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現代を斬る

アジア太平洋戦争の体験者がいなくなる前に

中公新書『硫黄島』刊行を機に

2019年1月、中公新書『硫黄島-国策に翻弄された130年』を刊行した。幸いなことに、各紙誌やウェブ上で著者インタビューや書評が相次いで掲載されるなど、好評いただいている。日米の地上戦の場となったことだけがよく知られている硫黄列島(硫黄島・北硫黄島など)は、実は近現代の日本とアジア太平洋の矛盾が凝縮する場所である。

硫黄列島は19世紀末、日本帝国における南進論の高まりのなかで、初期「南洋」入植地の一つとして開発が始まった。その後、製糖業を軸とするプランテーション型入植地として発展し、日本帝国の「南洋」植民地における開発モデルの一つとなっていく。1930年代に入ると、硫黄島のプランテーションは、日本帝国屈指のコカ(コカインの原料)の集約的な生産地として、世界の闇市場にもつながる場となっていった。

そして日本帝国の崩壊・敗戦の過程で、硫黄列島は本土防衛の軍事的前線として徹底的に利用された。硫黄島・北硫黄島ともに島民の強制疎開が実施され、男性の高齢者・子どもと女性全員の総計1,000人以上が、日本軍の命令によって故郷から追放された。また硫黄島では、103人の島民が軍属として地上戦に動員され、生き残ったのは10人だった。

日本の敗戦後、島民を帰還させないまま、硫黄島は米軍によって秘密核基地化されていく。冷戦下の日本は、米軍による硫黄列島の排他的軍事利用を追認することと引き換えに、主権回復を認められ、復興へと突き進んだ。その傍らで、故郷を失った硫黄列島民の大多数は、拓殖会社の小作人として搾取されていた強制疎開前以上に、困窮を強いられていった。

戦争体験の忘却に抗する責務

約半世紀前の1968年、小笠原群島とともに硫黄列島の施政権が日本に返還された。だが日本政府は、硫黄島を自衛隊に軍事利用させ始め、北硫黄島を含む硫黄列島への島民の帰郷を引き続き認めなかった。硫黄列島は、軍事利用のために75年にわたって島民全体が帰還できないという、世界でも類例をみない異常事態下に置かれている。

硫黄列島民は、「帝国」と「総力戦」と「冷戦」の世紀であった20世紀のアジア太平洋世界において、その矛盾を最前線で押しつけられてきた人びとだ。にもかかわらず、日本社会は、硫黄列島民の歴史経験どころか、かれらの存在そのものをも忘れてきたといえる。

この5年ほどの間に、強制疎開前の硫黄列島での生活経験をもつ島民一世、そして地上戦や強制疎開を経験した島民が、次々と逝去され、あるいは証言が困難な状態に陥ってしまった。アジア太平洋戦争の体験者は、次の10年でほとんどいなくなると予想される。他方で、事実上の「日本軍」となった自衛隊が国外で戦闘にかかわる事例は、次の10年で増えるだろう。これまで光をあてられてこなかったさまざまな「戦争体験」を聴き取り、適切なかたちで記述しておくことはいま、関連分野の現役研究者に課せられた歴史的責務といっても過言ではない。

白金通信2019年夏号(No.500) 掲載

© 中央公論新社

石原俊 Ishihara Shun

専門は歴史社会学。
関心は島嶼社会からの近代日本再考。
主著に『近代日本と小笠原諸島』『<群島>の歴史社会学』。
学部ではポストコロニアル論などを担当。

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