- 栗原 舜 法学部 法律学科 4年 体育会陸上競技部(長距離ブロック)に所属し、5000m・10000m・ハーフマラソン全ての明治学院大学記録を保有している。スピードを生かした攻めの走りを得意とし、5000mについては、2024年6月に明治学院初の13分台(13:58.59)を記録した。オフの楽しみは、レース後に自分へのご褒美として食べるラーメン。特にラーメン二郎が好物で、長い列に並びながら期待に胸を膨らませる時間は、至福のひととき。
自分の陸上競技人生は挫折の連続だった、と語る栗原さん。2024年に5000m・10000m・ハーフマラソン全ての明治学院大学記録を樹立しました。箱根駅伝本選出場を目指す栗原さんの逆境から立ち上がる考え方とはどのようなものでしょうか。栗原さんのこれまでの学生生活をご紹介します。
実家の近くに海があったので、小学生から中学生の時はヨット競技に夢中でした。種目としては「セーリング」で、帆で風を受けて、その動力で海上を進む競技です。現在は陸上で長距離を走る日々ですが、当時は長い時間を海上で過ごしていました。
ヨットは上達するまでに多くの練習と経験が必要で、失敗を繰り返すことも少なくありません。しかし、地道に練習を重ねることで少しずつ成績が向上し、中学生の時にジュニアの日本代表としてイタリアでのワールドカップに出場する経験を得ることができました。 ヨットに関して自身に特別な才能があったわけではないと思います。だからこそ、ヨットを通して「失敗を恐れず、努力を続けた自分を信じること」が目標に近づくうえで大事であると身をもって経験できたことが何より良かったと思います。身体的な面では、不安定なヨットを乗りこなすために体幹を鍛える必要があり、この時に培ったバランス感覚が今の自分の走りの土台になっていると感じています。
小学6年生の時、市の陸上競技会(1000m)に出場したことが陸上との出会いでした。結果は平凡なものでしたが、とにかく走ることが気持ちよく、風を切って走る感覚に感動したことを覚えています。このことをきっかけに中学校で陸上部に入部しました。入部当初は主に短距離を練習していましたが、顧問の先生のすすめで長距離に転向しました。
ただ、ここから先は挫折の連続でした。練習を積み重ねても大会で結果が出ず、結局、中学時代は一度も市の大会すら突破することができませんでした。当然、陸上競技で声をかけてくれる高校はなく、学校見学で雰囲気が良かった学校に進学しました。
高校では何か新しいことを始めるつもりでした。しかし、進学した高校には、なんと強豪の陸上部があったのです。陸上を続ける気はなかったのですが、陸上部に入部していた友人からの誘いを受け、体験参加から流されるように入部することになりました。ただ、急に能力が開花するようなドラマチックな展開などがあるわけもなく、ここでも結果が出ない日々が続きました。県内屈指の強豪校ということもあり、「栗原は夏前に部を辞めてしまうのでは?」と部内で噂されるほど、周りとは大きな実力差がありました。
高校に入学してからの1年間、部内で誰にも勝てず、心が折れそうな場面は何度もありましたが、不思議と陸上を嫌いになったことはありませんでした。そうして、腐らずに練習を続けていると、朝のグループ走で先輩が付き添ってくださるようになり、走りに対するアドバイスや生活面での相談を受けてくれました。先輩とのコミュニケーションを通して部内での信頼関係が深まっていくと、自然と走りも良くなっていきました。高校3年生の時にはこれまでにない手ごたえがあったものの、コロナの影響で大きな大会は軒並み中止となり、自分の実力を出せる機会を得ないまま高校生活は終了しました。
高校陸上部の先輩が明治学院大学に進学したことがきっかけで、明学を知りました。大学では箱根駅伝に出場したいという強い思いがあり、陸上の強豪校に進学する選択肢もありました。ただ、自分がここまで競技を続けてこられたのは、「多くの方との繋がりの中で、たくさんの方に支えられたからこそ。感謝の気持ちを忘れずに今度は自分がメンバーを支えたい」という思いがあり、そうした考え方を尊重してくれる大学に進学したいと考えていました。
明学の陸上部は「感謝と貢献」をスローガンに掲げており、自分の理念と一致していました。また、優れた指導者のもとで学生の自主性を重んじた活動を行っていることを知り、この環境ならば選手としても人間としても成長できると確信し、明治学院大学への進学を決意しました。
法学部法律学科を志望した理由は、法学を学ぶことで社会人に必要な知識を身につけ、合理的な思考力や問題解決力を養いたいと考えていたからです。自分は法律家志望ではありませんが、法律学科には将来の進路や興味に応じて授業科目を選択できる仕組みがある点も魅力でした。
明学に入学後はもちろん体育会陸上競技部(長距離ブロック)に入部し、授業と部活に打ち込む日々を過ごしました。当時の先輩方はとても気さくで、部活にありがちな厳しい上下関係はありませんでした。フラットな立場で意見を出し合い、自分たちで考えながら練習環境を整える関係性が自分には心地よく、陸上の成績もそれに呼応するように向上していきました。
ただ、成績が向上し、チームの主力として期待され始めた矢先、また大きな壁に直面しました。大学2年生のころから悩まされていた呑気症(どんきしょう)です。この病気は吸った空気がお腹にたまり、うまく吐き出せずに呼吸が苦しくなるもので、緊張が高まると症状が現れました。2年生の第99回箱根駅伝予選会の時は特に症状が酷く、後半に入ったあたりから体が動かなくなり、途中棄権という結果に。大事なレースで皆に迷惑をかけてしまったという思いから、心が押しつぶされそうになり、自分の競技人生はここで終わりだと思いました。
しかし、失意のどん底にいた自分を支えてくれたのは、陸上部の仲間たちでした。翌日には普段と変わらぬ態度で接してくれ、何も言わずに寄り添ってくれる、それが自分にとって大きな救いでした。教育理念である“Do for Others(他者への貢献)”や陸上部が掲げる「感謝と貢献」は表面的な言葉ではなく、その理念が明治学院大学に息づいていることを感じ、安心したと同時に次こそは自分がチームを支えたいと強く思いました。
呑気症の症状は、練習と試合を重ねるごとに少しずつ改善していきました。大きな転機となったのは3年生の第100回箱根駅伝予選会。「失敗を恐れず、努力を続けた自分を信じる」という決意を持ち、積極的なレース展開を想定して挑みました。日本人選手の先頭集団に10kmまで食らいつき、その時の通過タイムは29分20秒で、自己ベストより1分半以上速いものでした。それでもまだ脚には余力があり、どこまでも走れるような気がしました。この経験が、自分の限界を見直すきっかけとなり、何か大きな殻を破ったような感覚でした。「自分の力はここまで」と決めず、自分の限界に挑戦することを楽しむマインドになれたことが、その後の明治学院記録に繋がったと思います。
今は2024年10月19日(土)に開催される第101回箱根駅伝予選会で、明治学院大学初となるチームでの本選出場を勝ち取ることしか考えていません。ぜひ、多くの方に現地で応援していただき、胸の奥が熱くなるような明学陸上部の走りを見ていただきたいと思います。
また、卒業後も競技を続ける予定です。好きな陸上を通して、自分がどこまで成長できるのか、自分のさらなる可能性を確かめたいと思います。多くの成長する機会を提供してくれた明治学院大学に自分は走り続けることで将来、恩返しができることを心から望んでいます。