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“意味のない”ことを信じると、何かにつながる

2022.12.15

まだ小学5年生だった時のこと。サッカーの試合でヘボンフィールドを訪れた時にもらった、明学のシャープペン。なぜか、壊れてもテープで修理して今でも持っているシャープペン。一見“意味のない”ようなことでも、何かにつながり、縁になる。そう信じて過ごす、内海さんの学生生活を紹介します。

内海 元伸 文学部 芸術学科 4年文学部芸術学科、映像芸術学コースに所属。高校生まではサッカー少年だったが、あるきっかけで芸術に関心を持つように。趣味は読書、瞑想、芸術鑑賞、深夜ラジオ。たまにサッカーのハイライト動画鑑賞。得意なことは腕相撲と、人が多い場所での待ち合わせ。

芸術とは無縁の高校時代

幼稚園の頃からサッカーを始め、芸術とは全く縁のない生活をしていました。進路を決める時期になっても、特に行きたいと思う大学はなく。地元の大学のオープンキャンパスに行ってもピンとくるものはありませんでした。

通っていた地元仙台の高校には1年に1回「芸術鑑賞会」があり、落語、歌、演劇を3年間で1回ずつ鑑賞できます。3年生の時に、確か東京の劇団の舞台を鑑賞したんです。感想は「めっちゃつまらない」。ヨーロッパの昔の話で、共感できる部分もなく、クラスメイトの数人は寝てしまっていました。ただ、劇団の代表の方に全校生徒の代表が花束を渡すのですが、花束を渡す役割の生徒が大泣きしていて。話すことすらできないくらい泣いていました。全校生徒1000人くらいで、見渡しても泣いている生徒はいなかったので衝撃を受けました。その時に「その人にしか刺さらなかった」とは思わず、「その人には刺さったんだ」と不思議と思いました。

そこからDVDを借りて演劇を見るうちに、少しずつ興味を持つようになり、進路選択にも影響を与えていきました。進路について友達同士で話すことが何となくシビアになる時期もありますが、仲の良い友達には「俺、演劇やりたいんだよね」と話したりしていました。

訪れた知らせ

芸術学科があるのは、そのほとんどが私立大学。一般的には他の学部より学費が高いことが懸念ではありました。明学の「白金の丘奨学金」の存在を知り、採用されたら国公立大学の約1.3倍の学費で学びたいことを学べると思い、明学を第一志望にしました。自宅の机で受験勉強に励んでいる時、引き出しのなかから古いシャープペンが出てきました。見たら”明治学院大学”の文字が。第一志望だったので、「これはあるぞ」と、その瞬間から、合格を疑いませんでした。

さかのぼるのですが、2011年3月。当時小学校4年生の頃に東日本大震災を経験しています。通っていた小学校は沿岸部から300mほどのところにあったので、大津波警報が鳴りやまない中、坂を上ったところにある幼稚園まで上靴を履いたまま避難しました。自宅は海から離れていたので津波の被害はなかったのですが、小学校のグラウンドは浸水するなどの被害がありました。父親が避難所まで迎えに来てくれ、自宅には帰ることができたのですが、電気や水道が止まっていて、寒い中毛布にくるまりながら過ごしたことを覚えています。

その翌年の小学校5年生の冬、横浜のサッカーチームと被災地のサッカーチームとの交流イベントがあり、横浜まで行きました。初めての横浜で、試合をし、知らない人のおうちに泊まるという経験は、少し怖かったり、少し楽しかったり。その時に試合をした会場が横浜キャンパスのヘボンフィールドです。試合後、プレゼントされたのが明学のシャープペン。なぜか今でも持っていて、クリップの部分が壊れてもテープで修理して持ち続けています。今でもふと、このシャープペンが自分を明学に連れてきてくれたんだなと感じます。

明学で広がった演劇の世界

自分の場合は、「入学したら演劇をやりたい」という明確な目的がありました。入学してからは演劇研究部に入ったり、明学の先輩が劇団をやっていて、そこに参加したり。とにかくやりたいと思っていたことを、コロナ禍で制限がありながらもやってきたように思います。

受けた授業で特に印象に残っているのは「映像芸術学特講3B」。映像を作る課題が出るのですが、その課題の1つに、「意味のない映像を撮ってきてください」というものがありました。何かを狙って撮っている時点で意味が出てきてしまうのですごく難しいのですが、自分は、教室に入って座って本を読み、教室を出るまでのシーンを撮って細かくカットし、それをぐちゃぐちゃに混ぜた映像を作りました。”意味のない”ということをひたすら考えることはとても勉強になりましたし、同時に誰かにとっては”意味のない”ことが、誰かにとっては”意味がある”ことなんだとも思いました。

授業以外では、同じ芸術学科の芸術メディア論コースの学生数名が立ち上げた、自主映画制作プロジェクトに役者として参加しました。出てみない?と声を掛けられ、オーディションを受けました。就活浪人していて、夢遊病に悩まされている不思議な役どころ。もらった台本のセリフから、この人はどういった人だろう、と考えながら監督や脚本家とイメージをすり合わせていきます。役のなかに入りこむというよりは、普段はその役の人と仲良しで、演じるときだけその仲良しな人になりきる、といったイメ―ジで役作りをしました。ただ、撮影の時は「今〇〇みたいな行動してたよ」とメンバーから言われてしまうことも。学びたかったことを学べたという点も大きいですが、この経験はどちらかというと「青春したな」という感想です。ひとつの作品として、かけがえのない「自分の生きた足跡」を残せたなとも思っています。

作品は自分の人生よりも長生きするものなので、それがなんだかとても素敵なことのように思います。

選んできた気もするし、決まっていた気もする

将来は映像をさらに研究し実践的なことを学びたいので、大学院進学を予定しています。 映像や演劇は生きていくうえで必要でないと思う人もいると思うのですが、たとえば劇場に足を運んでくれた、あのスーツのサラリーマンが、この瞬間だけでも良い時間を過ごしてくれるのであれば、それは意味のあるものだと信じています。

自分自身の性格として、人見知りで、自分以外の人に素直に心を開ききれない部分を自覚していて。だからこそ自分と違う意見や指摘を受け入れることに時間がかかってしまうことがあります。起きたことに対して、「あぁ、もう決まっていたんだな」と良くも悪くも受け身に捉えるところもあります。
ただ、明学に入学して、友人や先生と関わってみて、面白い考えを持っている人は周りにたくさんいるんだな、と気付くことができました。この人はこういう人だ、自分とはきっと合わない、と決めつけてしまう節があった自分の世界を、確実に広げてくれました。入ったサークルのつながりで劇団の公演に出てみたり、同じ学科の自主制作プロジェクトに参加したり、大学院進学の道が開けたり。自分が歩き出す一歩目を確実に軽くしてくれました。

明学での出会いによって、自分の世界が広がりました。それは自分で選んできた気もするし、1本のシャープペンに手繰り寄せられて、もう決まっていたことなのかも、という気もします。どちらであっても、少し不思議で、少しロマンチックな感じもします。これからもそんな”意味のない”ようなものを信じながら、誰かにとっては“意味のある”映像を作ることができるように、好きなことに向き合い続けます。

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