村田学長・今井教授編
対談シリーズ Vol.5

新しい世界の扉を開く、情報数理の力

― 文理やジェンダーの垣根のない、学びの実現へ

対談シリーズの最後に登場していただくのは、東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻の今井浩教授。情報数理分野の最先端で活躍されており、情報数理学部設置に向けて、村田玲音学長とさまざまなやり取りをした間柄です。ChatGPTの登場や国産量子コンピュータの稼働開始など、ここ1年だけを見ても情報の世界はものすごい速さで進化しています。改めて情報数理学部をめぐる社会状況の変化や教育内容について語り合ってもらいました。

今井 浩 | Hiroshi Imai
東京大学 情報理工学系研究科 教授
1981年東京大学工学部計数工学科卒業。1986年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了(工学博士)。同年九州大学工学部助教授、1990年東京大学理学部助教授等を経て、2001年東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻教授、現在に至る。2000年から2011年まで科学技術振興事業団創造科学技術推進事業ERATO今井量子計算機構プロジェクト総括責任者を務める。専門分野は情報科学(量子計算、アルゴリズム論、組合せ最適化、計算幾何)。
村田 玲音 | Leo Murata
明治学院大学 学長
1975年東京⼤学理学部数学科卒。1982年東京都⽴⼤学⼤学院理学研究科博⼠課程単位取得満期退学、明治学院⼤学⼀般教育部専任講師。同部助教授・教授を経て、2000年経済学部教授。経済学部⻑、副学⻑を歴任し、2020年より現職。理学博⼠(東京都⽴⼤学)。専⾨分野は、解析的整数論。

シンギュラリティを恐れる必要はない

村田

今井先生には、この対談シリーズの第1回目に登場していただいた平木先生のご紹介でお会いして以来、情報数理学部の方向性や教育内容についていろいろと相談に乗っていただいていますが、先生ご自身の簡単な経歴と現在のご研究について、改めてご紹介いただけますか。

今井

大学では工学部計数工学科の数理工学コースに進みました。数理的な思考に惹かれていたのですが、数学そのものよりは、数理的な考え方を利用して問題を解決するようなことに関心がありました。プログラムを書いて計算させると、実際に測定しなくてもちゃんと結果が出てくることにおもしろさを感じて、そこから問題を解くためにはどんな計算をすればいいのかを考えるアルゴリズムについてずっと研究してきました。2000年頃からは、対象を量子コンピュータの世界にまで広げ、現在は量子計算についても研究を続けています。

村田

まさに情報数理の世界のフロントランナーでいらっしゃいますが、情報の世界の最近の動向をどのようにご覧になっていますか。

今井

情報の新しい技術がいかに社会に影響を与えるかというニュースが、連日のように飛び込んでくる時代になっています。直近ですと、機械学習の自然言語処理を応用した生成AIのChatGPTがそうですし、量子コンピュータには全世界で投資が行われています。データサイエンスに関しては、日本でも文系理系を問わずすべての大学生が学ぶことが推奨されています。改めて情報が、社会を前に進めていく原動力になっていることを身近に感じていただける時代になってきました。現在ChatGPTが大きな話題にはなっていますが、来年はわかりません。これが突破口となってさらに大きな流れが出てくるような気がしています。

村田

AIが人間の能力を超えるシンギュラリティの到来は、当初2045年くらいだと予想されていましたが、平木先生は2030年くらいだろうと指摘されています。さすがにそこまでは早まらないにしても、かなり前倒しされているのは確かでしょう。シンギュラリティが起きたとすると、社会はどう変化するのでしょうか。

今井

最初に、シンギュラリティを恐れる必要はないということを申し上げたいと思います。シンギュラリティの定義は「コンピュータの人工知能の能力が、人間の情報処理能力に相当するものを身に付けること」だと理解しています。本当にコンピュータが人間を超越したものになると思っている人もいらっしゃいますが、まだまだ限界があります。例えば人間は自然言語を操り、自由に移動できますが、そこで使われるエネルギーはごくわずかです。しかしコンピュータに同じことをさせようとすれば莫大な電力が必要です。情報処理能力の点だけをみれば確かにシンギュラリティは到来するでしょうが、決してすべてのコンピュータがそうなるわけではなく、そういう能力を持った別のタイプの機械が誕生するだけのことです。ただ、社会を豊かにするためにそういうものが創造されるわけですから、恐れることは何もなく、そうした社会に真摯に向き合い、対応する能力をつけていくことが大切だと考えています。

情報を“使わせてもらう”側から、“使う”側を目指せ

村田

社会の中にAIを取り入れたものが急速に広がっていく時代に、活躍できる人を育てたいと考えて、明治学院大学では情報数理学部を設置しようとしているわけですが、そのためにはどんな勉強をすればいいとお考えですか。

今井

現在は、子どもからシニアまで皆さんスマホを使うような時代です。少し前まではパソコンを使っていましたが、現在ではスマホだけでかなりのことができるようになり、スマホしか持っていない若者もいます。スマホは情報処理の機械ですが、あくまでもユーザーが使うための道具です。道具を本当に使いこなすためには、その中身がどうなっているのかを知る必要があります。ですから、大学教育の中でコンピュータについて学び、情報をどう処理しているのかを学ぶことはとても重要です。生成AIにしてもある時点までのデータしか学習しておらず、それを常に更新し続けていくのはなかなか難しいものがあります。大学生が目指すべきなのは、スマホのような身近に使われているデバイスを超える情報処理を考えることであり、そのためには対象とする問題をきちんとモデル化し、プログラミングしてコンピュータを動かす力や、コンピュータの構造を理解した上で、データサイエンスの素養などを身に付けることが大切だと思います。

村田

とても大切なお話ですので、復習させていただきます。まずは問題を論理的に考えて分析し、要素に分解してモデル化する力、量子コンピュータも含めてコンピュータの工学的な仕組みを理解する力、最後はデータサイエンスを駆使して問題を解決する力が必要だということでよろしいでしょうか。それぞれに別々の能力が必要ですから、かなり大変ですね。情報数理学部では、3、4年次に進むと、理論的なことを学ぶ「数理・量子情報コース」、AIやデータサイエンスについて学ぶ「AI・データサイエンスコース」、コンピュータの中身も含めて学ぶ「情報システム・セキュリティコース」の3コースを設置予定ですが、3つのコ―スを完全に分けるより、互いに絡み合っている方がいいわけですね。

今井

最終的にはそうなることが一番望ましいとは思いますが、大学で何から何まで勉強できるわけではありません。結局、大学で学ぶのは考える力をつけること、そのための素養を身に付けることだろうと思います。例えば「AI・データサイエンスコース」に進んだとしても計算機システムや情報システム、セキュリティのことをわかっていないと、コンピュータを期待通りに動かせません。しかも、1期生が卒業するのは5年後になるかと思います。2018年と2023年を比べてもわかるように、非常に大きな変化があるはずです。つまり、現在のことだけを勉強しても不十分で、将来に資するような長いスパンで研究していける力を磨くことが必要です。その意味では「数理・量子情報コース」はまさにその狙い通りのコースだといえます。いずれにしても、限られた大学の4年間では、論理的に考える力と、将来も見通せる深い情報数理に関する理論や基礎知識、それとチームで仕事をするときの態度や姿勢などを身に付けてほしいと思っています。