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2017年度エッセイ

白金通信「カウンセリング」およびポートヘボンお知らせより


「「型」としての就職活動」

  
 Q.周りの友人たちは就職活動に取り組んでいるのに、私は4年生になっても就活への意欲がなかなか出ません。何か気持ちにブレーキがかかってしまっている感じです。(架空相談)
                 
A.就職活動に取り組めないという皆さんの訴えの中で多いのは、就きたいと思う具体的な業界、企業のイメージが浮かばないというものです。と言いつつ、実は一方で人気業界、有名企業に入りたいという漠然と理想化されたイメージにこだわっているということがあるように思います。
  理想と否定感の板挟み ところがそこで今度は、大学生活を振り返ってみると、自分にはアピールできることが何もない、と自信のなさが頭を もたげてきたりします。あるいは自分のやりたいことを仕事にできている人はほんの一握りで、仕事というのはガマンばかりでつらいものという、働くことへの否定的な認知があったりもします。本来ならば就職という現実と向き合いたいところなのに、就職に対する理想と否定感の板挟みで動けなくなっいるという構図がそこにはあります。
  「型」にはまると「形」になる ここを抜け出すには、ひとまず就活という「型」に自ら自分をはめ込むというやり方があります。自分は型にはめられたくない、やらされ感のある就活はしたくない、理想を追い求めたい、といろいろと抵抗を感じるかもしれません。しかし「型」のないところでいくら考えても掴みどころがなく、「形無し」になってしまいます。「型破り」はイノベーションにつながりますが、「形無し」のままでは何かを生み出すことはできません。まずは「型」の中身を置いてみることができないと、気持ちも考えも「形」を帯びてきませんし、行動までになかなか至らないでしょう。ゆえに、履歴書を購入してとにかく記入する、毎日就活サイトをチェックする、会社説明会に参加する、少しでも関心ががあればエントリーする、などできるだけ具体的な就活の「型」にまってみることをお勧めします。「どんな企業に就職したいのか」、「自分は何をアピールできるのか」といった漠然とした不安はなかなか拭えないと思いますが、こうしたことは「型」の動きの中で徐々に定まってくる場合も多いのです。  
   そして、もしそこでなかなか思うようにいかないということが起きてきたら、そのときに今度は自分には何が足りないのか、本当はどうしたいのかいったことを考えるとよいと思います。
(「白金通信」4月号より転載)



「人間関係の調整」

  
 春学期も6月の下旬になりました。特に1年生の皆さんは、大学の雰囲気や仕組みにも慣れてきて、授業や課外活動も軌道に乗りつつある時期を迎えられているのではないかと思います。

ただ、皆さんのなかには「ちょっと違うな」と感じている人もいるかもしれません。この違和感には様々なものがあると思いますが、その可能性の一つを今回は取り上げてみましょう。

入学直後の時期はひとまず近くにいたもの同士でつながって、様々なイベントを通じて知り合った人たちと一緒に過ごすことが多いのではないかと思います。それは色々な情報を得るためにもとても大事なことですし、さしあたり近くにいる人と関係をつくることは新しい環境での人間関係の形成のしかたとしてはごく自然なことです。このようにして知り合った人たちと、時間が経つにつれさらに関係が深まり、親密になっていく場合ももちろんあります。しかし、一定の期間がたってみると、自分と考え方や価値観が違う、あるいはなんとなくノリが違うように感じてくることもあるかもしれません。最初は、自分の比較的表層的な部分を用いてとりあえず行動をともにしていたのが、だんだんとお互いの中心的な部分を出しはじめたり、気づいたりしているということではないでしょうか。こう考えると、違和感を抱くこの時期は、いったん出来上がった人間関係の調整段階といえるのかもしれません。人間関係の距離感を微妙に調整し、自分にとって適度なかかわりにすることで維持したり、あるいは、もっと自分にとって居心地の良い場を探して移動することが必要になってきているのではないでしょうか。いったん出来上がった人間関係がなにも変化せずに続いて行くのも不自然といえば不自然なことですから、変化が生じること自体は当然です。とはいってもいったん出来あがった人間関係を自分から変えるというのも案外むずかしいことで、違和感を感じつつもなかなか変えられずにいる方もいるのではないでしょうか。しかし、人間関係を自分にとって無理のないかたちに自分から調整することは、主体的に社会生活を送るうえで今後もとても大切なスキルになるはずです。

