亀田教授・犬飼准教授編
対談シリーズ Vol.3

情報数理の力で人文社会科学をアップデート!

― 情報数理は、学問や人をつなぐコミュニケーション、ハブになる

情報数理学部の誕生は、既存の人文社会科学系の学問にどのような影響を与えるのでしょうか。データを重視する行動経済学、実験経済学が専門の犬飼佳吾経済学部准教授と、実験的手法を取り入れた学際的研究で知られる社会心理学者で、新学部が取り組むカリキュラム分野にも詳しい東京大学大学院人文社会系研究科の亀田達也教授に、新学部の教育・研究と情報科学融合領域センターへの期待を語り合ってもらいました。

亀田 達也 | Tatsuya Kameda
東京大学大学院 人文社会系研究科 社会心理学専門分野 教授 心理学博士
1982年東京大学文学部社会心理学科卒業。1984年同大学院修士課程修了。1989年イリノイ大学心理学科(Department of Psychology)にてPh.D.取得。1989年東京大学文学部助手。1994年北海道大学文学部助教授、2000年北海道大学大学院文学研究科教授、2012年北海道大学社会科学実験研究センター長 (兼務)。2014年東京大学大学院人文社会系研究科教授。
犬飼 佳吾 | Keigo Inukai
明治学院大学 経済学部 経済学科 准教授
2010年北海道大学大学院文学研究科博士課程修了。エコール・ポリテクニーク(仏)客員研究員、大阪大学社会経済研究所講師を経て、2018年より現職。専門分野は行動経済学、実験経済学、神経経済学。経済学を軸に、ゲーム理論・心理学・神経科学などを融合しながら、人間の行動選択や意思決定のメカニズムに関する分野横断的な研究に取り組む。

社会心理学や経済学といった“文系”学問に「実験=情報数理」を持ち込んだ異色の学者、2人の研究から見えてきた情報数理の価値。

お2人の研究分野を簡単にご紹介ください。

亀田

もともと物理や数学が好きで理系志望でしたが、化学は暗記が必要で、暗記が苦手だったものですから、思考が拒否してしまい…。ひどい成績を取ってしまってもう理系は無理だな、と。そこで文系に転向して大学では社会心理学を専攻しました。しかし研究手法については当初から疑問を持っていました。あまりにも言葉による解釈が多いような気がしたからです。例えば人間の同調傾向について研究しようとすると、同調の心理プロセスを言葉で記述はしても、同調傾向という心の働きが人間に予め備わっていることを前提にしているため、なぜ同調する心が存在し機能しうるのかという原理的な問いには答えていない気がしたからです。そのため、社会心理学の世界に身を置きながら、周辺の学問領域も幅広く渉猟していました。ちょうど社会科学の研究に実験的手法が導入され始める時期と重なったことから、北海道大学に在職していた20年間は、社会心理学を含むさまざまな社会科学の研究を横断する横串としての実験的手法を浸透させる活動を行ってきました。そのため自分の専門分野は、あえて「実験社会科学」と呼ぶようにしています。

犬飼

学部では政治経済学を専攻していましたが、卒業論文の研究のためにさまざまなことを調べている中で「実験」という手法を知りました。ちょうど「実験社会学」とか「実験経済学」とか「行動経済学」などのムーブメントが起こっていたタイミングでした。その時に亀田先生の存在も知りました。亀田先生の実験社会科学という手法に魅力を感じ、先生の下で学びたいと思い直接コンタクトをとり、亀田先生が当時いらした北海道大学の大学院に進みました。振り返ると、とてもいい環境で学ぶことができたと思います。特に、21世紀COEプログラムやグローバルCOEプログラム※なども進行していて、海外の研究者と盛んに交流が行われたり、「実験」を通して社会科学をまとめていこうという大きな動きを感じたりする場に立ち会えたことは、とても有意義なことでした。しかし、分野を横断する横串の価値が分かってくると、縦串(自分の軸となる学問)を深めていくことも大切だと考えるようになりました。その時、縦串がいちばんしっかりしていると感じたのが経済学だったので、経済学に軸足を移すことにしました。現在は、メタバースなどといった新しい社会やその社会で生まれる人間の心の動きや行動と経済との関係を、実験を通して検証する行動経済学者として研究活動を行っています。

※日本の大学院の教育研究機能を一層充実・強化し、世界最高水準の研究基盤の下で世界をリードする創造的な人材育成を図るため、国際的に卓越した教育研究拠点の形成と国際競争力のある大学づくりの推進を目的とする、文部科学省が支援した補助金事業。2002年から開始された21世紀COEプログラムの考え方を基本的に継承している。

