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それでも、ダンスが好き~2つの「やばい」がつながったとき ~

「やばい」という言葉を聞いてどんな意味を思い浮かべるだろう。広辞苑第七版では「不都合である。危険である」の他、「のめり込みそうである」と記載されている。明学生に限らず、この2つの「やばい」を経験したことがある人は少なくないのでは。今回は、2つの「やばい」を経験し、自身のステップアップにつなげた川野さんのお話。「やばい」経験をしたい方は必見です。

川野 詠千 文学部 芸術学科 3年 4歳からダンスを始め、アーティストライブのバックダンサー、ダンススクール講師、WebCMなど幅広く活躍。大学入学後は学生団体Break Jamに所属し、大学ダンスサークル日本一を決めるJDC(Japan Dancers' Championship)で2019年優勝、2020年準優勝を経験する。好きな授業は現代美術論とメディア文化論B。

高校より先に大学

私が明治学院大学の入学を考えたのは、実は中学3年生の頃でした。当時の私は、現在の私と同じくダンスに夢中。「やばい、楽しい!」当時はよくそんなことを言っていました。朝から晩までダンス三昧。将来はプロダンサーになって活躍したい。だからこの先もずっとダンスを続けたい。けれど、写真や雑誌、映像、衣服にも興味があるから芸術を学びたい。そんなことをずっと考えていました。「じゃあ高校から大学に進学しやすくて、芸術学科がある大学を選んだら?」母からのアドバイスを受けてすぐに思いついた学校が「明治学院」。明治学院高等学校と明治学院大学です。2014年。中学3年生だった私は、6歳年上の兄が明治学院大学に通っていたこともあり、大学見学もかねて白金祭に行きました。大学の文化祭に行くのは初めてでしたが、兄が所属していたBreak Jamのダンス公演がとにかくカッコ良くて。部員の方からも「絶対Break Jamに入ってね」と声をかけてもらい、「大学」との距離がグッと縮まったことを覚えています。他大学のオープンキャンパスにも足を運びましたが、ダンス公演とこの一言が決め手となって明治学院大学を目指すことに。翌年2015年には明治学院高等学校に入学しました。

高校入学の決め手のもうひとつはずばり「制服」。「え、制服?」周囲からこんな反応が返ってくることが多いのですが、高校生として同じ学校で3年間過ごすなら、毎日のテンションが上がる装いで高校生活を過ごしたい。衣服に強い興味を抱いていたのでなおさら思ったのかもしれません。高校生活は、とにかく「楽しかった」の一言。ダンスに勉強に全力で取り組みました。結果的に大学から高校を選んだことになりますが、高校生活でも明治学院大学に進学したい気持ちは一向に変わりませんでした。それだけ明治学院大学に惚れ込んでいたのでしょう。大学では希望通り芸術学科に入学し、Break Jamにもすぐに入部。私の大学生活がスタートしました。

日本一の称号

Break Jamに入部して一番嬉しかったのは、特別扱いされなかったこと。Break Jamに所属する学生の大半は大学入学後にダンスを始める人が多いため、幼少期からダンスを続ける自分が周囲から「彼女は特別だから」と思われる、もしくは距離を置かれることがとても不安でした。部員同士がお互いを認め合う雰囲気、仲の良さ。ダンスのテクニックはさることながら、Break Jamで、一緒に感動を分かち合いたい。中学3年時から、ずっとそう思っていたからです。

しかし、そんな心配は杞憂に終わりました。地道な基礎練習で一緒に汗を流したり、振り付けを考えたり。毎日が楽しくて仕方ありませんでした。新しい気づきもありました。リズムトレーニングやアイソレーションなど、部員全員でやる基礎練習が良い例です。ステージで映えるダンスばかり考えていたため、基本の「き」を疎かにしていたことに気づきました。

お互いに気づいた点を遠慮なくアドバイスしあえる環境も、ダンスサークル日本一を目標に掲げるBreak Jamだからこそ。1年生の私が3年生の先輩にアドバイスをすることもありました。正直なところ気が重かったのですが、ここで遠慮しないのがBreak Jam。ダンスが揃っていないのに「揃っている」と誤魔化していては、ダンスサークル日本一の称号は得られません。腹を括って取り組んだからこそ、JDC2019で優勝したときは心の底から嬉しかったし、JDC2020で優勝を逃し、準優勝となったときは涙が出るほど悔しかった。

