「2012年度長谷川ゼミの軌跡」



(1)振り返りレポート

 <セシル>

 <ミシェル>

 <まいまい>

 <まゆゆ>

 <ラッパー>

 <かわしま>

 <ゆーめん>

 <えみし>

 <黒帝>

 <さちこ>

 <ニャンちゅう>

 <りんご>

 <はちべェ…>

 <ちえみん>


◆ゼミ用語集(別窓)



(2)12年度卒業論文 目次案・概要

 <セシル> 1 / 2 / 最終版

 <ミシェル> 1 / 2 / 最終版

 <まいまい> 1 / 2 / 最終版

 <まゆゆ> 1 / 2 / 最終版

 <ラッパー> 1 / 2 / 最終版

 <かわしま> 1 / 2 / 最終版

 <ゆーめん> 1 / 2 / 最終版

 <えみし> 1 / 2 / 最終版

 <黒帝> 1 / 2 / 最終版

 <さちこ> 1 / 2 / 最終版

 <ニャンちゅう> 1 / 2 / 最終版

 <りんご> 1 / 2 / 最終版

 <はちべェ…> 1 / 2 / 最終版

 <ちえみん> 1 / 2 / 最終版




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<セシル>



第1章 焦りと意気込み

 私が長谷川ゼミに入ろうと思ったきっかけは、自分の興味のあるものを探りたい、そしてそれについて深く考えたいと思ったからであった。大学に入って3年間受講してきた長谷川先生の講義は、主にグループワーク形式で行われてきた。自分の意見に対して、他の人から様々な疑問や意見をもらうことで、自分1人では決して気がつくことができなかった視点で物事を考えることができる。そのような機会は、とても貴重なものであると思った。私には同じ学科に所属している双子の姉がいるため、いつも自分と同じような見方を持つ人と一緒にいた。そのため私にとって、全く話したことない人や、自分とは異質な人と話し合うということは、自分の考えを深めるために重要だと思い、長谷川ゼミを希望したのである。
 しかし、ゼミに入ってみて、そのような場というのは、誰かが提供してくれるのではなく、自ら進んで作っていくものだということを実感した。長谷川ゼミは、「卒業論文を書く」という目標を持ち、そのために自らが進んで行動していくことが大切である。春休みである3月から、ゼミの活動は始まった。ゼミ全体での活動というものはなかったが、メーリス上で春休みの課題や連絡事項などのやりとりはしていた。その時に、自分からちゃんと参加していこうと焦ったことや、ゼミのために色々提案していかなくてはいけないと感じたことを覚えている。
 私は3年生の時に、長谷川先生とは別の授業でグループワークを経験した。その時に私は、先生に指摘されてから活動し始める、先生に言われたことをやるということが当たり前のようになっていて、自分で考えて行動するということができていなかったと後悔することがあった。長谷川ゼミに入って、その時のことを思い出した。そして、自分のやりたいことに対して、誰かがアクションを起こしてくれるのを待つだけの甘えた姿勢を変えていかなくてはいけないと思ったのである。自分はこのゼミで何をすることができるのか、卒論を書いていくために積極的に参加し、できるだけ多くのことをこの一年間で学んでいこうと思った。
