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コラム

【あの日の私】成果に拘らずに挑戦し続けること

自分が卒業した大学学部学科が勤務先であると人に言うと、「いつも思い出いっぱいのキャンパスで懐かしくていいですね」とか言う人がいる。確かに大学を卒業して長い年月がたっている人よりは思い出すことも多いだろう。ただ同時に思い出したくないことをいつも思い出してしまうという短所もある。よって都合の良いことだけを都合よく思い出すということになる。この短文も都合の良いことを都合よく思い出しているだけで、都合の悪いことは一部歪曲しているかもしれない。

明学の社会学部になぜ入学したのかと聞かれると何通りかの答えがいつもある。社会学を学ぶのであれば、文学部社会学科よりも社会学部社会学科の方が専門的に学べるのではないかという優等生的な理由、政治・経済を選択して受験ができる社会学部社会学科が当時数えるほどしかなかったという受験生的な理由、赤本にあった「卒業後にマスコミで働ける人材を育成する」という胡散臭い文言に惹かれたが故の理由、家の宗教がプロテスタントなので家族の支援を得やすいとか、いくらでも答えがあがる。ただ何と言っても一番の理由は地方に住む普通の公立高校の生徒から見て「東京の大学」に出てきたかったことにある。

あくまでも進学したかったのは「東京の大学」で明治学院大学生というのは背番号にすぎないと思っていた。誰に言われたわけでもないが、「学内にくすぶっていてはだめだ、学外に踏み出さなければ」と勝手に思っていた。

当時の明学は学外志向の自分には最高の環境だったと思う。大学時代に何かを強制された記憶がない。しかし、強制がないということは自分の責任で動かなければ何もはじまらないということでもある。

入学して人脈を作ってみようと、文連のサークル2つをかけもちしてみて、結局両方やめたり、インカレの大規模サークルに入ってすぐにやめたり中途半端な失敗の連続だった。

人脈を広くするだけではなく、自分にとって中身を伴うことがしたくなった。他大生しか参加していないホームステイパックツアーを申し込んでアメリカ東海岸へ行ってみたり、3年次から週末に就職予備校的な学校に通い始めたりした。しかし、これらも中途半端でどんな成果があがったか首をかしげる。まず、就職予備校出身なのに私は現在、研究者を職業にしている。一方で、今ふりかえれば天候不良で観光できなかったプリンストン大学にのちに在外研究で滞在することになるし、現在も学生の就職相談にはよくのっているという点で成果と縁があったのかもしれない。卒論にするか悩んでやめたテーマ「戦時宣伝」が結局、研究者としてのライフワークのテーマにもなっている。

大学内は強制がなくていつも居心地が良かった。みんないい人たちだったと思う。学外に踏み出さなければと焦る自分を癒やしてくれる温かいホームであったことに感謝をしている。

学生時代の何がのちの成果になるかわからない。だから挑戦し続けなければいけないのだと思う。

社会学部教授 佐藤 正晴


2年生の春休みにアメリカ東海岸へ。
今思えば、ニューヨーク観光以外に興味がなかった。
せっかくの機会に視野が狭くてもったいない。


現在の先生。

白金通信2020年秋号(No.504) 掲載