「2012年度長谷川ゼミの軌跡」



(1)振り返りレポート

 <セシル>

 <ミシェル>

 <まいまい>

 <まゆゆ>

 <ラッパー>

 <かわしま>

 <ゆーめん>

 <えみし>

 <黒帝>

 <さちこ>

 <ニャンちゅう>

 <りんご>

 <はちべェ…>

 <ちえみん>


◆ゼミ用語集(別窓)



(2)12年度卒業論文 目次案・概要

 <セシル> 1 / 2 / 最終版

 <ミシェル> 1 / 2 / 最終版

 <まいまい> 1 / 2 / 最終版

 <まゆゆ> 1 / 2 / 最終版

 <ラッパー> 1 / 2 / 最終版

 <かわしま> 1 / 2 / 最終版

 <ゆーめん> 1 / 2 / 最終版

 <えみし> 1 / 2 / 最終版

 <黒帝> 1 / 2 / 最終版

 <さちこ> 1 / 2 / 最終版

 <ニャンちゅう> 1 / 2 / 最終版

 <りんご> 1 / 2 / 最終版

 <はちべェ…> 1 / 2 / 最終版

 <ちえみん> 1 / 2 / 最終版




◆ ウィンドウを閉じてお戻り下さい。





<えみし>



第1章 ゼミ始動


1-1 春休み、メーリス上での始動

 春休みの間は、メーリスでのやり取りが中心だった。メーリスでの活動が始まってすぐは、メーリスでくる連絡にどのように反応すればいいのかわからず、戸惑った。だからこそ、メーリスにはひとつひとつにしっかりと反応をしようと努め、アルバイトなどで長い時間メールの確認ができないときには、一気に何十通もメーリスが届いており、驚くことがしばしばあった。まだ正式なゼミとして活動が始まったわけではなかったが、メーリス上で意見を出し合うこともあった。顔の見えない相手に対して、メーリス上で意見をするのは怖いことでもあったが、このときには、メーリスの重要性をよくわからないながらも、みんなでゼミをやっていくためには自分はどう行動したらいいかということを考えていた。連絡を取る相手の顔が見えないからこそ、内容を確認したかしていないかなど、しっかりと伝える必要があるのだということをこのときに学んだ。
 メーリスでは、春休みの課題をお互いに提案し合い、私は「自分のこれまでの年表をつくる」というアイディアを出した。これまでの自分の20数年間にしっかりと向き合いたいと思っていた私は、これまでのことを振り返る機会がほしいと思っていたからである。他のゼミ生からもさまざまなアイディアが出、それらをまとめて「関心コラムを書き、関心地図を作る」という課題になった。
 関心地図を作るために、まず私たちは1人15個以上、自分の関心のある事柄についてコラムを書く必要があった。私は、その関心コラムを書くという課題に、まず一番に取り掛かった。自分が関心のあることをとにかく探そうと、ノートに関心があると思うものを書き出していった。自分はいろいろなことに関心があると思っていたが、意外と挙がらず、さらに、ひとつひとつに関しても意外と書けないことが多かった。このことには関心があると思っていたことも、実際にそれについて何かを書こうとすると知識不足を痛感するのだった。関心のあることに対しては、いろいろと考えたり思ったりしているはずだと思っていたが、実際に言葉にしようとすると書くことがあまり浮かばないのだった。それは自分にとってショックなことだった。
 他にも本を読み、要約と感想のレポートを書くという課題も出た。これは、ノートにわからなかった言葉や内容をメモしていきながら読んだ。そのようにして読むと、より本を深く読め、おもしろかった。1冊は指定された本を、もう1冊は自分で自由に選ぶことができた。私はジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱―』 (青土社、1999年)という本を読んだ。3年生の授業でセクシュアリティについて学び、セクシュアリティについて扱った映画を何本か見たことで、ジェンダーに関心を持っていたからだった。
 春休みは、ゼミでの課題を行いながらも、就職活動に追われていた。今ではあまり思い返すことはないが、1月から3月ごろが私の就職活動のピークの時期であったように思う。その時期は、いつのまにか説明会や選考などの予定でカレンダーが埋まり、毎日エントリーシートや履歴書を書かなければいけない状況に、自分でも対応しきれていなかった。就職活動というものに違和感を持ちながらも、なぜか私は毎日スーツを着て、にこにこと企業に対して笑顔をふりまいていた。私は、自分がどういう人かということは言葉にして「私はこういう人です。」と伝えるものではなく、人と関わるなかで作られたり、伝わったりするものだと思っていた。そのため、就職活動で自分がどんな人なのかアピールしなさいと求められることなどに大きな違和感を持っていた。


