- 武田 萌恵 社会学部社会学科4年ダンスサークル「Break Jam」、ボランティアサークル「ぽけっと」に所属。Break Jamではジャンル代表とパートリーダーを、ぽけっとではカンボジアでの教育支援を経験。 幼い頃からずっと続けているのは踊り。観るのも踊るのも両方好き。憧れは、優雅さと芯の強さをあわせ持つディズニープリンセスのような人。
「『置かれた場所で咲きなさい』 中学1年生の時に担任の先生がかけてくれたこの言葉が、私の支えであり、人生の軸です」。この言葉を胸に学生生活を過ごしてきた武田さん。明学で過ごす中で、改めて考え自覚した、武田さんらしさとは。
私の長所は、自分のやりたいことがはっきりしていてぶれないところ。短所はやりたいこと以外は絶対にやらないところ。母からは「あなたは好きなことをやっていないと死んじゃうね」と言われたこともあるくらいです。
その好きなことは、踊ること。幼い頃から、ディズニーランドに行けば、アトラクションよりショーが好き。「おかあさんといっしょ」を見れば、お姉さんの真似をしてコンサートを開いちゃう。そんな子どもでした。
父の仕事の都合で4歳から中国で3年過ごし、日本で3年、また中国で3年暮らしました。中国でクラシックバレエに出会い、日本に帰ってからも続けたいと思い近所のモダンバレエの教室を訪ねました。見学だけと思いジーンズで行ったのに、気付いたら最後までレッスンを受けていて。そのままのめりこんでしまいました。小学生の頃は週7でバレエをやっていたので、ごはんを食べながら、半分寝ながら宿題をこなすような、そんな忙しい毎日を送っていました。友達と遊ぶ時間がないから辛い、とは考えたことがなく、ただうまくなりたい、うまくなれない、そんな気持ちでバレエをやっていて、今思うとあの時以上に辛くて、でも誇りに思えるような経験はないと言い切れます。
合計6年間中国で過ごしたのですが、そこで感じて経験したことは今の人生に大きな影響を与えています。中国でもバレエ教室に通っていて、先生も生徒も中国人。言葉の壁は当然ありました。ただ、専門用語が似ていたりするのと、踊りなので感性を生かしてなんとかついていけると感じていました。
一方で、自分と同世代の子どもが観光客にお土産を売って働いている光景を何度か見かけ、違和感を持ったことをしっかりと覚えています。私は学校が大好きでしたし、学校に行くことが当然だと思っていて。幼いながらに、「みんなが学校に行ければ良いのにな」と感じていました。
これまでの経験から、自分のやりたいことは「踊り」と「教育支援」の2つだと感じ、これが大学選びの軸になりました。受験期になり、たまたまYouTubeで明学のダンスサークルがJDC(Japan Dancers’ Championship)で優勝した動画を見つけました。それが決め手となり明学に入学。ボランティアサークル「ぽけっと」にも入りました。
1年生の時は特に「ぽけっと」での活動に力を入れていました。カンボジアに行き、孤児院や小学校で教育支援のボランティアをするのですが、私は「想像共有」という授業を担当しました。そこでは英語や算数の授業はあるものの、保健や道徳といった授業はありません。想像共有はいわゆる道徳で、絵本を読み聞かせ、その感想や意見を共有するといった授業です。担当した子どもたちは、自分の意見や価値観を人に伝えるといった経験があまりなく、慣れていない様子が印象的でした。
ある日、孤児院で「あなたのこと、どのくらい好き?」「月に行って帰ってくるくらい好き。」というやりとりがある絵本を読み聞かせました。子どもたちに、そのくらい好きな人は誰?と聞くと、「お父さん」や「お母さん」といった答えが返ってきました。
その日の夜、メンバーと反省会をし、その質問はしない方が良いかもしれないという話になりました。孤児院にはさまざまな家庭環境の子どもがいて、決して両親がいることが当たり前ではないからです。子どもたちと接する中で常に考える機会があり、反省をすることの方が多かったように思います。
大学入学当時、どちらかというと国際問題に関心があったため、社会学科を選んだことに迷いというか、正直に言うと後悔の気持ちもありました。ぽけっとのメンバーは国際学部生が多くて、影響を受けたこともあると思います。
