対談シリーズ Vol.3
情報数理の力で人文社会科学をアップデート!
情報数理の新学部は、「社会が求める」ことに応えるのではなく、「社会を変える」「世界を変える」くらいの気持ちで。
情報数理学部が新設されることについてどのようにお考えですか。
情報系の学部としては後発ですが、後発のメリットは先行組の動向を見ながら戦略を練られるところです。情報系学部としてエッジの利いたものはどこもやっているため、同じことをしても二番煎じになるだけです。しかし、本学には人文社会科学の膨大な研究の蓄積があります。そのアーカイブをどう生かすかが、戦略の重要な鍵を握るのだろうと思っています。ビッグデータをどう使うかということとも根底のところでは共通しており、人文科学の知恵や足で稼いだ社会科学のナレッジを、情報のまな板の上にどのように載せるかが大切です。文系学部の大学が理系を取り入れるわけですから、理系の力を使って文系をアップデートしていくことができるのではないかと思っています。
同感です。そうした戦略的な構想は、明治学院だけでなく、世界という文脈の中でも大きな意味を持つと思います。情報数理学部に期待しているのは、アジアとの連携です。歴史的な経緯から学問の世界では、アジアはどうしても欧米に次ぐ第3極として捉えられがちです。アジアにもトップジャーナルに論文を載せる力を持つ研究者はいますが、研究者間のネットワークの問題で、互いに孤立しています。そういう研究者たちをつなぐような交通拠点、例えていえばキャラバン隊が集うオアシスのような場を用意できれば、非常に大きなインパクトを与えることができるだろうと思います。中国は資金も人材も豊富ですから別としても、韓国や台湾、シンガポールなどの研究者と連携することは十分に可能であり、潜在力は高いと期待しています。
情報数理学部と同時に「情報科学融合領域センター」が発足する予定ですから、学内の他学部とのコラボレーションや、学外のアジア戦略の鍵を握るセンターとして機能させていくことを戦略として目指すべきでしょう。いい意味でとんがっていることが、新学部を離れ小島にさせないためにも、アジアの潜在力を発揮させるためにも重要だと思います。
明治学院の学内をつなぐハブ、同時に世界につながるハブという意味ですが、オアシスに例えたのは、人と人が会うことが決定的に重要だと考えているからです。さまざまな場所から人が集まってきて交流することにより、それまでにない新しいものが生まれる可能性が期待できます。必ずしもインターディシプリナリー(学際的)な研究でなくてもかまわない。いろいろな分野の人がコメントできるような場所があり、そのやり取りを見たり、そこに参加したりすることができることこそが、オアシスの1番重要な点だと思います。
とても大事なことだと思います。別に情報に関係なくてもかまわないと思います。アートをやっている人、数学をやっている人、哲学をやっている人——いろいろな研究者や学生が集まって、自分たちがやっていることに対してコーヒーブレイクしながら、ざっくばらんに語り合うことは本当に大切だと実感しています。情報科学の新たな研究テーマにつながるようなヒントはそういうところに眠っているのではないでしょうか。
文理「融合」という言葉に近いものがありますか?
「融合」ではなくて、つながるということです。それぞれの独立性を保ちながら、でも“たこつぼ”にこもらずに、別の人とつながるというイメージです。
料理と同じで、混ぜるとよく分からない味になってしまいますよね? 文理を「混ぜる」というより、「つながり」です。情報が関与することで真の意味で文系も育つようなつながり方ができればいいなと期待しています。こうしたつなぐ技術は、まだ世界でもできていないのが実情です。これまでの流れから、欧米の研究者はどうしてもメインストリームの研究をせざるを得ませんが、そこからちょっと離れた視点から考えることができるのが、アジアにいるメリットだとも思います。
数理のロジックを「さびない知識」としてモノにする。
情報数理の教育にはどんなことを期待していますか。
私が所属する経済学部では、経済学という縦串を勉強することが大切ですが、情報数理学の場合は、日進月歩で進化している情報を中心に学ぶことになります。それぞれの分野で最先端の研究をしている研究者が集まりますから、例えば量子コンピュータについての勉強もできます。ただし、学生にはすぐにさびない知識を身につけてほしいと思っています。物理学の場合は、理不尽に思えるくらい数学の力で現実を説明することができますが、人間を扱う学問の場合は、数学の力を駆使しようとしても、役に立たないモデルしかできないのが実情です。我々社会科学の研究者に数学の力が足りないのかもしれませんが、我々の方でも情報の力を使いながら研究をアップデートしていく必要があるのだと思います。情報の力で社会科学にコミットできるような学生が出てきてくれることに大いに期待したいと思います。
情報数理学部では情報だけではなく、数理の力も養うそうですが、数理だけができるような数理オタク、あるいは社会に全く関心のない数理オバケにならない仕組みはあった方がいいと思っています。情報と倫理の問題もそこに関わってきます。情報や数理の力を、社会の要求に応えて使うだけだと単なるサービス人材で終わってしまいます。情報が社会に対してどんな潜在力を持っているかを理解し、社会の側を変えていくような発信の仕方を身につけてほしいと期待しています。それが日本社会を良くすることにつながりますし、世界にもつながっていくのだと思います。
未来のことはほとんど予想できません。しかし、実験の手法や、論理的に考えること、数学的に考えることなどは基本中の基本で、それを学んでおけば、どんな時代になっても使えます。
ええ、数学やロジックに基づく力は絶対にさびることはありません。
ただ、文系の学生はどうしても数理が苦手ですから、そういう人たちにも情報を通して数理の世界に誘うことができればいいなとは考えています。本学の学生は、研究室に入り浸るような理系学生の生活スタイルを知りません。情報数理学部ができれば、そういう学生たちとも交流することになりますから、必ず影響を受けるはずで、そうした交流から相互作用が生まれる気はしています。
そうですね。情報数理学部には、文系の学生や研究者を勇気づけ、その学びや研究をより豊かにするような存在であってほしいですね。
情報数理の未来についてはどうお考えですか。
テクノロジーやコンピュテーション、AIなどの潜在力はものすごいものがありますが、それを応用するモデルそのものが古いのが現実です。計算力が劇的に向上していますから、できることが増え、ツールも豊富になっていますが、ツールの中身は数理的に分かっていない部分もあります。それらの部分はしっかり研究すべきだと思います。
大型グラント(競争的資金)で一緒に研究すると、情報系の人たちは技術的には発展していますが、人間とか社会に接近しようとすると「ふわふわした感じ」になりがちです。このふわふわ感は、何が重要で何が重要でないかのセンスがまだ十分に磨かれていないためだろうと思っています。自分の中にある素朴な社会理解、人間理解に基づいて、高度の情報技術を当てはめようとしても、その結果は、人文社会系の研究者にとってつまらないものになってしまうこともあります。人文社会系の研究者も「つまらない」で終わらせずに、対案を出さなければなりません。今回の情報数理学部そして情報科学融合領域センターの設置は、オアシスとしてそういう部分にも貢献するのではないかと期待しています。