1-2 4月、第1回中間発表

 4月に入ると、ゼミでの活動が始まった。私はゼミ生にもともと付き合いのあった友人が<ゆーめん>しか居なかったため、最初のうちはとても緊張していた。話し合いのときには、みんなの意見をきちんと聞き、自分の意見をたくさん発言することや、書記を買って出るなどして、話し合いに参加する姿勢をとるように心掛けた。そうすることで、自分のゼミに対するモチベーションを保つことができていたように思う。
 そして、ゼミのホームページを作成するための話し合いが行われた。2012年度の長谷川ゼミでは、人数が多いことをうけ、2つのチームに分かれてホームページを作成することになった。私は、少しずつゼミがひとつになり、活動を本格化させているときだったので、2つのチームに分かれるということに驚いた。
 ゼミが終わった後などに話し合いの時間を設け、2つのチームに分かれるということはどういうことなのかということを皆で考えた。2つのチームに分かれることで人数が減るために、より親密な話し合いをすることができるのではないか。2チームあることでお互いに切磋琢磨できるのではないかなどの意見が出た。
 また、4月に入るとすぐに第一回発表があった。第一回発表のために、2チームに分かれメンバーそれぞれで集まり自分の関心について話し合う時間を設けた。自分が関心のあることをゼミ生に聞いてもらうのはこれが初めての機会だったため、私はうまく話せない自分がもどかしく思った。また、話を聞いてもらい、皆が意見を言ってくれることが怖くもあった。自分のことを話し、それに対して何か意見を言われるということが、自分を否定されることになるのではないかと思い、怖かったのだ。このときは、自分の関心についてうまく話すことができないと思っていたが、今振り返るとそもそも自分の関心というものをとらえることができていなかったのだと思う。
 ゼミ生の関心について話を聞くのはとてもおもしろかった。各自が書いた関心コラムや関心地図と合わせ、だんだんとゼミ生がそれぞれどのようなことを考えていて、どのような関心を持っているのかということが理解できていった。関心について話し合うときには、一方的に話を聞くだけではなく、「これはこういうこと?」「それはどうして?」といったように問いかけながら、皆でより深く考えていこうとした。
 そして、第一回中間発表が行われた。私は、この発表があったことが自分にとって本当に意味のあることだったと強く感じている。このときの発表で、私は「女子」「かわいいもの」「セクシュアリティ」について自分の関心があることを話した。しかし、このとき私は先述した通り自分の関心というものがよくわかっていなかったため、漠然としていてわかりにくい話をしただけだったように思う。セクシュアリティに関心があるという話をし、そう思うきっかけになった映画を何本か挙げ、そこからそもそも「女子」とは何かという話などをした。私は発表後のディスカッションの時間に「普通とか普通じゃないとかいうことに、どうしてそんなにこだわるの?」と言われた。 私がそれまで関心を持っていたと思っていたことや、それまで大事にしてきた何かががらがらと崩れ落ちるような気がして怖かった。私はその後しばらく、「普通とか普通じゃないとかいうことにがんじがらめになっている自分」を捉えなおそうと、どうしてそのようなことにこだわるようになったのかということを思い出そうとした。
 発表の場は、私にとってとても怖いものであった。昔から人前に立ち自分の話をするということがとても苦手だったために、私は話すための原稿を用意し、それ通りに話せばいいように準備していった。そうでもしないと緊張して自分が何を言っているのか、わけがわからなくなってしまうからだった。他のゼミ生の発表に対して、どのように意見すればいいのかもわからなかったので、とにかく自分が思ったことをなるべくたくさん発言しようとした。