大学生活の数年間は様々なことに試行錯誤的に取り組むにはとてもよい時間だと思います。人間関係で感じる「違和感」はよりよい解決に向けてのエネルギーにもなり得ます。いきなり解決とはいかないかもしれませんが、自分なりに調整を試みても良いのではないでしょうか。

(ポートヘボン「お知らせ」(2017/6月)より転載)



「就活で自信をなくしたら」

  
 Q.皆と同じように就活をしているのですが結果がでません。面接をいくつか受けているうちに自信もなくなり、不安や焦りも感じます。どうしたらいいでしょうか。(架空相談)

A.就職活動は大学受験のような課題とは大きく異なっています。偏差値のような目安となる指標はありませんし、採否いずれにしても理由が得点化されて示されるわけでもありません。つまり一般的な正解というものがなく、努力をしたことが目に見える形で実を結ぶという性質の課題ではありません。このような状況で結果がでないと、自分そのものが否定されたように感じ、自信と意欲の喪失につながってしまうことがあります。

蓄積するストレスに注意
就職活動も長期化してくると、応募のたびに結果が出ないことや、圧迫面接の経験が積み重なっていくことになります。一つ一つの経験自体は、乗り越えられないというレベルのストレスではなくても、度重なると大きな精神的ダメージを受けることがあります。「これくらいのことは頑張らないと」と思っているうちに、だんだんと自信がなくなり、不眠や体の緊張、不安や焦燥感といった症状が出てくることがあります。さらに進行すると自分の感情や感覚に鈍感になって、無力感に陥り、引きこもりに近い状態になることもあるといわれています。 もしこのようなことが起こったら、早めに学生相談センターなどの相談機関を利用したほうがいいでしょう。自信を喪失すると自己否定感が強まって次の行動に着手しずらくなり、ますます自信がなくなるという悪循環に入りやすくなります。もちろん現実的・具体的に自分のやり方を顧みて改めることは必要ですが、面接の結果を、自分が劣っているという考えにただちに結び付けないことが大切です。

情報の整理と目的の再確認
就職活動で精神的につらくなっていくことの背景の一つに、情報の氾濫が指摘されることがあります。なかには矛盾するような情報もあり、そのような情報に振り回されてしまうと自分を見失うことになりかねません。 また、就職という節目を通過するにあたって、周りの人たちの自分に対する期待や要求などの気持ちに敏感になりすぎると、頑張って就活してきたけど、自分はいったい何をやりたかったのだろうか、と振り出しに戻るような感覚になることもあるようです。 情報に巻き込まれずに距離を取り、情報を取捨選択することや、就職という課題について自分は本来どうしたいのか、ということを一人で考えるのは案外難しいことです。キャリアセンターでアドバイスを求めたり、学生相談センターでカウンセリングを通じて考えてみてはいかがでしょうか。
(「白金通信」7月号より転載)



