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2023年度 卒業式・修了式 式辞・祝辞

村田 玲音 Leo Murata
学長
学長(経済学部教授)村田 玲音

卒業生の皆様、ご卒業、おめでとうございます。

また、ご家族をはじめ、保証人の皆様、お子様のご卒業おめでとうございます。
心よりお祝いを申し上げます。

今から2000年以上前の中国に、孔子という偉大な思想家がいました。『論語』を書いた人ですから、皆さんもご存知でしょう。その『論語』のなかに、次のような文章があります。

「学びて思わざれば則ち暗く、思いて学ばざれば則ち危うし(学而不思則罔、思而不学則殆)」

「知識の収集ばかりして自分で考えることをしなければ、物の本質は解らない。これが前段の意味です。自分で考えてばかりいて十分な知識を持たなければ、独善に陥って危険である。これが後段の意味です。原文の漢文ではたった12文字です。たったの12文字!でも、勉強していくことの難しさをこれほど見事に言い当てた文章を私は他に知りません。特に「暗し」と「危うし」の使い分けなど、絶妙です。孔子という人は、この文言を言っただけで歴史に名前が残ったのではないかと思うくらい、すばらしい見識だと思います。

こんな昔の孔子の言葉を私が引用したのは、皆さんがこれから出ていこうとしている社会が、今、大きな曲がり角に立っているからです。

今日卒業する皆さんが入学したのは 2020年の4月です。この年の1月、新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大し始め、4月初めからキャンパスを完全に閉じなくてはなりませんでした。そのコロナ感染症も1年ほど前から急速に終息し始め、今では当時の怖さを思い出すことさえ難しくなりました。でも、コロナをきっかけに、情報技術が急速に進歩し、社会の物事や考え方が深いところで大きく変わったように思います。

これまでは「会社に入って働く」といえば、出勤して同僚とデスクを並べ、会社で仕事をするのが当たり前でした。それがコロナという危機を経て、働き場所も働き方も、様々な形が出てきています。コロナ前には常識であったものが、色々な角度から考え直されるようになっています。大学の在り方も同じです。授業の形態にも色々な物が出てきました。インターネットや生成AIなどの技術が急テンポで発達し、私たちはこうした新しい道具をどのように利活用していけばいいのか、落着きどころを求めてまだ試行錯誤が続いています。自分で考えることと情報収集と、どうバランスよく両立させていくのか。まさに、孔子の言う「学ぶ」と「思う」をしっかり両立させていくことが求められる時代になっています。

私たちが生きたこの数年間は、後の時代から見ると大きな歴史の転換点だった、と言われるでしょう。皆さんはそうした変革の時代を大学生として過ごし、旧来の常識が崩れて変革が始まっていくのを現場で経験した貴重な世代です。このことを誇りにしてください。そして「この社会に自分をどう合わせていこうか」ではなく、「この社会をどう変えていこうか」という姿勢で、社会を良い方向に、積極的に変えていってほしいと思います。

明治学院大学も160年を越える歴史の中で、1つの転機を迎えようとしています。この4月から、初めての理系学部『情報数理学部』が誕生し、本格的な理系教育が始まります。

コロナをきっかけに始まった社会の変革では、情報技術が大きな役割を果たしています。皆さんが今後の世界で活躍していけば、必ず情報科学と関わりが出てくるでしょう。必要になったときには母校の明治学院大学を思い出して、再びこのキャンパスで学ぶことを考えてみてください。皆さんにとって明治学院大学は、卒業して去っていく場所ではなく、新しい学びを始めるときにも、いつでも迎え入れてくれる場所なのです。

皆さん方の活躍と今後のご発展をお祈りします。

本日は、ご卒業おめでとうございました。

鵜殿 博喜 Hiroyoshi Udono
学院長
学院長小暮 修也

みなさん、ご卒業おめでとうございます。
また、別室でこの卒業式をご覧になっている保証人のみなさま、ご関係のみなさまにもお祝いを申し上げます。

今年の1月1日に起こった能登半島の大地震は2011年の東日本大震災のことを思い起こさせました。今もって多くの被災者の方々が苦しい避難生活を強いられています。

私たちは今回の大地震で、あらためて自然の恐ろしさと人間の小ささを思い知らされました。自然の強大な力を前に人間はなすすべを知らないことをあらためて自覚させられました。

みなさんはパスカルのあの有名な言葉「人間は考える葦である」という言葉をご存知でしょう。パンセの347番です。その箇所を引用してみます。「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙はなにも知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。」

