明治学院大学の「学び」について、学長、副学長のメッセージを紹介します。
最近、世の中の時間の進み方が非常に速くなってきたような気がします。20年前なら、遠方の人と大切なことを文書でやり取りする場合、返事がくるまでに数日はかかったものです。今はメールやLINEで送れば、すぐ返信が戻ってきます。荷物の配送も、人間の移動も、とてもスピーディになりました。しかし、時代が進んでもなかなかスピーディに進まないものがあります。その代表的なものが教育だと思います。
私の専門である数学に例をとりましょう。初等幾何学を1年も勉強すれば、三角形の合同や三平方の定理などを証明できるようになります。でも、これが数学教育の目標ではありません。本当の目標は「自分の主張したいことを整理し、きちんと理詰めで説明できる」ようになることです。この能力を身につけた人は、社会に出て何年もたったのちに「あのとき勉強したおかげで、自分は論理的な思考に長けている」と思うかもしれません。あるいは、本人は気づかなくても周囲の人がそう見てくれるかもしれません。それでいいのです。本当の教育や学問は、効果が出てくるまでに長く時間がかかるものなのです。「この科目の目標は何ですか?」「1年間でその目標はどこまで達成できましたか?」と、効率を追い求めるようなものではありません。 明治学院大学の教育理念は “Do for Others(他者への貢献)” です。これは社会に出て仕事をしていくうえで、効率だけではない大切な視点があることを言っているのだと思います。みなさんも他者への目配りを忘れないようにしてください。明治学院大学は歴史の長い大学ですが、創設者のヘボン博士からの伝統で、常に社会が求めがちな利益追求や効率追求とは少し違ったところに、教育の重点を置いてきました。皆さんの活躍の場が世界規模に広がった今も、この教育理念の大切さは変わっていないと思います。私たちはこれからも、視野の広い、そして将来に生きてくるような教育を目指していきたいと思います。
「明治学院っていい大学だよね」と言われたいです。もちろん、いまでも言っていただけることがあります。でも、いい大学ってどんな大学のことでしょう。教育の質が高く、充実した学生生活が送れることでしょうか。学生、卒業生・修了生、教員、職員が大学活動を通して社会貢献したり、活躍したりしていることが第三者から認識されていることでしょうか。教員や大学院生が研究成果を挙げている大学でしょうか。はい、どれも「いい大学」には必須の要素です。それを常に目指し、学生による授業評価や教職員による自己点検、ファカルティ・ディベロップメント(FD)活動などを実施しています。ただ、それだけではなくて、ちょっと前向きになれなくて困ったなあと感じるときにも、横にいて話を聞いてくれる友がいて、サポートしてくれる職員がいて、学ぶ興味を引き出してくれる教員がいて、安心できる空間がある。そんな要素も含めた「いい大学」になり、評価されるようになるための努力もしています。
現在、世界中を人やモノ、お金や情報、知識や技術が、急速なスピードで駆け巡る時代となりました。このような複雑な現代社会を、若い世代の皆さんが生き抜いていくために、大学で揺るぎのない真の知性を育んでいただきたいです。私はそのサポートとなる大学環境を整えたいと思います。文学部、経済学部、社会学部、法学部、国際学部、心理学部、教養教育センターを擁する本学は、さまざまな角度から人文、社会についての研究と教育を展開しています。それぞれの専門、教養教育を基礎から学ぶと同時に、世界中の大学との留学の送り出し、受け入れを通じた国際交流が、皆さんの学習をさらに磨くことになるでしょう。その貴重な学習の道案内を、国際センターをベースに充実させたいです。そして、明治学院大学の研究、教育が、常に国際水準にかなうものであるためには、大学の研究支援を充実させる必要があり、そのための財務のバックアップも不可欠です。これからの時代の明治学院大学に着実なエネルギーを注ぎ込みたいと思います。
新約聖書は、この世のさまざまな先入見や、偏見、差別、社会の旧弊、抑圧から人々を解き放ち、自分の足で立つことを教えたイエスの言葉の力に人々が驚いて、それを「新しい教え」と呼んだこと、また、そのイエスが、常に社会の中の弱く、貧しく、尊厳を否定された人々の側で癒しの活動をされたことを伝えています。「解放」と「癒し」は、本学の礎を築いたヘボン博士や、多くの宣教師たちの活動を方向づけた原動力であり、今も”Do for Others(他者への貢献)”という教育理念のかたちで、本学の目指すべき方向を指し示しています。自分と異なる多様な人たちを受け入れ、その人たちと協力関係を築き、そこから自分と社会の問題に向き合い、困難な隣人の側に立って一緒に立ち止まって考え、行動する。本学で学ぶ皆さんの全てに、そういう姿勢を身につけていって欲しいと願っています。そのためにも、他者に開かれた心と他者への尊敬を育んできた本学の開学以来のキリスト教主義教育の伝統を守りながら、広くアジア諸地域のキリスト教大学、キリスト教学校との交流を強め、その間に揺るぎないネットワークをつくっていくことが必要です。キリスト教担当副学長として、微力ながらその実現のために力を尽くしていきたいと思います。
高校から大学へ、そして大学から社会へと、大学という場所はいわば二つの「橋」で外とつながっています。昨今の日本では、この「橋」のつなげ方が、大きな問題として浮上してきています。小手先の受験テクニックを磨くだけで大学に入っていいのか、生半可な知識を貯め込んだだけで社会へ出ていっていいのか。そんな「橋」の渡り方を許していて、変革期を迎えつつある社会を支え、またそこで生き生きと活躍する人材を、ほんとうに育てることができるのか。大学人として深刻な反省を迫られています。さいわい明治学院大学は、人文社会系の「知の拠点」として確固たる評価をえています。一人ひとりの教員は、人類の知恵が蓄積された広大な「宝島」の案内人で、みなさんと一緒にその島を旅する意欲に満ちあふれています。その意欲にこたえてくれる方にぜひ来ていただきたい。あなただけの「宝」がきっと見つかるでしょう。あなた自身が他にひとつもない「宝」となって、社会へと巣立っていくことを夢みていいのです。明治学院大学で過ごす時間は、まさにそのためにあるのです。