「2012年度長谷川ゼミの軌跡」



(1)振り返りレポート

 <セシル>

 <ミシェル>

 <まいまい>

 <まゆゆ>

 <ラッパー>

 <かわしま>

 <ゆーめん>

 <えみし>

 <黒帝>

 <さちこ>

 <ニャンちゅう>

 <りんご>

 <はちべェ…>

 <ちえみん>


◆ゼミ用語集(別窓)



(2)12年度卒業論文 目次案・概要

 <セシル> 1 / 2 / 最終版

 <ミシェル> 1 / 2 / 最終版

 <まいまい> 1 / 2 / 最終版

 <まゆゆ> 1 / 2 / 最終版

 <ラッパー> 1 / 2 / 最終版

 <かわしま> 1 / 2 / 最終版

 <ゆーめん> 1 / 2 / 最終版

 <えみし> 1 / 2 / 最終版

 <黒帝> 1 / 2 / 最終版

 <さちこ> 1 / 2 / 最終版

 <ニャンちゅう> 1 / 2 / 最終版

 <りんご> 1 / 2 / 最終版

 <はちべェ…> 1 / 2 / 最終版

 <ちえみん> 1 / 2 / 最終版




◆ ウィンドウを閉じてお戻り下さい。





<さちこ>



第1章

 私がゼミを志望した理由は、大学生活で学んできたものを卒論という形にしたいと考えていたからである。それまでの3年間、メディアの授業を受けて、私は自分の視点だけではなく、他の人の意見を聞いて、考えることの面白さを感じていた。特にそれを感じたのは3年次の集中講義だ。他の人の具体的な経験を聞いたり、語ったりすることで自身の考えを深めていくことができると実感した。そこから、もっと人と意見を交わし多くのことを勉強していきたいとも思っていた。
 これまで、積極的に人と意見を交わすということをして来なかったが、ゼミでは改善したいと思っており、とにかく頑張りたいという気持ちを明確に持っているだけであった。しかし、ゼミに入ると決めた時点の私は、卒論を書くということ、またゼミの活動をすることが実際にどのようなことかあまり理解していなかったように思う。
 頑張りたいという気持ちがあっても、最初から実際に自分が積極的に行動できていたわけではなかった。どうしても他人の様子を伺ってしまうことが多くあったからである。ゼミ内でメーリスが開通した当初も、自分から発信することができなかった。また、春休み中の課題として、本を読むということ、関心コラムの作成などがあったのだが、私はギリギリまで課題に取り組むことを先延ばしにしていた。自分がその課題に真摯に取り組めばそれだけ自分の力になるにもかかわらず、課題の意味を考えず、ただこなすことばかりを考えていたのだ。そのため、満足に課題に取り組むことができなかったと反省している。
 しかし、関心コラムという課題に取り組み、自身の興味があるものが何か、自分の中で整理することができたと考える。コラムを書き出すときは自分の関心がどこにあるのかということを考えることに苦労したが、自分の関心の偏りに気づくきっかけとなったのである。
 まだまだ考えは甘く、4月にゼミの活動が始まってからもしばらくの間、同じ姿勢であった。ゼミのホームページに関する話し合いでも、集まりには必ず参加していたが、私は誰かの意見に賛成する形ばかりで、自分から何か提案するということができていなかった。
 このような自分のゼミへの取り組み方を見なおすべきだと気づいたのは第一回発表の前後だった。私は漠然と「ゲーム」に関する事柄で卒論を書きたいと考えていた。しかし私は自分が卒論を書きたいという思いよりも、発表はこれでいいのだろうかと思ってしまうことが多かった。そのためゼミ生に発表のことを相談するときも自分の考えを話すのではなく、「これでいいのだろうか」と確認するような状態で、今思うととても恥ずかしい態度をとっていたのである。
 ゼミ生の興味関心についての発表や、それに対する意見を聞いているととても精力的と感じることばかりであった。ゼミ生は常に全力で人と意見を交わしていたのである。この時の私は人の発表を聞いても、なるほどと納得してしまうことが多く、深く考えるということができていなかった。そのため、人の発表に対して意見を言うことができなかったのである。
 今考えれば、この時「とりあえず」や「なんとなく」という気持ちでゼミの活動に取り組んでいても、卒論はなんとかなるだろうという気持ちがあったのだと思う。このように意見を言えないということについて何も思わなかったわけではない。私は、これまでの生活でいったい何を見てきて、何を考えてきたのだろうかと少しずつだが思うようになっていたのだ。