「身体からの声を聞いてみよう」

  
   いよいよ秋学期が始まりました。ゆっくりマイペースでいられた夏休みに名残惜しさを感じるのは私だけではないはずです。さあ、また始動しなければ。でも…。
 この時期、何だかだるい、倦怠感が出てきて何もやる気が起きない、やらなければならないことに取りかかれない、ちょっと何かを始めても気持ちが乗らず以前のように続かない、そう感じている人が毎年この9~10月の連休ごろになるといらっしゃいます。うつなのか?ただやる気が出ないだけのようにも感じる…。ちょっと様子を見ようか…。と思ううちに何だか学校にちょっと行きづらくなり、休みが続きだすとさらに行きにくくなる…。
 またはちょっと無理して周りに合わせてみるものの、そうすると自分の身体がちょっとした反逆をし始める。食事がおいしく感じられなくなって体重が落ちていたり、眠りが浅くなったり、逆にいくら寝ても寝ても疲れが取れず睡眠不足のように感じたり。時には頭が痛い、気持ちが悪い、などの「身体のどこかがうまくいかない症状」に悩むことになる方もいらっしゃいます。  そんな時、まずは「身体からの声」にじいっと耳を澄ましてみましょう。たしかに昨日寝不足だったために頭が痛いのかもしれませんが、それだけでしょうか。頭痛薬で解決しないなら、その頭の痛さを単に睡眠不足という理解だけにとどめず、もう少し見つめてみると、何か見えてこないでしょうか。それは眠れなくなるほど気になっていた何かの悩み事の結果による頭痛なのかもしれません。まさに「頭が痛い」問題によって頭を抱えた状態なのかもしれません。自分では当面はどうにもならないからと、心の棚に放り込んでおいた何かの悩み事が、収まりきらずにあふれ出てきているのかもしれません。その場合には、その何かをちょっと取り出して目の前に据えて眺めてみることが、「身体のどこかがうまくいかない症状」への最短の対策であるかもしれないのです。それを回避することでうやむやにしてその場をやり過ごせるうちはそれでもよいのでしょう。しかし、そうは行かないときには、真っ向勝負に出て向き合うことが解決になることもあります。
 またちょっと気弱になっている時に、充実した夏休みを終えた友達の話を聞いたり、前向きな人たちの中に入ると、人は途端になけなしのエネルギーを消耗してしまう気持にもなるわけです。皆さんもそのような経験はありませんか?自分の本来のパワーが失われている時に他人と比べると、歩みが重くなりがちで、憂鬱のスパイラルからは逃れにくくなりますね。他人との比較ではなく、自分は本来何を目指していたのだろうか、どんなことをしていきたいと思って今を過ごしているのだろうか。という自分の長期的な見通しを再度確認すること、場合によってはそれに現実的な修正を加えると、ふと気分が楽になり、身体が楽になる、そんなことがあります。

  「人生における悲劇は、ゴールに到達しないことではなく、到達すべき目標を持たないことである。」これは サイクリストであるジョニー・Gが、教育者であり社会活動家のベンジャミン・メイズを引用し、今話題になっている言葉です。そもそもジョニーはNYとLAを横断する過酷なロードレースのプロですが、彼は自信を持って参加した初年度のレースではあえなく途中棄権をすることになりました。大きな挫折に落ち込んだ彼は、1人自宅ガレージに入り、そこで独自のトレーニングに没頭したそうです。おそらくその頃の彼は周囲を寄せつけなかったでしょう。しかしそんな彼にとってはその時、じっと自分に立ち戻り、自分の身体の声を聞いて楽しみながらできることをトレーニングを選んだのがよかったのでしょう。音楽に乗って楽しみながら筋力をつける、そしてそれは同時に己の集中力を研ぎ澄ますためのトレーニングも兼ねることにもなっていました。彼は翌年いい結果を出すことができましたし、それを聞きつけた仲間たちが彼の手法を求めるようになりました。実はこれが現在世界で爆発的にヒットしているインドアサイクリングに発展しているわけです。
   私からつけ加えるならば、「到達すべき目標を持つこと、そして時にそれを現実に擦り合わせ、変化させていく判断力と決断力をもつこと」。それが人生の節目には問われることになります。 私たちもそんな皆さんのお手伝いができればと思っています。
(ポートヘボン「お知らせ」(2017/9月)より転載)



「繋ぐこと 解き放つこと」

Q.過去の失敗など、もう取り戻すことができないことや、自分の力ではどうすることもできないようなことを考えると、どうしても将来に希望が持てない気がしてしまいます。(架空相談) 

 

A.過去の出来事で傷ついていたり、自分の力ではどうすることもできない周囲の状況によって希望を持てない気持ちになっていたりすることがあると思います。時間的に取り戻すことができないことや、自分の力の及ばない所で起きているようなことは、自分がカウンセリングを受けたとしても、もう変えようのない、どうしようもないことなのでしょうか。

 「因果関係」という落とし穴 

 因果関係とは、原因があるから結果があるという考え方のことで、私たちはこれに随分助けられて生きています。その代表が自然科学です。原因が分かればそれを取り除いたり対策を立てたりすることができ、結果を変えることができる。実際、大抵のものごとはこれで説明がつくと思われますし、逆に私たちも原因がわかるととりあえずホッとしたり、それで解決できたような気持ちになったりすることもあるでしょう。