 ゼミ内での役職決めや、ウェブサイトの作成、ブログなど、4月から様々なゼミ活動が始まり、それらの活動は講義の時間内で終わるはずもなく、毎回遅くまで話し合っていた。なぜブログを書くのか、なぜウェブサイトを作るのかなど、自分たちの活動がどこにつながっていくのかを話し合いながら進めていった。「自分が今何のためにこのことをするのか」というゼミ活動の意味を考えることは、その活動をただこなすのではなく自分の力として身につけるために重要な習慣である。
 はじめ私は、ゼミ生たちの積極的な話し合いについていくことに必死になっていた。【!】・【?】と2つのチームに分かれ、話し合う人数が減ったことで、やっと自分の意見を言えるという状態であり、積極的にやっていきたいという思いは中々行動に移せず焦っていた。私は【!】チームに所属することとなったのだが、チーム内のゼミ生がためらうことなく意見を出していく姿や、提案をしている姿を見て、色々なことを考えることができていない自分に落ち込んだことを覚えている。何か少しでも意見を言うのに、私は毎回非常に緊張していた。しかしながらゼミ生たちは、口数の少ない私が意見を言う時は、しっかりと聞いてくれて受け止めてくれていた。申し訳ない気持ちもあったが、そのゼミ生たちの態度に私は緊張がほぐれていき、もっと様々なところまで気をまわさなければいけない、意見を言わなければという気持ちが強くなっていった。
 4月の第1回発表は、自分の関心のあるものについて発表する場であった。この発表を迎える前に、何回かゼミ生同士で話を聞き合う機会を設けていた。初めての発表であり、ゼミ生それぞれが何にどのように興味を抱いているのかということを詳しく聞くチャンスであった。しかし、「ボーカロイド」や「乙女ゲーム」などといった、私にとっては馴染みのないものの話を聞く際に、どのように聞いていいのか分からず知識的な疑問ばかりが浮かんできてしまい、相手がどうしてそう思うのかなどという突っ込みを入れることが中々できずにいた。
 自分の発表では、「他人の恋愛を楽しむこと」や「疑似体験」、「イメージチェンジ」への関心を話した。しかし、自分の経験や体験などを話そうとすることがあまりできなかった。どの関心事に対しても、自分が実際経験した話ではなく、観念的な話が多くなっていたのである。映像や写真など、インターネットやテレビなどでスクリーンを通して見たり聞いたりしたものを、そのまま自分の体験として語ろうとしている自分自身に気付くことができた発表となった。自分自身がどのように物事を考えているのか、その傾向や、環境をまず把握しなければならないということを実感した。
 この3月から4月にかけて、常にこのままではだめだという気持ちがあり、ゼミの中でもっと積極的に参加していかなければとひたすら焦っていた時期であったと思う。グループでの活動や発表を通して、自分自身の課題が次々と目の前に立ちはだかり、それらの現状を受け止めるのは苦しいものであった。その時にゼミ生に話を聞いてもらい、ゼミ生の話を聞くということが自分の視野が広がる大切な時間であったし、励みにもなった。そして4月は、どのように物事を考えるのかということを、私は今まで以上に考え始めるようになった時期となったのである。

