「2012年度長谷川ゼミの軌跡」



(1)振り返りレポート

 <セシル>

 <ミシェル>

 <まいまい>

 <まゆゆ>

 <ラッパー>

 <かわしま>

 <ゆーめん>

 <えみし>

 <黒帝>

 <さちこ>

 <ニャンちゅう>

 <りんご>

 <はちべェ…>

 <ちえみん>


◆ゼミ用語集(別窓)



(2)12年度卒業論文 目次案・概要

 <セシル> 1 / 2 / 最終版

 <ミシェル> 1 / 2 / 最終版

 <まいまい> 1 / 2 / 最終版

 <まゆゆ> 1 / 2 / 最終版

 <ラッパー> 1 / 2 / 最終版

 <かわしま> 1 / 2 / 最終版

 <ゆーめん> 1 / 2 / 最終版

 <えみし> 1 / 2 / 最終版

 <黒帝> 1 / 2 / 最終版

 <さちこ> 1 / 2 / 最終版

 <ニャンちゅう> 1 / 2 / 最終版

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 <ちえみん> 1 / 2 / 最終版




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<ちえみん>



第1章 ゼミが始まった!(~4月)


1-1 卒論を書きたい ~私のゼミ前史

 私は、1年次の終わりにあった芸術学科の系列選択(*1)で、美術史系列に進もうか、芸術メディア系列に進もうか迷っていた。大学の授業を受けていくうちに美術史が好きになり、博物館学芸員の資格を取りたいと考えるようになった。そのためには美術史系列に進んだほうがいいのではないか、と思ったのだ。そして、その時点で私は同時に卒論を書きたいとも考えていた。大学に入ったのだから、しっかりと卒論は書いて卒業したいと考えていた。卒論を書くためにはゼミに入る必要がある。そのときに自分はどの先生のもとで学びたいかを考えた。そして長谷川先生の顔が浮かんだ。1年生の頃、長谷川先生の授業の面白さはまだよくわかっていなかった。先生の言っていることも半分も理解できていたかわからない。しかし、自分が卒論を書くとしたらなにを書きたいかと言われたとき、美術について書きたい!と胸を張って言える自信がなかった。長谷川ゼミでは卒論のテーマに特に制限がなく、なんでも自分の書きたいテーマで卒論を書くことができると聞いていた。自分が本当にやりたいことで卒論を書きたい。そのために卒論のテーマの幅を系列選択の時点で狭めてしまいたくなかった。そう考えてわたしは長谷川先生のゼミに入るために最終的にメディア系列を選択した。


1-2 ゼミ始動 ~春休みのメーリスを振り返って

 ゼミに入るための面接で私は卒論について「ジブリについて何かしら書けたら」と言っていたことを覚えている。ただ、その頃ジブリのどんなところが好きなの?と聞かれてもうまく答えることができなかった。
 無事、長谷川ゼミに入ることが決まったが最初は不安だった。話したことがある人はほとんどいなかった。それでも、ほとんどの人が同じ授業を受けていたので顔見知りではあった。どんなふうに授業に取り組んでいたかも見てきた人たちばかりだった。同じゼミ生となるメンバーを見て「このゼミならやっていけるかもしれない」と漠然とだが思えたことも事実である。
 3年の1月後半に長谷川ゼミの先輩たちの口頭試問を傍聴した。口頭試問を見て改めてゼミをやっていく覚悟ができたと思う。先輩たちの卒論に対して、真剣にコメントをしている先生を見て、本当に本気でやらなくちゃいけないんだ、と自覚することができた。
 ゼミの活動としてまず始まったことはメーリスでのやり取りである。春休みの間はゼミ生と顔を合わせることはなく、メーリスでのやり取りがほとんどであった。初期のメーリスを改めて振り返ってみると、私は本当にいるのか?というくらい自分がメーリスに登場していなくて驚く。ゼミ生のメールへの返信を見て様子をうかがいながら返信していたことが見え見えである。そして打ったメールの文面をみると、一通打つだけでも極度に緊張し、何度も読み返しては直していたことを思い出した。私を含め律儀に「さん」づけでゼミ生のことを呼び合うところにはなんだか笑ってしまった。たった1年前のことなのにこんなに他人行儀だったなんて今からは想像ができない。それだけみんなで濃い1年間を過ごしてきたんだ、と実感した。
 そして、メ―リスの中では進んで何か提案したり、メール上のやり取りが円滑に進むようリストを付けたりしている人がいた。こんなふうに気を配って動けることはすごい、私も見習おうと思ったことも思い出した。このようにメーリスだけですでにゼミ生から私は刺激を受けていた。
 春休みの課題として、本の要約と関心地図(*2)の制作があった。関心10個なんてすぐに書けるだろう、というスタンスでいたが、出てきたとしてもそのものに対して自分が思っている以上に語れないことに驚いた。これが好き!これに興味があるんです!と言うことはできるが、それ止まりになっていることに書いてみて初めて気がついた。
 先生が指定した課題図書である『暗黙知の次元』も短時間で読もうとしたがために、途中からまったく理解できなくなってしまった。昔から、テストは一夜漬けでどうにかなったりならなかったりしてきた私にとって、この春休みの課題は必要なものであったと思う。長谷川ゼミでは一夜漬けが全く通用しないということ、少しずつ努力して積み重ねていかないことには卒論というものは書けないのだろうということを身を持って感じることができた。
 春休みの期間、ゼミ生が集まったのは初めて開いた12年度ゼミ生での飲み会のみだったように思う。しかしこうして振り返ってみると、メーリスを始めた時点で本当にゼミ活動は始まっていたのだな、と改めて感じた。しかし、春休み中は就職活動をばりばりやっていたこともあり、自分としてはそこまでゼミに集中できていなかった期間でもあると感じた。