page top




第2章

 5月に入り、ゼミのホームページを2つに分けるということが決まり、班での活動が本格化していった。私が所属していたのは「?」班であった。「?」班のHPのアイデアは、主にリーダーである<ゆーめん>のゲームの画面のようにしようという案から内容をふくらませていくことにした。ゲーム画面のようなHPにあうように自分たちでアイコンを描くなど、どのようなコンテンツを載せるかという試行錯誤は楽しかった。さらに班活動の1つとして、春休みにそれぞれ書いた関心コラムを元に、ゼミ生全員の関心地図を作ることになった。「?」班は、ゼミ生みんなの関心コラムを「関心絵本」という形で表すことになった。私たちが考えた「関心絵本」とはゼミ生をキャラクターで表し、物語のように関心を描いていくというものであった。まさか私たちの関心コラムがこのような形で表現できるとは思わず、私自身も面白いと感じた。ここで、改めてみんなのものの見方や、考え方を話し合いの場で出し合うことの大切さを感じた。自分の考え方だけでは限界があるが、それぞれの意見を聞くことで全く違うものが出来上がるということを知ったのである。
 「!」と「?」の関心地図が出来上がると、それぞれどう作っていったかという事を話すために座談会が開かれた。私は座談会の内容をwebに挙げる編集係だった。
 この座談会で、初めて「!」班がどのような経緯で関心地図を作成したのかということを聞くことができた。お互いの班が何を考えていたのか、どのように取り組んでいたのか知ることで、この活動がどのようなものだったか、さらに深く考えることができたと思う。
 さらにホームページ作成だけではなく、『アトラクションの日常』の講読も始まった。私は第二章「乗り込む」を<ミシェル>と担当することになった。第二章は3年のテクスト講読でも読んだ部分だったが、一度読んでいるからこそ、さらに高いレベルで読み込む必要があると考えた。そのため、<ミシェル>と一緒に参考文献を集め、どのように文章を解釈するか、何度も繰り返し確認して講読に臨んだ。なぜここでこの文献が参照されているのか、本文中ではどのような言葉がキーワードとなっているのか考えた。また、この章が『アトラクションの日常』の中でどのような位置にあるものかも考えていた。私がこのように講読に取り組めたのは、<ミシェル>の講読への取り組み方を見習ったからである。<ミシェル>は早い段階から参考文献を揃え、読み込んでいた。そこから私自身もこのままではいけないという思いが強くなった。
 そのように『アトラクションの日常』を読んでいくと、3年の頃はよくわからず読んでいた部分も、どのようなことが書かれているのか少し理解できるようになったと思う。そして、今までどれだけ本を読み込めていなかったのかということも理解した。読解力を養うということは簡単なことではないのだ。読解力を養うことで、本の知識を吸収することができ、それを自分の言葉で表現できるようになるのだと深く学んだ講読だった。
 6月には第二回発表が行われた。第一回発表にて「ゲーム」に囚われすぎているという指摘を受けていたため、私はもっと自分の関心について深く考えなければいけないと思っていた。しかし、ここでも私は自分の卒論と向き合うというよりも、発表をただ乗り越えようとしていたのである。この時期はゼミ全体の関心地図の作成、『アトラクションの日常』の講読、その他の課題も重なり、忙しさ理由にして卒論について考えることから逃げていたのだ。そのためこの発表は散々なものになっていた。自分の切実なものについて考えるどころか、第一回発表から全くといっていいほど進歩がない状態で発表を行なってしまったのである。そのように進歩がないという状態であることにすら、発表するまで気づいておらず、思いついたことを並べては考えたつもりになっていた。発表を終えて、指摘されることで初めて、もっと考えることができたのではないかという事を自覚した。
 「?」班のHPでの振り返りでも書いているが、この時、私は発表までに誰かと相談するということを疎かにしていた。ゼミでの活動を通して、何度も誰かと意見を交わすことが大切だと感じながらも、卒論に対する意識がとても低かったのだ。ここで考えを深めていれば、もっと本を読んで知識を蓄えていれば、第二回発表をもっと実のあるものにできたのではないかと後悔もした。また、自分自身と向き合うということよりも、誰かが良いアドバイスをくれると思っていたと取れる行動ばかりで、自身の考えなしが露呈する発表だった。今思い返すと恥ずべきことだったと深く思わざるをえない。
 しかし、ここで自分の取り組み方を見直すことがなければ、深く考えるということがどのようなことなのか理解できなかったとも思える。第一回発表後も考えたことだが、ここで今一度、自身のゼミ活動への取り組み方、また卒論に対する姿勢を見直すことになった。