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第2章 卒論を書くために

 5月には【!】チーム、【?】チーム、そしてゼミ長のウェブサイトが完成した。関心地図の作成もあり、チームでの活動が多かった。水曜日のゼミの時間が終わると、チームで別々に集まり、どのようなウェブサイトを作るか、関心地図のモチーフはどうするかなどと放課後遅くまで話し合っていた。私は【!】チームに属している。【!】チームは、全員積極的に意見を言っていくので、話し合いはとても充実していた。楽しい企画を考えようと、毎回毎回話し合いを重ねていく【!】の様子は、アイディアが決定し、作業段階へと移るのが早い【?】と対象的で面白かった。【?】に負けないようなウェブや関心地図を作ろうという気持ちもあり、グループで集まって話し合うのは大変というよりは楽しいものであった。
 関心地図を作る際に、私たちは春休みにゼミ生が書いたコラムを読み返すということを行った。このコラムは、ゼミ生が1人15個それぞれの関心のあるものについて書いたものである。それらのコラムのタイトルを付箋に書いて、大きな模造紙の上に位置関係を考えながら貼っていったのだが、これが一番大変な作業だったと思う。コラムの内容を読んでいくと、それとは全く違うテーマのコラムとの共通点が見られるなど、面白い発見があった。コラムのタイトルだけでは判別できないため、途中挫折しそうになりながらもチームのみんなでコラムを読んでいった。その時は、ただ単に関心地図を作るために、自分の関心がどこに位置するものなのかを考えていた。しかしその課題は、後々に自分の卒論のテーマを考える時などにも活かせるものであった。その局面では何につながっていくのかは分からないものでも、ゼミで行ったことはどれも無駄ではなく卒論を書くために必要なことばかりであったと思う。
 6月は、『アトラクションの日常』講読の発表や第2回発表などがあり、やはり息をつく暇もなく駆け巡った月であった。『アトラクションの日常』は、3年生の時に長谷川先生の講義で読んだ本であった。しかし、3年生の時に受けたテクスト講読とは違うレベルのものが要求されていることを痛感した。いかに自分が本を読む時に、あらすじばかりを追って読んでいるのかということに気がついた。ストーリーラインを追うだけでなく、構造としてどのように文章が組まれているのかという点や、文章中で使われている「言葉」がどのような意味で使われているのかなど、一文一文をここまで丁寧に読み込もうとしたのは初めてであった。それでも、粗い読み方になっていることに気がつき、自分の読解力のレベルを実感した。
 文章を構造として考えることは、今までの私の読み方とは異なる読み方をしなければならないということであり、とても難しく感じた。自分の担当した章に使われている文献も、手に入るものは全て調べたのだが、調べたことを全て発表に盛り込もうとしたために、余計な話も多くなってしまった。そのため、その章で書かれているポイントを捉えて発表することができなかった。また、自分でもどこがポイントなのかというところと、そのためにどのように文章が組み立てられているのかというところを最後まで読み切ることができなかった。
 この講読は、卒業論文を書く上で、今度は自分がどのように文章を組み立てていくのかということを考えることにつながっている。あることを語るために、どのような章が必要となっていくかなど、文章同士の関係性を考えることは、テクストを読むという行為につながっているのである。やはり私は、卒論の構成を考える時にも、章同士の関係を考えることが足りていなかった。しかし、講読で文章の構造に注意して読んだことで、私自身も文章を書く時にどのような順番で何を書いていくかということを考えて書こうとするようになった。
 6月には第2回発表があった。この時私は、第1回発表よりも自分の経験に即して、何に興味があるのかということを考えることができた。しかし、ウェブや講読発表などの忙しさを理由に、事前にゼミ生に話を聞いてもらう機会をあまり設けることができず、もったいないことをしたと思う。1人で考える時間が多かったがために、人に話して自分の考えを整理することや、違う視点から考えるということが中々できなかった。また、自分の興味のあるテーマに関する文献などを読むこともしていなかったため、その後は色々な本を読みながら考えることが課題となった。次の第3回発表では、卒論のテーマを決めることが目標となっている。そのためには、ただ文献を読んでその内容を鵜呑みにするのではなく、文献に自分の考えを引きつけながら、テーマについて考えていく必要がある。そして、その自分の考えを、他のゼミ生に話を聞いてもらうことがとても重要なのである。
 この時期は、長谷川ゼミのウェブが完成したという達成感に完全に気を緩めてしまっていた。卒論についてどれほど悩んだかというと、自分の持てる力を出し切ってはいなかった。そのため、この第2回発表は再び自分の気を引き締める機会となった。7月にはフィールドワークや集中講義の準備も本格化していく。次々と課題をやり遂げていく中で新しい課題は常に出てくるため、休む暇というものはあまりない。今思うと、むしろその勢いのおかげでこの1年間やってくることができたのではないかとも思う。この1年という短い時間の中で、どれほど自分の精一杯頑張れるかが重要である。第2回発表を終えて私は、卒論を書くという最終目標を見失わずに、ゼミでの活動を遂行し、自分の力を伸ばしていこうと再び決意を固めた。

