような足取りでねぐらに帰る道すがら、ミュウは、あれはどういう意味なんだろう…とクリッとした瞳をキラキラさせながら声をかけてきた白ネコを思い出していました。意地悪で言ってるようには思えないけど、からかってるだけかもしれないし…とますます気持ちが混乱し、やっぱりまた空想に逃げ込むしかなくなってしまいました。
ところが、その夜はどういうわけかいつものようなヒーローになれません。自分をいじめたお山の大将猫も意地悪な人間も、想像しようと思ってもうまく出てきてはくれないのです。代わりに、自分のシッポをきれいと言ってくれた白ネコの優しい声ばかりがグルグルと回ってしまい、でも、不思議と心があたたかくなっていくのを感じながらミュウは眠りに落ちていきました。
早朝、ミュウは興奮してピーのところに駆け込みました。何があったのか、どう思ったのか、グチャグチャになりながらピーに話しているうちに少しずつ気持ちが落ち着いてきて、ピーが前に言っていたことが少し分かってきたような気がしました。赤いシッポを持つミュウが、これから先ミュウらしく生きていくために必要なこと、向き合うこと以上に大切なこと…。うまく言葉にならないけれど、同じ特別でもずい分違う気分なんだなぁと思いながら、ミュウは赤いシッポを振り返りながら言いました。
「これはボクがボクであるシルシなんだね!」
そのときのミュウが、今度こそいいこと言ったよね?!的なドヤ顔だったのは皆さんもご想像つきますよね?
(ポートヘボン「お知らせ」(2017/11月)より転載)
「発達障害と就活の不安」
Q.私は発達障害の診断を受けている3年生です。就職活動に対して大きな不安があり、どこから手をつけてよいかわかりません。(架空相談)
A. テキストや偏差値といった明確な方法や基準に沿って進めていけばよい受験とは異なり、就職
活動では適性、興味・関心、自己PR、志望動機などを自ら明確化し、方向づけていく作業が必要となります。しかしこのような手順や答えのはっきりしない作業が発達障害をもつ皆さんは苦手であり、大きな不安を感じることでしょう。
そこに課題や問題の回避傾向という発達障害の特性がさらに加わると、苦手な作業はますます棚上げにされて就活になかなか取り組めず、「どこから手をつければよいかわからない」となって、不安ばかりが募ることになりがちです。
就活でまずしなくてはならないこと
就活にあたっては就活サイトへの登録、就職ガイダンスへの参加などの手順が必要ですが、最も重要なことの一つは履歴書やエントリーシートの作成です。
これらの書類では、「大学で取り組んだこと」や「自己PR」など、自分の体験や特性を振り返り、具体例を挙げながらわかりやすくまとめ、記述することが求められます。
苦手かもしれませんが、この作業を避けて通ることはできないことを自覚し、まずはここに着手することから始めましょう。
「相談」は必要不可欠
とは言ったものの、いざ自己PRなどを書こうとすると、自分の経験や能力に自信がなく、アピールできることが何も思い浮ばないといった訴えもよく聞かれます。
そこでもう一点意識してほしいのは、相談することの大切さです。発達障害をもつ皆さんには自分のやり方や考え方へのこだわりが強く、周りに相談しないという人も多いように思います。
しかしこの苦手な作業を克服するためには、身近な人でも専門家でもよいので、誰かに相談することが必要不可欠と思ってください。相談することで自分の経験や特性について俯瞰し、別の視点から振り返るという、これもまた皆さんがおそらく苦手とする作業が可能になります。
例えば、自分が短所と思っていた「融通の利かなさ」を「コツコツまじめに努力して初志貫徹する性格」と読み替えることができたりするのです。
学生相談センターでは発達障害をもつ皆さんを対象に就職活動支援講座も開催しています。こちらにもぜひ参加してみてください。参加者同士で課題や悩みを共有することも不安を和らげると思います。
(「白金通信」12月号より転載)
「変化の時期を迎えて」
昔から「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」なんて言いますが、年が明けると本当にあっという間に1月から3月が過ぎ去って4月が始まる感覚がありませんか。学生の皆さんはお正月から始まり、テスト期間や卒業論文発表、卒業式や送別会、新しく始まる4月からの準備などをしている間に次の年度が来てしまうといった慌ただしい時期に突入していることと思います。次の年度になれば、進級・就職・進学・引越しなど大小の差はあれど様々な変化が訪れます。そうした目まぐるしい環境の変化に、どきどきわくわくして期待に胸を膨らませる人もいれば、どうなるか分からない不安や心細さで心や体がついていかないという人もいるのではないでしょうか。