1-3 ゼミのチーム分け、ホームページ作成

 ゼミが2つのチームの分かれたそれぞれのチームの名前が、【?】班と【!】班となった。私は【!】班に所属し、春休みの課題であった関心地図をどのようにゼミ全体の地図としてまとめるかということを何度も何度も話し合った。話し合いは難航し、いくつも意見が出ては、考え直しになり、なかなか決まらなかった。そのために、関心地図をどのような形にするかということでかなりの期間話し合うこととなった。しかし、2チームに分かれたことで、ひとりひとりと話をする際に近い距離で話すことができた。それぞれが全く違った考えを持っているために、真正面から意見をぶつけ合うことがはじめは難しいことだったし、自分の意見を否定されると、自分自身が否定されているような気がしてしまうこともあった。しかし、長谷川先生が意見の否定は人格の否定とは違うということを繰り返し言ってくれたことや、ゼミ生が皆本気でぶつかってきてくれることから、私も本気で意見を言った。このようにほとんど毎日顔を合わせて話し合いを重ねることで、少しずつゼミ生との信頼関係が築けていけたのではないかと今振り返ると思う。

page top




第2章 自分の家族について考えたいという思い


2-1 関心地図の制作、『アトラクションの日常』講読、フィールドワーク

 5月に入ると関心地図の完成を目指し、作業にさらに力が入っていった。また、『アトラクションの日常』の講読や、フィールドワークに向けての話し合いも始まった。
 『アトラクションの日常』の講読では、自分たちがこれまでいかに文章をしっかりと読んでこなかったかということを痛感させられた。構造として読むということがどういうことなのか、なかなかつかめずにゼミ生皆で苦戦した。3年生のときにテクスト講読で行っていたことよりもはるかにレベルの高いことをやっているのだという実感があり、それに必死でついていこうとしていた。私は「アトラクション3 流される」を担当した。繰り返し読み、本に書きこみをしたり、レジュメを作成し、自分の発表に臨んだ。私は、本を読み進めるときに、自分の実体験を思い浮かべ、そのことと関連させて読むという方法をとっていた。「アトラクション3 流される」では、私が普段利用している品川駅が出てくるために、私の日常的な実践と関連させやすかった。そうすることで私は本に書いてあることを実感として理解しようとした。
 フィールドワークへ向けての話し合いでは、候補地をたくさん挙げてはみるものの、何を調査するのかということがなかなか見えてこず、話し合いは難航した。フィールドワークを行う場所が上野と決まってから、本を読み歴史を調べ、そのことについてレジュメを作成したものの、それで終わりになってしまい、なかなか話が進まなかった。


