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うまくいかないことがあっても、「前向きさ」を忘れなければ、道は開ける

2021.09.24

誰でも簡単にスマホアプリをつくれるアプリプラットフォーム「Yappli」を開発した庵原保文(いはらやすぶみ)さん。大学時代は大好きなスノーボードに明け暮れ、「人生でかけがえのない時間を過ごした」といいます。現在に至るまでのキャリアや大学時代の思い出について語っていただきました。

庵原 保文 1977年東京生まれ。2001年経済学部商学科(現・経営学科)卒業。 株式会社ヤプリ 代表取締役CEO。新卒で出版社に入社後、ヤフー株式会社にてメディア領域の企画を担当。その後、シティバンクのマーケティングマネージャーを経て、2013年に株式会社ヤプリを3名で創業。アプリ開発・運用・分析をノーコードで提供するアプリプラットフォーム「Yappli」を開発。2020年に東証マザーズに上場を果たす。

エンジニアでなくともプログラミング不要で簡単にアプリをつくれるソフトを開発

2013年に仲間たちと一緒に起業しました。スマホアプリの開発・運用・分析をノーコードで提供するアプリプラットフォーム「Yappli」を運営しており、導入企業は550社を超えています。最も多いお客様の業種は店舗を経営する小売業ですが、最近では法人の営業部門や大学などでも導入いただき、どんどん裾野が広がっています。

Yappliの強みは、誰でも早く簡単にアプリをつくれること。通常、アプリを開発する時はエンジニアがコードを組みますが、Yappliは「ノーコード(プログラミング不要)」でアプリを開発できるため、テクノロジーのハードルを下げられたところが評価されています。コロナ禍であらゆる業界のDX(デジタルトランスフォーメーション)が進んだことも、追い風になっています。デジタルを使ってより活発にコミュニケーションを図ろうという機運が高まっていることを感じます。

ヤフー時代にITの興奮を体感!

私のキャリアのスタートは、小さな出版社でした。自分自身で企画を立てたり、情報発信したりする仕事がしたかったんです。5年ほどスノーボードの雑誌で編集を担当し、楽しく働いていました。しかし、小さな出版社だったこともあり、紙メディアでキャリアを積むことに難しさを感じはじめて、将来が見えなかったんですよね。それで、次のWebメディアに移ろうと思い、28歳の時にヤフーに転職しました。

当時のヤフーは、まさに時流の最先端。そこで初めてITやその世界観への興奮を味わえたのは、今にもつながる大きな出来事でした。ただ、IT業界のことをまったく知らずに入社したので、最初は苦労しました。必死に勉強してITの企画者としての知識や技術を習得し、自分でWebサービスの企画ができるようになりました。ヤフーで5年働いた後、シティバンクに転職。日中は会社員として働きながら、それ以外の時間を活用し、ヤフーで出会った仲間たちと一緒に、Yappliの開発に着手しました。

開発したものの売れない…。苦しい時期を乗り越え上場を果たす

夜な夜な開発を進めて、サービスが出来上がるまでに2年かかりました。満を持して2013年に起業したものの、最初の2年はまったく売れませんでした。アプリの市場自体がまだ小さかったのもありますし、自分たちもコアな顧客がどこなのかを定めることができず、右往左往していました。精神的にかなり苦しい局面でしたが、乗り越えられたのは、ひたすら耐えたから。そして、そんな状況でも前を向こうという気力のおかげでした。

一方、その頃の少ないお客様の中に、Yappliのサービスをものすごく喜んでくださる方もいたんですよね。それが自分たちのサービスを信じる力になりました。それまで個人や法人にこだわらずに営業していたところから、3年目に、法人向けのBtoBサービスに切り替えたんです。ここでターゲットが定まり、売り上げがどんどん上がっていきました。

2020年、創業から8年で東証マザーズへの上場を果たしました。誰もができることではない上場を、自分と仲間たちが達成できたことはものすごく自信になりました。本当にうれしかったです。

ただ、ここがゴールではなくスタート地点だと思っています。東証マザーズというビジネスのプロリーグに出て戦うことになったので、よりプレッシャーも強くなります。プロリーグでの競合となる、ほかの上場企業はみんな強いので、「次のフィールドでも勝つ!」という気持ちで立ち向かっていきます。

校風も学校にいる人も、自由でオシャレだった

私は中学時代に受験して、明治学院東村山高等学校に入学しました。当時、すごく「明学に行きたい!」と思ったんです。その当時から自由で、オシャレで、ほかの学校とは違う雰囲気がありました。

大学は経済学部を選びましたが、当時はまったく起業は意識していませんでした。父は銀行員ですし、自分も会社員になるんだと漠然と思っていました。正直、そんなに真面目な学生ではなかったと思いますが、マーケティングの授業が楽しくて、真剣に受けていたのを覚えています。

高校時代の友達だけでなく、大学から明学に入学してきた友達ともよく遊んでいました。やはり明学はオシャレな人が多く、みんな前向きでした。明学の校舎はオープンスペースが多くて、みんな立ち止まってひたすら話をしていたような印象があります。そこで、人とのコミュニケーションが醸成される。特に白金キャンパスでは、いろいろな人と話をしました。私が起業時の苦労を乗り越えられた「前向きさ」は学生時代の人間関係で培ったものだと思います。

大学時代に一番熱中したのは、スノーボードです。大学4年生の時には2年間休学して、アメリカに留学しました。語学留学という名目でしたが、ユタ州というスキーやスノーボードで人気の場所を選んだので、実際にはスノーボードばかりやっていましたね。アメリカにいる時から「これは人生で一番楽しい時だな」と感じていましたし、今振り返っても、そう思います。

人と人とのつながりを大切に

スノーボードに熱中したことから、スノーボードの雑誌を編集する出版社の仕事につながりました。実はヤフーの最終面接でもスノーボードの話題で盛り上がったので、自分では「スノーボード採用」だったと思っています。直接仕事には関係ないことでも、好きなことに打ち込むことは、決して無駄にはなりません。

ヤフーに入った時は、新卒からIT企業で働いている社員たちより自分が劣っている気がして、出版社のキャリアを後悔したんです。でも、ヤプリを立ち上げた時、最初のお客様を次々と紹介してくれたのは、出版社時代の知り合いでした。このように人間関係がつながったのも、小さな出版社でも前向きに働いていたからこそだと思います。

“Do for Others(他者への貢献)”という明学の教育理念も、5つの教育目標も、どれも大事な考え方ですよね。特に、人と人とのつながりや協調性は、ヤプリでもとても重視しているポイントです。分業化し専門業務が多いからこそ、他部門とのコミュニケーションをとても大事にしています。

「前向きさ」を忘れなければ、道は開ける

今は長引くコロナ禍で大変ですが、こういう時こそ前向きさが大事だと思います。外に出掛けられない一方で、自由な時間も増えているので、むしろチャンス。頭や体を動かしていないと、もったいないです。

今後はより個人の自律性や自発性が問われる時代になります。リモートワークでもオンライン授業でも同じですが、「人が見ていないから、少しくらいさぼってもいいや」と考える人は成長できませんし、取り残されていきます。

特に学生の皆さんには、私がスノーボードにハマったように、学生生活の中でぜひ好きなことを見つけて打ち込んでほしいと思います。そして、社会に出た時にそれを仕事にできるよう、チャレンジする気持ちを持ち続けてください。

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