  1-3 ゼミ本格始動!第一回発表 ~卒論のテーマについて考える

 4年の4月、とうとうゼミ活動が本格的に始まった。メーリスで多くのやり取りをしていたが、やはり実際に顔を合わせるとまた少し感じが違った。がんばって意見を言おう、と心掛けてはいたが、まだどこかで遠慮があったし、主体的になれない部分もあったように思う。
 そして、4月には第一回発表もあった。事前にゼミ生で集まり、どんなことに興味があるのかを話しあったりした。みんな興味を持っていることはさまざまで、ゼミ生一人一人の話を聞くことはとても面白かった。一方で私はこの頃、なんだか抽象的なことばかり言っていたように思う。自分自身の話をすることが昔から苦手で、抽象的な話に逃げていたのだと思う。ジブリが好き、本が好きなどと言ってはいるものの、そのことについて特に深く掘り下げず、ただ興味があると思うことを羅列しているだけであった。発表に向けて真剣に取り組んではいたが、この時はまだ卒論を自分が書く、という自覚が足りていなかった。そして、この発表をしてみて初めて私はジブリが本当に好きなのか、好きだとしてもどこが好きなのか、と疑問を持つようになった。


1-4 第1章まとめ

 ゼミ活動前から4月まで振り返ってみると、なんだか自分の話ばかりになってしまった。4月からゼミ生同士で話すことは多くあったはずであるが、あまり思い出せない。おそらく自分のこと、自分の発表のことでいっぱいいっぱいになってしまっていたのだと思う。この頃はまだ周りを冷静に見ることができていなかったのだと改めて感じた。第一回発表が終わり、5月になるとゼミ内で分かれたグループ活動が主になってくる。ここでの活動では4月とはまた一味違った体験、そして考えることがあった。


*1 芸術学科には、美術史系列、音楽学系列、映像芸術学系列、芸術メディア系列の4つの系列があり、2年次にどの系列に進むか選択する。
*2 ゼミブログ参照。2012/04/16 「2012年度 長谷川ゼミ、始動!」(別窓)

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第2章 話し合うことの大切さ(5、6月)


2-1 班活動開始 ~卒論につながっていた関心夜空

 5月はゼミ内で分かれたグループでの活動が主になった。グループ名は【!】と【?】である。このグループ名についてもかなり議論したことを覚えている。私は【!】班になった。最初の活動は各グループのHP作り、そして春休みに作った個人の関心地図をゼミ全体として一つの形にしたものを考えて作る、というものであった。(*3) HP作りでもたくさんのことを話し合った。そして、【!】班ではみんな意見をたくさん出すがなかなかまとまらず、話し合いにかなりの時間を割いていた。
 関心地図を【!】班では結局『関心夜空』として一人一人の関心についてもう一度読み、似ているもの同士を集めて星座にしていくことになった。(*4) このときに行った作業が付箋紙に関心を一つずつ書き出して、模造紙の上で似ている関心同士を集めて貼っていくという作業である。付箋紙であれば貼ったりはがしたりが自由にできるため、付箋紙の位置をその都度調整をしながら作業していった。驚くことに、この作業は最終的には私の卒論の言説マップ作成の原点のようなものとなった。私は卒論で言説マップ(*5) を作成する際、一つ一つの言説を付箋紙に書き出し、グループを作っていくという作業を行った。まだ卒論のテーマも決まっていなかったときにやっていたことが卒論に活かされている。振り返ってみると改めて、今までやってきたことは一つも無駄なことなどなく、すべて私たちの糧となっていることを実感する。
 この頃強く感じていたことは、時が過ぎるのが早すぎる!ということである。5月は班での活動をしているうちにあっという間に過ぎてしまった。