 しかし、理屈はわかってもどうしても受け入れられないことがあるように、こころのことは必ずしも因果関係に基づいた解決ができるとは限りません。こころはもっと多層的で複雑で豊かなものなのではないでしょうか。

 また因果的な考え方には、もう一つ、私たちが陥ってしまいがちな落とし穴があります。それはこころを何か固定した目標や正解をもつものとして捉えがちになるということです。

 「発見的」であること

 「いつの間にか気持ちがフッと軽くなった」「ふとした拍子に今まで悩んでいたことがバカバカしくなって、次に踏み出す意欲がわいてきた」というようなことが起こるのは、こころが因果関係だけに縛られているのではなく、ガチガチに固められた目標などから自由な、「発見的」な状態になっているからだと思われます。

 「発見的」というのは、こうあるべきという目標を持たないことです。これは一見、良くないことのように思われるかもしれません。もちろん目標を持つのは大切です。しかし限定的な目標を持つことは、私たちを因果的で狭い考え方の中に縛りつけ、未知であるはずの可能性を切り捨ててしまう危うさも有しています。「発見的」であることは過去や厳しい現実から自由になって、未知の可能性へと自分のこころを解き放つことです。それはこころが本来、因果関係だけに縛られていないからこそ、起こりうることなのだと思われます。

 (「白金通信」10月号より転載)



「向き合うべきか向き合わざるべきか、それは問題ではない?!の巻」

 

 雨上がりの美しい月夜に誘われて、ミュウはちょっぴりウキウキとお散歩に出かけました。大きな水溜りの前で足をとめ、映っている自分の姿を眺めながら物思いにひたっていると、背中越しに揺れるシッポも目に飛び込んできます。月明かりに照らされて夜でもやっぱり赤く見えるシッポのせいで、せっかくの楽しい気分もみるみる萎んでしまいました。
「どうしてボクのシッポだけ赤いんだろう…」。思い返せば、ミュウは子ネコのときからこのシッポでいい思いをしたことがありません。周りのネコのシッポは黒や茶色なのでとても目立つし、自分だけ赤い理由も分からずモヤモヤするし、からかわれたり怖がられて仲間はずれにされてきたのでそれはコンプレックスでしかなかったのです。そういうわけでシッポのことは、考えるのはもちろん見るのも嫌でした。そんなとき、ミュウはよく空想にふけっていました。

「みんなはシッポのことを笑うけど、シッポが赤いのはボクが特別なネコだからだ。これは偉大な力の証拠で、自分のように弱くて困っているネコたちを救うんだ!」

ミュウは、いじめられるといつも、世界を救ったヒーローになって賞賛を浴びている姿を想像しながらまどろむのでした。そうしているときだけが幸せな時間だったのです。でも、そんなときに限って意地悪なお山の大将猫に見つかってしまい、偉大な赤いシッポを持つネコから、からかいの対象にすぎないシッポの持ち主という現実に突き落とされ、そのたびに深く傷つき、また空想の空しさを感じるのがオチでした。「シッポのことは考えても考えなくてもろくなことはない…」とミュウは思うようになっていました。それに少し大きくなってからは、スズメのピーという友達や『ネコの聖歌隊』の仲間もできたので、スーパーネコというヒーロー物語に逃げ込まなくても楽しく過ごせるようになり、夢見ることはずい分減っていました。どちらにしても、赤いシッポのことをどう考えていいのか分からず、見て見ぬフリをしていることに変わりはありませんでした。けれどもミュウは最近、また気にせざるをえない理由を持つようになっていました。というのも、新しく聖歌隊に入ったメンバーが、練習中ミュウのシッポを遠くから見つめていることに気づいたからでした。それは白くて美しい毛並みのネコでした。「何だろう…」。そのことを思い出し、ミュウは水溜りの前で佇んだまま不安な気持ちになりました。聖歌隊は親切なネコばかりで、ようやくできた居場所です。それがまた何か言われて居づらくなったらどうしようとミュウは憂鬱になり、ピーに相談してみることにしました。シッポのことを話そうと思ったのは初めてのことでした。翌日、ピーは感慨深げに話を聴き終わると言いました。

