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おごらずに、焦らずに、質の高い物語を世に出し続けていきたい

2022.02.16

デビュー作『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)がいきなり9万部超えの大ヒットとなり、直木賞の候補にもなった逢坂冬馬さん。自身の小説家としての基盤は、明学の国際学部で過ごした4年間で培われたと話します。執筆活動にかける思いや、大学時代の思い出について語っていただきました。

逢坂 冬馬 1985年埼玉県生まれ。2008年国際学部国際学科卒業。 2021年、『同志少女よ、敵を撃て』で第11回アガサ・クリスティー賞大賞受賞。全選考委員が5点満点をつけた受賞は、同賞発足以来初めて。同作は第166回直木賞候補作となり、2022年本屋大賞にもノミネートされている。

なぜ、小説を書き続けてきたのか

小説を書き始めたのは、大学を卒業してからです。大学院に行きたいという気持ちもあって学生時代はまともな就職活動はせず、卒業してから就職した会社で、自分がまっとうに働いて出世できるタイプではないことに早々に気づきました。社会人となって半年くらい経って小説というものを書いてみようと思い立ち、会社勤めの傍ら作品を書き始めました。

それまで小説を書いたことは一度もなかったのですが、たまたま最初に取り組んだ作品を最後まで書き通すことができました。その後、今日まで14年間もこつこつ小説を書き続けてきたのは、そこで物語を書くことの楽しさと達成感を知ったからです。

職業作家になりたいというはっきりした目標があったわけではありません。単純に書くことが楽しくて、作品の完成度を上げていくことが面白かった。それが書き続けてきた理由です。「絶対プロになってやる」という強い思いがあったとしても、それによって作品の質が上がるわけではない。そう僕は考えていました。むしろ、気負わずに、書くことを純粋に楽しむことのほうが大切だと。

とはいえ、完成した作品を文学賞に応募し続けてきたのは、自分の作品を評価してほしいという気持ちがどこかにあったからです。どのくらいの作品を書いて応募したかはもう覚えていませんが、確実に10作は超えていると思います。早川書房が主催するアガサ・クリスティー賞には過去3回応募して落選し、ようやく4回目で受賞できました。それが、2021年11月に発売された僕のデビュー作『同志少女よ、敵を撃て』です。

今までにない戦争小説を

『同志少女よ、敵を撃て』は、第二次世界大戦における最大の激戦といわれているドイツ軍対ソビエト連邦軍の戦い、いわゆる独ソ戦を描いた戦争小説です。歴史小説に初めて挑戦したのは、アガサ・クリスティー賞に落選した前作でした。その作品を通じて資料収集の手つきを学び、前々からいつか書いてみたいと思っていた「独ソ戦」というテーマに挑戦しました。

以前は日本語で読める独ソ戦関連の本はあまりなかったのですが、2016年に発売された『新版 独ソ戦史 ヒトラーvs.スターリン、死闘1416日の全貌』(朝日文庫)や、2019年に発売された『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書)、それから著者スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチがノーベル文学賞を受賞したことで日本でも2016年に再出版された、独ソ戦に参戦した女性兵士たちの証言録、『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫)といった本が話題になり、このテーマを書くなら今だと考えました。そうして、ほぼ1年をかけて執筆に取り組みました。

戦争小説は、史実を踏まえることはもちろん、軍隊や兵器のディテールを細かく描くことが大切です。しかし僕は、ファクトやディテールだけでなく、戦争小説ではあまり描かれることのないジェンダーや女性同士の連帯といった視点を作品に盛り込みました。もしこの作品が世に出たら、戦記物の主要な読者といわれる年配の男性以外にも広く読んでほしいと考えたからです。

ソ連は、第二次大戦下では唯一、志願した女性兵士たちを組織的に実戦投入していました。独ソ戦が数多くの女性兵が前線で戦う過去に例のない戦争となったのはそのためです。僕は、ソ連軍の女性狙撃兵たちを通じてこの戦争の過酷さを描きながら、同時に人物像をポップでわかりやすく表現することに努めました。結果的に、さまざまな角度から読むことのできる、多面的な作品に仕上がったと思っています。