page top




第3章

 7月から9月の中で、私にとって最も印象深いことは夏ゼミの活動と、夏合宿であった。
 長谷川ゼミは、これまでは全員が8月の集中講義のサポートを担当していたが、今年度はゼミ生の人数が多かったため、集中講義をサポートする班とはまた別に、夏ゼミと呼ばれるチームが作られたのである。集中講義班と夏ゼミ班の活動は共に7月初旬から始めることになった。
 夏ゼミの活動は特に何をするか決められていなかった夏ゼミ班の中で話し合いを重ねて活動計画を立てていった。そして、主にこれまでの長谷川先生の授業で作成した「自己紹介ツール」や、「本ではない本」という作品をアーカイブにするということを筆頭に、この機会に、これまで自分たちが行なってきたことをしっかりと振り返りたいと考え、アーカイブ化以外にも様々な企画を考えていった。自分たちがどのようなことを考えてきたか、これまでやってきたことにどのような意味があったのか、しっかり考える良い機会であった。
 これまでの学生が取り組んできた6年分の作品をアーカイブ化するのは数が多く大変だったが、他の学生がどのようにメディアの授業を受けてきたのかということがわかりとても面白く取り組むことができた。私自身、自分の自己紹介ツール作成や、本ではない本に取り組んでいた時に、自分の視野の狭さ、囚われた考え方というものに気付かされていたのだが、他の学生の考え方を知るということも立派な振り返りであると感じた。
 また、私たちの学年以外の視点から授業を振り返るということを目的に、長谷川ゼミの先輩がたにインタビューをした。このインタビューは、振り返るということ以外にも、自分たちの考え方が凝り固まっていたということに気づくきっかけにもなった。なぜかというと、事前に用意していた質問内容が、先輩はこう答えてくれるだろうと、どこか期待したものになっていたのである。夏ゼミ班の中では、メディアの授業を受けて同じ経験をして、こういうことを感じたということを共有できていたが、それを先輩にも押し付ける形になってしまっていた。そのようなことに気づくことができ、また先輩方がどのように授業に取り組んでゼミ活動や卒論執筆をしてきたのか知ることができ、先輩へのインタビューは自分の卒論への取り組み方を考えるきっかけになった。
 また、アーカイブは作品を作った授業を振り返る機会となったが、それとは別に私たちが大学1年の時から今まで受けてきた全ての授業をしっかり振り返るということで3年半を振り返るリフレクションムービーの作成も行った。どのようなムービーにしたら上手く振り返ることができるか、また誰が見ても伝わるものになるのか考えて作っていった。自分たちは、これまでの授業でやってきたことをわかっているが、実際に授業を受けたことのない人やムービーを初めて見る人には伝わるように試行錯誤の繰り返しであった。
 そして、リフレクションムービーを作成することで、1年からの授業を通して、自分の考え方がどのように変化したのか知った。授業を1つ1つ別のものだと考えていたが、1年から現在までやってきたことというものはすべて繋がっていると考えることができた。1つ1つ積み重ねてきたものがあり、深く物事を考えることができるようになるのだと改めて気づくことができた。
 夏ゼミでは集中講義班が頑張っている間、自分たちも成長できる活動がしたいと様々な企画を考えた。5月などは自分から進んで何かに取り組むということがあまりできていなかったと感じていたが、この夏ゼミの活動は何をするべきか決まっていなかったからこそ、みんなでこういうことをやりたいと考えることができたと思う。また、自分一人でそれまでの授業について振り返るだけではなく、同じゼミ生と話をしながら授業を振り返ることで、また違う視点というものを感じることができとても有意義なものとなった。積極的に何かをすることに尻込みしていた自分が、とにかく1つずつできることからしていかなくてはいけないと思うようになっていったのもこの夏ゼミの活動があったからだと思う。