「ミュウはずっとシッポのことで悩んできたんだね。でも今までは、自分ではどうしようもないことだと思って考えないようにしてきたのかな。僕に相談してくれたのは、ちゃんと考えなきゃと思ったからなんだろうね」。そう言われてみると、確かに今までは空想の世界に逃げ込んだり、自分は本当は英雄で、特別なネコなんだと思うことでしか気持ちを慰めることができませんでした。

「うん、そうかも…。でもピーが話を聴いてくれるようになってからはちゃんと考えれば何とかなることもあるのかなと思うようになったんだ」。

ミュウはそう答えながら、たまにはボクもいいこと言えるぞ?!とばかりのドヤ顔になって「よく自分と向き合うことが大切だって言うだろ?」と付け足しました。するとピーは言うのです。

「そうだね。たいていの問題はちゃんと向き合ってちゃんと考えれば、どうすればいいかが見えてくることも多いと思うよ。でも、今ミュウが困っているのは、その白猫や昔ミュウを仲間はずれにした猫たちのことかい? それとも赤いシッポのことをどう考えればいいかという問題のことかい? もしそうなら、それは向き合えばいいというだけではないかもしれないよ」。

それはミュウにとってはまたしても思いもよらぬ言葉でした。「向き合わなくてもいいの?」混乱しながら家路についたミュウは、どうしていいか分からなくなって、最近はめっきり減っていた空想にまた走っていきました。

 久しぶりの空想の中で、ミュウはいつものスーパーネコになって人間にいじめられて困っているネコたちを助けていましたが、どういうわけかふと、もしネコのシッポがみんな赤かったら、世界はどんなふうに変わるんだろう…と思ったのです。そして、昔自分をからかったりいじめたネコたちのシッポも含めて、みんなのシッポを赤く塗りつぶしてしまいました。想像力って便利ですね。それはともかく、全部のネコが赤いシッポになってしまうと、自分のシッポの色は気にならなくなったけど、今度は誰が誰だか、自分のことさえちょっと見分けにくい気にもなります。ミュウはなんだか妙な気持ちになりました。それからしばらくの間、みんなが赤いシッポだったら自分はどうなっていたんだろうとか、仲間はずれにされなくてすんだのかなとか…、ミュウにしては珍しくあれこれ思い巡らしましたが、なかなかスッキリした気持ちにはなれませんでした。そうこうしている内に、聖歌隊の次の練習日がやってきました。ミュウは、またジロジロ見られて落ち着かない思いをしないように他のネコの陰に立ってみましたが、最後まで上の空で練習どころではありませんでした。そして、一刻も早く空想に逃げたい気分でそそくさと帰ろうとした矢先、あろうことか白ネコが近づいてきて声をかけてきたのです。ミュウは全身が総毛立つくらいドキッとしました。

「そのシッポ、きれいね」「え、あー、そうかい? そんなふうに言われたのはボク生まれて初めてで…」。

アタフタして言葉につまるミュウに追い討ちをかけるように白ネコは言いました。 

「あら、みんなでウワサしてたのよ。マフラーみたいに首に巻いたらきっとステキよねって」。

ミュウは誉められたのかからかわれたのか分からず、最後の言葉に動揺を隠せないまま、挨拶もそこそこにその場を立ち去りピーを探しにいきましたが、ピーはどこにもいませんでした。しかたなく、トボトボと雲の上を歩いてるような足取りでねぐらに帰る道すがら、ミュウは、あれはどういう意味なんだろう…とクリッとした瞳をキラキラさせながら声をかけてきた白ネコを思い出していました。意地悪で言ってるようには思えないけど、からかってるだけかもしれないし…とますます気持ちが混乱し、やっぱりまた空想に逃げ込むしかなくなってしまいました。

ところが、その夜はどういうわけかいつものようなヒーローになれません。自分をいじめたお山の大将猫も意地悪な人間も、想像しようと思ってもうまく出てきてはくれないのです。代わりに、自分のシッポをきれいと言ってくれた白ネコの優しい声ばかりがグルグルと回ってしまい、でも、不思議と心があたたかくなっていくのを感じながらミュウは眠りに落ちていきました。

早朝、ミュウは興奮してピーのところに駆け込みました。何があったのか、どう思ったのか、グチャグチャになりながらピーに話しているうちに少しずつ気持ちが落ち着いてきて、ピーが前に言っていたことが少し分かってきたような気がしました。赤いシッポを持つミュウが、これから先ミュウらしく生きていくために必要なこと、向き合うこと以上に大切なこと…。うまく言葉にならないけれど、同じ特別でもずい分違う気分なんだなぁと思いながら、ミュウは赤いシッポを振り返りながら言いました。 

「これはボクがボクであるシルシなんだね!」 

そのときのミュウが、今度こそいいこと言ったよね?!的なドヤ顔だったのは皆さんもご想像つきますよね?

