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あの日の私

新幹線での奇跡の再会 松園保則准教授(経済学部)

「英語が好きで得意」という理由で志願した関西外国語大学に合格できたものの、学部時代はブラスバンド部の練習とアルバイトに明け暮れた。3・4年時に所属していた大島新先生の英語学概論ゼミについてはほどほどに取り組んでいたが、具体的に何を学んだのか今でもあまり思い出せない。現在自分のゼミを受け持つ身としては、何とも恥ずかしい限りである。

さらに仕事への情熱も持てないまま大学を卒業した私は、約2年のアルバイト生活の後、ある会社に契約社員として採用された。しかし大した活躍もせず、1年半で契約打ち切りを突きつけられた。26歳だった。不安と焦りが一気に襲いかかり、今後どう歩むべきかを「本気で」考え始めた。やがて、「日本から離れてやり直したい」という思いと、昔からの「海外留学」への強い憧れとがあいまり、いろいろと検討した結果、「イギリス大学院留学」を決意し、準備に没頭していった。

1ヶ月後。妹の結婚式に参列するために大阪から新幹線で新倉敷駅へ向かっていた。本来なら祝福モードになるはずだが、車内でも留学準備のことで頭がいっぱいだった。ふと左斜め前方の席に目を向けると、ある男性が視界に入ってきた。「この人見たことがある」じっと眺めているうち、はっと思った。「大島先生かもしれない!」と。

そして思い出した。ご実家が倉敷で、週末になると倉敷に戻っている、とゼミの中でお話しされていたことを。広島出身だった私は「中国地方」という括りから先生にどことなく親近感を抱いていた。「もしこの男性が新倉敷駅で降りたら声をかけよう」と決め、しばらく車内で過ごした。

「次は新倉敷〜」アナウンスが流れるとその男性は準備を始め、到着するとホームに降りた。今だ! 私は急いで追いかけて声をかけた。「あの、すみません!」「はい」「突然すみません。もしかして大島先生ですか?」「はい、そうです」「私、昔先生のゼミを受けていた松園といいます」「え〜と……あ、松園くんか!」なんと大島先生は私のことを覚えていてくださったのだ(広島出身ということで記憶に残っていたらしい)。近況報告をし、海外留学を目指していることを伝えると「推薦状を書いてあげるから今度研究室にいらっしゃい」と言って下さった。

その後連絡を取り合い、研究室に何度かお邪魔して、先生から推薦状を受け取ることができた。そして、念願のイギリス大学院留学を実現することができたのだ。

イギリス・ウォーリック大学での留学生活は壁にぶつかっては乗り越えての繰り返しだったが、大親友の台湾人ヘンリーを始めとするすてきな友人たちや先生に出会えて、かけがえのない時間が過ごせた。何よりこの留学を経験したからこそ、帰国後に就いた仕事の面白さに気づき、真剣に向き合うようになった。さらに、そこで結果を残せたことが幸いし、気づけば現職に就いて、次のステージを目指す自分が今ここにいる。全ては、あの日大島先生と新幹線で奇跡的に再会し、私に救いの手を差し伸べてくださったからだと心底感じている。

経済学部准教授 松園 保則


Henry & Yasu
(上: 2003年8月イギリス留学中、下: 2016年8月台湾訪問時)


現在の先生。

白金通信2021年春号(No.506) 掲載

 

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