2-2 6月、第2回中間発表

 そして、6月の発表に向けて自分のテーマについても掘り下げて考えていった。地元の近くにあるカフェに居座っては、ノートにひたすら自分の考えたことを書いていった。「普通とか普通じゃないということにがんじがらめになっている自分」をとらえなおすためには、自分の家族のことを話さなければいけないということは明らかだった。 私は、自分の両親が不仲であることをずっと悩んできた。今の私の状態をとらえなおすためには、それまで私が悩んできた家族のことについて考えてみなくてはならないと思ったのだ。私は、デジタルストーリーテリングで両親の不仲や父親が苦手であるということを発表したが、そのときも、このときも、それらのことを人前で話すということには大きな抵抗があった。しかし、このとき就職活動で偶然出会った子の家族の話を聞いたことなどから、自分がいかに「理想の家族像」というものに縛られ、苦しめられているのかということに気付き始めていた。私は、人前で話すことへの抵抗などはどうでもいいことのように感じられた。それよりも、自分のために、家族というものから距離を取り、捉えなおさなければいけないと思ったのだ。
 6月発表では、どうして卒業論文を書きたいと思うのかというところから話を始めた。私がゼミに入りたいと思ったのは、これまでの20数年の人生の集大成となるようなものが書きたいと思ったからである。 卒業論文を人生の集大成と考えたときに、私は自分自身としっかりと向き合い、これまでの人生を捉えなおしたいと思ったことなどを話した。さらに、4月の中間発表で言われた、「普通とか普通じゃないということにがんじがらめになっている自分」を捉えなおそうとしたときに、自分の家族の話をしなければならないと思ったことや、カフェやギャラリーという、人と人とが関わる空間に関心があること、また、それでもなおセクシュアリティには関心があることを話した。私は自分にとって、6月に行われた中間発表がとても重要な機会になった。自分が今考えていること、思ってきたことをゼミ生や先生の前で話すことができたということは、重要なことだったと思う。また、そうしたことでディスカッションの時間にゼミ生や先生からさまざまなお話をしてもらうことができたのだ。
 発表後には、『アトラクションの日常』の講読が再開されたが、私たちはこの講読にとても苦戦していた。ゼミの時間内だけではなかなか章を進めることができなかったため、正規のゼミの時間以外にも教室を申請して集まり、講読を進めた。私はこのとき、自分がしっかりと『アトラクションの日常』を読めていないことが悔しいと日々感じていた。発表者がその人の担当の章について発表してくれ、ディスカッションの時間を多く取ってそれぞれがどう読んできたかという話をしても、なんだかよくわからないという思いが残った。このときなぜか私は、そんな自分が卒業論文を書くことができるのか、自分はゼミになにか貢献することができているのかと悩んでしまっていた。このように悩むことは、不必要なことだったはずだが、その思いが先行してしまい、6月の発表後から自分の関心について考えを進めることができずにいた。

page top




第3章 自分の思いと実際にできる範囲とのギャップ


3-1 上野公園でのフィールドワーク

 7月に入ると、上野公園でのフィールドワークへ向けての話し合いが本格化し、具体的にどのようなことを調査するのか、それを調査することでなにがわかるのかということを話し合おうとした。上野についての歴史が書かれた本を読むなどして、知識をつけ、浮かんだ疑問を挙げるものの、それで結局何がわかりたいのかということまでしっかりと考えを進めることができなかった。そんな状態が続いてしまったために、私たちは何がわかりたいのかということは一旦置いておき、とにかく上野公園にある貼り紙を悉皆調査することになった。なかなか具体的なことを決めることができない私たちに、長谷川先生が与えてくれた課題だった。 私は、自分たちがフィールドワークを行うのだという意識が甘かったことを痛感した。ゼミに入ってから、「いつか誰かがなんとかしてくれる」というお客さん気分でいるのではなく、自分で考え、意見を言い、行動することを心がけていたはずだった。しかし、上野公園のフィールドワークの話し合いでは、自分がフィールドワークを行ってなにかを掴むのだという意識が持てていなかったように思う。結果的には上野公園で行われたフィールドワークはとても面白く、分けられたチームごとに悉皆調査によって考えられることをそれぞれ発表することもできた。しかし、ここでしっかり自分たちで考えを進めることができなかったことがとても悔しかったのを覚えている。