 (ポートヘボン「お知らせ」(2017/11月)より転載)



「発達障害と就活の不安」

 

Q私は発達障害の診断を受けている3年生です。就職活動に対して大きな不安があり、どこから手をつけてよいかわかりません。(架空相談)

A. テキストや偏差値といった明確な方法や基準に沿って進めていけばよい受験とは異なり、就職

活動では適性、興味・関心、自己PR、志望動機などを自ら明確化し、方向づけていく作業が必要となります。しかしこのような手順や答えのはっきりしない作業が発達障害をもつ皆さんは苦手であり、大きな不安を感じることでしょう。

 そこに課題や問題の回避傾向という発達障害の特性がさらに加わると、苦手な作業はますます棚上げにされて就活になかなか取り組めず、「どこから手をつければよいかわからない」となって、不安ばかりが募ることになりがちです。

就活でまずしなくてはならないこと

 就活にあたっては就活サイトへの登録、就職ガイダンスへの参加などの手順が必要ですが、最も重要なことの一つは履歴書やエントリーシートの作成です。

これらの書類では、「大学で取り組んだこと」や「自己PR」など、自分の体験や特性を振り返り、具体例を挙げながらわかりやすくまとめ、記述することが求められます。

苦手かもしれませんが、この作業を避けて通ることはできないことを自覚し、まずはここに着手することから始めましょう。

 「相談」は必要不可欠

 とは言ったものの、いざ自己PRなどを書こうとすると、自分の経験や能力に自信がなく、アピールできることが何も思い浮ばないといった訴えもよく聞かれます。

そこでもう一点意識してほしいのは、相談することの大切さです。発達障害をもつ皆さんには自分のやり方や考え方へのこだわりが強く、周りに相談しないという人も多いように思います。

しかしこの苦手な作業を克服するためには、身近な人でも専門家でもよいので、誰かに相談することが必要不可欠と思ってください。相談することで自分の経験や特性について俯瞰し、別の視点から振り返るという、これもまた皆さんがおそらく苦手とする作業が可能になります。

例えば、自分が短所と思っていた「融通の利かなさ」を「コツコツまじめに努力して初志貫徹する性格」と読み替えることができたりするのです。

 学生相談センターでは発達障害をもつ皆さんを対象に就職活動支援講座も開催しています。こちらにもぜひ参加してみてください。参加者同士で課題や悩みを共有することも不安を和らげると思います。

(「白金通信」12月号より転載)



「変化の時期を迎えて」

 

 昔から「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」なんて言いますが、年が明けると本当にあっという間に1月から3月が過ぎ去って4月が始まる感覚がありませんか。学生の皆さんはお正月から始まり、テスト期間や卒業論文発表、卒業式や送別会、新しく始まる4月からの準備などをしている間に次の年度が来てしまうといった慌ただしい時期に突入していることと思います。次の年度になれば、進級・就職・進学・引越しなど大小の差はあれど様々な変化が訪れます。そうした目まぐるしい環境の変化に、どきどきわくわくして期待に胸を膨らませる人もいれば、どうなるか分からない不安や心細さで心や体がついていかないという人もいるのではないでしょうか。

 人は変化に直面すると悲喜こもごも様々な感情が押し寄せて、平坦な気持ちではいられないことがままあります。そして、希望通りの進学や就職などたとえ良い変化であっても、ストレスとなってしまう事があります。というのも、今まで慣れた環境・人間関係・社会的立場など、変化によって得るものもあれば失うものもあるからです。例えば自分が行きたかった就職先でも、同僚や上司とうまく人間関係が築けるかどうか、仕事内容についていけるか、職場の風土や決まりごとになじめるか、規則正しい生活リズムが送れるかなど、学生時代とは全く違う課題に直面します。今までの環境や人間関係、役割を失うようにも感じられて寂しくなったり、緊張して無理をしてしまうかもしれません。人によっては、思うようにいかない事で怒りを覚えたり、気持ちの落ち込みや空虚感に襲われることもありえます。そして、その選択が自分の望み通りでなかった場合はもっと辛いものになることも考えられます。

