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グローバルでありながらローカル。その価値を守るための、複雑で奥深い「ワイン法」の世界

2021.08.04

紀元前に誕生し、数千年にわたって世界中の人に愛されているワイン。特にヨーロッパでは、生産地を保護し、品質を維持するため、さまざまな法的ルールが整備されてきました。2015年には、日本でもワインラベルの表示基準が定められ、産地や品種の表示の仕方について、初めて法律上の根拠をもつ明確なルールが示されました。蛯原教授は、日本でワイン法の概念がほとんど知られていなかった時期から研究に取り組んできた、ワイン法の第一人者。ワインをグローバルとローカルの両方の視点から捉え、気候変動や外交など、さまざまな角度からワインを巡る法的問題への考察を深めています。

蛯原 健介 法学部 グローバル法学科 教授 2000年立命館大学大学院法学研究科博士後期課程公法専攻修了。博士(法学)。2000年4月、本学法学部に着任し、2018年より現職。専門分野はEU法、ワイン法、公法学。2006年から本学でワイン法の研究、教育を始め、大学では日本で唯一となる「ワイン法ゼミ」を担当している。国際ワイン法学会理事。2014年に出版した著書『はじめてのワイン法』(虹有社)が、ワイン界で最も権威のあるOIV賞を受賞した。

ワインに関わる法的ルール「ワイン法」

現在の私の研究の中心テーマは「ワイン法」です。ワイン法と聞いても、あまりピンとこないな、と感じる方がほとんどかもしれませんね。ワイン法は日本ではほとんど研究されてこなかった領域で、日本の大学でワイン法を専門に学べるのは、本学だけなんです。

たとえば「シャンパン」は、シャンパーニュ地方でつくられ、かつ、フランスの法的ルールにもとづく生産基準を満たしていなければ名乗ることができません。こうしたワインに関する法律や法的なルールを総称して「ワイン法」と呼んでいます。

ワイン法の研究対象は大変幅広く、原料であるブドウを栽培する土地の取得、ブドウの栽培や収穫、ワインの醸造、流通、販売、消費など、ワインに関わるありとあらゆるルールが対象になるといえます。その中でも、ワイン法のもっともワイン法らしいルールが、ラベル表示、特に産地を表示するルールです。

なぜ、産地表示のルールが「もっともワイン法らしい」のか。その理由は、ワインの唯一の原料であるブドウの特性と深く関わっています。ブドウは、畑の土壌、気温、日照、天候といった自然条件の影響を大きく受ける作物です。同じ品種でも、畑が数百メートル離れるだけで出来が全く違う、ということも起こり得ます。そのため、「どこのブドウを使っているか」は、ワインの品質や価格を大きく左右する重要な問題なのです。「シャンパン」を名乗れるか、単に「スパークリングワイン」と表示するかで価格がまるで違ってきますし、量が同じでも、産地によって500円で買えるものから数百万円するものまであります。これほど価格の差が大きい飲み物は、ほかにはないでしょう。ワインの産地表示のルールは、生産者の利益を守るためにも、消費者が価格や品質に納得して商品を選ぶためにも、とても重要なものなのです。

日本でも広がるワインの表示ルール

数年前まで、日本のワインの産地やブドウ品種などの表示は、業界団体の自主基準に委ねられていました。強制力のあるルールができたのは、2015年。国税庁が「告示」の形で表示基準を定め、3年後の2018年に完全施行されました。このルールによって、国産ブドウだけを原料として国内で醸造されたワインを「日本ワイン」と定義し、ラベルにも表示できることになりました。

さらにこのルールでは、ラベルに産地名、ブドウの品種、収穫年を表示するためには、その原料を85%以上使用していなければならないと規定しています。この厳しい基準をクリアしようと、ブドウの産地に新しくワイナリーを開いたり、逆に、ワイナリーの近くにブドウ畑を作ったり、前向きな動きも起こっています。近年全国で新しいワイナリーが続々と誕生していますが、こうした変化は、日本にワイン法が広がった影響だと思います。

さらに、ワインの表示に関するルールとして、国の地理的表示(GI)保護制度も重要です。地理的表示は、農産物や食品にも導入されていますが、産地ごとに生産基準や品質に関する規定を設け、地域ブランドを法的に守る制度です。2021年7月現在、山梨、北海道、山形、長野、大阪のワインが地理的表示に指定されていますが、今後はさらに増えていくでしょう。また、現在は品質に関する要件がない「日本ワイン」も、今後は最低限の品質のルールが求められると考えています。

「甲州」は表示できない? 複雑なワイン法

「日本のワインをヨーロッパに輸出する」。それほど難しそうには感じられないかもしれませんが、以前はさまざまなワイン法の“壁”がありました。

15年ほど前、和食が世界的なブームになりました。その流れに乗って、山梨県のワイン生産者を中心にヨーロッパへの輸出をめざす機運が高まり、私も専門家の立場でお手伝いをすることになりました。

日本のワインに使われる代表的なブドウ品種に、甲州があります。生産者のみなさんは当初、日本の独自性を出すため、「甲州」の名を前面に出してPRしようと考えていました。ところが、そこには大きな問題がありました。

EUのワイン法は厳しく、EUで販売するワインのラベルに表示できるのは、EUが認めたブドウ品種に限られています。世界中で一般的に使われているシャルドネやメルロなどの品種表示は当然認められていますが、日本独自の品種である甲州は、そうではありませんでした。そのため、ラベルに「甲州」と表示することが認められなかったのです。

調べてみると、EUのワイン法で品種表示が認められているのは、国際ブドウ・ワイン機構(OIV)のリストなどに登録された品種であることが分かり、まずOIVに甲州を登録。その後、EUでも「甲州」と表示することが可能になりました。