喜怒哀楽全てを体感した濃密な2年間。プロダンサーになる夢も揺るぎないものとなっていきました。

このままでは、やばい

2020年4月7日、政府からの緊急事態宣言。講師として参加予定だったレッスン、Break Jamの練習。予定のイベントは全て中止となりました。ダンスの現場は三密(密閉、密集、密接)となるケースが多かったのでやむを得ません。1週間ほど、何もしない日々を過ごしました。何もしないと言っても、自分が考える最低限のことだけはこなしていました。自宅でダンスをしたり、トレーニングをしたり。将来はプロダンサーになる。そのためにダンスに全力を注いでいれば何とかなる! そう思っていましたが、どうやら何とかなりそうもない。人生の軸そのものが折れてしまいそうな危機感を覚えたのは初めてでした。だからこそ、すぐに動かずにはいられませんでした。

まず始めたのが雑誌の編集。かねてより興味・関心を持つ、写真や雑誌、映像、衣服。いずれかの分野で何かをしたいと強く思っていました。ファッションフリーマガジンを制作する学生団体を探し、すぐに所属。ゼロから企画を考え、テーマに合わせたビジュアル案やスタイリングの検討。撮影の立ち会い。クラウドファウンディング。すべてがはじめての経験でしたが、11月28日(土)に冊子発行までこぎつけました。手塩にかけた冊子『Uni-Share vol.21』が都内の書店やセレクトショップ、古着屋に陳列されることを思うと感慨もひとしおです。

次に取り組んだのが、ファッションスタイリストのアシスタント。Webサイトで求人を探し回り、無我夢中で面談を申し込む日々。なんとか1ヶ月(7月1日~7月31日)のインターンシップにこぎつけました。始発で雑誌の撮影場所に向かい、大量の洋服にアイロンかけたり、撮影中はモデルが次に着用する衣装を準備したり。真夏にキャリーバッグをかついで撮影現場を移動するのは大変でした。ダンサーとして接していたスタイリストの世界と、アシスタントとして体感した現実。大きなギャップを感じ、一つの作品に費やされる手間、熱意、こだわりを目の当たりにしました。

4月から現在まで、オンラインレッスンの開催やフィジカルディスタンスをキープしたトレーニングなどダンスにも注力していますが、雑誌編集とファッションスタイリストのアシスタント、この二つの取り組みが自分の可能性を大きく広げてくれた気がします。 「雑誌編集ってこんな感じだよね?」「スタイリスト?わかる!大変だよね!」雑誌もファッションもダンスを通じて知っていると思っていた世界でしたが、その世界は単なる先入観から生み出された表面上のもの。先入観で物事を決めがちだった自分の癖、そして、イメージと現実のギャップがあればあるほど学びや気づきの「幅」が大きいことに気づけたことは、コロナ禍における私の大きな収穫でした。

「しなきゃいけない」ことも姿勢次第

ダンスをしなきゃ。勉強しなきゃ。アルバイトをしなきゃ。最初は「したい」と思ったことでも、何かのきっかけで目的を見失うとたちまち「しなきゃ」になってしまう。ただ、それが悪いことばかりではありません。「しなきゃ」も姿勢次第です。受動的か、能動的か。長らく続けているダンスや自身の活動をPRする場として活用しているInstagramも、私はこれまで「やりなさい」と言われたことは一度もありません。おそらく、言われていたらここまで続けてこなかったでしょう。「一日何もしなかった?ゆっくり休めたと思えば良いじゃない」こんなアドバイスをしてくれる父母の影響もあるかもしれませんが、今回のコロナ禍における自分自身の行動を振り返ると、雑誌編集もスタイリストも、ダンスのトレーニングも、限りある時間をフル活用し、消極的な現状を積極的に捉え、何事も能動的に取り組めたと思っています。誰かに何かを与えられるよりも、自分で生み出す方が好き。こんな自分の考えを再発見することもできました。学生生活もあと1年弱。将来を考える機会も増えていますが、やはりダンスを軸に何かをしたい。危機に向き合い、取り組んだからこそダンスをさらに好きになれた気がします。これからも自分らしさを忘れず、何事も積極的に取り組んでいきたいと思っています。