3-2 自分の取り組みへの不安や焦り

 私はそのころ、自分のテーマについても考えをうまく進めることができていないと感じており、ゼミ全体で行っていた『アトラクションの日常』についても自分が本をしっかりと読めていないと感じていた。ゼミの活動全体について焦っていた時期だったように思う。6月の中間発表で、長谷川先生やまわりのゼミ生からとてもいい発表だったと言ってもらえ、「<えみし>がゼミに居てくれてよかった」と言ってもらえた。私はそのことが本当にうれしく、この先卒業論文を書ききるまでしっかり頑張ろうと思っていたときだった。自分がもっと頑張りたい、もっと考えたい、もっと勉強したいと思っていることと、実際に自分ができる範囲とのギャップに一人で焦ってしまっていたのだった。
 ゼミでの活動とは関係のないことかも知れないが、私は就職活動の真っ最中だった2~3月ごろから閉所恐怖症のような症状が出ることがあった。満員電車や閉塞感のある飲食店にいると動機がし、「出られない・動けない」という気持ちが溢れて思わず電車を降りたり、お店を出たりしてしまっていた。身近な人にはそのことを話し、理解を得ていたために私生活に支障はなかったが、「このままでは私はどうなってしまうのだろう」という漠然としていながらも強い不安でいっぱいだった。ゼミを行っている教室が息苦しいと感じるときもあり、今思い返せば笑い話だが、このままではゼミを続けることができないかも知れないとそのときは思っていたのだった。
 おそらく私は、自分がわかりたいことを考えていくうちに、自分が相手にしようとしているものはあまりにも大きく、自分ではどうにもできないものなのではないかという不安に駆られていたのではないかと思う。


3-3 夏休みの活動へ向けて

 また、夏期集中講義に向けての準備も始まった。私は昨年集中講義を受講していなかったので、今年受講することになった。今年の長谷川ゼミでは、集中講義運営チームと夏ゼミというプロジェクトを行うチームとに分かれて夏の活動が行われることになった。私は集中講義は受講する側だったため、夏ゼミの活動に参加した。
 夏ゼミでは、自分たちが夏の間どんなことをするのかということを自分たちで考えるように言われた。今まで長谷川先生の授業で作ってきた作品をアーカイブするサイトを作るのがいいのではないかというアドバイスはもらったが、その先は自分たちで決めることになった。私たちは、ただアーカイブするサイトを作るだけではなく、自分たちにとっても長谷川先生の授業を受けてきた4年間を振り返ることができるようなホームページを作ろうとアイディアを出し合った。
 私は、長谷川先生の授業から大きな影響を受けてきたと思っている。しかし、その記憶は断片的なものが多く、それらの記憶を一本の糸でつなげるホームページをイメージした。


3-4 夏合宿、死に向き合うとはどういうことか

 また、夏合宿での発表へ向けて自分のテーマについても考えを進めていかなければならなかった。私は、たまたま観ることのできた『死刑弁護人』(齊藤潤一監督、2012年)や『隣る人』(刀川和也監督、2011年) という映画から考えたことを書きだしたり、6月のテーマ発表からさらに考えたこと、また自分の祖母が入院していてもう先は長くないと言われたことから考えたことを書き出していった。私は両親の不仲に悩んでいたというところから、自分を支えるものはなにか、死と向き合うとはどういうことか、といったことを考えるようになっていった。夏合宿の発表では、卒業論文の方向性として、ホスピスでフィールドワークを行いたいと考えていることなどを発表した。
 夏合宿のテーマ発表を経て、私は個人商店にフィールドワークを行うことに決めた。個人商店でフィールドワークを行うということ自体は先生が提案してくれたものだった。しかし、私の中で、自分の祖父母が豆腐屋を営んできたことが自分の今の商売への考え方に影響していることや、将来自分でカフェを作ってみたいと考えていること、また家族というものについて考える上でも家族経営の個人商店でフィールドワークを行うというのは、すとんと腑に落ちるテーマだった。