しかし、執筆後の展開は僕の予想をはるかに超えていました。アガサ・クリスティー賞をいただいただけでなく、直木賞の候補になり、本屋大賞にもノミネートされました。書籍の重版は2桁までいっています。あまりの急な展開に心身がついていかないときもありましたが、今は気持ちを切り替えて、次の作品に全力で取り組みたいと思っています。

貴重で濃密な4年間

僕が明治学院大学の国際学部に入学したのは2004年です。その3年前にアメリカで同時多発テロが起きました。高校1年生だった僕は、その事件に衝撃を受けて、「確実にこれから世界が変わる。そしてそれは、間違いなく悪い方向に変わる」と思いました。そして、その変化をこの目で見届けたいと。

テロの背景にあったのは、宗教原理主義と国際政治の複雑な絡み合いです。そのような世界の構造を体系的に学べる場所として僕が選んだのが、明学の国際学部でした。

入学してからは、学術書やノンフィクション書籍を図書館で借りては読む生活を続けました。もちろん、ゼミでもいろいろなことを学びました。「なぜ戦争が繰り返されるのか」というのが僕の本質的な関心ごとでしたが、明学の先生方から教えていただいたのは、歴史は史実などのマクロな視点からだけでなく、人がどう生きてどう死んでいったかというミクロな視点から見ることも大切だということでした。その視点は、間違いなく今の僕の執筆活動の基礎になっていると感じています。

在学中に小説を書いたことはありませんでしたが、大学の学生懸賞論文に応募したことはありました。2回応募して、2年連続で学長賞をいただいたことが大学時代の思い出の一つです。論文の課題テーマは、1回目が「私とインターネット」、2回目が「私が戦争に行くとしたら」。審査委員長は、当時国際学部の教授だった小説家の高橋源一郎先生(現 名誉教授)でした。今にしてみれば、あの経験がのちの小説執筆につながったのだと思います。

明学の魅力は何といっても、自分が好きなことを自由に勉強できるところにあります。何を専攻してもいいし、必修科目さえ履修していれば、興味関心に応じて好きなことを学んでいい。ここまで自由な大学はなかなかないのではないでしょうか。思う存分勉強して、思う存分自分を表現できた4年間は、僕のこれまでの人生の中で突出して充実した月日でした。たまらなく楽しくて、卒業するのが辛かったくらいです。貴重で濃密な4年間を過ごせたことに今も感謝しています。

自由な環境で学べることの楽しさ

もちろん、みんながみんな僕のようなスタイルで勉強をしていたわけではありません。むしろ、机上の勉強よりも実践を大切にしていた人が多かったと思います。社会活動に参加したり、ボランティアに取り組んだりしながら、大学以外の場所からもいろいろなものを吸収していく。そんなアクティブな友人たちがたくさんいました。個性的で変わった人も少なくありませんでしたが、そのような人を受け入れてくれるのが明学の素晴らしさです。僕もそういう友人たちに大いに刺激を受けましたし、時には海外でのボランティア活動に参加させてもらうこともありました。

これから明学に入る若い人たちには、この自由な環境で学ぶことをぜひ楽しんでほしいと思います。大学は高校までとはまったく違った場所です。学ぶ対象だけでなく、学ぶ方法も自分で選ぶことができます。キャンパスから外に飛び出して、路上でいろいろなことを学ぶことだってできます。自分のスタイルを自分で決めて、好きなように勉強できること。それが明学の一番の面白さです。その経験は、必ずのちの人生に生かされることになる。僕がそう思うのは、まさに自分自身がそうだったからです。

僕のこれからの目標はただ一つ、コンスタントに小説を書き続けることです。デビュー作は想像もしなかった大きな評価をいただきましたが、今は早く次に行きたくて仕方がありません。商業出版の世界で、おごらずに、焦らずに、テーマの射程を広く持って、質の高い物語を世に出し続けていきたい。そう思っています。

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