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量的緩和、マイナス金利、為替変動―研究者・教育者として世の中に発信する意義

2021.07.20

リーマンショック以降、世界各国で続く大規模な金融緩和策。メディアでは「量的緩和」「マイナス金利」といった言葉が飛び交い、社会にはそれに対する多様な意見があふれています。しかしその内容は玉石混淆で、表面的な知識だけでは正誤を見誤ってしまいかねません。金融論を専門とする佐々木百合教授は「研究を社会や教育に活かすことが重要」との考え方に立ち、経済の基礎理論を理解し、複雑さを増す現代の経済問題を正しく判断する力の重要性を広く発信しています。

佐々木 百合 経済学部長(経済学部教授) 一橋大学大学院商学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(商学)。専門分野は国際金融、金融論。高千穂商科大学(現・高千穂大学)商学部助教授、本学経済学部経済学科助教授を経て、2007年から本学経済学部経済学科教授。20年4月、経済学部長に就任した。金融庁金融審議会委員、総務省情報通信行政・郵政行政審議会郵政行政分科会会長、全銀協TIBOR運営機関理事、日本証券業協会自主規制会議公益委員など、学外組織にも専門家として参加し、研究成果に基づく社会活動に積極的に取り組む。

マクロの視点から金融・国際金融を研究

1999年にゼロ金利政策が始まって以降、日本ではこの20年ほどの間に、経済活性化とデフレ脱却を目的としたさまざまな金融緩和政策が行われてきました。特に2001~06年の日本の量的緩和は、世界に先駆けた景気対策であり、2016年からはマイナス金利政策という過去に例を見ない新たな試みも続いています。

こうした金融政策の影響を含めた金融論や国際金融が、私の研究領域です。金融論とは、簡単に言えば、お金を融通する、お金を貸し借りすることに関する学問のこと。その中でも、特に国や政府レベルでの金融の動きをとらえるマクロ的な分野をターゲットとしています。具体的には、銀行の健全性を保つための国際基準「バーゼル規制」が日本の銀行の貸し出し行動に与える影響、外国為替相場の変動が輸入価格、輸出価格、消費者物価指数などに与える影響などが、主な研究テーマです。

銀証ファイアウォール規制緩和への期待と課題

私が今、非常に興味を持っている話題に、銀行と証券会社の間の“情報の壁”である「ファイアウォール規制」の撤廃をめぐる議論があります。ファイアウォール規制は、同じグループの銀行と証券会社でも、原則的に顧客情報の共有を禁止するものです。元々アメリカで始まった規制ですが、アメリカでは20年ほど前にほぼ壁がなくなり、日本でも段階的に緩和が進んでいます。

この規制が撤廃されることに対して、銀行や銀行系の証券会社は、顧客にワンストップでサービスを提供できるようになるメリットがあると主張しています。たとえば、企業に対し、融資と社債発行による資金調達の提案が一度にできるようになり、顧客の利便性向上が図られるというわけです。一方で、独立系の証券会社や顧客側となる企業からは、融資と社債の発行を切り離して考えたくても断りにくい、情報漏洩の心配がある、という懸念が持たれています。

私たち経済学者は、基本的に、規制の撤廃には賛成の立場を取ります。なぜなら、規制緩和は、自由な市場の原理を働かせやすくするからです。ただ、このファイアウォール規制は、緩和することで、むしろグループ内の取引を増やし、自由な競争を阻害する可能性があり、その点には注意が必要です。

金融庁は、撤廃と抱き合わせで、金融監督指針の引き締め、モニタリングの強化などの対策を検討していますが、実はそうした金融機関に規律を効かせる日本のシステムは、海外と少し違っています。金融機関に違反行為があると、日本では金融庁が業務改善命令や業務停止命令などの処分を行いますが、世界的には罰金を科すという方法が主流です。そのため、金額の大小で罰の重さが分かりやすい罰金に比べて、日本の処分は「透明性が低い」と捉えられてしまう可能性があります。ファイアウォール規制の撤廃には、情報漏洩などの違反行為をしっかり罰することができるか、さらに、その規律が国際的なスタンダードと違っていても信用を損なわないか、という懸念もあり、慎重さが必要ではないかと考えています。

ファイアウォール規制の撤廃は、私が委員を務めている金融庁金融審議会のワーキンググループで大詰めの議論が進んでいます。今後、この規制の緩和や撤廃が日本の銀行業に与える影響についても、研究テーマにしていきたいと考えています。

20年続く量的緩和政策の行方

2001年に始まった量的緩和政策は、日本銀行が国債などを大量に買い、物理的に市場にお金を大量供給することで景気浮揚を図るものです。資産価格の上昇、消費の拡大などのメリットがあるものの、長く続けることで、いずれバブルがはじけるような事態が起こる可能性が以前から指摘されています。

2013年に就任した日銀の黒田東彦総裁は、「2年で2%の物価上昇率達成」という、インフレーションターゲット政策を掲げました。この政策の成否を分けるのは、社会の一人一人が「2%上昇するんだ」と思って行動を変えるかどうか。黒田総裁は、大々的にこの政策を打ち出し、当時は金融政策に詳しくない学生でも「インフレ目標2%」という言葉は知っていました。実際に株価も上昇しましたから、その方法は正しく、意味のあるものだったと考えています。