 長谷川ゼミのワークショップページはとても充実したものとなり、自分たちの活動を振り返ることで、それが今後にも繋がるということを実感した活動であった。
   さて、次に夏合宿である。8月1日から3日にかけて、2泊3日で実施された夏合宿は卒論のテーマもしくは題材を決めるという目的があった。私はこれまでの発表で、ゲームについて、家族との関わりについて発表してきたが、どちらも深く考えることはできていなかった。第二回発表ではゼミ生に話を聞いてもらわなかったことを後悔していた。そこで考えが深められていなかったことを反省して、この合宿前は何回かゼミ生に話を聞いてもらうということをした。なぜゲームに熱中してしまうのか、どういう時にゲームをするのかなど、ゲームをほとんどやらないゼミ生の意見は自分にとって参考になることが多くあった。しかし、そのようなゼミ生の意見を聞いて考えるだけでは足りないことが多くあった。それは「自分の言葉で自分について話す」ということだった。
 夏合宿の発表では、ゼミ生の意見を元に、どういう時にゲームをプレイするか、なぜ熱中してしまうのか、などについて考えて臨んだ。だが、それは考える入り口に立っただけであった。自分について話していたつもりでも、それは自分の言葉ではなかったのである。今思うと、人に話すと言うよりも人の意見を聞くということに重きを置いていたのではないかと思う。第二回発表でも同じ状態だったが、この頃の私もどこかで人のアドバイスに縋っていたようにも感じるのである。
 ゼミ生に「本当に切実な問題なのか?」と問われると、自分の思考がストップしてしまった。その原因の1つは、これまで人と深く話をすることがなかったということが挙げられる。話をすることに慣れていないから、発表の場で考えが伝わらないのだと言われ、どうするべきかと止まってしまった。そのためこの発表中に自分のテーマが決まることはなかった。私はこの合宿期間中に自分の考えを深めなければと、焦る一方だった。発表後は、その焦りのせいかどうすれば考えを深めることができるのだろう、なぜゲームにこだわっているのだろうとループしてしまい何も話すことができない状態になった。そこから脱するため、1つ1つ、自分にとって何が切実なのかノートに書き出し、繋がりを整理することにした。
 そして、ノートに書きだしたことを1つ1つ言葉にして、人に話すことでようやく自分の切実な問題というものが見えてきた。ゲームをするということ、人に話をすることが苦手だということ、積極的に動けないということなど、自分の現状をしっかり考えることでこれまでゼミ活動の反省点として挙げたことも私の切実な問題として考えを深めていくことができたのである。
 積極的に自分から話すことができなかったのはなぜか、自分が受け身だったからではないのか、受け身であるということはどういうことかなど1つ1つ考えていくと、私自身が狭いコミュニティに嵌っているというところに焦点をあてることができた。このように深く考えを進めるには、しっかりと人に話すことが大切であり、根気よく話を聞き、意見をくれたゼミ生にとても感謝している。
 これまで私は発表時に、他のゼミ生に対してなかなか意見を言えなかった。しかし、意見を言うことは、それが自分に返ってくると何度も言われていた。この夏合宿で自分の話をして、人と意見を交わすことでそれをしっかり理解できたように思う。
 夏合宿3日目には、先生とも相談し、ここでコミュニティをテーマに考えることが決まった。そして、このテーマを深めるために、自分が狭いコミュニティに浸かっているという個人的な問題をどう論文に昇華させていくのかということも課題となった。
 これまで自分がどれだけ考えられていなかったか、また自分について話すということがどういうことなのか理解できた夏合宿だった。その後の卒論に対する取り組みについては、次の章で振り返りたい。