3-5 夏期集中講義

 夏合宿が終わるとすぐに集中講義がやってきた。今年のテーマは「なぜ働くのか」だった。私は集中講義がどのようなものか様々な話を聞いていたが、自分が受講するのは初めてだったため、緊張していた。実際に受講すると、普段ゼミにいる環境がいかに恵まれているものなのかということがわかった。普段ゼミにいるときは、それぞれが自分の意見を言い、お互いの意見を聞きあい、そこからさらに一緒に考えを深めようとする態度が自然に取られるが、集中講義ではそのようにはいかなかった。私は、なかなか意見を言わないチームの子に対して、どう接すればいいのかわからなくなり、食堂などで少し遠くから様子を見守ってくれていた夏ゼミの子たちに話を聞いてもらうこともあった。全員で考えたとは言い難い発表内容になってしまいそうだったため、私はもう一度皆で考え直さないかと提案し、しぶしぶチームの子たちはそれを受け入れてくれた。それでも結局、チームの子全員が集まることはできなかったが、全く知らない子たちと5日間どうにか頑張って議論しようとした結果を発表に出せたのではないかと思う。集中講義は、受講生が自らの力で考え、学ぶ授業である。私が「このように考えればいいのではないか」ということを言い過ぎてしまっては、考える機会を奪うことになってしまう。私はゼミ生として、4年生として適切な態度 で集中講義に参加できているのかどうか悩み続けた。さらに、普段は顔を合わせて話し合いをしているゼミ生たちが、私たち受講生に対して的確な意見や指摘をしている姿を見て、素直にすごいなと思ったり、自分だけが置いてけぼりにされているような気分になったりした。


3-6 夏ゼミの活動、4年間を振り返る

 集中講義が終わってから、再び夏ゼミの活動に参加し始めた。夏ゼミでは集中講義期間中にかなりの作業を進めておいてくれていた。夏ゼミでは、長谷川先生の授業でこれまで作ってきた作品をアーカイブするだけではなく、歴代のゼミ長の方々にインタビューするなどして、自分たちだけではない視点からも長谷川先生のゼミや授業を捉えなおそうとする試みを行った。自分たちの授業を振り返るリフレクションムービーも作ることに決めた。夏ゼミでは、「あれもやってみよう。これもやってみよう。」とどんどんアイディアが出てくるため、それをどうやるかということを考えることに話し合いの時間を多く使った。
 長谷川先生のこれまでの授業を振り返るために、夏ゼミメンバーとこれまでどのように授業を受けてきたかという話や、懐かしい授業のエピソードなどをたくさん話した。私は、それまでは自分が長谷川先生の授業において、「自己紹介ツール」や「デジタルストーリーテリング」を通して自分自身と向き合ってきたと思っていた。しかし、夏ゼミのメンバーと話していると、まわりの人がいたからこそできたという意見があり、私は確かに自分一人ではできなかったことばかりだったと改めて思った。自分一人の視点だけではなく、夏ゼミメンバーそれぞれの視点での振り返りを聞くことができて、私自身も自分の4年間についてより深く 考えることができた。

page top




第4章 なぜフィールドワークなのか


4-1 フィールドワーク先を探す日々

 9月に入っても、夏ゼミでの活動が続いていた。私は合宿後から集中講義や夏ゼミでやることがあるからと言って、自分のテーマについて考えることがあまりできていなかったように思う。また、このころはサークルのライブや最後の夏合宿へ向けてのバンド練習なども忙しく、いっぱいいっぱいな状況だった。
 それでも、個人商店でフィールドワークを行うとはどういうことなのか、なぜ自分がそれを行うのか、なぜ個人商店なのか、なぜフィールドワークなのか…ということを考えるために、文献を探したり、近所の商店街に出かけ、フィールドワーク先を探したりした。
 近所の商店街へ出かけたときは、この中のどこかのお店でフィールドワークを行うかも知れないという緊張感もあるのか、落ち着かなかった。私が写真を撮りながらゆっくりと歩いていると、八百屋の店先で喋っているおばさん達がこっちをじろじろ見ているように感じたり、パン屋での対応が常連さんらしき人とかなり違って感じられたりした。その商店街は、私の家から近くではあったが、昔からよく行っていた場所ではなかった。その地域にはその地域の人間関係というものができてしまっているのだろうと思った。私は、そのような出来上がった環境の中に飛び込んでフィールドワークを行うことがとても怖いことのように感じた。『暴走族のエスノグラフィー』などの文献を読み、フィールドワークをするとはどういうことなのか、どのようにすればいいのかということを勉強しようとした。
 夏合宿が終わってすぐのときにはあんなにも腑に落ちていた個人商店へのフィールドワークだったが、このときにはどうして自分がそれをするのかということがわからなくなり始めていた。個人商店というものをどのように捉えたらいいのかわからず、また、文献がなかなか見つからず、苦戦していたのだった。
 そんな中10月発表をむかえたので、夏合宿後からあまり進展したようには思えなかった。フィールドワーク先の候補として挙げたパン屋にも話をつけることができず断られてしまい、早急にお店を決定したかった。しかし、発表後もいくつかの喫茶店などにフィールドワークのお願いをしてみたものの、1ヶ月という期間限定であることや、学生であることから断られ続けてしまった。なかなか事が前に進まない状況に焦っていた。
 そんなとき、ゼミ長である<かわしま>が高校生のときに働いていたというおでん屋を紹介してくれることになった。私はもう初対面でフィールドワークのお願いを受け入れてもらうのは難しいと感じていたため、紹介してもらえるのは本当にありがたかった。一緒におでん屋さんについてきてもらい、店長に事情を説明してもらったところ、店長は1スタッフとして一生懸命働くということを条件に、フィールドワークを行うことを快諾してくださった。私は10月半ばから11月の半ばまでの1ヶ月間、そのおでん屋さんでフィールドワークを行うことになった。


