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2022年度 卒業式・修了式 式辞・祝辞

村田 玲音 Leo Murata
学長
学長(経済学部教授)村田 玲音

卒業生の皆様、ご卒業、おめでとうございます。

また、ご家族をはじめ、保証人の皆様、お子様のご卒業おめでとうございます。
心よりお祝いを申し上げます。

皆さんの学年は、入学した一年目には平穏な大学生活が始まっていたことでしょう。授業や課外活動がスタートし、友人もできて、大学時代はこうして四年間が過ぎていくのかと、予感していたのではないでしょうか。

ところが二年に進学する直前、新型コロナウイルス感染症の拡大が始まって、突然、当たり前だった学生生活や社会活動がまったくできなくなってしまいました。2020年春学期のことです。

その後コロナを警戒しながら、社会の流れに合わせて大学でも色々な活動がゆっくりと元に戻っていきました。皆さんの最終年度である2022年度、キャンパスライフはかなり元に戻っています。 今日の卒業式も、ほぼ、コロナ前の状態で開くことができました。

皆さんの学年は大学生活四年間の、ちょうど真ん中の二年余りをコロナ時代に過ごしたことになります。「大学と共にコロナを乗り越えた学年」、あるいは「コロナの前と後を知り、社会がコロナを克服して《Ⅴ字回復》していくのを、大学生として体験した学年」といってもよいでしょう。

《Ⅴ字回復》という言葉には、普通の《回復》とは違ったとても力強い響きがあります。急激に下降してしまった何かが今度は急激に上昇してきたことを言っていて、逆にこれから先どこまで上昇していくのか分からないという、強い期待と強さを感じさせてくれる言葉です。

皆さんが社会に出ていくのは、こうした上向きの時代であることをしっかり意識してほしいと私は思います。

それと同時に、withコロナの期間をくぐり抜けて、何が手許に残ったのか、私たちはここでもう一回考えてみる必要があるでしょう。

2022年度、大学の授業が全部対面に戻っていくと、これを待っていた学生の皆さんが一斉に大学に出てきて、キャンパスは学生の姿でいっぱいになりました。そしてこれが一年間 ずっと続きました。

人と人が実際に対面してコミュニケーションを取り合うことの貴重さ、楽しさ、これを明治学院大学の皆さんはコロナの期間にはっきりと意識したのではないか、私は活気に満ちたキャンパスを見ながら、そう感じていました。

あの万事が不自由だった時代、私たちが社会生活や大学生活を続けられたのは、インターネットをはじめとする技術の力に依るところが大きかったのです。コロナ後の社会は、コロナ前の対面社会の良さと、withコロナ時代を切り抜けたコミュニケーション技術、この長所と長所を組み合わせた時代になっていくでしょう。皆さんには若さを生かしてこの時代に柔軟に対応していってほしいと思います。

私達は常に他人との関わりの中で生きています。
明治学院大学が教育理念として掲げる "Do for Others" も他者との関わり方を教えてくれる大切な言葉ですが、これに加えて皆さんが、コロナ時代を潜り抜けて、他者と直接関わることの貴重さや楽しさをより強く意識し、この時期に培われた新しいコミュニケーション技術の意義を理解していれば、皆さんの世代の大きな強みになるでしょう。

世界に目を拡げてみると、大変な時代ですが、皆さんにはぜひ、若さと行動力でこの激動の時代を少しでも良い方に導き、平和な社会を作っていくために活躍してほしいと願っています。そして機会があったらぜひ、学び直し(リスキリング)も含めて、母校を訪ねてきてください。

今後の御活躍とご発展をお祈りします。

本日は、ご卒業おめでとうございました。

鵜殿 博喜 Hiroyoshi Udono
学院長
学院長小暮 修也

皆さん、大学の卒業、大学院の修了おめでとうございます。また、別室でこの卒業式、修了式をご覧になっている保証人の皆様、ご関係の皆様にも心よりお祝い申し上げます。

皆さんはコロナ禍の中で、大学で、大学院で未だかつてない異常な時代を過ごされました。学生同士で顔を合わせることもままならず、課外活動もできず、モニターを通しての授業しか受けられないのですから、とても学生としての生活実感の湧かない時間を過ごされたことと思います。

私が学生の頃は学生運動が盛んな時期で、大学の封鎖などもあって、1年間はほとんど授業に出ないで過ごしたことがありましたが、それでも友人たちと付き合ったり議論したり食事したり課外活動をすることには何の支障もありませんでした。歴史的に見て、このコロナの2年間は文字通り異常な2年間でした。

私は昨年度まで週1コマだけ授業を担当していましたが、2年間は学生と一度も顔を合わせることができず、パソコンの画面を通して学生の顔を見るだけでしたし、学生もまたモニターを通してしか私の顔を見ることができませんでした。

さて、このような異常な学生生活を過ごされた皆さんの大多数がこれから社会に出ていかれます。現代の社会は変動が大きく、不安定で、希望の持ちにくい時代かもしれません。デンマークの思想家キルケゴールは「絶望は死にいたる病である」と言いました。絶望の反対が希望であるとすれば、希望こそ生に至る道と言えるでしょう。

中国に魯迅という作家がいました。中国近代文学の父と言われる魯迅は『故郷』という小説の最後にこんなことを書いています。「希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ。」多くの人が希望を抱くことによって社会の希望も生まれるということなのでしょう。個人的にこの魯迅の言葉はとても好きなのですが、ヴィクトール・フランクルという心理学者が書いた『夜と霧』という作品にも考えさせられる言葉がありました。フランクルはウイーン大学教授で、ユダヤ人であるために奥さんも両親も一緒にアウシュヴィッツの強制収容所に入れられ、奥さんも両親も殺され、一人生き延びて、戦後ウイーン大学に復職して世界中の多くの人々に影響を与えた人でした。戦後まもなくして書かれた『夜と霧』、原題はドイツ語で「心理学者が強制収容所を体験する」というもので、この本はある全国紙が2000年末に行ったアンケート調査で、「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの1冊」のドキュメント部門で第3位になったそうです。この本の中の一節にこんな言葉が書かれていました。「自分の未来を信じることができなかった者は、収容所内で破綻した。そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。」「自分の未来を信じる」ということは強制収容所の中だけではなく、人が生きていく社会においても大切なことではないかと思います。

学生時代に自分の夢を抱き、希望を持って巣立っていった学生を何人も知っています。希望の力というのは、その人の中に眠っている能力を引き出し、生きる力を与え、勇気を鼓舞してくれます。未来が茫漠としているときこそ、希望の輝きは大きいとも言えます。

キリスト教的に言えば、人間は一人ひとり神によって創造され、かけがえのない人格を備えています。それは、生きるということについて言えば、誰も自分の代わりに生きることはできないし、誰も他人の代わりに生きることはできないということでもあります。そういう意味で皆さんの生はかけがえのないものなのです。自分を大事にして生きてほしいと思います。

皆さんがこれから生きていく社会の中ではさまざまな壁が立ち塞がることもあるでしょう。そこでは自分を信じ、自分の未来を希望を持って描きながら生きていって欲しいと願います。 明治学院大学はキリスト教に基づいて作られた学校です。祝辞を閉じるに当たって、皆さんに一つの言葉を送りたいと思います。旧約聖書のイザヤ書という書物に書かれている言葉です。

「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。」わたしというのは聖書の神のことです。「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。」

卒業おめでとうございます。

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