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現代を斬る

美術/アート教育は「世界」とどのように対峙するのか 手塚千尋准教授(心理学部)

風向きが変わってきた「アート」教育

多くの読者が義務教育で経験してきた図画工作科や美術科は、ポピュラーな「美術/アート教育」の一つである。学校教育以外にも、美術館や社会施設、福祉施設など、教育普及事業は多岐にわたる。目的と方法はそれぞれあるが、いずれも通底するコンセプトは「美術(芸術)を通した学び(Education through Art:H・リード、1958)」である。

一方で、図工・美術科は、いわゆる受験科目に直結しないことから教科教育の周縁に追いやられてきた。特に美術科は、過去の学習指導要領の改訂で存続の危機に立たされたことさえあった。そんな図工・美術科の社会的ニーズが、いま変わりつつある。

アメリカで教育政策として始まった領域横断的な科学学習「STEM教育(科学:Science、技術:Technology、工学:Engineering、数学:Mathematics)」では、科学的リテラシーを高め、知識や技能を社会に実装する力を獲得することが目的とされている。そこへ近年、「A(アート/リベラル・アーツ:Art, Arts)」が追加されたSTEAM教育へのシフトチェンジが起きている。「A」が追加された背景に、科学技術的なアプローチだけでは立ち行かない程に現代の社会的課題が重層化・複雑化している現状を見過ごすことはできない。

グローバル社会の中で、多様な文化・歴史的文脈を背景とした個人のアイデンティティを尊重し合う社会の在り方が問われている。リベラル・アーツが社会構造を知るための学問とすると、アートはその社会で生きる個人が自身の感性や美的価値観を軸に自己と社会の「あいだ」を見つめ、「問い」を発する思考や態度を醸成する学問といえる。実証主義的なアプローチに傾いていた欧州の美術教育研究が、美術教育を文化の学びとして捉え直し、Arts-Based Research(芸術に基づく研究)を再評価しているのも、同様の理由といえる。

アートの「モノ」から「コト」への変容と社会的役割

現代アートは物質的表現である「モノ」から、探求としての表現行為やコミュニケーションといった「コト」そのものへと形を変えている。芸術祭や地域プロジェクトを通した地方再興や、福祉・医療の現場におけるセルフ・エスティーム(自己肯定感)の恢復かいふくやケアなどの場面で、アーティストがさまざまなコミュニティへ介入し現場の人たちとの関係性を築く過程そのものを実践=制作としてとらえる。Socially Engaged Arts(社会的課題に深くコミットした活動)である。アートには、当事者性を描き出したり、潜在的課題を顕在化したりする役割が期待されているのだ。

アートは、テクノロジーによる問題解決とは異なるベクトルで社会的課題にアプローチし、潜在的な問題を顕在化し、「問い」を発信する。社会は今、アートとアートによる学びを必要としている。そして、より良い世界の実現に向けて、アートの現代性を学びとしてどのようにデザインするかが、私たち教育研究者に問われている。

手塚千尋 TETSUKA Chihiro

心理学部准教授。

広義の異文化理解をめざした美術/アートの学びの環境デザインを研究中。魅力的な素材の蒐集しゅうしゅうがやめられないのは職業病ということにしている。

 

白金通信2022年春号(No.510)掲載

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