2-2 『アトラクションの日常』講読、第二回発表 ~私の考え方のクセ

 6月になると『アトラクションの日常』の講読が始まった。私は<コンカ>とペアとなって「セルフサービスをする」の章を担当した。細かく読んでいくと分からないところがたくさんあるし、難しい。ざっと全体に目を通してもわからないところだらけであった。講読はゼミ生全員で行った。時間が足りず、ゼミ時間外に講読を行ったりもしていた。『アトラクションの日常』は決して読みにくい本ではなかったが、全体像がつかめそうでつかめない、という印象があった。章ごとが複雑に絡み合い、最終章まで読んでから読み直すと新たな発見が多くある。だからこそ、力を入れて読もうと心掛けていた。
 講読と並行して、第二回発表も行われた。私は第二回発表では一度ジブリから離れてみることにした。第一回発表で興味があることの一つとして挙げた「落ちる」ことについて焦点を当てて、様々な物語の「落ちる」シーンをあげて「落ちる」ことはどういうことなのかを考えた。しかし、まだまだ話は抽象的であった。先生からは、全体としてぼやっとした印象、もう少し素直に率直に考えてみたらどうかと指摘を受けた。素直に率直に、という言葉に重みを感じたことを覚えている。そして、自分の話をゼミ生にあまりできていなかったことに気付いた。自分のことをゼミ生同士で話すことを長谷川ゼミでは大切にしている。自分だけで考えてしまうと客観的に自分の考えを見ることができないためである。自分のことを話すことが苦手だ、と1-3にも書いてある。しかし、第一回発表から第二回発表まで、苦手だということに対して自分は努力してきただろうか。私はあまり努力をできていなかったと思う。自分の話をすることが苦手でも、自分の殻に閉じこもっていては自分の本当の関心はわからない。卒論を書くどころかテーマさえ決めることができない。私は自分が苦しまないために、傷つかないために人に話をすることを今までしてこなかったのだと気付いた。次の発表までは自分から自分の話をきちんとゼミ生に話していくように努力しよう、と強く思った。
 第二回発表後、『アトラクションの日常』の講読も終わった。終わったあとは、先生にどのような発表を行い、どのような話し合いをしたか報告に行く時間があった。そのとき、私は先生から言われたことでとても印象に残っていることが「根拠がないことを言いきってはいけない」ということである。私はなんでも短絡的に考えてしまうところがあり、これはこういうことだと思う!と根拠もないのに決めつけてしまうところがある、ということを初めて認識した瞬間である。先生からこの指摘を受けた時から、私は何事も根拠がないことを自分の考えで決めつけることをしないように心掛けるようになった。
 非常に個人的なエピソードではあるが、『アトラクションの日常』で自分の担当する章の発表前日、台風でほとんどの電車が止まり、私は家に帰れなくなってしまった。そのとき<えみし>の家に泊めてもらい、パソコンを借りて翌日の発表の準備をさせてもらった。疑問に思う部分なども聞いてもらった。振り返りというよりも思い出話になってしまうが、レジュメを手直ししながら改めてゼミ生の存在のありがたさを感じ、とても心強かったことを覚えている。


2-3 第2章まとめ

 6月までを振り返ってみて思うことは、多くの経験が今の自分につながっているということである。様々な活動、様々な指摘は振り返ってみると卒論にも活かされている。ゼミの話を他大学の友人にしたとき、「卒論を書くのにそんなにみんなで話し合うことって必要なの?」と聞かれたことがある。今ならそれは必要だ、と胸を張って言うことができる。私たちはゼミでの活動を通して他人の意見を知り、客観的な意見を聞くことで自分の世界を広げていくことができたのだと思う。そして、7月に入って集中講義の現場班と記録班、そして集中講義外の活動である夏ゼミ班での活動も始まってくる。ここで私は夏ゼミ班のチーフになったことで、また6月までとは違った経験をすることができた。それについては次の章でくわしく述べていく。


*3 ゼミブログ参照。2012/04/16 「2012年度 長谷川ゼミ、始動!」(別窓)
*4 ゼミブログ参照。2012/05/18 「【!】チームの活動~『関心地図』作成について」(別窓)
*5 詳しくは後述する4-3を参照。

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第3章 人生で一番忙しかった夏休み(7~9月)


3-1 夏ゼミ始動 ~自分たちなりに意味づけるサイト作り

 長谷川ゼミではメディア系列の必修授業である夏季集中講義の運営を行う。しかし、今年は例年と比べてゼミ生の人数が多く、集中講義の運営にゼミ生全員は携わることができなかった。そこで、もう一つのプロジェクトとしてできたのが夏ゼミである。 (*6)
 私はその夏ゼミのチーフに任命された。まさか自分がチーフになるなんて思ってもいなかったため、指名されたときは非常に驚いた。そして自分にできるのか…という思いがぐるぐるとまわっていた。しかし、同時に指名してもらったからには最後まで全力で仕事をしよう、と強く思った。
 夏ゼミのメンバーは私、<ミシェル><えみし><黒帝><さちこ><コンカ>の6人である。夏ゼミは長谷川ゼミ史上はじめての取り組みだったため、まずはなにがしたいか、というところから考えていった。
 長谷川先生の授業では作品を制作する機会が多くある。今までの長谷川先生の授業で作られてきた作品をアーカイブとしてWebにアップする、ということを先生は提案してくれた。しかしただの作業ではなく、自分たちでアイデアを盛り込んで、そのHPが自分たちにとって何なのかを意味づけていくものにするように、とも言われた。
 夏ゼミのメンバーは少なからず、「なぜ、自分は集中講義班じゃなかったんだろう」と思っていた。しかし、集まってまず話したことは、「集中講義班に負けないくらいすごいことをしよう!」ということだった。
 前例がないことに対する不安もあった。しかし、夏ゼミ班のみんなで計画書を作るために話し合っていると様々なアイデアがどんどん出てきた。前例がないことで逆に自由に考えることができたと思う。
 当初はメディア系列のPVを作ろう!と考えて盛り上がっていた。今考えてみるとどのように作っていくか全く考えずにアイデアばかり先行していた。ただ、このアイデアを出して話し合っている時間はとても楽しかった。


3-2 フィールドワーク ~誰でもない、私たちが考えてなければいけないという自覚

 フィールドワークについては、様々な候補を挙げて考えた末、上野公園にすることが決定した。どのように何を調べるか、上野公園関連の本を読んでみんなで考えていった。
 上野公園で何をするかがなかなか決まらなかった。今ノートを見返すと、こんなことをしよう!と提案してはいるものの、すべて抽象的で、それをどのように調べるのかということ、調べて何がわかるのかということがすべて曖昧になっていた。