4-2 おでん屋でのフィールドワーク

 <かわしま>が高校生のときにアルバイトをしていたお店は小さなおでん屋さんだった。大正10年創業の老舗である。
 はじめのうちは、記録の取り方もよくわからないままフィールドワークを進めた。とにかく、おでん屋さんで教わった作業の手順などを小さなメモに取るついでに、会話などもメモに取ろうとした。しかし、おでん屋では常に手を動かして仕事をしていなければならなかったため、ほとんど現場メモは取ることができなかった。そのため、退勤してからすぐに近くのカフェに入り、ノートにその日起きたこと・交わした会話などで覚えていることをとにかく全て書き出してから帰るという生活が続いた。そのメモはなるべくその日中に家に帰ってからワードに清書しようとしていたが、おでん屋で働いてくたびれてしまったり、慣れない環境でうまくフィールドワークが行えているのか思い悩んでしまうこともあったため、記録がうまく取れているとは言いづらかった。


4-3 ゼミでの進捗状況の確認、フィールドワークを終えて

 10月は、毎週のゼミでは夏ゼミや記録班、フィールドワーク班の進み具合の報告をしながらアップへ向けて最終確認が行われ、ゼミでの活動はそれ以外は自分の卒論のみとなった。11月からは毎週簡単に進捗状況の確認が行われ、先週なにをし、どこまで進み、今週なにをするのかを1人ずつ簡単に先生に報告した。私はフィールドに入っている間は、おでん屋に何回出勤したかということや、まだ書けていなかった第2章の執筆状況などを報告した。フィールドワークの報告の章をどのように書くかや、考察についてはフィールドワークが終わってから考えることにしていた。とにかくおでん屋でのフィールドワークに集中しなければならなかった。
 11月の半ばに私のおでん屋でのフィールドワークは終わった。私は、おでん屋にとって自分があくまでも部外者でしかないことを強く感じた。店長は、1スタッフとして扱うと言ってくれていたものの、私のミスをあまり怒ってはくれなかった。他のスタッフも、私に特定の仕事をさせないようにするなどしていた。それでも、最後の出勤の日には「とても寂しい」と言ってくださる方も居て、私自身も嬉しかった。1ヶ月という短い期間ではあったが、もっとおでん屋の役に立ちたいと思うのに、その期間は短くなかった。
 フィールドワークを終え、今後の進め方について考えることにした。私はフィールドワークの報告の章をどのようにするかあまり考えられていなかったが、ルポルタージュ形式で詳細に私の1ヶ月間を描くことにした。自分の心境の変化なども交えながら書くことで、私がどのようにおでん屋に入り込み、入り込むことができなかったのかということを書くことができた。11月の終わりにあった最後の発表へ向けて、とにかくルポルタージュを早急に書くことが私の課題だった。