次に問題になったのが、地名の表示です。EUでは原則的に、地理的表示に指定された地名以外は、地名として保護されません。「保護されない」とは、その地名を名乗るコピー品が出回っても規制を受けないことを意味します。「山梨」と表示したワインをEUで安心して販売するためには、日本で地理的表示に指定し、さらにEUで保護してもらう必要があったのです。2013年、ワインでは初めて山梨の「GI Yamanashi」が地理的表示に指定され、ようやく安心して輸出できる条件を整えることができました。

現在は、2019年に発効した日本とEUの経済連携協定(EPA)によって、日本ワインをEUに輸出する手続きも簡単になっています。ワイン法が整備されることは、対外的にも重要な意味を持っているのです。

現場での学びを重視した授業・ゼミ

もともと私は、フランス公法学が専門です。2005年には在外研究の機会に恵まれ、南フランスのモンペリエ大学で研究を行いました。モンペリエは、南仏ラングドック地方のワイン生産の中心地なのですが、当時はワインの売れ行き不振が深刻な社会問題になっていました。コストパフォーマンスの良い南半球や北米のワインが台頭し、ヨーロッパ産の比較的安価な価格帯のワインが売れなくなっていたのです。デモで苦境を訴えるワイン生産者を間近で見て、なぜこんなことが起きているのか、とEUのワイン政策に興味を持ったことが、ワイン法の研究に取り組むきっかけになりました。

海外にはワイン法のコースを設けている大学院があり、ワイン法の国際学会もあるのですが、日本では研究者もあまりいません。第一人者として、ひとつの学問分野を確立していく大変さを感じつつ、やりがいも感じています。

ワイン法の授業では、学生にワイナリー経営などの具体的なプロジェクトを企画してもらいます。そして、それを実現するにあたって、どのような法的な問題が生じ、それをどう解決すべきかを考えてもらっています。それまでに学んだ法学や政治学の知識をアウトプットしながら、学びを深める場になっていると思います。また、ワイン輸入業者やブドウ栽培農家の方による特別授業を行い、学外の方から学びを得る機会も積極的に設けています。

他学部から聴講を希望する学生や、自主的にワイナリーに“突撃取材”して理解を深める学生もいて、日本の大学でワイン法を専門的に学んでいるのは自分たちだけだ、という誇りを持って主体的に学ぶ学生が多いなと感じています。

ゼミ活動も、教室だけでなく、現場でワイン法を学ぶことをモットーにしています。コロナ以前は、山梨、長野、東北、北海道のワイナリーなどでゼミ研修を行っていました。また、社会連携活動の一環として、白金キャンパス内でホップを栽培し、それを使ったビールを醸造するプロジェクトが進んでいます。JR東日本とコラボした企画で、学生がホップを育てて収穫するとともに、ほかの事業者と連携してロゴ、コンセプト、ラベルデザインなどを検討しています。こうした実践的な活動を通じて、社会でのコミュニケーション力、地域との連携の在り方を学んでほしいと考えています。

ワイン業界もサステナブルなワインづくりがトレンド

世界のワイン業界では今、サステナビリティを求める流れが加速しています。ブドウは病気や害虫に弱い作物で、これまではたくさんの農薬が使われてきました。さらに、輸送や農作業にともない、多くのCO2が排出されています。温暖化によって気温が上昇すると、気温が低くブドウが育ちにくかった地域でもワインを生産できるようになる一方、有名なワイン産地で気温が上がりすぎ、良いワインが造れなくなることも懸念されています。

そうした状況を踏まえ、ワイン産地では、有機栽培への切り替え、ボトルの軽量化、温暖化に適応した新品種開発・登録など、さまざまな取り組みが進んでいます。フランスの一部の産地では、表示のルールにサステナビリティに関する要件を取り入れようとするところも現れ、こうした動きは今後も加速していくことが予想されます。

国際的に取引されるワインの地域性を守る

ワインはグローバルな商品であり、かつ、とてもローカルな商品でもあります。2000年以上前、今のような国境が存在するはるか以前から、ワインは広域にわたって取引されてきました。日本で消費されるワインの3分の2は輸入ワインであり、残りの3分の1を占める国内製造ワインも、7割程度は輸入原料を使っています。また、ワインはたびたび外交問題の俎上にも載ります。2019年には、当時のトランプ米大統領がEUとの貿易摩擦の報復措置として、フランス産のワインに追加関税を発動しました。2020年、中国がオーストラリア産ワインに最大200%を超える関税を上乗せしたことも話題になりました。

しかし、「シャンパーニュ」のワインは、フランスのシャンパーニュ地方でしか造ることができませんし、「長野」のワインも長野県でしか造ることができません。工場は人件費の安い国に移転させることができても、ワイン産地は動かすことができないのです。どこのブドウを使い、どの場所で造られたか。その地名が、品質とともに価格を決めてしまうほど重要な意味を持っています。ワインほど産地表示のルールが厳しい食品はないでしょう。その意味では、ワインはすぐれてローカルな商品です。そして、ローカルな商品でありながら、グローバルなブランド力をもっています。国境を越えてモノが取引されるグローバルな時代にあって、こうした地域ブランドは、国内だけでなく、国外でも保護される必要があります。

グローバル法学科では、国境を越えた取引にかかわるさまざまな問題を、法的な観点から学びます。ワイン法の教育・研究を通じて、グローバルな問題を考えると同時に、その地域でしか造ることのできない産品の価値を高め、そのブランドを守り、地域の活性化に寄与していくことができればと思っています。

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