「問いが立てられていない。
正しい、間違っているという問題ではない。
自分でどうにかする気がない。本を読んで話し合っていればどうにかなるものではない。」

 フィールドワークをどのように行っていくか、考えたことを報告した際に先生から言われたことである。
 結局は先生にフィールドワークで何をするかは決めてもらった。私はとても悔しくて、情けない気持ちになった。先生にやることを決めてもらうということが初めてだったからだと思う。しかし、今考えると初めてではなかったことに気付く。私たちが気づかないところでいつも先生がフォローし、アドバイスをくれていた。
 そして同時に、こんなんじゃ卒論なんて書けないと思ったことも覚えている。
 いま読み返してみても、先生が言っていたことはすべて卒論につながることである。このようなところでも気付かないうちに卒論を書く練習のようなことをしていたんだな、と振り返ってみると思う。


3-3 夏合宿 ~真剣に自分自身と向き合う

 合宿発表での目的は卒論の題材またはテーマの決定である。このときはじめてレジュメ以外に卒論の目次案を作ってくることになった。
 目次案ができないということは、考えがまとまっていないということである。自分なりに組み立てていくことが大切、と言われたが私は目次案の構成を全く考えることができなかった。第二回発表以降、なんとか自分やジブリ作品と向き合おうとしていたがなかなかうまくいかなかった。
 ゼミ生みんなで合宿前に集まったときなどに話を聞いてもらった。話をしてみて思ったことは、自分の考えを声に出してみると、うまく説明できなかったり、自分でも実はよくわかっていなかったりしたことである。人に話すことで、自分でも自分の考えを客観的に見ることができることに気付いた。おそらく、あそこで話を聞いてもらっていなかったら、わたしはテーマ決定までもっと時間がかかっていた、もしくは全く違ったテーマになっていたかもしれない。
 合宿一週間前からはひたすら考えたり、まとめたりしていた。それでも合宿前日は徹夜だった。
 合宿の発表は本当に苦しかった。私は2日目が発表だったが、1日目からみんなの発表を聞き、泣きそうになっていた。先生のコメントはすべて自分自身に当てはまることでもあったからである。
 2日目、私は自分の発表でなぜか涙を流していた。悲しくもない、ただ一生懸命自分のことを包み隠さずに話そう、と思って発表しただけなのだがなぜだか涙が止まらなかった。
 私はこの頃から自分のことをきちんと話そう、わかってもらうために嘘をつかずに伝えよう、と考えるようになった。いままでは、自分の気持ちなんて人に話してもきっとわかってもらえないし、話しても仕方がないから適当に話しておこう、くらいにしか考えたことはなかった。しかし、自分の気持ちを人に言わないということは、その人とも、自分自身とも向き合うことを拒否していることである。私はいままで他人からも自分からも逃げていた。それは自分にとって楽なことかもしれないが、それ以上なにも進めない、ということに気付かされた。これはゼミ活動を通して私の中で大きく変化したことである。それから、きちんと話そうとすると涙が出てくるようになってしまった。悲しくもないのに、である。21年間生きてきてこんなことは一度もなかった。いまだに不思議でたまらない。
 発表後、先生から「ラべリングしている」と指摘があった。根拠もないのに「こういうことだ」と決めつけてラベルを貼ってしまっているため、途中から話が飛んでしまったり、それ以上そのことについて掘り下げることができていなかったのだ。同じことを2-2の『アトラクションの日常』での報告の時も指摘されていた。あのときにわかったつもりでいたが、今回指摘を受けてこれは自分の考え方のクセのようなものなんだとはっきりと自覚できた。
 今の私は、少なくともラべリングしそうになる自分を自覚することができるようになったと思う。なにか「これだ!」と言う前に「こう言える根拠はなにか」「なぜそう言えるのか」ということを常に考えるようになった。
 合宿で私は一応テーマと題材を決めることができた。アニメの登場人物を自分の生きていくうえでの指針としてとらえてしまうことについて、『千と千尋の神隠し』を題材にして考えていくことになった。テーマと題材は決まったものの、これらをどのように調べ、どのように明らかにしていくのか、ということについては全く見当がついていなかった。


