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作家や作品と向き合う人々の「格闘の痕跡」を探して アメリカ文学史の形成過程を解き明かす

2023.03.29

フロンティアの消滅が宣言され、アメリカが帝国主義的膨張政策に舵を切った19世紀後半から20世紀初頭、アメリカの知識人たちは19世紀中葉の国民文学運動を見直し、「自分たちの文化」としてアメリカ文学を制度化していきます。貞廣教授は、アメリカ文学が学問分野として確立された1920年代に焦点を当て、アメリカ文学の形成過程をテーマに研究を進めています。

貞廣 真紀 文学部 英文学科 教授東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了(英語英米文学専攻)。フルブライト奨学生として留学。ニューヨーク州立大学バッファロー校英文学科博士課程修了(Ph.D. in English)。2021年4月より現職。専門はアメリカ文学。

1920年代に確立された「アメリカ文学」

現在の研究の中心は、アメリカの19世紀から20世紀初頭にかけての文学史の形成です。19世紀末、アメリカは多くの移民を受け入れ、急速な発展を遂げました。移民の流入によって文化が多様化する中、アメリカの知識人たちの間で「自分たちの文化とは何か」を模索する動きが広がります。その過程で、ギリシアやローマの古典文学に代わって、アメリカ文学が教養の重要な要素として重視されるようになり、「アメリカ文学史」が形成されていきました。1920年代になると、それまで中西部の大学で教養科目として細々と扱われていたアメリカ文学は東部の名門大学でも扱われ始め、専門研究雑誌の発刊も相なって、1つの学術分野として確立されていきます。こうした流れの中で、大学や知識人、作家や批評家たちが、アメリカやアメリカ文学をどのように考え、そこから「何を学ぶべき」であると考えようとしていたのかを中心に調べています。

また、アメリカ文学の確立は、アメリカ国内だけで生じた現象ではなく、イギリスでの受容がそれを後押しした側面があります。そのため、調査対象を「環大西洋」という文化空間に広げ、アメリカとイギリスの知識人、作家たちが文学をどのように流通させ、どのように相互に干渉しながら「国民文学」としてのアメリカ文学を形成したのかを考えています

メルヴィルは「忘れられていた」のか?

アメリカ文学史が形成された1920年代、19世紀のある小説家を評価する動きが知識人の間で広がります。アメリカ文学史上最も重要な作家の1人として知られる、ハーマン・メルヴィルです

メルヴィルの作品で最も有名な『白鯨』は、1851年にまずイギリスで、そしてその直後、アメリカでは異なるタイトルで、わずかな(しかし重要な)変更を伴って出版されました。ちなみに、みなさんご存知のスターバックスコーヒーは、『白鯨』に登場する一等航海士スターバックから名付けられています。タイトルと冒頭の一文「わたしのことをイシュメルと呼んでくれ」(“Call Me Ishmael.”)でよく知られる『白鯨』ですが、物理的な捕鯨にまつわる冒険譚と、「鯨とは何を意味するのか」という知的探究の記述がより合わされたかたちで進行する本作は、決して読みやすいものではありません。また、本作以前にメルヴィルは南太平洋の島々を舞台にした『タイピー』や『オムー』という作品を出版していましたから、それと似た「エキゾチックな」冒険譚を『白鯨』に期待していた読者の期待にそぐわなかったのでしょう。本作は同時代の人々には正当に評価されず、1857年、彼は晦渋な文体で読者を試すような『信用詐欺師』という作品を最後に、小説を出版することを止めてしまいました。その後数十年の時を経て20世紀初頭に再評価されたことから、一般的にメルヴィルのキャリアは「一度は忘れられた作家が不死鳥のようによみがえった」という、ある種ドラマチックなストーリーとして語られています。私自身、大学時代に受けたアメリカ文学の授業で「メルヴィルは読者が作品を理解してくれないことに絶望して筆を折った」と教わり、「書かない」という行為のパフォーマンス性や孤高の作家像に興味を引かれてメルヴィルの研究を始めました。ところが、調べていくうちに、そうしたイメージとは異なるメルヴィルの姿が見えてきたのです。

実は、メルヴィルは小説を書くのを止めた後も、たくさんの詩集を出版しています。そして、その詩集を献本する相手もいました。自分の作品を読んでほしいという思いがなければ、わざわざ本を出版して誰かに献本することはしないでしょう。つまり、少なくとも彼は単純な意味で「社会に背を向けた偉大すぎる小説家」ではなかったと考えることができます。

また、研究を進める中で、「忘れられていた」とされる時期にもメルヴィルを高く評価する読者がいたことが分かりました。それは、イギリスの社会主義者たちです。イギリスでは1880年代に社会主義運動が起こり、国内の支配的文化に違和感を覚えた彼らはオルタナティブな文化を求めてアメリカ文学に目を向けました。その1人がメルヴィルだったのです。彼の生前には著作権の関係で実現しませんでしたが、イギリスの社会主義系の出版社から本を再版する計画もありました。

こうしたイギリスでの評価は、時を経てアメリカに「逆輸入」されることになります。1920年代のアメリカの知識人の多くは、19世紀のイギリス社会主義の影響を受け、その思想を取り込みながらアメリカ文化を形成しようとしました。その流れの中でメルヴィルの再評価が起きたというわけです。ただ、1920年代の「メルヴィル・リバイバル」の背景には複合的な理由があり、たとえば、彼の初期作品に強くみられる南太平洋への関心や、『白鯨』における同性愛を想起させる描写が、同時期に新たな学問分野として確立された精神分析学や文化人類学と親和性が高かったことも再評価の要因の1つと考えられます。