しかし、2%に一旦近付きはしたものの、政策が長期にわたって続いたことでマンネリ化し、現在は効果がかなり薄れています。さらに昨年来のコロナ禍の影響もあり、達成はかなり厳しい状況と言わざるを得ません。そこで考えなければならないのが出口戦略ですが、これもまた難題です。2013年は、アメリカの中央銀行に当たるFRB(連邦準備制度理事会)のバーナンキ議長(当時)が、ある講演で量的緩和策の縮小(テーパリング)を示唆したところ、新興国市場の株価が大暴落するという出来事もありました。今の日銀も、市場への影響を考えると「引くに引けない」という状態にあると思います。

しかし最近、その状態に変化が生じています。2021年5月、日銀の上場投資信託(ETF)の月間購入額が、2012年12月以来8年5カ月ぶりにゼロになりました。ETFの買い入れは、日銀が金融市場にお金を供給するために続けているわけですが、買い入れ縮小の兆しが見えても株価への影響はそれほどなかったようです。こうした形で上手にソフトランディングしていくことができるのか、今後も注視していく必要があります。

研究者として世の中に発信する意義

大学の教員は、学生に教えるだけなく、研究をして、その成果を社会や教育に活かすことが重要だと考えています。私自身は、金融審議会の委員のほかにも、総務省の郵政行政分科会会長、全銀協TIBOR運営機関理事など、研究に直接的、間接的に関連するいくつかの学外の会議に参加しています。

学外の審議会や有識者会議には、研究者、実務家、省庁の担当者など、さまざまな立場の人が参加しています。その中で、たとえば実務家の方は、議題に対して現場感覚を持って短期的視点で意見を述べられるでしょう。それに対して、日本の経済が今後どういう方向に向かわなければいけないのか、市場原理はしっかり働いているのか、といった長期的・マクロ的な視点からのコメントは、私たち研究者だからこそ言えるもの。その視点の違いにこそ、社会活動に研究者が参加することの意義があると考えています。

実のところ、今まで関わった外部会議の中には、結論ありきで、「専門家としてのお墨付き」だけを求められていると感じたものもありました。その思いを省庁の若手職員の方にこぼしてしまったことがあるのですが、その方は「そんなことはありません。たとえこの会議の結論が変わらなくても、先生の発言は出席者の今後のいろいろな決定に影響を与えます。どんどん発言してください」と言ってくださいました。その言葉に背中を押されて、研究者の立場からの意見や反論が社会に役立つことがあると信じて、研究者としての視点をお伝えしようと努めています。

難しいことを省略せずに教えるのは教員の責務

大学の経済学部は、「1+1=2」であることを学び、実際はそうなっていないのはなぜだろうと考える練習をする場所である、というのが、私の持論です。
 経済学の「1+1=2」とは、モノの価格や金利が決まる仕組み、為替相場の変動が国際収支に与える影響といった、経済を理解するための基礎です。ミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学、経済史といった、主に1、2年生が受講する授業がこれに当たります。さらに、学年が進むと、金融論、労働経済学などの応用科目を通じて、実際の経済は基本的な理論通りには動いていないことを学びます。たとえば、まず「モノの価格は需要と供給によって決まる」という基礎を学び、その上で、現実にはモノの価格の変動には時間がかかり、教科書通りに需要曲線と供給曲線がサッと動いて決まっているわけではないことを理解します。そして、それがなぜなのかを考えていくのです。

金融政策の授業で、現在のマイナス金利政策の内容や意味を教えるのは、難しいことではありません。ただ、それは大学の授業でなくても、インターネットで検索すれば分かることです。私の授業では、実際の金融政策を解説する前に、まずは金融市場における需要と供給、その均衡によって金利が決まる仕組みといった、大本の理論を教えます。そこでは、言葉での説明だけでなく、学生に数式を使った計算もしてもらいます。

数式が出てくると、難しいと感じてしまう学生もいます。しかし、「学生には難しいだろうから」と教員の側が教えることを止めてしまうのは、学生に対して失礼じゃないか、と私は思っています。学生が難しいと感じているなら、分かりやすいところまで落とし込み、省略せずに伝えていくことこそ、私たち教員の責務だと考えています。

また、大学の学びは、将来社会に出た後、その時起きている出来事の本質を理解したり、正誤を判断したりする力を養うためのものです。研究を通じて得られた新しい事例、新しい検証方法を教育に取り入れ、より将来に役立つ指導をしていくことも教員の務めと考え、日々学生の指導に当たっています。

近視眼的な情報に左右されない判断力を

今、メディアが伝える経済や金融の情報では、近視眼的な金利や為替の変動の影響ばかりが強調される傾向にあります。ただ、為替相場がどう決まっているのかといえば、単純に需要と供給で決まることは確かです。その需要と供給を動かす要因が非常に複雑ではあるのですが、それでも経済学は、大きな影響を与える要因については整理して説明することができます。

さらに、日々の経済ニュースはマイナス面が目に付きやすく、たとえば為替相場が円高と円安どちらになっても「景気が悪化する」と大騒ぎになってしまいがちです。しかし実際には、円高、円安それぞれに損をする人と利益を得る人がいて、損をする人が声高に主張しているだけという場合も少なくありません。経済学を学ぶことで、学生には、表面的なことに左右されず、目の前の出来事を素朴にとらえ自分で判断する力を養ってほしいと願っています。そして、教育の場や社会の中で研究を活かした発信を続け、みなさんが正しく経済を理解する考え方を伝えていきたいと思っています。