社会心理学と経済学では目指す方向が違う気がしますが…。

亀田

「実験社会科学」的な研究をさまざまな学者が大型プロジェクトチームを作って試みた2010年前後の話です。例えば経済学者と心理学者が同じような実験をそれぞれが行い、議論するのですが、お互いの学問の概念語が異なるために、なかなか議論が噛み合わないということが起こっていたのです。なぜなら、それぞれの学問が前提としている人間観が互いに異なっているからです。例えば経済学には、人間は自分の利益を最大化する目的でしか行動しないという人間像を基点にした純粋な「ホモ・エコノミクス」という概念があり、そこを出発点にして人間の行動を合理的に説明しようとします。ところが心理学の世界にはそういう純粋なモデルは存在せず、所属する社会や文化に影響されながら行動するという人間観を前提にします。ある意味両極端ですが、同じような実験から得られたデータをもとに話し合うことで、互いに理解できる共通認識のようなものが次第にできてきました。こうした積み重ねが、真の人間理解につながってくるのではないでしょうか。

犬飼

経済学は、人間観や人間モデルが最初から与えられている前提のもとで、社会システムがどのように動くのかを研究します。最初はベンチマークとして、亀田先生が仰った「ホモ・エコノミクスモデル」から出発しますが、実験を行うとそのモデルに当てはまらないことがたくさん出てきます。そこでモデルのどの部分を変更すればいいのかという議論へと発展していくわけです。ところが純粋なモデルのない心理学は、実験結果を説明するために、いろいろな要素を参照します。そうなると、どんな実験結果が出ようとも説明がついてしまうことになります。経済学者からみると、このあたりが腑に落ちないと感じます。

亀田

そうならないために、実験社会科学では、いろいろなレベルで測定を行っています。どんな情報に注意を向けたのか、あるいはどの情報を優先的に処理したのかといった意思決定に関わる行動や認知過程を細かく追っていくほか、内分泌系や神経系などの生理的反応、脳内活動なども測定し、解釈の幅を狭くしています。こうすることで、現実に近づけるモデルへと展開していくわけです。

研究手法の変化、学問のゲームチェンジは、もはや必然。

研究を進める上で、情報数理の意義をどのように考えていますか。

犬飼

経済学は基本的に、すでに知られている法則や一般的・普遍的な前提から推論を重ねて結論を導き出す「演繹的」な学問ですから、演繹法でモデルを作ってきました。しかし2000年代以降は、経済学にも実験的な手法が入ってきて、複数の事象の共通点を見つけて、一般論を導き出す「帰納法」的な研究手法へと大きなゲームチェンジが起こりました。背景にはビッグデータが蓄積されるようになり、経済の生のデータを実際に使えるようになってきたことがあげられます。現在では経済学でも実証研究がどんどん出てきており、データサイエンス化が進んでいることは確かだと思います。

亀田

物理学の世界では、実験物理と理論物理が両輪になって進んでいますから、人間を扱う社会科学も2つの方法が互いに補完しながら、発展していくことが大切なことだと考えています。

犬飼

そう思います。ただこれまでの経済学界では、理論家の方が優位にいて、実証研究を行う人は泥臭い仕事をしているように見られる雰囲気がありました(笑)。ただゲームチェンジが起きてから現在に至っては、理論家も実証研究の成果に無関心ではいられなくなっていると思います。

亀田

経済学でゲームチェンジが起こったタイミングで、「計算社会科学」という言葉が生まれました。社会で起きている現象についてデータを取ろうとすると、大規模社会調査など莫大な費用がかかりましたが、インターネットの普及で、ネット空間には大量のデジタルデータがあふれるようになりました。そこからデータを抽出するのはデータサイエンスですが、その先からはさまざまな学問がアプローチできます。ある時点での瞬間風速的なスナップショットのデータを取ることも可能ですし、それを時系列で追えば予測のためのデータが得られます。実験は条件を厳密化するため高解像度のデータが得られますが、視野は狭くなります。しかし、ビッグデータを使った計算社会科学が発達してくれば、データによって社会科学の理論を変えていくことも十分にあり得るのではないでしょうか。

犬飼

現在はテクノロジーが先行しがちで、社会科学の領域に情報数理技術を持った人たちがどんどん参入してきています。重要なのは、そういう人たちがデータから作り出したモデルをどう見るのかという視点です。経済学の中にいる人は、彼らがどのようにデータを抽出したのか、どのようにモデルを作り出したのかが分からないため、何となく居心地の悪さを感じていますが、社会科学の研究者も、もうそうしたモデルをどう評価するかを考えるフェーズに入っていると思います。

亀田

自分が専門とする社会科学の基本的な考え方や研究体系はしっかり保ちながらも、情報の専門家とコミュニケーションが取れるくらいの情報リテラシーを持つことは、社会科学の目的である社会や人間を知る上で、非常に大事なことだと思います。社会科学の専門家も情報の専門家も相互に基礎リテラシーを揃えないと、コミュニケーションが取れませんから。