このような研究を通して、メルヴィルは「不死鳥のようによみがえった」作家ではなく、文学史から抜け落ちていたように見える時期にも、確かに読み継がれていた作家であることが見えてきました。同じような現象がほかの作家にも起きているのではないかと考え、ウォルト・ホイットマン、ヘンリー・デイヴィッド・ソローなど、メルヴィルと同時代の作家に注目し、その作家像の形成についても研究しています。また、第二次世界大戦の最中に『アメリカン・ルネサンス』という著書を出版し、アメリカ古典文学の確立を決定づけたF. O. マシーセンという研究者の活動にも関心を寄せています。

受容の歴史としての文学史

文学史とは、年表のように事実を羅列したもののことではありません。誰かによっていつかの段階でつくられたものであり、読者の理解を一定の方向に導くように書かれています。また、文学史はある種の「受容の歴史」を体現しているものとも言えます。かつてアメリカ文学史は白人男性作家を中心に扱っていましたが、時代の流れとともにマイノリティの作家やさまざま地域の文学も包括的に扱うようになりました。近年は特に、アメリカ文学の「例外性」よりも、他国の文学との「関係性」に焦点を当てる研究の動向があります。私も「作家や文学がどのように受容されるのか」に注目し、アダプテーションの視点からの研究や授業も行っています。

たとえばゼミでは、アメリカの小説がイギリスでどのように受容されるのか、異なるジェンダー・セクシュアリティ意識を持つ小説家と映画監督では性の表現にどのような違いが生まれるのか、そもそも小説が映像化される時にどんな変化があるのか、といったテーマを扱っています。文学だけでなく映画も取り上げるのは、19世紀の人々にとって小説が娯楽でも教養でもあったように、現在の学生には、映画がそのような媒体であると思うからです。もちろん、ただ漫然と映画を観るわけではありません。どのような小道具や手法を用いて、何を表現しているのか、細部まで検証するとともに、それがどのような時代背景の中で作られたのかを考えていきます。映画の小道具やカメラワークを丁寧に分析したり、作品が生み出されたコンテクストを分析したりする手法は、小説を分析する手法と共通点が多いと考えています。

1時間半のプレゼンが学生の考察力を養う

ゼミでは毎回、課題に対して学生たちが調査分析し、授業時間をフルに使ってグループ・プレゼンテーションを行っています。1時間半という長時間にわたり学生がプレゼンをするゼミは、ほかにはあまりないかもしれません。私がゼミで大事にしているのは、学生が課題に向かう姿勢と、発表に向けて準備するプロセスです。そのため、発表の1週間ほど前にはスライドのドラフトをチェックし、私からコメントを踏まえて修正を重ねてもらっています。完成したプレゼンは内容的にも形式的にもクオリティが高く、毎回非常に満足度の高い発表がなされています。

学生のプレゼンの中でも特に印象に残っているのが映画『アナと雪の女王』に見られる図象をセクシュアリティの観点から分析した発表です。窓やエルサのマント等に「紫色の三角形」が多用されていることに注目し、それがかつてゲイを差別するレッテルとして使われ、現在はLGBTQ+のプライドと権利のシンボルになっているピンク・トライアングルを意味するのではないかという指摘は、斬新で妥当性の高い解釈だと感じました。数年前の発表ですが、それ以来、毎年必ず私の授業で紹介させてもらっています。

こうしたゼミ活動は、プレゼンの技法を身に付けるとともに、深く丁寧なテキストの検証と考察を行う力を高めることに繋がっています。ゼミで課題について何度も考える経験が、物事を直情的にとらえるのではなく、自分で繰り返し考える姿勢につながってほしいと願っています。

研究は大いなる歴史に連なる営為

すでに述べたように、長い間、文学史の中でメルヴィルはコミュニケーションを拒絶する作家としてとらえられてきました。彼自身が感じていた「孤独」の文化的あるいは哲学的背景については多くの研究が行われてきましたし、今後もさらなる研究が必要とされることは間違いありません。しかし同時に、メルヴィルを「共同体の作家」としてとらえ直す必要もあると思っています。そして、それはメルヴィルに限ったことではありません。作家像の形成過程を丁寧に見ていくと、作家が同時代のみならず時空を超えて多くの人々と関わりを持っていることに驚かされます。作家とは、1人だけで存在しているわけではなく、文学共同体の中の存在なのです。

文学史とは、ある作家や作品がなぜ読むに値するものなのか、そしてそれがどう社会に影響され、逆にどう働きかけるのかをさまざまな人が考え続けた格闘の痕跡なのだろうと思います。文学史について研究することも、教室で議論することも、その大きな営みに連なることなのでしょう。先日、フランスで開催されたメルヴィルをテーマとする国際学会に参加し、イギリスにおける彼の遺作のオペラ化について論じました。そこで彼の作品を壁画やダンスで表現する方々と出会い、時間や空間を超えて1つの作品が人と人を繋いでいる感覚を覚えると同時に、自分の研究もまた文学の歴史の大きな連なりの一部であると感じました。研究者として私1人ができることは限られています。1つの歴史的発見は研究史の中の小さな砂粒の1つに過ぎません。しかし、わずか1粒であってもその営みに貢献できることを願い、日々研究と向き合っています。

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