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コラム

ウクライナ通信(3)ウクライナの言葉とその表現

―音韻論的二重言語問題について―

ウクライナとロシアのちがいの問題を、ウクライナ語とロシア語に焦点をあてて考えてみます。
それは「音韻論的な言語問題」といってもいいもので、「身体感覚の統合」の問題です。

南部の港湾都市オデッサ(写真①)では、人びとはおもにロシア語を話しています。オデッサ近郊の村では、おもにウクライナ語を話しているところもあるようです。他方、首都キエフ(写真②)では、ロシア語もウクライナ語も話されています。最東部の都市ハリキウ(写真③)でも同様です。しかし、公共の広告や地下鉄内の公共放送はすべて、ウクライナ語に統一されています。ロシア語で日常生活はできても、「公共空間」で表現されていることは国語であるウクライナ語が分からなければ、十分には理解できません。

写真①:黒海に臨むオデッサ。手前は、映画『戦艦ポチョムキン』で有名な「オデッサの階段」。写真の左手方面が、現在ロシアに占領されているクリミア半島。

写真②:キエフの街並み。手前にあるのが、旧ソ連時代に建てられたと思われるアパート群です。間取りの統一が当時の「平等」についての考え方を表現していると思われます。

写真③:ハリキウ市の中央駅の駅舎。荘厳ですが、夕刻からのライトアップでは、妖艶な感じになります。

西部の中心都市リヴィウ(写真④)に来ると、人びとはウクライナ語を話しています。ロシア語も通じはしますが、使用するとあまり良い感じがしません。

写真④:正面左手奥の方が、街の中心地「リノック広場」。広場の中心には市庁舎があり、脇には教会の大聖堂があります。

こんなことがありました。リヴィウ市からバスで3時間ほど東にあるテルノピル(Ternopil*)(写真⑤⑥)に出かけたときのことです。「テルノピルではみんな美しいウクライナ語を話している」と友人に言われていました。まち中でそのウクライナ語を堪能し、帰りのバスに乗ったところまでは順調でした。ところが1時間後、交通事故の影響かバスが40分ほど立ち往生したのです。周りは暗い山の中でした。

写真⑤:テルノピル市中心部の歴史地区。ドイツ様式の雰囲気が残っていると、地元大学の先生に紹介されました。

写真⑥:テルノピル市にある人口湖から市街地方面。工場排出物による水質汚染や大気汚染などの問題に街は直面していると、説明を受けました。1960、70年代に日本の都市が抱えた問題が、記憶によみがえってきました。

ウクライナ人の乗客も浮足立ち始め、家族に「渋滞で何時に帰宅できるかわからない」などと携帯電話で話していました。ある女性は、ウクライナ語でバスが進まない理由がわからない状況を、不安げに語っていました。「この人はリヴィウに住んでいる人で、やはり通常の使用言語はウクライナ語なんだな」と思いました。同じ女性が、直後に、別の人に電話をかけました。「また、ウクライナ語で話すのかな」と思っていたら、こんどは「ダー、ダー」**と、ロシア語の会話になったのです。

これには、驚きました。ウクライナ語の中心地であるリヴィウやテルノピル周辺で、堂々とロシア語が話される状況はまったく想定していなかったからです***。つまり、この時点で、このどこからみてもごく普通の年配の女性は、「音韻論的二重言語話者」になっていたのです。この経験を、翌日知り合いのウクライナ人に話してみました。

彼の説明は、こうでした。「西部では、一般にはウクライナ語が話されています。でも、家族や親戚にロシア語を話す人がいて、何かの機会に会話でロシア語が出てくると、その対応の続きはロシア語になったりするのです。そして、またウクライナ語に戻ります!」

もう一つ、例を挙げてみたいと思います。これは、話し言葉の中で、ロシア語と混ざり合い、誤って表現されたと思われるウクライナ語の事例です。

朝の7時50分を表すとき、西部で「Bez deshatui vosima(8時に10分足りない)」という表現が使われることがあります。「Bez deshatui voshemi(同)」というロシア語の表現の構造を、ウクライナ語の発音でなぞったものです。ロシア語の言語使用が身体感覚に残っていて、それをウクライナ語の文字発音で実践使用した結果です。ウクライナ語では、正しくは、「Za deshati hvirin vosima(8時にあと10分)」か、「Deshati hvirin do vosimoii( 8時までに10分)」となります。

また、同じ時間表現で「V deshatii hoduini(10時に)」という表現を耳にしますが、これも最初の前置詞「V(ヴ)」がロシア語を模倣していて、正しいウクライナ語では「O deshatii hoduini」で、前置詞が「O(オ)」になります。****

ただ、西部でも、北方ベラルーシ側のウクライナ語はロシア語と混ざっており、ハンガリー国境カルパチア地方のウクライナ語はハンガリー語と混ざっているとも言われますので、ウクライナ語も、必ずしも一様ではないようです。

*この都市名は、ロシア語風に発音すると「チェルノピル」となります。最初にウクライナに来たとき、原発事故があったあの「チェルノブィリ」と勘違いしました。ウクライナ語では、英語の「e」にあたる文字を硬音でハッキリと「エ」と発音します。一方、ロシア語で同じ文字は「ィエ」と柔らかく発音されるため、ロシア語風の「チェルノピル」が、私には「チェルノブィリ」と聞こえたのです。ちなみに後者、ウクライナ語の正確な発音は、「チョルノブィリ」となります。

**ウクライナ語では、「はい、はい」は「ターク、ターク」と言います。これは、じつは、ポーランド語と似ています。

***旧ソ連時代に人生の重要な時期を送った人だと思えば、当時の支配的な言語はロシア語でしたので、ある意味当然かもしれません。ただ、「ロシア語化されたウクライナ語の修正」が話題になる時代には、不思議な感じがしました。

****ロシア語表現が混ざった「誤ったウクライナ語表現」に関しては、大学院生Oleh Skotarさん(リヴィウ・ポリテクニーク大学)への簡単なインタヴュー(2017.11.28. 8:30-10:30実施)に基づいています。が、聴き取り内容の誤解による転釈や表記上の誤謬は、筆者に責任があります。

社会学部教授 岩永真治