3-4 夏ゼミ活動 ~振り返ってみてはじめてわかること

 合宿が終わると、一週間もしないうちに集中講義が始まった。私たち夏ゼミ班は集中講義の運営は行わないが、この期間に集中して作業をしよう、と決めて集中講義の期間は集中講義班と同じく朝の9時から集まって活動をしていた。この期間でやることは夏休み前に撮影した作品の写真データ、そしてスキャンしたそれら作品のレポートをアーカイブに落とし込むこと、そしてリフレクションムービーの作成を始めることだった。(*7)
 アーカイブサイト用のデータのタグ打ちは比較的早い段階で終わらせることができた。一方、リフレクションムービーはHP作りの中でも最も悩み、話し合い、時間をかけて作業を行ったものとなった。  ムービーの構想については<ミシェル>にほとんど任せていた。最初は写真やレポートなどを使ってスライドショーのように振り返っていくと私は考えていた。しかし、3年半をノートやレポートで振り返ってみると、昔学んだことは今につながっているということ、授業でのワークショップまでにやっていたことはきちんと意味があり、ワークショップにつながっていたことなどに気付き、自分たちがこの3年半、大きな流れの中で今につながる地続きになった1本の道を歩いてきたということがわかった。そして今の自分につながっているということをムービーで表現することはできないか話し合った。この表現方法に苦戦し、リフレクション作成の方針はなかなか決まらなかった。しかし、このとき多くの時間を割いて3年半を振り返ることができて本当によかったと思う。授業を受けていた時にはわからなかったことがわかったり、授業はひとつひとつ無関係ではなく、これを学んだから次にこれができるというふうにすべて今につながっていることに気づくことができた。これは夏ゼミでのリフレクションムービーづくりがなければ一生気づくことはなかったかもしれない。
 そして一人で振り返るのではなく、夏ゼミのメンバーで、それぞれがその時に考えていたこと、感じたことなどを話し合いながら、多角的に振り返ることができてよかったと思う。
 集中講義が終わると、HPのコンテンツの一つである歴代ゼミ長へのインタビューも開始した。私はインタビューでは進行役を担当した。最初はある程度質問を用意し、インタビューをしていったが、緊張してしまったこともあり、インタビューがギクシャクしてしまったり、沈黙してしまったりとなかなかうまくいかなかった。そのため、インタビューが終わるごとに夏ゼミ班では反省会を行った。印象に残っているのは、<ヤダ>さんへのインタビューで、自分の前提を押し付けるような質問の仕方をしてしまい、予想と全く違う答えが返ってきたときである。自分たちの考えていることを基準にして、それが当たり前のことのように話してしまっている部分が多々あった。このインタビューを通して、良くも悪くも自分たちが長谷川ゼミはこういうものだと言う前提に浸りきっていることに初めて気が付いた。
 先輩たちにインタビューをすることで、各代のゼミの様子、そして先輩方の考えなどを聞くことができた。これはとても貴重な体験だったと思う。やってきたことも、考えてきたことも一人一人違って、私たちの代だけの考えでHPの振り返りが凝り固まらなかったことがよかったと思う。なによりも、卒論についての話を聞いたときは先輩たちの熱意や、取り組みに圧倒され、改めて本当に頑張らなくてはいけない!と思うことができた。ただ、そう思ってはいてもなかなか早い段階から行動には移せなかったことが悔やまれる。やはり、そのときはわかったつもりでいたが、今思うと「卒論を書く」ということがどんなに大変な作業なのかをまだ理解できていなかったのだと思う。


3-5 卒論に向けての資料集め ~初めての国会図書館

 9月に入ると、夏ゼミの作業と並行して国立国会図書館に少しずつ行くようになった。私の卒論の題材となった『千と千尋の神隠し』について調べるためである。記事の検索をしてみて、『千と千尋の神隠し』の記事が膨大にありすぎて驚いたことを覚えている。その中でいくつかをピックアップして調べていった。このときはまさか自分がこれらの資料をすべて調べることになるなんて夢にも思っていなかった。かといって何かほかに方法論があったのか、と言われると実のところどのように調べていっていいか全くわからない状態であった。ただ調べるだけではどうにもならないだろう、ということは感じていた。しかし、調べないことには何も始まらないと思い、できる範囲で調べていた。その資料の選び方も今思うと非常に恣意的であった。自分でなんの脈絡もなく資料を選んでしまっていた。テーマが決まったとはいえ、自分が卒論を通して何を明らかにしていくのかということをこのころはあまり考えられていなかった。9月も主に夏ゼミの作業に追われて、すごいスピードで過ぎていった。


3-6 第3章まとめ

 この章は主に夏の振り返りとなった。こうして見てみると、夏はほぼ一日中ゼミのことを考えていた。夏合宿はもちろんのこと、夏ゼミのことばかり考えていた夏休みだった。私はチーフだから!とあまり気張らないようにしよう、と思っていた。チーフらしくみんなを仕切っていたという記憶もあまりない。しかし、心のどこかでは私はチーフだから私がしっかりしなくては…と常に思っていた。うまくいかずに落ち込むこともあった。しかし、そのときはいつも班員のみんなが励ましてくれた。みんながいたから最後までチーフとして頑張ることができたと思う。
 夏合宿では、テーマ、題材を決めるのがこんなにつらいなんて…と思っていたが、今考えるとあのときの苦しさはまだまだ序章に過ぎなかった。そのことについては後ほど述べていく。


*6 ゼミブログ参照。2012/07/09 「夏ゼミブログ連載開始!第0回~夏ゼミとは?~」(別窓)
*7 夏ゼミ班では、歴代の作品アーカイブ以外に、歴代のゼミ生へのインタビュー、自分たちが学んできたことを振り返るリフレクションムービーづくりをした。

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第4章 卒論に向かって突き進む(10、11月)


