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コラム

現代を斬る | 「お手伝いの日記」は主体性と自立性を育むか

『朝日新聞』2016年4月1日朝刊の39面に、「『お手伝い』政治意識向上?」と題した記事が掲載された。文部科学省の主権者教育の推進策として、子どもがお手伝いなどで家庭生活に参加するよう取り組む事項が盛り込まれたことを取り上げたものである。

推進策をまとめた義家弘介文科副大臣(当時)は、「家庭を守らずに地域を守れるか。地域を守れずに日本を守れるか」「国がこんなお手伝いをしなさいという話ではないが、学校が評価することは必要」と述べたという。ここに垣間見える家族国家的な発想は、過去幾度となく「家庭のため」を「国のため」に延伸し、滅私奉公の論理を正当化してきた。その時に個人の権利がいかに蹂躙されるかは歴史の悲劇が教えるとおりである。

この記事は更に、義家氏が「子どもたちが手伝いの内容を記した日記を学校に提出するなどの取り組み」を広げる考えであると続ける。学校教育を通じて日記を綴った経験がある人は多いであろう。提出が義務づけられ、点検されることが自明な「お手伝いの日記」に、子どもたちは果たして何を綴るであろうか。

教育装置としての日記

明治以来、日本の学校教育では日記指導を重視してきた。それは教師と生徒の温かい交流の場となる一方で、生徒の内面に介入して教師が期待する「おりこう」な子どもを育成する装置としても機能した。賢い子どもほど、自分に求められた規範の存在を敏感に察知し、模範的な自己を演出して紙面に綴る。個人に対する国家の力が強い時代には、この現象はとりわけ露骨に現れた。

例えば太平洋戦争期に女学生であった芹沢茂登子は、戦後を30年ほど経たある日に戦時下の日記を見出し、かつての自分の「軍国少女」ぶりに驚いたという。芹沢は日記を書いた当時、先生からのしめつけは感じず、心にもないことを書いたとは言えないが、「期待にこたえる学徒であらねば」という意識から、「建前的にその思いで生きているうちに、心底そう思って」しまったと考察する(芹沢茂登子『軍国少女の日記』)。

戦前の軍隊教育でも、日記は軍人精神を培い、検証する媒体として活用された。定期的な上官の検閲により、「自分の思ったとおりを書いて、たまたま軍人精神に合致していない場合は怒られ」(飯塚浩二『日本の軍隊』)、あるいはそれゆえに「1日に2行か3行、それもきまりきったこと」しか書かず、本当に書きたいことは別の手帳に密かに書いたという(大内誠『兵営日記』)。

主体性と自立性を守るために

主権者教育の推進策で謳われる主体性や自立心は、子どもの素行と内面を監視することからは生まれない。そうした権威の眼差しのもとで生まれるのは、受動的で依存心の強いまま「期待にこたえる」人間に他ならない。さもなくば建前と本音を峻別し、見られている時にだけ「おりこう」を演出する人間である。日記を通じて子どもの規律化を図る発想には、未来を担う主体的で自立した主権者の育成とは正反対の思想が含まれている。

白金通信2017年12月号(No.492) 掲載

田中祐介 Tanaka Yusuke

明治学院大学教養教育センター助教。専門は近代日本文学・思想。
特に近代日本の教養主義や、書記・読書文化を主要研究テーマとしている。
近著に田中祐介編『日記文化から近代日本を問う 人々はいかに書き、書かされ、
書き遺してきたか』(笠間書院、2017)。
研究プロジェクト「近代日本の日記文化と自己表象」主催(diaryculture.com)。
教養教育センターでは、日本文化論、日本文学、アカデミックリテラシー研究1などを担当。