自然が、あるいは社会が、あるいは人間自身が私たちに襲いかかってきても、私たちは自分が卑小であること、自分が死ぬ存在であることを知っていることにおいて、尊いし、人間は最強の生物であると思っています。

みなさんの多くはこれから社会人になります。また、大学院に進学する人、海外で勉強しようとする人、資格をとるために、あるいは何かの試験を受けるために準備をする人と、さまざまな進路を考えている人もいることと思います。いずれにしても、大学という場を離れて、みなさんは未来に向かって歩み始めるわけです。

みなさんは大学という、おそらく人生のなかでもっとも自由な時間をもつことのできた場から、かなり不自由な世界に出て行くのです。しかし、不自由な時間が多いということは、自由な時間が貴重になるということでもあり、その自由な時間をどう使うかは、みなさんの生き方に関わってきます。

ところで、みなさんはヴィクトール・フランクルという人をご存じないでしょうか。心理学者で、ナチスの時代に、まずアウシュビッツ強制収容所に入れられ、そのあと別な収容所に移されて、なんとか生き延び、戦後はウィーン大学の教授として国際的に活躍し、老年までウィーン大学の人気教授として多くの学生の指導に当たった人です。戦後ドイツ語で書かれた本が1956年に日本語にも翻訳され、2002年には原著の改訂版をもとに新しい訳者による新しい翻訳が出版されました。タイトルは、『夜と霧』です。原題は「心理学者が強制収容所を体験する」というもので、一心理学者であるフランクルが体験した強制収容所の記録であり、心理学者として、あるいは真の思想家として、フランクルが収容所のなかで観察したこと、考えたことが内容になっています。この本は、ある特定の時代にだけ当てはまるたぐいのものではなく、人間が人間として生きていくなかで経験するであろう普遍的な問題を扱っています。だから、強制収容所などない、生死を分けた戦いなどもない、日本という、一見平和に見える国でも、私たち人間の生きる問題として、この本の記述は読者に迫ってきます。

今日は祝辞として、最後にみなさんにこの『夜と霧』のことを少しお話ししたいと思います。

みなさんがこれから生きていく社会は、ときにやさしい面を見せることもありますが、ときには冷酷な顔を露にすることもあるでしょう。そのようなとき、みなさんはさまざまな決断をしなければならない場面もあるでしょう。社会で生きるなかでフランクルの言葉は私たちに重要なことを教えてくれます。

そこでフランクルが収容所の中で悟った言葉をいくつか紹介しましょう。

「脆弱な人間とは、内的なよりどころをもたない人間だ。」

私たちはときに外面的なことに目を奪われたり、外面的なことをよりどころに生きがちです。財産とか家柄とか社会的な地位とか学歴とか、そういう外的なものしかよりどころにできない人を、フランクルは脆弱な人間と言っています。

またフランクルは次のようなことも言っています。
「自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が『なぜ』存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる『どのように』にも耐えられるのだ。」

人は一人では生きていけません。たしかに、ときには孤独が必要です。しかし、人は誰かによって助けられ支えられて生きていくものです。フランクルは、妻の面影を思い浮かべ、生きているか死んでいるかわからない妻への愛を抱き続けて過酷な収容所を生き延びました。そのときはすでに殺されていた妻に支えられたのです。

どんなに外面的に自由を奪われても、けっして奪われないものがあります。おそらく人間しかもっていないもの、人間を人間ならしめているもの、それは精神の自由です。
パスカルの「考える」ということも、この精神の自由ということも、人間にしか与えられていないものです。

明治学院の校歌は最初の卒業生である島崎藤村が作詞したものですが、若者を勇気づけ鼓舞するすばらしい言葉がちりばめられています。この校歌は、藤村が自分の子供を亡くし、失意のなかにあるとき書かれました。まるで自分を励ますかのように。「おのがじし道を開かむ」。自分の道は自分で切り開く気概をもて、とわたしたちを励ましてくれているようです。この言葉の前には、「もろともに遠く望みて」とあります。私たちは目先の利害や成果に一喜一憂しがちですが、目をはるか先に向けて自分の歩む道を切り開くようにと、励ましてくれます。生きるということは人と関わることであり、人と関わらずに生きることはできません。そしてそのなかで、自分の道を自分で切り開く気概をもつように鼓舞しているのだと思います。

どうぞ、みなさんが明治学院大学で得たものが生きる支えとなり、力となって、みなさんのこれからの歩みに神の導きがありますようにと祈ります。

卒業おめでとうございます!

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