4-1 卒論、どう進めるか。 ~自分自身で考えること

 9月半ば、第四回発表の準備の傍ら、私たちは夏ゼミの作業に追われていた。このころは主にリフレクションムービーの編集を行っていた。ムービーは人物の動きだけ撮った写真を切り取り、別に撮影した白い螺旋の道の写真に貼ったものを作り、4年生までの道のりを歩いている、という設定になっている。歩いていく道のりで長谷川先生に出会い、いままでやってきた授業やワークショップを画像やレポートなどを使って振り返る取り組みである。(*8) パラパラ漫画ほどではないが、人物に動きを付けるため画像の枚数は膨大にある。それを夏ゼミ班のみんなで割り振って編集する。おそらくこの作業にもっとも時間を割いた。
 並行して第四回発表準備もしていたわけだが、正直この頃は夏ゼミHP作りのラストスパートをかけていたため、そこまでじっくりと考えることができなかった。ただ、国会図書館で調べて分かったことをまとめ、「『千と千尋の神隠し』についてこんなことが語られていることがわかった。ただ、卒論をどのように進めていくかという方針はまだ未定です」というなんとも情けない発表になってしまった。
 この発表の後、先生から「『千と千尋の神隠し』の言説分析をしよう」と提案をしてもらった。言説分析とは、雑誌、新聞、本という紙媒体を対象に『千と千尋の神隠し』について公開から現在までどんなことが語られてきたのかをしらみつぶしに調べていく、というものであった。国会図書館に行って、ジブリ作品の中でも飛びぬけて『千と千尋の神隠し』は記事が多くあることも分かっていた。自分の中で「それならできるかもしれない」と思ったことも事実である。しかし、同時に夏合宿で考えていた「キャラクターをライフモデルとしてみてしまうこと」について、この方法で何か明らかにすることができるのか不安になった。記事をまとめるだけで終わってしまうのではないか。発表直後、自分の中で「言説分析」と「キャラクターをライフモデルとしてみてしまうこと」が乖離してしまっていた。
 発表後のコンパで、私はコンパに駆けつけてくれた長谷川ゼミの先輩数人に話を聞いてもらった。そこで言われたことは自分が何を知りたいのかということを忘れずに、常に自分の意見や考えをノートに書き込むことである。私は調べることばかりを考えていて、自分の頭で考えることを夏休み期間にできていなかったように思う。夏合宿でテーマが決まって安心していた、ということもあるだろう。『千と千尋の神隠し』の言説をまとめるだけでなく、その先に行くには自分自身で考えることが必要なのである。当たり前のことではあるが、そのことに私はこのコンパで改めて気づかされた。
 これを書きながら、私はまた「ラベリング」のことを思い出した。私は根拠もなくこれはこうだ!と決めつけてしまうことが多い、と何度となく注意を受けてきた。それは要するに自分で考えることを拒否しているからこそ、ラベリングをすることで考えることから逃げていたのではないだろうか。「これはこういうことなんです!」と言い切ることは楽である。それは自分が簡単に考えてしまっているからだと思っていたがこれは私の考えなどではない。今思えばどこかからそれらしい言葉を見つけて当てはめていただけであったのだと思う。
 「自分の考えや疑問を持たないと代弁者になってしまう」と<きーにゃん>さんに言われたことが印象に残っている。この言葉があったからこそ、私は卒論を書き進めていくとき常に「ただ、代弁しているだけになっていないか」ということを気にかけながら書いていくことができた。


4-2 国会図書館通い ~自分自身で決断する

 第四回発表後、10月前半は引き続き夏ゼミのHP作りのラストスパートをかけていた。パーツごとに出来てはいたのだが、HPとして落とし込むことができていない部分が多く、夏ゼミ班は分担してタグ打ち、そしてリフレクション座談会を行いその文字起こし、編集、その他ページの説明や表など本当に怒涛のような作業の日々であった。
 一方で、HP作りをしながら私は国会図書館にも頻繁に通うようになっていた。暇を見つけては国会図書館に行き、『千と千尋の神隠し』が公開された2001年からさかのぼる形で雑誌記事を最初はまとめていった。コンパで先輩から、本などをみてメモを取るときはページ数、段落数も忘れずにメモすること、と言われたためページ数も忘れずに書くようにした。この作業は12月後半になって卒論の本文に脚注を付けていく際、私を救ってくれた。この作業をしていなかったら、私は脚注をつけ終わることができなかったかもしれない。
 10月が終わるころには夏ゼミだけでなく、フィールドワーク、集中講義のHPがほぼ完成した。10月、ゼミ活動で最も鮮明に覚えていることはハロウィンである。10月31日に私は人生で初めて仮装をした。ゼミ生の仮装の気合いの入れように驚き、そして大いに楽しむことができた。そして忘れもしない、私はその日に途中でゼミから抜け、スーツに着替えて企業の面接に行った。ゼミ活動の傍らで私は就職活動も続けていた。しかし、これからは卒論に本腰を入れたい、と思っていた。私は小さい頃からキャラクターをライフモデルとしてみていたのと同じように、常に不特定多数の人々と同じであろうとしてきた。そうすれば安全であるはずだし、誰からも文句を言われないまっとうな人として生きていける、と思っていたからである。しかし、ゼミ活動をしていくうちにそんな考えに疑問を抱いた。そもそも、それは私の考えではなく、世間一般で言われていることを私は鵜呑みにしていたのだ。ここでも私は自分自身で考えることを拒否していたのである。
 これからの人生は長い。新卒で就職できなかったとしてもまだチャンスはあるはずだし、就職できたとして、ずっとそこに居続けるかもわからない。そして何より、卒論は今しか書けない。全力で今ある力を出し切った、と言えるものを書きたいと私は思っていた。そのため、就職活動はその日の面接を最後にいったん打ち切ろうと決心した。卒論を提出してからその先のことは考えることにした。これは紛れもなく、私自身の考えであった。


