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コラム「キャンパスCLINIC」

健康という「言葉」を考える

白金通信2013年10月

健康という限りなくあいまいな概念
 「あなたは健康ですか。」という問いに「はい」と自信を持って即答できる人はどの位いるでしょうか。自分自身、質問を受けた場面や質問者によって回答が異なる場合も少なく無いように思えます。そんな「健康」とは何かを改めて考えてみましょう。
 世界保健機関(WHO)憲章では、その前文の中で「健康」について、次のように定義しています。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」(日本WHO協会訳)現実的には、身体・精神・社会の次元で、すべてを満たすことは至難の業と言えるでしょう。
 昔からある言葉で「一病息災」があります。「一病(ちょっとした病)」のある人は、体に注意するので、病気の無い人より長生き(息災)であることを意味します。生活習慣病という概念が浸透した昨今においては、「無病息災」より馴染みが深い言葉になりつつあります。では、「一病」のある人は健康では無いと言えるのでしょうか。健康とは、定義されえない非常に曖昧な概念です。同時に言葉自身にある種の力があります。誰もが希求してやまない健康、この言葉の持つ魅力とその活用を考えてみましょう。


言葉としての「健康」の多様な活用
 「元気ですか。」「体調はいかがですか。」といった、その日のお天気と双璧をなす話のきっかけを作ってくれる最強の挨拶が健康状態についてです。また、家族や恋人など大切な人を気遣う時、何よりも健康でいて欲しいという熱い想いとして相手に伝わり、その絆を深めます。
 健康とは誰もが集まれ共に語れる大きな広場のような言葉です。少子高齢化社会の進行と共に「健康」は、共通の目標として人と人とを結び付け支え合う無二のキーワードとなり、益々時代の脚光を浴び続けるでしょう。私たちは、その輝く言葉に踊らされるのでは無く、ライフデザインの重要な要素として、健康と正面から対峙し自ら所有する財産として考えるべきでしょう。

 

総合支援室次長 三上耕一

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