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第3章 苦しい夏

 フィールドワーク、集中講義、夏合宿と、この7月・8月は短い間に色々な活動がつまっていた。
 私は3年生の時に受講した集中講義に、今度は、記録班という立場で参加することとなった。私は、記録班に自ら希望して入った。前年度、自分が集中講義受講者だった時に、同じようにゼミ生の先輩たちが準備し、私たちの話し合いを影ながらサポートしてくれた。そして、集中講義の様子をスライドショーにして流し、ホームページにまとめてくれたのだが、それを見た時にすごく感動したのを覚えていた。そして、ゼミ生になった今、私も後輩の姿を形に残るものにおさめたいと思い、記録班を希望した。
 8月に行われる集中講義に向けて、記録班と現場班の準備は7月から始まった。記録班は、当日受講生の様子を写真やムービーにおさめ、話し合いの様子を記録し、最終的に集中講義のホームページを作ることを目的としていた。そのため、機材や当日の進行表など様々な準備が必要だった。記録班のメンバーは全員で5人いるのだが、7月上旬は予定が合わないなどの理由で、常に2,3人で話し合いを進めていた。今までの集中講義のホームページや、前年度の進行表などを参考にしながら、どのようなショットを撮るか、機材の設置方法、ビデオカメラのローテーションなどを組む作業は少人数で行ったので思った以上に大変だった記憶がある。
 集中講義本番では、ムービーを撮る役割と写真を撮る役割、そして、どのような話し合いや発表をしているのかをメモする役割が必要であり、集中講義に向けその練習を行った。7月に行った上野公園での貼り紙の悉皆調査のフィールドワークでは、その練習をかねて、ゼミ生の様子を記録していた。フィールドワークをするゼミ生を見るという立場にいたために、どのような貼り紙があったとか、どこに何があったなどの調査には参加できなかったが、それぞれのエリアで奮闘するゼミ生を記録することができた。調査しているゼミ生は黙々と作業していたために、ムービーに撮った時に物足りなさを感じ、少し大きいリアクションをわざととってもらったりして撮影を行ったりもした。フィールドワークという活動を記録したわけで、記録班は他のゼミ生と違う動きをしていたのだが、私たちゼミ生がどのような過程を経てこの悉皆調査を行ったのかを記録できて良かったと思う。
 フィールドワークが終わってから、再び集中講義に向けてリハーサルや準備もあったが、本番の前には夏合宿という卒論に向けてテーマを決める大切な発表があった。この夏合宿とその後の数日間が、私にとってこの1年間で一番辛かったのではないかと思う。これまでの発表をもとに、私は主に「恋愛」について話したのだが、やはり何が疑問なのか、何を分かりたいのかという点が曖昧なままであり、テーマを確定することができなかった。そして、先生に合宿中に自分とは異質な人と話すこと、自分のテーマを簡単に決めつけないようにしながら探ることなどをアドバイスしてもらった。私は<ミシェル>と双子で、今までの人生で常に会話をしやすい、お互いの心理が分かりやすい相手がそばにいたために、あまり話したことのないような異質な人と話してみることは新鮮であった。自分が思ってもみないような意見をもらったり、自分の意見を中々理解してもらえずに悩んだりしながら、自分の考え方の偏りや思い込みを実感することができた。
 結局、私は何が分かりたいのかが分からないまま合宿が終わった。頭がパンクしそうになり、テーマが決まって行くゼミ生を見て非常に焦ったことを覚えている。考えれば考えるほど、今まで以上に「恋愛」という言説に振り回されてしまい、自分の思考が固まって行くのを感じた。そして、合宿中とその後の数日間は、気が緩むと泣いてしまいそうになるほどに訳が分からないという状態にあった。その時にゼミ生の存在があったことが大きな支えだったと思う。