4-3 最後の発表 ~言説マップ作りに苦戦する

 11月後半には最後の発表である第五回発表があった。私はそこに向けて雑誌記事は読み終わらせる、という目標を立てて引き続き国会図書館に通い続けていた。お昼の時間は同じく国会図書館で調べているゼミ生と一緒に食堂で国会丼を食べて話しながらリフレッシュしたりしつつ、閉館の19時までみんな必死で資料を漁っていた。一人ではなかったことが本当に大きな支えになっていたと改めて思う。みんなも頑張っているから頑張ろう、と常にモチベーションを保ち続けることができた。
 私はこの頃、ゼミ活動の日にいつもゼミ生何人かと先生の研究室に卒論の相談に行っていた。私は言説が増えれば増えるほど、どうしても言説全体を俯瞰することが難しくなってしまうという悩みを持っていた。そこで先生から提案されたのが言説をマッピングしてみてはどうか、ということであった。私は前期に【!】班で作った関心夜空を思い出した。(*9) たしかにあのように模造紙に付箋紙で言説を分けていけば全体が俯瞰でき、どんな言説があるのかも把握することができる。私は早速色とりどりの付箋紙のセットと模造紙を買った。そして言説集めの傍らで少しずつマップ作りを始めていった。
 しかし、いざマップを作るとなるとどのように分けるかが非常に難しかった。こんな話があったという項目を作り、それによって分けていくのだが、微妙に違うものや、どこにも当てはまらなそうなものなど、分類の線引きがあいまいなのである。いままでは分類、と言えばある規則にのっとって分けていたが、今回はその規則を自分が考えなくてはいけなかった。
 そして最終発表の日。私は発表の時点でまだ本文がほとんど書き進められていない状態であった。そのため、言説を読みながらでも書かないと間に合わない、と釘を刺されてしまった。先生からマップについては、座標上にグループを配置してみてはどうか、というアドバイスをもらった。縦軸と横軸の座標で、交わる部分には物語本体が来る。物語から距離ができるほど、物語とはかけ離れた言説が配置できるというわけである。座標に落とし込むことで、グループ同士の関係についても考えていくことができる。
 それからは本文を書き進めるために、国会図書館にパソコンを持ち込む日々が始まった。今まではノートに書いていたのだが、その分をWordに落とし込むだけでも一苦労である。なぜ最初からパソコンに打ち込まなかったのか、と後悔した。


4-4 第4章まとめ

 この頃から、本格的に卒論執筆に向けての活動が始まった。結局私は自分の卒論をどのように進めていくかという方法はあまり自分で考えることができなかったと思う。先生から言説分析という方法を提示してもらったことで、その先に進むことができた。振り返ってみると、言説のマップについては最後の最後まで悩みながら作っていたが、それ以外はひたすら言説を集めるという作業を行っていたため、資料集めの時点ではあまり悩むことはなかった。ひたすら悩み、苦しんだのはこの後、執筆を本格的にはじめてからである。


*8 WorkshopページのReflection参照。(外部サイト)
*9 2-1参照。

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第5章 卒論ラストスパート(12、1月)


5-1 博物館実習 ~限られた時間での執筆作業

 12月6日から10日間、私は科学技術館で実習が始まることになっていた。博物館学芸員の資格をとるための実習である。正直不安であった。この期間、卒論の作業は夜しかできないのである。私は『千と千尋の神隠し』についてすべての言説を調査することが目標であったが、12月になった時点で本はほとんど手を付けることができていなかった。私は数を読むことばかりを考えていたが、最優先するべきは執筆である。この期間、本を読むことと執筆を限られた時間でこなすことは正直難しかった。そこでこの期間、言説集めはいったん置いておき、私は今あるもので執筆に専念することにした。
 実習中は実習が終わるとすぐに飛び出し、私は学校の図書館に向かっていた。そして少ない時間ではあるが、閉館の22時まで執筆をした。学校の図書館にもゼミ生は常にいて、それだけで本当に励みになっていた。
 そして16日、私は無事に実習を終えることができた。この実習も勉強になることが多く、充実した時間を過ごすことができたと思う。そして晴れて、卒論一本に集中し始めた。


5-2 提出まで駆け抜けた年末年始 ~書き続けた年末、見直しながら書き続けた年始

 私は16日以降、本を増やそうと思っていたがそれを断念した。実習期間中、執筆に思ったより時間がかかること、そしていまの時点ですでに言説が多すぎて提出までの限られた期間内で執筆に収拾がつかなくなりそうになっていたためである。それに加えて言説マップの配置にも頭を悩ませていた。マップについては何度も先生に相談に行った。これでいいのか、という不安が常にあったためである。加えてマクルーハンの『メディア論』を読み、座標の縦軸であるメッセージと横軸である形式について理解を深めたうえで、グループの配置を何度もノートに書きなぐって考えた。
 大学が冬休みになるまで学校での作業がほとんどになった。ゼミ生とともにお昼を食べ、夕飯を食べた。ほぼ一日中図書館に入り浸って執筆をしていた。
 しかし、本当につらかったのは学校が閉まってからの年末年始であった。まず24日のゼミ内提出で私は考察がまだほとんど書けておらず、各章に穴がある部分が多々あった。集めた言説すべてを言説分析に盛り込むために文章の組み立て方を考えた。ただ言説を羅列するだけにならないように、自分なりにわかったことや気付いたことを軸にまとめていく作業はものすごく時間がかかった。そして、言説マップをどのように論文に載せるかがまだ考えられていなかった。そんなこんなで提出ギリギリまで進めようと思い必死でパソコンと格闘していたところ、ゼミ内提出の期限が大幅に過ぎてしまっていた。まったく気が付くことができず私は慌てて今できているところまでをメールで提出した。携帯を見ると、ゼミ生からメールや電話が入っていた。申し訳ない、という気持ちと同時にこんなに心配してくれたんだ、と心強かった。
 それからは年内、国会図書館が開いている最後の日に朝から行き、猛烈に脚注を付ける作業を行った。それからは家にこもっての作業になった。年が明けたと言われても、何の実感もわかなかった。私たちゼミ生の新年は卒論提出とともにくるのである。寝る時と食べる時以外はすべての時間をパソコンの前で過ごした。字数がなかなか増えないと思っていた本文は気が付くと10万字を超えていた。しかし、卒論は量ではない。何度も見直し、漏れはないかを確認した。何度見直しても、安心はできなかった。
 結局卒論の印刷、製本が終わったのは学校への提出日の朝方であった。私は一睡もせずに学校へ向かった。いつもパソコンと数冊のノートを入れて常に重かったリュックに、その日は2冊の卒論だけが入っていた。なぜかこれ以外を入れる気になれず、他の荷物はサブバックに入れて向かった。いつも通いなれた電車通学がなぜかいつもより長く感じた。早く出したい、そうすれば楽になる、不思議なことにそんなことは全く思わなかった。電車の中で思っていたことは「ああ、もうこれで終わってしまうのだな…」というなんだか切ないような気持ちであった。卒論は、決して満足のいく出来ではなかったが、なんだかとてもいとおしいものに思えた。
 そして1月8日。無事、ゼミ生全員が卒論を提出することができた。卒論を提出した後、みんな放心したようになっていた。むろん、私も同じであった。なんだか実感がわかなかった。しかし、無事に提出することができたのだ。その日の夜は久しぶりにぐっすりと眠ることができた。


