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コラム

現代を斬る | 特別支援教育とインクルーシブ教育

電車の中で出会った子どもたち

夏の夜の快速電車でのこと。もう9時を過ぎていたが、帰宅に向かう乗客で車内はぎゅうぎゅう詰めであった。立ったまま汗も拭けないような状況の中、中学生ぐらいのいわゆる不良と言われるような男の子たちが、4人掛けの座席を2人で陣取り、トランプに興じていた。車内には、あきらめと同時に突き放したような雰囲気が漂い、私も含め、大人たちはだれもその子たちに声をかけず、ただただ時間が過ぎるのをじっと我慢していた。

別の日、お昼近くであったろうか、電車の床に座り込む高校生のグループに出くわした。服装も鞄もだらしなく、女の子もスカートのまま床に座りスマートフォンをいじっていた。私も含めて、周りの大人たちも「嫌だなあ」という感情があったように思うが、やはりだれもその子たちに声をかけなかった。

あの子たちは大人たちの冷たい視線を感じていたであろうし、決して褒められた行為でないこともわかっていたように思える。共通して感じたのは、あえて周りに目を向けず、自分たちの世界にこもっていたい、そんな内向きの雰囲気と何とも言いがたい無気力であった。

あの子たちは、自身が認められるような場や機会を得ているのだろうか。学校生活の中でなんでもいい。学業だけでなく、クラブや部活動、あるいは友だち同士で、その子の思いと力が出せる機会があれば、あのような姿には決してならないはずである。もしかしたら、あの子たちは家でも身の置き場のない生活を強いられているかもしれない。だれからも認められず支えも得られていないとすれば、あの子たちこそ被害者なのである。

多様な子どもたちと特別支援教育

子どもを巡る状況は多様化している。貧困下に置かれた子ども、発達障害のある子ども、性的少数者である子ども、虐待されている子ども、外国にルーツのある子ども、学校に通うのが苦しい子どもなど。これらの子どもたちは、学校で胸を張って生活することのできない客体的立場に置かれがちである。だからこそ、学校は、どの子どものことも認め、それぞれに前向き主体的に生きる姿勢を培うことをなにより大切にすべきである。

特別支援教育の理念は、「障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め…」(注)とある。この「教育的ニーズ」という文言は、欧米の特別な教育的ニーズ(special educational needs)という概念の影響を受けている。本来は、障害の有無に関わらず、教育的支援の必要性から子どもを捉えようとする概念である。特別支援教育の対象は、障害のある子どもだけではない。これからは、より多様な子どもを支える方向性が求められていくはずである。

どの子も主役に。

それこそがめざすインクルーシブ教育の姿だと考える。

 

(注)文部科学省『特別支援教育の推進について(通知)』、2007年。より引用

 

白金通信2018年3月号(No.493) 掲載

高倉誠一 Takakura Seiichi

 明治治学院大学社会学部准教授。専門は特別支援教育、知的障害教育。
特別支援教育の現場で、教諭と共に授業作りや学校生活作りに関する共同研究を行っており、
近年は貧困や虐待、不登校など、応援を必要とする子どもへの教育的支援に関心を持つ。
社会福祉学科では基礎演習、特別支援教育総論、特別支援学校教育実習、演習などを担当。