新型コロナウィルスの脅威がなかなか収束せず、私たちはオンラインという仮想の現実空間の中で多くの時間を過ごさねばならなくなっています。今まで使い慣れてこなかったオンラインという状況においては、おそらく様々なトラブルや困りごとが起きているのではないかと思われますが、今回は、私たちのこころがとらえる「現実」ということに焦点を当てて考えてみたいと思います。
私たちは普段、当たり前のように画面に映る友人の顔を見て、スピーカから聞こえる声を聞いて、疑うことなくこれは○○君だと思っていますね。でもよく考えてみれば、その○○君はデジタル信号を通して限りなく実物に似せて創られ再現された「情報」に過ぎないとも言えるわけです。そう考えるとなんだか不思議ですよね。
私たちは多くの場合、手で触れることのできる「現実」だけではなく、「現実的」なことを通して、それを「現実」と認識して、生きていると言えるかもしれません。そして今、その波は、授業や友達づきあいやサークル活動や飲み会にまでも及んできています。
このような認識が可能であるのは、中沢(2004)が述べているように、人類の脳が「流動的知性」を獲得して、ものごとを多義的にとらえる力が備わったからかもしれません。例えば、「さる」という音を聞いた時、私たちは「猿」と「去る」の両方を思い描くことができる。まるで関係のない二つのものごとを、「さる」という音によって結びつけることができるようになったのです。このような知性は人類の生活の豊かさを爆発的に増加させました。そして現代では私たちに代わって機械が同じようなことをしてくれるようになりました。たとえばネットである単語を読みで検索すると、同じ読みを持つ様々な単語が検出されます。今や世界はインターネットという道具を手に入れ、その知性は個人が持てる範囲を超えて膨れ上がっているようにみえます。
この著しい変化はもちろん私たちに豊かさをもたらしました。ですが、その豊かさのもつ複雑さは私たちを一層混乱させるものでもあります。なぜなら複雑になればなるほど考える素材は増えてしまい、今まで考えなくてもよかったことを考えねばならなくなったからです。ネットによって時間や空間を飛び越えるのは簡単になり、これまで強く立ちはだかっていたはずの「限界」はずいぶん弱いものになりました。でもこの「限界」は私たちを守る防波堤でもあったのです。
たとえば以前なら小さい子どもは知らずに済んだような醜い出来事も、今は誰もが容易に目にすることができてしまう、というようにです。 私たちは「現実的」なことをも「現実」としてとらえることができる、と最初に述べました。今や「現実」は実に多様化・多層化しています。ですが覚えておきたいのは、その「現実」をとらえるのは、なま身の体をもつ私たちのこころだということです。
オンライン中心の生活では、これまで予想もしなかったような疲労や戸惑いを感じている方も多いのではないでしょうか。生身の私たちは今この時間とこの空間の中に生きていますから、バーチャルな時空間との間に「ズレ」を感じるのは当然なのです。
学生相談センターでは、希望する学生さんには対面での相談も受け付けています。なま身のカウンセラーがお相手をいたします。こんな毎日でちょっと疲れてしまった、というようなことでも構いませんので、お気軽にご利用ください。
文献:中沢新一(2004)『対称性人類学 カイエソバージュ5』(講談社選書メチエ)
(ポートヘボン「お知らせ」(2021/6月)より転載)
Q.新型コロナウイルス感染症の影響が出てから1年以上たちました。慣れてきたところもありますがストレスもやはり感じています。どんなことに気をつけて生活していけばいいでしょうか。
A.昨年からの感染症拡大で社会は大きく影響を受け、それに伴い大学生活も一変しました。現在も以前の状態には戻ることはできず、多くの人がこの間の変化への対応を強いられ、様々なストレスを抱えたと思います。
最も大きな変化は授業のオンライン化でしょうか。キャンパスで過ごす時間も減り、友達づくりや、課外活動にも影響があったと思います。アルバイトができなったり、実家への往来を控えたりした人もいるでしょう。先の見通しが難しいこの状況でストレスを感じること自体は無理のないことです。ただ、このような変化をどう受けとめるかは人によって違いがあるようです。オンラインの授業はむしろ負担が軽くなったと受け取る人がいる一方で、物足りない、大学に期待していたものではないと感じる人もいることでしょう。オンデマンド型の授業は時間を気にせずすすめることができるのでメリットのほうが大きいと感じる人もいれば、モチベーションがわかないという人もいるはずです。授業の課題をこなすことには影響はないように見えても、この状況ではやりにくさを感じる人もいるでしょう。状況は同じでもストレスに感じたり感じなかったりと、人によって違いがあるのです。
もともと対人関係に関して不安が高い傾向がある人の場合、授業のオンライン化はむしろメリットが大きく、対面の授業で感じていた負担が軽減される結果になったという人もいるでしょう。他方で、例えば身近な親しい人との関係で困難を抱え、これまでキャンパス内外でのリアルな関係や活動を充実させることで自分のバランスを保ってきた人にとっては、対面の授業の減少、サークル活動の制限、アルバイトの中断などは、これまで自分の支えになっていたものが失われる体験になったのではないでしょうか。また、自分でスケジュールを管理することが苦手な人、そもそも生活リズムが崩れやすい人にとっては、オンデマンド型の授業は時間割という外部にある枠組みがなくなる分かえってやりにくく、モチベーションも低下してしまったという人もいるのではないかと思います。逆に、物事をきっちり考える生真面目な人は、出された課題を仕上げる際に、周囲に比較対象となる人がいないので、いきおい全力で取り組み疲弊してしまう人もいそうな気がします。このように、同じ状況であっても元来のその人の性格や現在抱えている困りごとなどによって捉え方や反応が異なるということになります。
