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「旅」×「ボランティア」で世界一周。難民問題に取り組む若きチェンジメーカー!

2017.12.01

2014年、ネスレ社が主催する「わくわくはじまる。」コンテストで〈ネスカフェ〉最優秀賞を受賞し、世界一周を果たした入江さん。19か国を渡り歩き、ボランティアやホームステイをして、現地で過ごす人々と対話を重ねました。今回は、入江さんに休学して世界一周の経験から学んだもの、今後の目標についてお聞きしました。

入江謙行(社会学部 社会学科 4年)
高校まで通っていた地元の柔道教室がきっかけで「地域社会のことを深く学びたい」と思い、本学に入学。体育会柔道部と兼部していた「ハビタットMGU」では、インドで家を建てるボランティアに注力。世界一周を終えた復学後には、国際木材熱帯機関でのインターンシップ、アジア太平洋ユース会議への参加などで国際的な学びを深めた。2017年度第40回懸賞論文では、日本における難民ワークキャンプの導入・有効性をテーマとした論文を執筆し、学長賞を受賞。実際に2017年11月11日(土)、12日(日)に千葉県君津市で日本初の難民ワークキャンプを開催するなど、難民問題に取り組む多忙な日々を過ごす。

とにかく、今までやっていないことをやりたい!

大学入学当初は、中学1年から続けていた柔道に力を注いでいました。地域住民の交流の場としても機能する柔道教室の役割の重要性や面白さに気づき、この役割を学術的、体系的に学んでみたくなり、明学を志望しました。自分の思い描く目標に向かって突き進む充実した日々でしたが、「何か」が物足りない。その答えを探すために取り組んだのが「ハビタットMGU」の活動でした。2013年の夏休みには、「ハビタットMGU」としてインドへ渡航。そこで見たものは、食べ物がなく悩み苦しむ現地の人たちや、文字の読み書きができずに不自由をする人たち。インターネットや新聞記事でわからない「リアル」を目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。海外でボランティアをすることに強い関心を抱いたのは、それからです。国籍や人種に関係なく、同じベクトルで問題解決に取り組む国際ボランティアの活動に、すっかり魅了されていきました。2014年の春休みには、2週間を使ってバックパックでタイ、カンボジアを旅しました。組織の力ではなく、自分一人の力で何を、どこまでできるのかを試したくなったことが出発の理由。インドでの経験を旅に活かすことで、新たな気づきに出会えるのかも…。出発前は、漠然とそんなことを考えていました。途上国でのバックパック旅は、宿や交通機関の手配・現地での情報収集などを一人でやりました。不測の事態にもたくさん遭遇しましたが、自分で解決策を見出し、現地人と臆せずにコミニケーションできるようになりました。たった2週間のバックパック旅でしたが、国際ボランティアとは異なったエキサイティングな経験でした。

「旅」×「ボランティア」の実現に向けて

大学2年生の夏に再び、インドでハビタットの活動を終えてからは、「旅」×「ボランティア」の実現に向けたプランを練る日々。大学の勉強はもちろん、学内外の講演会にたくさん参加しました。2014年10月、その一環で参加した太田英基さん(http://www.mohi.jp/japanese.html)の講演会の終了後、突如開催されたネスレ主催のコンテストは、「旅」×「ボランティア」で何かをしたいと思っていた自分にとっては願ってもいないチャンス。急きょ、コンテストに参加することになりました。コンテストは、Facebook上で自らの企画をプレゼンテーションし、投票数を競う勝ち抜き形式。「旅」×「ボランティア」のコンセプトをかかげ、自身のフォロワーに対しプレゼンテーションし、ファイナリスト3名に残りました。

「旅×ボランティアで世界を一周して、世界のリアルを発信したい!」 最終審査の投票で熱意が通じ、最優秀賞を受賞。「旅」×「ボランティア」の実現に向かって大きく前進した瞬間でした。

両親の説得、そしてアルバイト

両親には、休学までして世界一周をする意味、必要性、具体的な内容をパワーポイントにまとめ、3~4回にわたり説明を続けました。熱意を込めた説明はもちろんですが、ネスレのHP、Facebookに紹介いただいたコンテストの受賞結果記事や海外渡航費の援助も最大限活用。粘り強く熱意を伝え続けた結果、4か月間かけて何とか両親に納得してもらい、大学2年生終了後、2015年4月から2016年3月までの休学することになりました。休学を決めた2015年2月からは、旅の資金を得るためにアルバイト漬けの日々。フィットネスクラブ、工事現場、学童センター、結婚式場など5つのアルバイトを掛け持ちし、とにかく必死に働きました。そして、旅の資金も最低限貯まり、いよいよ世界一周の旅へ出発します。