page top




第4章

 10月と11月は夏ゼミの活動も落ち着き、卒論に向けて本腰を入れることになった。しかし、本腰を入れる時期が遅すぎたのである。10月の第四回発表は、自身の卒論に対する姿勢を改める必要があると実感するものとなった。夏合宿でネットのコミュニティを扱うことを決定し、この発表までに2ヶ月の期間があった。だが、私はこの発表までにインターネットの歴史について調べるということしかできていなかった。序論を書くという目標を立てていたにもかかわらず、その序論もとりあえずテーマ決定までの経緯を文章にしてみただけになってしまい、全く推敲もできていない状態で、序論と呼べるような代物ではなかった。まだ文章を書き始めることもできていなければ、自分が題材として扱いたいと考えていた『真・三國無双』についても知識を蓄えることができていなかったのである。
 なぜ2ヶ月という時間があったにもかかわらず、卒論に取り組むことが出来なかったのか、今振り返ってみれば夏ゼミの活動などを理由にして卒論と向き合うことから逃げていたのだと思う。夏合宿の時に人に話すことの大切さを実感していながらも、卒論に対する意識というものを継続させることができていなかったのである。これは反省するべき点である。
 今振り返ると、卒論に対する意識が低かったからこそ、どのように卒論に取り組めば良いのか自分自身で考えるということを放棄してしまっていたように思う。インターネットの歴史について調べるといってもその歴史がコミュニティにどのように繋がっているのか、私の論文の主軸というものがどういうものなのか、考えるべきだった。テーマが決まり、考えるということも一段落してしまっていたのだ。そのため自分が何を分かりたいのかぼんやりしており、序論も浮ついたものになっていたのだ。
 この10月の第四回発表での反省から、私はまず自分が何を分かりたいのかしっかりと考えることにした。発表ではゲームのコミュニティでファンが語り合ったり、反応したりすることがゲーム自体にどのように還元されているのかということばかりに焦点を当てていた。しかし、もう一度考えなおすと、それだけではなくコミュニティで語るということがどのようなことなのか、ファン同士がどのような影響を与えあっているのか考えていきたいということにたどり着いた。
 そしてこの軸がブレないように、執筆していくうえで何が必要かということも考え直した。10月の時点ではインターネットの歴史に重点を置いていたが、私が考えるべきだったのは歴史よりもインターネットのコミュニティであった。コミュニティについての知識がほとんどなかったため、新たに本を探して読み込むことも必要になった。さらにどのようにコミュニティが形成しているのかということを考察するために、実際に『真・三國無双』のコミュニティを観察するということも実行していく必要があった。『真・三國無双』はシリーズものであり、ナンバリングタイトルが1~6まで発売されていた。最初の『真・三國無双』が発売された2000年から現在までのスレッドの数は合計で1000近くあったため、一つ一つ目を通すだけでもなかなかに骨の折れる作業となった。これら本を読み、同時に執筆をするということ、またスレッドを観察するということを開始したのは11月に入ってからであった。ここでようやく、私は大きな焦りを感じるようになった。10月まではとりあえず合宿で決定したことを元に色々と調べて、書き進めるつもりでいたが、それだけでは論文を書くことが出来ないということをどんどん実感していくことになったのである。
 11月最終週、第五回発表の時点で私は2万字程度しか執筆することができていなかった。11月後半の私は10月発表時のようにどのように取り組めば良いかと迷っていたわけではなかった。単純に自分のこれまでの積み重ねというものが足りていなかったのである。何事も、後回しにせず、一つ一つしっかりと取り組んで行かなければいけないと深く学んだ。
 しかし、私はこの11月の発表で2ちゃんねるのコミュニティを観察して気づいたことを発表出来たのは良かったと感じている。なぜなら、それまではとにかく2ちゃんねるを見なければいけないという気持ちに追われているだけであったからである。この発表で、自分の中でもコミュニティを見ながらこういうことが考えられるのではないかと整理していくことで、ただ気持ちが焦るばかりではなく、少しずつ前に進むことが出来たと感じていたのである。卒論への取り組みが遅れていることは事実であったが、ここでただどうしようと焦っているだけでは進まないのである。実際に気づいたことを整理し、文章にして書き進めることが大事だということを実感した。
 また、2ちゃんねるについて気づいたことを整理していくと、この時点でも私の目次案は穴だらけであると気づくことができた。それらを修正し、12月・1月と追い込みをかけていくことになった。