感染症の拡大とそれに伴う社会や大学の変化は、誰にとっても共通の問題とであると同時に自分自身の特有の課題も現れてくる状況です。対人関係の不安、スケジュール管理の苦手さ、融通の利かなさの裏返しの生真面目さなどのほかにも、その人その人いろいろな性格や行動の課題があると思います。感染症拡大という現実的問題は確実に存在するのですが、そのなかで見えてくる(あるいは見えずに隠れてしまいがちな)自分自身の課題を考えてみるのも大切なことではないでしょうか。大きな現実を動かすことは難しいかもしれませんが、自分のことに関してできる範囲で取り掛かることは可能です。「ストレス」という言葉は何か悪いものが外部からやってきて自分に悪影響を及ぼすという印象を与えがちです。しかし、この不確定な状況のなかで、今自分には何が必要なのか、どのような取り組みが必要なのか、状況に受動的に反応するのではなく、主体的に探索してみることは今後の自信につながることになるでしょう。今、この状況の中で何が自分にとってのストレスや不安になっているかを多少なりとも明確にし、自分の課題として捉えかえしていくことは主体的な営みであり、次へのステップになると思います。
(白金通信 2021 Summerより転載)
「葛藤的状況の中で・・・」
夏休み期間中ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。去年の夏に引き続きコロナは未だ終息せず、なかなか思うように過ごせない方が多いのではないかと思います。
そんな先が見えないコロナ禍にある東京で、一年遅れのオリンピックが開催されました。結果としては、日本は今までにないぐらいのメダルラッシュ!あまりスポーツに詳しくない私でもこんなにたくさんのメダルが並んだ時があっただろうか、と感慨深い気持ちになりました。でもその一方で、オリンピックをこれだけ盛り上げて伝えているマスコミが、少し前まではこのコロナ禍におけるオリンピック開催の是非を声高に叫んでいたな、と思うとなんだか落ち着かない気持ちにもなりました。更に、開催地の東京を始めとして多くの都道府県で緊急事態宣言が発令されているだけでなく、感染者は連日過去最高人数を更新するほどの勢いで増加しており、その乖離した状況に気持ちがまとまらない状態です。
今のこのちぐはぐな状況を見ていると、まるで政府やマスコミが都合よく現実を「否認」(Denial)したり、あるいは「分裂」(splitting)させて捉えているかのような感覚に陥ることがあります。この「否認」・「分裂」というのは、どちらも心理的防衛機制の一つです。「否認」は、事実や真実から目をそらし受け入れないこと、「分裂」はある対象・事象に対して全面的に良いものあるいは悪いものとして切り分けてしまうこと、を意味します。「分裂」に対しては、All or Nothing=全か無かといった極端な思考形態に近いというとわかりやすいかもしれません。
そもそも精神的苦痛を伴う状況において不安から身を守るために無意識的に発動される心理的メカニズムが防衛機制であり、特に現在のように経験したことのない未曾有の大きな困難に見舞われたら、誰だって冷静さを欠き現実にそぐわない認識や行動をすることは往々にしてありえます。ただしその結果として、場合によっては心理的健康や社会適応を損なう側面も否めません。
そして今もなお一部の人たちの間では、経済活動なのか全面自粛なのか、ワクチンを打つリスクか打たないリスクかなど、絶対的正解は分からないのに一方の意見にしがみつくような現象が見られるように思います。こうした二律背反した状況の中で自分の立ち位置を決めるのは並大抵のことではないですし、特に今回のコロナ禍のような未知の脅威に対峙した場合には、色々と葛藤して悩むよりも良い・悪いを決めて片方は切り捨ててしまったり、見たくないものは見ないようにすることが起こっても仕方のないことかもしれません。ただ、片方だけに偏ってしまうことで色々な見落としがあったり偏見が生じたり、場合によっては取り返しがつかない結果になることもありえます。
心理的な成長の過程においては、葛藤に耐えうる力を育むことが重要でもあります。今のような先行き不透明な時は特に、守るべきことは守りながらも状況に流されたり極端な方向に走ったりせず、冷静さを保って粛々と生活を送ることも大切なのではないかと個人的には感じています。ただし、どうしても今の制限された生活では人との関わりも断たれがちで視野が狭くなりやすい所もありますし、何より孤立することで心が蝕まれてしまうこともあります。今は直接会うのには制限があったとしても、例えばPCやスマートフォンなどの媒体を通してできるだけ誰かと話したり、色々な意見を目にしたりする機会を持ってみてください。くれぐれも一人きりで全てを頑張ろうとしないこと、それを心がけて生活してほしいと思います。
(ポートヘボン「お知らせ」(2021/8月)より転載)