「どこでも生きていける!」そう感じた瞬間

苦手だった英語力を鍛えるため5月31日から3か月間、フィリピンのセブ島で毎日10時間近く英語の勉強をしました。後にも先にも、あれだけ英語を勉強した時間はありません。そして、ある程度自由に英語でコミュニケーションできるようになってから本格的な旅がスタートしました。旅先では、国際ボランティアNGO「NICE」が世界90か国に展開する約3,000のボランティアプログラムを活用。自分の渡航ルートにあわせてプログラムを選び、事前に申請して現地でボランティアをする、という仕組みです。

バックパック旅をしている間はすべて自分で宿やホームステイ先を見つけ、国際ボランティア期間は現地の方々と共同生活でした。旅先でのボランティアは、全てが未知の領域。アメリカでは7か国のメンバーと農作業を3週間したり、ケニアではナイロビから10時間離れた田舎町で、唯一の外国人として1か月間、英語と体育の先生をしました。「どこでも生きていける!」シロアリだらけのトイレや井戸水での生活を経験後、自然とそう思えるようになりました。

イスラエル、パレスチナでの忘れられない経験

ケニア以降はタンザニア、ザンビア、エジプトに渡航。そしてたどり着いたイスラエルとパレスチナ。世界中から集まったボランティアメンバーとクリスマスツリーを植えたり、日本文化を紹介しながらパレスチナ問題を学ぶ機会に恵まれました。しかし、ここでの日常はこれまでの国々と違いました。

・「イスラエル兵が攻めてきたときに石を投げるんだよ。」そう言いながら、友達同士で笑いながら石を投げ合って遊ぶ子供たち。
・イスラエル兵に仲間を殺されたパレスチナ難民のやりきれない思いを聞いたホームステイ先での一晩。
・「どんなに悲しい思いをしても、辛い思いをしても、自分たちはパレスチナで生きている。恋愛もしたいし、結婚もしたい。普通に、幸せに暮らしたいんだ。」そう切実に話すパレスチナ人。

パレスチナの日常である「紛争・民族間の衝突」を身近に触れ、日本で当たり前である「平和」について本気で願ったと同時に、自分の無力さをもっとも感じた瞬間でした。3月16日に日本に帰国するまでの間もいくつかの国でボランティアをしましたが、イスラエル、パレスチナでの経験以上の衝撃には出会いませんでした。

休学期間での学び、今後の目標

現地に行かなければ、知りえないことが必ずある。だからこそ自分で見て、聞いて、確かめ、自分にしかできないことは何か、自分だからこそできることは何かを考える。この想いが、私が休学期間で学んだすべてです。

パレスチナの経験からこれだけは確信していることがあります。私たち日本人の大学生は、世界的に見て、あらゆる人生の選択肢を持ち、それを実現させる権利を持っています。私たちは、高等教育を受けられ、世界中どこでも自由に移動し、家族や友人など会いたい人に会い、やりたいことに挑戦する特権があります。私は、その対極にいる難民の方々と多く対話しているからこそ自負して言えます。

自分の行動ですべてを解決することは出来ません。しかし、自分の小さな一歩の行動で、自分自身や周囲を少しでも変えることはできます。私の経験した旅×ボランティアは、一般的に言われる「留学」とは少し異なるかもしれません。定まった留学先をあえて設定せず、明日のことを常に考える日々。「楽しい」とは口が裂けても言えませんが、一日一日を真剣に生き、真剣に学び、自分で考えて「まずはやってみる」ことで自分の可能性が大きく広がった。これだけは言えます。

楽しさだけを追求することも否定はしませんが、その先に何があるか?こう考えると、物事に対して取り組む姿勢も自ずと変わってくるのではないでしょうか。将来は、難民問題をはじめ、社会の不条理を解消するために行動できるチェンジメーカーになりたいと考えています。そのために必要なこと、自分のすべきこと、自分がワクワクすることを常に考え、残り少ない今後の学生生活も悔いなく過ごしていきたいです。



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