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まっすぐな道ではないからこそ、人生は面白い

2022.05.10

『八重の桜』(NHK)、『持続可能な恋ですか? ~父と娘の結婚行進曲~』(TBS)など、時代劇からラブコメディまで、幅広いドラマの脚本を手がけている吉澤智子さん。しかし、人気脚本家になるまでには紆余曲折があったといいます。明学時代からこれまでの歩みと、脚本家という仕事の醍醐味を語ってくださいました。

吉澤 智子 1998年社会学部社会学科卒業。 社会学科卒業後、ケーブルテレビのアナウンサー兼記者、CM制作会社、新聞社勤務などを経て脚本家に。コメディ、サスペンス、ホームドラマ、医療ドラマ、時代劇など幅広いジャンルを手がける。代表作に『八重の桜』『ファーストラヴ』『ドリームチーム』(NHK)、『あなたのことはそれほど』『初めて恋をした日に読む話』『病室で念仏を唱えないでください』(TBS)など。2022年4月から吉澤さんが脚本を担当する新作ドラマ『持続可能な恋ですか? ~父と娘の結婚行進曲~』がTBS系で放送中。

脚本家に求められるのは、書く力が5割、打ち合わせ力が5割です

深田恭子さん主演の『初めて恋をした日に読む話』、真木よう子さん主演の『ファーストラヴ』、伊藤英明さん主演の『病室で念仏を唱えないでください』、山口紗弥加さん主演の『ドリームチーム』、山本耕史さん主演の時代劇『剣樹抄~光圀公と俺~』と、吉澤智子さんがこの3年ほどの間に手がけたテレビドラマは5本。すでに再来年までの仕事が決まっているといいます。

「来た球はすべて打つ、という感じで馬車馬みたいに働いています(笑)。本当はもっと休みがほしいのですが……」

テレビドラマはたくさんの人たちの関わりによってつくられます。プロデューサー、監督、原作者、俳優、スポンサーなど。脚本家はそのすべての関係者の意図を汲み取りながら、多くの視聴者を楽しませる作品を生み出していかなければなりません。執筆力だけではなく、調整力やコミュニケーション力が必要とされる仕事だと吉澤さんはいいます。「脚本家に求められるのは、書く力が5割、打ち合わせ力が5割」が持論です。

社会学科を卒業して、長野のケーブルテレビのアナウンサーになったのは1998年。自らカメラを携えて取材をしなければならない仕事でしたが、テレビに出るよりも取材をする方が楽しかったと吉澤さんは話します。自分で何かを書いてみたいと思い、2年で仕事を辞めて再び東京へ。広告制作会社などに勤めながら、脚本を書く生活が始まりました。

「脚本学校にも籍を置いていたのですが、仕事が忙しくて全然通えませんでした。でも、その学校に来た企画募集に応募したら、一発で通ってしまいました。内容はともかく、企画書の作り方だけはうまかったんです。広告の仕事でたくさんの企画書を見ていましたから」

それが脚本家としてのキャリアのスタートになりました。最初の本格的な仕事は、平日昼の30分の帯ドラマの脚本でした。

「昼ドラって、脚本家にとってこれよりつらいものはないといわれるハードな仕事なんです。ストレスで歯が2本抜けてしまったぐらいです。でも、短期間で多くの量を書く訓練ができたのは良かったですね。やり切ったあとは、もう何が来ても大丈夫と思えるようになりました」

母親になると同時にたくさんの仕事のオファーが舞い込む

民放の連続ドラマやNHK大河ドラマで数話分の脚本を担当するなど、着々とキャリアを積み上げていった吉澤さんの人生に大きな転機が訪れたのは2014年でした。

「夫が肺ガンになって、余命半年と宣告されたんです。どうしても子どもが欲しかったので、体外受精で子どもをつくろうと話し合って、12月に息子が生まれました。そこからですね、いろいろな仕事が次々に入ってくるようになったのは。初めて一人で民放の夜の連続ドラマの脚本を担当したり、映画の脚本を依頼されたりと、仕事の幅が一気に広がりました」

仕事で知り合った医師の助力を得て、パートナーはその後4年間、ガンと闘いながら家族と共に頑張って生き続けました。その間吉澤さんは、闘病生活を支え、子育てをしながら、必死に脚本を書き続けたのでした。その経験をこれからの仕事に生かしていきたいと話します。
「医療の現場やお葬式に当事者として関わりましたから、その経験をうまく利用しないともったいないですよね。それに、書くことで自分の経験を客観的に見て、整理することができると思うんです」

吉澤さんの言葉のはしばしからは、パートナーを亡くした悲しみを乗り越えてきた一人の女性としての強さと、プロの脚本家としての誇りがにじみ出ているように感じられます。つらく苦しい経験を軽快な言葉で表現してしまうところは、さすが人気脚本家の「腕」というべきでしょうか。

脚本家としての何よりの喜びは、見た人の心に何かが残ってくれることだと吉澤さんはいいます。
「ドラマのストーリーは忘れても、ひとつのセリフが心に残ったり、ちょっとした場面が忘れられなかったり。そういうことがひとつでもあれば、その作品はその人にとって大切な宝物になると思うんです。賞をいただいたりするよりも、誰かがその作品のことをずっと覚えていてくれることの方が大事だと思っています」

明学のイメージは「クリーム色」ですかね……

高校時代からマスコミ業界を志望していた吉澤さんが明治学院大学を選んだのは、社会学部のある大学に入りたかったからでした。社会調査の専門家である原田勝弘先生(現:名誉教授)のゼミで学び、広く世の中を見る目を鍛えられたと振り返ります。卒業論文のテーマは夫婦別姓でした。

明学のイメージを吉澤さんは「クリーム色」と表現します。クリームのようにほっこりした学風と、学生のおっとりした気風が明学の特徴なのだと。

「みんな穏やかで上品で、学生時代に嫌いな人はほんとにひとりもいませんでしたね。楽しかった思い出しかありません」

卒業したのは就職氷河期といわれていた頃で、意中の進路にストレートに進める同級生は多くはありませんでした。でも、だからこそみんな面白い人生を歩んでいると吉澤さんはいいます。

「何度も転職して、紆余曲折があって、気がついたら40代半ばになっていた。そんな人が友だちには多いですね。いろいろな経験をしているからこそ、人生には大逆転が起こることがあるし、その逆もあることをみんな知っています。そんなたくましい人たちを見ていると、自分も頑張ろうという気持ちになります。これからの人生にもいろんな荒波があると思いますが、柔軟に、楽しく生きていきたいですね」

※この記事は、明治学院大学 校友会会報誌「Do For Others」No.29から転載しています。

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