 こうした喪失に直面した時、人は様々な反応を引き起こします。それは必ずしも気持ちが落ち込んでしまうばかりではありません。考える暇を与えないように活動的に動くことで自分の辛い気持ちを見ないようにしてしまう人もいれば、その状況自体から一旦離れることで対処する人もいたり、別のことにハマることで気を紛らわせる人もいるかもしれません。もちろん、人によってはそれで気持ちが落ち着き、やがて安定して今が通常モードという境地に至れることもありますし、何より色々苦労しながらも環境に慣れていくというのは、変化に対応する大切な適応力だと思います。

 ですが、それでもどこか体や心が不調のままだったりする場合は、無理して適応しようとせず、一度失ったものを噛みしめその悲しさや寂しさを受け入れ自然に任せて体験していく、というのもまた大事な心の作業になる事があります。気持ちを言葉にしてみる、身近な人に話してみる、絵や音楽に映し出してみる等、こうした体験を経るうちに少しずつ心の整理ができていくかもしれません。そして、もし自分の工夫ではどうにもならないなと思った時には、ぜひ学生相談センターにもいらしてみてください。カウンセラーと一緒に自分の気持ちを見つめてみる事で、また違うものが見えてくるかもしれません。
(ポートヘボン「お知らせ」(2018/2月)より転載)



「恋愛について悩んでいます」

 

Q.実は恋愛問題で悩んでいます。本当に相手が好きなのかよくわからないのです。でも一人で過ごすのは辛いので、結局、交際相手と過ごしています。これでよいのでしょうか。(架空質問)

                 

A.恋愛をしている学生さんの中に、こんな悩みを感じている人はいないでしょうか。好きな相手と恋愛できることはすてきなことですが、恋愛は楽しい時ばかりではありません。必ず「こんなはずじゃなかった。。。」と感じることもあります。

 

恋愛をしている時、頭の中は・・・

 誰でも恋をすると、寝ても覚めても相手のことばかりで、大学生活やアルバイトもおろそかになることがありますね。恋愛はそれだけ生活に影響を与えやすい出来事のようです。それはなぜでしょう。医師の岡田尊司先生によると、人は恋をすると、脳が高揚してドーパミンといった神経伝達物質や、エンドルフィンといった脳内麻薬、ホルモンなどの神経ペプチドが一気に上がるそうです。脳が著しく活性して、睡眠不足も疲れも感じない高揚状態が続くとのこと。恋愛が順調な時はもちろんですが、何らか問題が起きると相手の反応に一喜一憂するので、脳はますます興奮する状態になるそうです。ただ、脳内のドーパミンは長く増加し続けられるわけではありません。睡眠不足も続いているので、疲れがたまってもきます。

皆さんの中で似たような経験をしたことはありませんか。楽しい恋愛なのに、イライラしたり、急に悲しくなったりするのはその証拠です。恋愛をすることは、それほどまでに人の脳に強い影響を与えるようです。場合によっては、デートDVやストーカーといった狂気になることもあるわけです。

 

本当の恋愛をするには・・・

 答えは意外にシンプルで、恋愛を成就させるには、双方にとって「将来的にも幸せが感じられる」組み合わせかどうかを見極めること、相手との関係を客観的に考えて判断ができること、と岡田先生は言っています。

もしも、あなたが誰かに心惹かれているなら、まずは本人や相手の家族のこと、これまでの経験、生活の中で感じていること、現在取り組んでいることなど、お互いをよく知ってからお付き合いを始めても遅くはありません。恋愛のせいで大学生活に不具合が生じたり、双方が辛い思いをしたり、深い傷を負わないために大事なことです。どういう相手ならば、自分が成長できるか、自分について理解する必要もあります。もし恋愛で悩んでいたら、一度相談においでください。         

 (「白金通信」3月号より転載)

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