AIとの共生に向けて
仕事を奪うAI
21世紀の初めに、深層学習(ディープラーニング)が登場すると、AIの注目度が急速に高まった。深層学習とは、人工神経回路網を用いて、入力と出力の関係を学習する技術である。深層学習には、大量の学習データと学習時間が必要だが、いったん学習してしまえば、入力に対する出力を瞬時に計算できる。最初は画像認識に応用されたが、ゲームや自然言語処理等に応用され、瞬く間に普及した。特に自然言語処理に深層学習を応用したところ、人間に匹敵する能力を発揮した。コロナ禍でなければ、携帯型機械翻訳機の活用により東京五輪の観光客との交流が深まり、より一層AIの注目度が高まったことだろう。また、2020年春には、高速道路における自動運転が解禁されたが、AIなしでは自動運転も実現できない。
AIの進歩により、AIが人間の能力を超える場合がある。実際、囲碁や将棋では、既にプロ棋士さえAIに歯が立たない。機械翻訳の性能も格段に向上し、日常会話では十分実用になる。人の目に頼っていた商品管理などの問題もAIが代用できる。
AI社会を迎えようとしているにもかかわらず、行政のデジタル化の遅れがコロナ禍により顕著となった。デジタル化が遅れているのは、行政だけでなく、企業も例外ではない。ペーパーレス化が進まずに、押印がいまだに必要とされていることからも明らかである。一方、米国では、リーガルテックが進み、電子契約支援システムも導入されている。行政や企業において、今後デジタル化が進むのは必然なのである。そうなれば、単純事務作業に限れば、AIによる人員削減も半ば必然である。まさにAIとの競争は始まっているのである。
AIに負けないために
現在のAIの自然言語能力は既に無視できず、膨大なデータに基づく判断も無視することはできない。正しくデータを与えれば、AIによる判断は決して間違わないからである。したがって、人間はAIと共生していかなければならないことになる。
人間に勝る能力を発揮するAIであっても、現実にAIは言葉を「理解」していない。自然言語による会話を観察するだけでは、AIと人間の区別がつかない場合さえあるが、AIは相手の言葉を理解して応答しているわけではない。オウムが人間の言葉を真似ているのと本質的に変わらないのである。相手の言葉を理解して自ら判断し行動することが、人間とAIとの決定的な違いとなる。
人間の知性、特に学習能力はAIとは質的に異なる。AIの学習は誤差を最小化するだけだが、人間は言葉を理解して学ぶことがAIとは決定的に異なる。言葉の意味を理解し、自らの経験として取り込む能力は現在のAIにはない。学問を修めるだけならばAIには勝てないかもしれないが、先生や友達との日常的な会話を通じて学ぶことは現在のAIにはできないのである。大学でのさまざまな学びを通して、自らを高めていくことがAIに負けないために必要なのである。
白金通信2020年冬号(No.505) 掲載
櫻井 成一朗 SAKURAI Seiichiro
法学部教授。
専門は計算機科学、人工知能、認知科学、社会情報学。
特に人間の推論に興味がある。
余暇には映画鑑賞を楽しむ。
どんなジャンルの映画も幅広く視聴する。