そんな時、「多文化共生入門」という授業に出会います。日本に住む外国人の課題を知り、日本にいても国際問題に取り組むことができると感じました。ぽけっとでの活動は有意義でしたが、1大学生にできることの限界も感じていました。そこで社会学科の学びの中でボランティアの実践指導を履修し、卒業時に「多文化共生ファシリテーター」として認証を得ようと決めました。これは「内なる国際化プロジェクト」の認定制度です。
実践指導では、日本にいるシリア難民の生徒への教育支援を経験しました。はじめて会った時は、日本語がペラペラで、おしゃべりの生徒が多く、どうして支援が必要か分かりませんでした。徐々に気付いたことは、日本語は話せるのに数学の問題は解けない、問題を解くための日本語を知らないということです。さらに、毎回違う生徒と接するので、当然ながら1人1人違う性格、違う考え、違う理解度を持っていて、それぞれの見極めや対応がとても難しかったです。
カンボジアでの経験で1大学生としての限界を感じ、「ボランティアってなんだろう」という疑問を持ち始めていた私にとって、ただの大学生の私にもできることがあると思い直すことができる経験となりました。
もう一つのやりたいこと「踊り」の方では、Break Jamでの活動が本格化し、2年生の時に先輩の指名でジャズというジャンルの代表になりました。Break Jamには将来ダンサーを目指すような、本当に踊りがうまいメンバーがたくさんいます。なぜ自分が指名されたのか悩んだりもしましたが、選ばれた理由を必ず証明する1年にしようと決めました。コロナ禍で思うような活動ができず、サークルを辞めてしまうメンバーもいました。そんな中で続けてくれたメンバーに対して、それぞれのモチベーションや頑張り方に気付き、共感し、それをまたメンバーにシェアできる中立の立場であろうと努力したように思います。
さらに、JDCに出場することになり、パートリーダーを兼任することになりました。JDCは普段のサークル活動とは全く空気感が違います。選抜メンバーで出場するのですが、選抜メンバーを選ぶのも自分の責任です。そもそもほかのパートリーダーは「このジャンルといったらこの人しかいない」というようなスーパーヒーローのようなメンバーでしたし、さらに「自分で良いのか?」といったプレッシャーを抱えることになりました。
ただ、JDCが終わった後に「もっと自分にできることがあったのではないか」と後で絶対に思わないように、今自分ができることを必死に考えました。自分がパートリーダーの責任として決めたのは、とにかくメンバーが後悔せずに大会を終えられるよう、感染症防止の徹底など、しんどい役回りを買って出て、振り作りや曲決めなど、得意な人がいる部分はその人に任せる。JDC出場、優勝という目標が目の前にある。もう本当にそのことだけを考えていました。
結果は「Japan Dancers’ Championship 2022」優勝。高校生の頃、YouTubeで見たあのステージで、同じ光景を見ることができました。
Break Jamは一見なんだか怖くて、近寄りがたいと感じる人も多いと思います。私も最初はそう感じていました。でも本当は、お互いのリスペクトで成り立つ、とても温かい集団。自分らしさを表現しつつ、自分以外の人にリスペクトを持てる関係性。だからこそジャンルがバラバラで個性が際立つ、でも統一感があるステージを作ることができます。それがJDCで優勝できた理由だと、自信を持って言えます。こういったお互いをリスペクトできる関係性が明学の雰囲気だと思っています。
「置かれた場所で咲きなさい」。中学1年生の私に担任の先生がかけてくれた言葉です。 明学は私にとって、精いっぱい咲くことができる場所です。たくさんの迷いや不安に直面するたびに、この場所でどうやって輝くか、考え続けることができました。そして、家族や友人、先生、サークルのメンバーの力を借りながら自分自身でその答えにたどり着けたような気がします。
将来は海外での在住経験を生かし、さまざまな背景や環境の中で人により添い、人を繋ぐ仕事をしたいと考え、宿泊業界に進む予定です。きっと私はまた悩み迷いながら、ベストを尽くせるように考え続けると思います。それが私らしさです。
何度でも、明学でのこの経験と、「置かれた場所で咲きなさい」この言葉を思い出し、自分の決めた道を進んでいきます。