人は変化に直面すると悲喜こもごも様々な感情が押し寄せて、平坦な気持ちではいられないことがままあります。そして、希望通りの進学や就職などたとえ良い変化であっても、ストレスとなってしまう事があります。というのも、今まで慣れた環境・人間関係・社会的立場など、変化によって得るものもあれば失うものもあるからです。例えば自分が行きたかった就職先でも、同僚や上司とうまく人間関係が築けるかどうか、仕事内容についていけるか、職場の風土や決まりごとになじめるか、規則正しい生活リズムが送れるかなど、学生時代とは全く違う課題に直面します。今までの環境や人間関係、役割を失うようにも感じられて寂しくなったり、緊張して無理をしてしまうかもしれません。人によっては、思うようにいかない事で怒りを覚えたり、気持ちの落ち込みや空虚感に襲われることもありえます。そして、その選択が自分の望み通りでなかった場合はもっと辛いものになることも考えられます。
こうした喪失に直面した時、人は様々な反応を引き起こします。それは必ずしも気持ちが落ち込んでしまうばかりではありません。考える暇を与えないように活動的に動くことで自分の辛い気持ちを見ないようにしてしまう人もいれば、その状況自体から一旦離れることで対処する人もいたり、別のことにハマることで気を紛らわせる人もいるかもしれません。もちろん、人によってはそれで気持ちが落ち着き、やがて安定して今が通常モードという境地に至れることもありますし、何より色々苦労しながらも環境に慣れていくというのは、変化に対応する大切な適応力だと思います。
ですが、それでもどこか体や心が不調のままだったりする場合は、無理して適応しようとせず、一度失ったものを噛みしめその悲しさや寂しさを受け入れ自然に任せて体験していく、というのもまた大事な心の作業になる事があります。気持ちを言葉にしてみる、身近な人に話してみる、絵や音楽に映し出してみる等、こうした体験を経るうちに少しずつ心の整理ができていくかもしれません。そして、もし自分の工夫ではどうにもならないなと思った時には、ぜひ学生相談センターにもいらしてみてください。カウンセラーと一緒に自分の気持ちを見つめてみる事で、また違うものが見えてくるかもしれません。
(ポートヘボン「お知らせ」(2018/2月)より転載)
「恋愛について悩んでいます」
Q.実は恋愛問題で悩んでいます。本当に相手が好きなのかよくわからないのです。でも一人で過ごすのは辛いので、結局、交際相手と過ごしています。これでよいのでしょうか。(架空質問)
A.恋愛をしている学生さんの中に、こんな悩みを感じている人はいないでしょうか。好きな相手と恋愛できることはすてきなことですが、恋愛は楽しい時ばかりではありません。必ず「こんなはずじゃなかった。。。」と感じることもあります。
恋愛をしている時、頭の中は・・・
誰でも恋をすると、寝ても覚めても相手のことばかりで、大学生活やアルバイトもおろそかになることがありますね。恋愛はそれだけ生活に影響を与えやすい出来事のようです。それはなぜでしょう。医師の岡田尊司先生によると、人は恋をすると、脳が高揚してドーパミンといった神経伝達物質や、エンドルフィンといった脳内麻薬、ホルモンなどの神経ペプチドが一気に上がるそうです。脳が著しく活性して、睡眠不足も疲れも感じない高揚状態が続くとのこと。恋愛が順調な時はもちろんですが、何らか問題が起きると相手の反応に一喜一憂するので、脳はますます興奮する状態になるそうです。ただ、脳内のドーパミンは長く増加し続けられるわけではありません。睡眠不足も続いているので、疲れがたまってもきます。
皆さんの中で似たような経験をしたことはありませんか。楽しい恋愛なのに、イライラしたり、急に悲しくなったりするのはその証拠です。恋愛をすることは、それほどまでに人の脳に強い影響を与えるようです。場合によっては、デートDVやストーカーといった狂気になることもあるわけです。
本当の恋愛をするには・・・
答えは意外にシンプルで、恋愛を成就させるには、双方にとって「将来的にも幸せが感じられる」組み合わせかどうかを見極めること、相手との関係を客観的に考えて判断ができること、と岡田先生は言っています。
もしも、あなたが誰かに心惹かれているなら、まずは本人や相手の家族のこと、これまでの経験、生活の中で感じていること、現在取り組んでいることなど、お互いをよく知ってからお付き合いを始めても遅くはありません。恋愛のせいで大学生活に不具合が生じたり、双方が辛い思いをしたり、深い傷を負わないために大事なことです。どういう相手ならば、自分が成長できるか、自分について理解する必要もあります。もし恋愛で悩んでいたら、一度相談においでください。
(「白金通信」3月号より転載)