 合宿は3日間であったが、帰ってきた翌日も学校の食堂に何人か集まり、「合宿4日目」といって、まだテーマが決まっていないゼミ生たちと話し合いを続けた。自分がぐるぐると悩んでいることを、人に聞いてもらえたことで気持ちも落ち着き、自分の思考を再び動かそうとすることができた。テーマが決まっていないということは、自分にとって非常に焦ることであったが、他のゼミ生が自分のことのように私の考えや疑問を熱心に聞き、意見をしてくれたために、なんとか落ち着いて考えることができたと思う。そして、自分の「分かりたいこと」は初めからわからなくても、書いていくうちに見えてくることがあるというアドバイスを先生からもらい、「恋愛」やそう呼ばれる人間関係をキーワードにしてテーマは考えていくことになった。  自分のテーマをこの時に、焦って決めてしまっていたら、最後まで「自分の分かりたいことって何だっけ」という曖昧な気持ちのまま進んでいたのではないかと思う。自分の本当に分かりたいことをハッキリさせるために、その後も時間をかけたのだが、それほどまでにテーマを決めるというのは非常に重要なことであったと思う。
 合宿後は、再び集中講義に向けて記録班の活動を行った。集中講義は土日をはさんで3日間行われたが、土日も受講生たちは話し合いのために学校に来ていた。朝から晩まで講義は続くため、自分の体力が持つのだろうかと心配していたが、当日は思った以上に動くことができた。それは、受講生がひとつのテーマについてグループで話し合う様子を記録することが、学ぶことの多い時間であったからだと思う。卒論のテーマが決まらず考えがつまっていた私は、彼らの話し合いを見ることで、考える姿勢や視点など、今自分に必要なものに気付くことができた。
 前年に私が参加したときは、4人のグループで全くしゃべったことのない人たちに囲まれていた。そして抽象的な話し合いになったり、意見がでない時間があったりと苦戦したことを覚えている。その時の私と同じ立場にある受講生たち全員を、記録班として見ることができた。初めのうちは、受講生の話し合いに自分も参加したいという気持ちが生まれた。「こういう視点から話し合ったら面白いのではないか」、「もっと自分たちの経験に即しながら話し合うことが重要なのではないか」と、3年生の時の私には言えなかった意見を持てるようになり、自分自身の変化も実感することができた。またそれだけではなく、受講生が抽象的な話し合いばかりしていたところから脱し、徐々に自分の経験を話していくようになる、その移り変わりを記録していくことはとても楽しかった。卒論のテーマが決まらず、自分だけの問題のようになってしまっている状態だった私は、受講生の話し合いが徐々に、自分たちだけの経験だけでなくもっと広い社会的な問題へと変わっていく様子を目の当たりにして、この集中講義にゼミ生として参加する意味が非常に大きいと感じた。そのため、当日はなるべく休むよりも記録をとっていたいと思っていた。
 3年生のために集中講義のホームページを作りたいと最初は思って記録班に入ったのだが、自分にとって実りのある時間であった。その後、集中講義のホームページ作成のために、ムービーを編集したり、文章を書いたりしながら私たち記録班だけはまだまだ集中講義が続いていたのだが、そこで改めて、受講生たちの話し合いと発表の変化を見て、私も自分の卒論のテーマを考えなければならないという気持ちへと向かって行った。
 夏合宿とその後の自分は、もう逃げ出したいほど混乱しているような状態にあり、思い出したくないくらいである。しかし、ゼミ生との話し合いや集中講義によって、なんとか折れることなく卒論について考えることができたのだと思う。集中講義後、卒論のテーマが確定しなかった私は、恋愛をキーワードに、具体的な題材や事物から考えていくことになった。そこで私は自身の恋愛のイメージを形成するのに影響を受けた少女漫画雑誌『りぼん』を扱うことを決めた。『りぼん』には、恋愛をテーマに扱った漫画がたくさん掲載されているために、恋愛に関する具体的な事象が見やすいものである。またこの漫画雑誌は、小中学生を対象としているために、私のように映画や小説などに触れるよりも幼い頃から恋愛に関するイメージを形成するのに影響を与えるものである。それらの理由から『りぼん』を扱うことを決めた。
 そして9月中に図書館に通い、『りぼん』を自分が幼い頃に読んでいた1995年のものから読み、具体的にどのような所に注目して読んでいくかを考えた。そして、恋愛のイベントとして、また人間関係の変化が見られる場面として描かれる「告白」を中心に見ていこうと考えた。「告白」は、相手を一人選ぶというロマンティック・ラブ・イデオロギーの特徴が見られる行為である。わざわざ「好き」という気持ちを確認し合うということにも疑問を持ったので、この「告白」という行為に注目しようと思った。こうして、夏休み中は卒論のテーマが決まらないという焦りから少し抜け出し、『りぼん』を読みながら自分のテーマについて考えていた。