page top




第5章

 12月に入り、これまでの遅れを取り戻すためにも、とにかく卒論を書き進める姿勢で臨んだ。それまで、自分なりに計画を立てて卒論に取り組んでいたつもりだったが、実際に計画通りに進めることができていなかった。それは第四章で反省したが、自分に対してとても甘かったのである。そのため、発表後は、細かく計画を立て必ず実行するということを目標に進めていた。
 まずは2ちゃんねるを見ていて気づいたことを1つずつ抜き出して行く。しかし、そこに自分の意見を混合させないようにするという事が思いの外難しいものであった。自分の気づいたことを元に抜き出していくと、どうしても偏りが出てきてしまうのではないだろうかと考えてしまうのである。2ちゃんねるで実際に交わされている会話を恣意的に抜き出してはいないか、自分の考察を混ぜていないかとにかくそこに注意しながら書き進めていった。12月24日のゼミ内提出日までは無我夢中であった。24日までにはとりあえず1度すべての項目を書くという事ができたのだが、あまり納得の行く形ではなかった。もっと書き出すべきことがあるのではないだろうか、もっと考察ができるのではないだろうかという気持ちが多かったのである。それはやはり、これまでの自分の取り組み方に悔いがあったからだと思う。
   私は、11月まではゼミ内提出日で一旦卒論の作業が落ち着くのではないだろうかと甘く考えている節があった。しかし、卒論とはただ書いて終わりではない。一度書いたものを何度も見直し添削する必要があった。添削をするということが卒論においてとても重要なことであると気づいた。24日に一度書き上げたと言っても、もっと書くべきことがあったのではないかと感じていた。それらを書き足しながら添削をしていくと、さらに2ちゃんねるから抜き出している部分と自分の考察に矛盾点を感じ、不足点ばかりが浮き出てきたのである。今振り返ると私はこの添削で多くの不足点を発見することができてよかったと考える。このように不足点を発見するということも、これまでブログの添削などを積み重ねてきたからこそできるようになったことだと思う。
 卒論提出日まで何度も読み返し、今できることを全てやるつもりでいた。しかし提出日になってももっと何かできたのではないかと考えてしまって仕方がなかった。口頭試問にて、先生から講評を頂き、今後の課題の話になった時、もっと自身の視野を広げていく必要があると感じた。私が卒論で扱ったものは1つのゲームの1つのコミュニティでしかなかったのだ。それらの様子が他のコミュニティにも当てはまるのか、卒論を執筆している時には考えが及ばなかったが、今後の課題として考えていくべきことである。
 卒論に限らずゼミ活動を通して、これまで人と話すことの大切さ、視野を広くもつということを常々学んできた。卒論を書いて終わりではなく、今後も継続して学んでいくという姿勢を忘れないようにしたいと深く思う。

page top




第6章

 この1年を通して、私は自分自身と向き合うことがどれほど大切か気づくことになった。自分自身と向き合うというのは、自分について深く考えることと同時に、どれほど私が自身を甘やかしていたかということを知るきっかけになった。ゼミのガイダンスの際、自分の器を大きくするということを先生に言われていた。しかし私は最初の頃、無意識にも自分の限界というものを決め、器を大きくすることを避けていたように思う。自分自身と向き合うということは決して楽ではないからである。しかしゼミ活動を通し、人の意見をしっかり聞き入れることで、自分だけでは気づかないこと、卒論のテーマに対して考えが及んでいない部分を認めることができるようになった。そして1年前に比べたら、少しずつだが、自分の考えを言葉にすることができるようになったと思う。それは私にとっての成長である。  自分の考えを述べて否定されることに臆病になっており、これまで受け身の姿勢でいたが、自ら積極的に課題に取り組み、発言するということが私の成長に繋がっていたのだとこの1年を振り返ることで改めて実感した。  ゼミとしての活動は終わってしまうが今後も、自身の課題を自ら見つけ、とりあえず何かこなすのという姿勢ではなく、それをやることにどのような意味があるのか考え、自分自身の成長に繋げて行きたい。

page top