スマートフォン版を表示
思い出の味

子どもたちのおもてなし 炒土豆絲チャオトゥ―ドウスー 西香織教授(教養教育センター)

毎年この季節になると思い出す、なつかしいお昼ごはんがある。

私は大学院在籍中の一時期、大学で中国語の非常勤講師をしながら、常勤講師として小学校で日本語を教えていたことがある。その小学校には外国にルーツのある子どもたちが30人近く在籍しており、ほとんどが中国からの帰国者の子弟だった。多くは中国の貧しい農村地域の出身で、来日前は農作業の手伝いに明け暮れ、ほとんど学校に通っていないという子どももいた。当然ながら、日本語も中国語の読み書きさえも不自由な保護者もいたため、大学で日本語教育、大学院で中国語を専攻した私に白羽の矢が立ったのだ。

子どもたちの中にとびきり手のかかる3年生の女の子、トモちゃんがいた。トモちゃんは母親と4年生の兄との3人暮らし。言葉がうまく伝わらないというもどかしさもあってか、ひとたび癇癪を起こすと教室を飛び出して運動場をかけ回り、身体全体で怒りを表した。特に私の言うことは聞いてくれず、新米の私は途方に暮れた。

そんなトモちゃんだが、放課後に運動場で一緒に遊ぶときには急に頼もしい存在に変身した。背の高い遊具を前に及び腰になっている私の手をとり、「大丈夫!」と言って上まで連れて行ってくれた。

あっという間に時が過ぎ、離任式で私の退職が発表されると、トモちゃんはしばしの放心状態の後、「やだ!」と泣き始め、そしてまた手が付けられないほど暴れた。

帰り際、トモちゃん兄妹が近づいてきて、小声で「先生、うちにお昼ごはん、食べに来て」と言う。

近くに住むトモちゃんの従兄妹も来て、子どもたちの昼食作りが始まった。しばらくして出てきたのは冷飯と炒土豆絲(ジャガイモの細切り炒め)。ジャガイモは十分火が通っておらず、形も不揃い。鼻の奥がツンとして、子どもたちの顔がぼやけて見えなくなった。

「不揃い」(多様性)を許容する社会づくりを担う人材の育成を。このお昼ごはんが私のその後の教育の血となり肉となっている。

教養教育センター教授 西 香織

白金通信2021年春号(No.506) 掲載

おすすめ