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第4章 『りぼん』を読む

 10月の発表は、夏休み中に卒論執筆のためにやってきたことを各自報告するということが目的となっていた。私は、夏休み中にどのように『りぼん』を読んでいたかを報告した。しかし、「恋人と感じられる場面」や、「それっぽい描写」といったように注目する場面を曖昧にしたまま読み進めていたために、ふわふわとした発表となった。「告白」の場面を見ると考えたものの、その理由もまだはっきりしていなかったし、読んでみて「恋人っぽい」と思う場面に飛びついてしまった。根拠のないまま自分の親しい年代の『りぼん』を選び、完全に読者目線で読んでしまい、批判的に読むことができなかったことを指摘された。漫画史の中で、恋愛をテーマに扱う少女漫画は大体70年代頃から登場する。そのために、『りぼん』を1955年の創刊号から読み始め、漫画が恋愛に特化していく変遷を見ていく必要があるというアドバイスをもらった。
 また、テーマがまだはっきり決まらないと悩みながらも、序論を書くことを後回しにするなど、卒論に対して本気になって考えるということをおろそかにしていたことに気づき、反省した。
 そして、これらの発表をもとに、長谷川先生が卒論のタイトルを提案してくれた。「告白の誕生ー『りぼん』に見るロマンティック・ラブ・イデオロギーの再生産」である。この時、『りぼん』の中で告白のシークエンスだけでなく、読者投稿欄も同時に注目していくことに決まった。それは、テクストと読み手の関係が、どちらかが一方的に影響を与えるようなものではなく、相互に作用しているものだからである。読者投稿欄に注目することで、『りぼん』に描かれるロマンティック・ラブ・イデオロギーがどのように再生産されていくのかを見るのである。
 自分のやるべきことははっきりと決まったのだが、振り返ってみると、自分1人ではまだどういう所に注目して『りぼん』を読むのか、どのように卒論を進めていくのかを考えることができず、力不足を感じる発表であった。しかし、やることが明確になり、夏休み中に資料を十分に読めなかった遅れを取り戻そうと再び気合いが入った。
 11月までに序論を書くことになったのだが、実際に書いてみると自分の考えが整理できる部分と、できない部分があることが分かった。しかし、書いていくうちに自分がどういうことを考えて、何を知りたいのかということを、段々と明らかにしていくことができた。結局この時に書いた序論は、11月12月と卒論を書き進めるにつれて、変更する部分も出てくるのだが、自分のテーマが決まっていないと焦っていた私にとって「書くこと」はその不安を解消してくれるものであり、卒論は書かないと始まらないのである。
 11月中はほとんど毎日『りぼん』を読むために図書館に通っていた。「自分が想像する以上に読んでみて分かることはたくさんある」と先生から言われのだが、まったくその通りであった。私はなんとなく、『りぼん』からどういうことが読み取れそうかを考えていたのだが、それ以上に『りぼん』はそれ自体の変遷が大きかった。今の恋愛漫画中心のものへと本当に変わって行くのかと疑問に思うくらい、創刊当初は家族を中心にあつかったものや友情を扱った読み物が多かったのである。
 この時に、わたしは55年から2012年までの『りぼん』を読むことを目標にしていたのだが、思った以上に読むのに時間がかかり、最終的には85年までしか読むことができなかった。また、告白のシークエンスと読者投稿欄の変遷をメモしたものが、図書館に通うたびに増えて行くのだが、それを本文へと書き直す作業を後回しにしてしまっていた。そのために、11月に行った最後の発表の時には、手元に膨大な量のメモが残ったままで、本文は8000字ほどしか書けていない状態であった。発表をした時に初めて、自分は完全に『りぼん』を読んだだけで満足してしまっていたのだと気がついた。見通しが自分で立てられていないということや、卒論を書くという意識の足りなさを反省することとなった。まだまだ私には緊張感と気合いが足りず、どこかで「『りぼん』を読み続けていれば卒論が書けるだろう」とのんきに思っていたのだと思う。自分が書かなければいけないにも関わらず、そこから逃げ出し、他の作業をしてごまかしながら進んでいる気になっている状態であった。この発表のあと私は、まだ全然書けていない焦りと、自分がやるしかないのだという気持ちを抱きながら、黙々と『りぼん』を読んでメモしたものをまとめだした。