5-3 最後の試験、口頭試問 ~次の課題に向けて

 そして1月25日。卒論の口頭試問が行われた。私は順番が最後の方であったため、ずっと緊張しっぱなしであった。何度も書いてきた原稿を見直していた。もう日も暮れたころ、私の順番が回ってきた。講評は言説マップを高く評価してくださっていた。私にとっては最後まで悩んで作り、不安要素の一つでもあったのだが、評価していただけたことが正直にうれしかった。考察は提出後、自分でも読み直して言っていることが成り立たない、と思っていた部分について指摘をもらった。そして、最後までライフモデルというものが言説マップとつながっておらず、意味づけがあいまいであった、という指摘もいただいた。そして、言説マップは取り扱う媒体を拡げるとまた違うものになったかもしれない、というコメントをもらった。ライフモデルに対してもう少しきちんと明らかにしたかったが、そのためにはほかの資料を読むことも必要となってくるはずである。そして、今回調べることができなかった分の媒体を調べるとまた違ったことが分かるかもしれない。卒論は私にさまざまな課題を残してくれた。同時に私はもっと勉強をしたい、と思えた。
 こうして、私たちの卒論は無事、全員合格という形で終わることができた。肩の荷がおりた気分であった。しかし、課題はまだ残っている。その課題に対して少しわくわくしている自分がいる。本を読み、考えていくことは今後も続けていきたい。本当に全力でここまで卒論を書いてきてよかったと思えた。

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第6章 振り返りのまとめ 

 ここまで、ゼミに入ってから卒論提出までを振り返ってきた。この一年間で本当に多くのことを学ぶことができたと思う。それは卒論を書く上での学問的な知識ももちろんであるが、それ以外にも多くのことを学ぶことができた。それは一人では決して学ぶことができなかったことである。
 ゼミでの活動を通して、人と真剣に話すことの面白さに気付いた。3年の頃に受けた集中講義でも思ったことであるが、ゼミに入ってより強く、話し合うことの大切さを実感した。他人の意見を聞くことで、自分にはなかった考え方を知ることができる。私はこの一年で何でもすぐに決めつけてしまう、自分の考え方の傾向を知ることができた。それを治すことができたのかはわからない。しかし、客観的に自分を見ることが少しではあるができるようになったと思う。
 そして、振り返ってみて初めて、ゼミでの活動はすべて卒論執筆につながっていたのだと気付いた。夏ゼミで作ったリフレクションムービーと同じである。最初はHP作りやフィールドワークなどは卒論に直接関係ないと思っていた。しかし、それらの活動の中で、卒論執筆に必要な考え方や、方法を学んでいたのである。
 私は振り返りを書くにあたって、ゼミに入るために3年次に書いた志望動機書のようなものを見てみた。そこに私はこんなことを書いていた。
「私は本を読むだけでなくみんなの意見を聞いてさらに視野を広げ、自分だけでは書けないものを1年間かけてみんなで作り上げていってみたいと考えている。」
 私の卒論はこのゼミで、何度も発表を重ね、みんなと話し合うことがなければできていなかったと思う。自分の考えだけでやっていたら、自分の殻に閉じこもって何も書くことができなかっただろう。私が卒論を書けたのはこの1年間の活動があったためである。そして、その活動をこのメンバーで乗り越えていくことができたためである。ゼミ生たちで話し合って意見をぶつけ合い、先生からアドバイスをもらい、先輩たちからも話を聞いてもらい、この1年で経験したすべてがあったからこそ、卒論を書くことができた
 夏ゼミの先輩方へのインタビューの中で<ヤダ>さんは大学、大学院でのことを振り返って「私の中ではまだ終わっていない」と言っていた。その意味が今、少しだけわかるような気がする。もうすぐ2012年度長谷川ゼミは終わり、私たちは大学を卒業する。しかし、いままで培ってきた「自分自身で考える」ことは続けていきたい。なんでも簡単にラベリングすることは楽だが、それでは何も見えてこない。考える感覚を、忘れないようにしたい。
 本当に長谷川ゼミに入ってよかった。このゼミに入っていなかったら、私は妥協だらけの人生を歩んでいただろう。自分の殻に閉じこもり、自分と向き合うことをしなかっただろう。この1年で少しではあるが自分と向きあうことができた。自分の考えを言うことを怖がらずに、ラベリングして考えることを放棄してしまわずに、これからは自分とも他人とも真剣に向き合いながら生きていきたい。
 最後に、先生やゼミ生とともに駆け抜けてきた1年間を私は誇りに思う。

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