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思い出の味

エチオピアの塩入りコーヒー 松波康男准教授(社会学部)

私が研究しているエチオピアにはコーヒーにかかわるさまざまな慣習がある。もっとも知られているのは、コーヒーをいれて来客をもてなす「コーヒー・セレモニー」であろう。首都のホテルでは、「エチオピア文化」として実演され、観光客に評判が良い。

農村地域では、都市部ではなかなか経験できない慣習に遭遇する。その一つが塩入りコーヒーである。私の調査地のエチオピア東南部の農村では、コーヒーに塩を入れる者が少なくない。砂糖が高価だから、というのが多く聞かれる理由だが、虫歯や糖尿病を気にする者もいれば、その味が好きだからと主張する者もいた。若い世代には、「年寄りくさい」と嫌う者もいたが、仲間内でコーヒーを飲む際に、広く見られる飲み方だった。

何ヶ月と村に滞在し、顔馴染みが増えるにつれて、塩入りコーヒーと遭遇することが増えていった。「このお宅に初めて来たときは砂糖入りだったのに……」と不満を持ちながらも、それを悟られないように目をつむって流し込んだ。

舌の順応というのは知らぬ間に進むようで、滞在が数ヶ月に及ぶ頃には塩入りコーヒーも平気になった。なにより、それでもてなされることは、彼らに身近な存在と承認されたようで嬉しかった。

都内を歩いていると、カフェの看板にエチオピアの地方名を見つけることがある。コーヒーに一家言ありそうな店員さんに「塩入りで」とオーダーする度胸はないものの、豆を買って帰り、研究室でそんな飲み方をすることがある。

小さい声で言おう。エチオピアに通いはじめて20年が経ったが、塩入りコーヒーを美味しいと思ったことはただの一度もない。それでもそんな飲み方をするのは、口にした途端、バケツをひっくり返したようにフィールドでの感覚が呼び起こされるからだ。感染症や情勢悪化でフィールドは遠ざかる一方だが、塩入りコーヒーを啜れば現地とのつながりを感じられる。「どうか、元気で」という祈りを、遠く離れた友人らに発信する。

社会学部准教授 松波 康男

白金通信2021年夏号(No.507)掲載

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