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第5章 卒論の終わりと始まり

 12月には図書館が冬休みに入るギリギリまで通い、『りぼん』を読みながら本文を書いた。12月24日には一回本文を書き終えて、ゼミ内で提出することになっていた。私は、本文をなんとか完成させようとしていたのだが、実際は半分以上メモのような状態のままでのゼミ内提出となったのである。ゼミ内提出後も、告白のシークエンスについて書き方に不安があり、初めて読む人が理解できるのだろうかと思い、添削しながら何度も書き直すこととなった。85年まで『りぼん』を読んだのだが、読んだ内容を100%本文に書き出すことができたわけではなかった。告白のシークエンスにとりこぼしもあり、説明も不十分なところが多々ある。読者投稿欄の論述にもひどく苦労した。どのようなことが読者の間で語られているのか、その傾向をまとめることは難しく、多くの投稿を読んできた割に反映できたのは本当に少なかったと思う。また、告白と読者投稿欄との関係をあまり濃密に書くことができなかった。しかし、とりあえず今できる限りの力で書き進めることにした。やはり後悔もあり、もっとできたのではないか、これではだめだという気持ちと、とにかく今できることをしようという気持ちを交互に感じながら書き進めていたのを覚えている。
 ゼミ内提出が過ぎ、本提出である1月8日まではゼミ生たち全員が、何日までに参考文献や注釈をつける、添削をするなど足並みをそろえる形になっていた。そのため、それを目標に徐々に終わりが見えてきた。私はそれまで、先が恐くてスケジュールを立てずにとにかく書くという作業を行っていた。しかし、このように計画的に何をするという目標を立てることは、自分が何を優先してやるべきかということが分かるし、どこまでできるのかということも分かるので、変に先が見えなくて焦ることはなくなると感じた。
 結局提出日前日のギリギリまで考察と添削を行っていたために、印刷も遅くなってしまった。印刷した卒論をファイルに綴じると非常に分厚く、11月の発表で約8000字しかなかった本文が約15万字へと増えていたことに驚いた。添削したい、書き直したいという気持ちは提出直前まであった。しかし、実際に卒論が自分の手から離れて行ったことで、卒論を書き終えたのだという気持ちがやっとわき上がって来た。
 提出後は、1月25日にある口頭試問に向けて、再び卒論を読みながら発表原稿を考えるという作業を開始した。提出した時には「卒論を書いた」という気持ちがあったのだが、口頭試問に向けて原稿を考えた時に、まだ終わりではなく、口頭試問でやっと卒論は終了するのだと感じた。
 そして口頭試問では、長谷川先生から「よく書いた」と言ってもらえたことに涙が出そうなほど安堵したのを覚えている。そして、「なぜ『りぼん』が恋愛に特化していくのか」という質問をされたのだが、それに対して答えることができなかった。それは自分自身も卒論を書きながら薄々感じていた疑問であるが、実際にそこまで考えることができず放置していた点であった。私はロマンティック・ラブ・イデオロギーの歴史的なことは明らかにしているが、どう理解するかという点が弱いという指摘を受けた。考察も特に理論的な研究にそって考えることができたものではない。そのために、事実を理解するための理論的なフレームが重要であることを指摘してもらった。『りぼん』の中では、70年代頃から恋愛を扱う漫画が徐々に増えて行き、ラブコメディが主流となって以降はほとんどが恋愛に関するエピソードで占められるようになる。そのことについて、なぜ恋愛に特化していくのか、どのような力が働いて、そのような雑誌へと変化していくのかというところが考えられていなかった。そして、「恋愛の政治学」として考えること、私が自明のこととして考えていた「恋愛」をそう捉えてしまわず、どのような中で恋愛を語ることが成立するのかということを考えることなど、重要なアドバイスをもらうことができた。
 私は、この卒論を大学4年間の集大成、22年間の人生の集大成として書いてきたわけであり、自分にとって非常に切実なテーマとなったものであった。先生からの講評を聞いた時に、書き終わったと思った卒論をまだこのままでは終わらせず、これを出発点として今後も考えていきたいと強く思った。私は大学を卒業したら、ゼミという場から離れてしまう。このように話し合う相手がいて、卒論を書くという同じ目的を持って行動する人がいる、指導してくれる先生がいるという環境はもうなくなってしまう。そのため、今後も自らのテーマを同じように考えて行くということは難しいかもしれない。しかし、この1年間で、自分に甘えていてはダメだということを何度も痛感したので、卒論が終わってもまた気引き締めていきたいと思った。自分が卒業してからもなるべく多くのことを勉強して考えていく姿勢を続けていきたいと思う。この振り返りを書くことも、自分が卒論を書き終えてみて、4月からやってきたことがどのようにつながっていたのかを考える良い機会となった。今度は自主的にもっと積極的に考えるという状況に身を置いて行こうと思う。

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