4-4 11月中間発表、テーマに立ちかえる

 11月の終わりの発表では、途中まで書いたルポルタージュを全てと、自分なりに考えた考察の目次案を中心に据え発表した。しかし、私はこのときフィールドワークを通して何を明らかにしたいのかということが自分の中で曖昧になってしまっており、考察の目次案もぼんやりとしたものだった。私はこの発表で、「地域というネットワークにある家族というネットワークが個人商店を媒介にしてどのように成り立っているのか」というテーマに改めて立ちかえり、また、先行研究としていた坂田博美の著書である『商人家族のエスノグラフィー―零細小売商における顧客関係と家族従業―』(2006年、関西大学院出版会)を考察の土台として考えていくということを決めた。

page top




第5章 卒業論文への思い、家族というものを捉えなおしたい


5-1 おでん屋でのフィールドワークを受けて

 12月に入ると、毎週メーリスでの経過報告とゼミでの進捗確認が始まった。経過報告や進捗確認では、先週から今週までで卒論の字数がどれだけ進んだかということも報告しなければならなかった。私は、ルポルタージュを書ききるまでは字数は順調に増えていったが、その後の考察に苦戦した。
 私は、坂田の提示した「地域密着型小売店における多重ネットワーク構造」を土台に考察を進めていこうとし、坂田の考えた理論モデルに合わせて自分のおでん屋での経験を解釈していこうとした。しかし、坂田がネットワーク構造として提示しているものは、実際には「配偶者」や「従業員」などの社会的立場をネットワークとして言い換えているものにすぎず、これを考察の土台にして考えるのでは不十分であることがわかった。そこで、坂田の提示した構造の解体を試みることにした。
 解体といっても、どうすればいいのかなかなかクリアに考えることができなかった。今考えると、付け焼刃でいろいろ本を読んで何かできるようになるとも思えないが、そのときはネットワーク分析の本をとにかく読み、考察のしかたを参考にしようとしていた。しかし、ネットワーク分析のために行われる調査と、私が行ったフィールドワークでは記録の取り方も大きく異なるため、大変参考になったかといえば、そんなことはなかった。
 私はおでん屋で自分が見てきたものを図に起こそうとしたり、言葉でひとつひとつ説明しようとしたりして、とにかく考察を進めようとした。この期間は、もう時間がないという焦りもあり、また、自分が勉強不足であったこともあり、考察を思うように進めていくことができないことに悔しさを感じていた。


5-2 自分が本当に考えたいことはなにか、提出へ向けて

 さらに、私は12月の半ばになってようやく、自分は家族について考えたかったということを改めて思いだすことができた。家族について考えたいということは、夏合宿前からずっと変わらなかったはずなのに、私は家族経営についてや個人商店についての文献を多く読んでいるうちに、そのことが自分でよくわからなくなっていたのだった。家族について考えたいのだということを改めて自覚した私は、家族社会学の変遷についての文献も読み直すことにした。
 ここからは本当に時間が経つのが速かった。学校の図書館で作業できる間は、朝から閉館時間まで図書館にこもり、一緒に図書館で作業していたゼミ生たちと昼食や夕食を一緒に食べる日々だった。考察はなかなかうまくいかなかったが、とにかく書くしかないという気持ちで書きすすめた。12月の終わりからお正月にかけては学校で作業することができないため、家にこもって作業をしたり、年末年始でもはやくから開いている図書館を探して作業をしたりした。12月24日にゼミ内提出を終えてからは、とにかく見直しの作業と考察の書き直しを行った。見直しでは、自分が書いたものを一度頭から読んで誤字脱字、文の繋がりなどを直していったが、この作業がとても辛いものだった。自分が書いた文章をもう見たくないと思っていたからだった。しかし提出するまではきちんと面倒を見ようと決心したため、自分が書いた文章だと思わずに読み進めるようにした。
 ついに卒論提出の日。朝早くからゼミ生が集合し、集まった人皆で提出しに行った。私は卒論を提出するという実感があまりなく、やりきったと心から思うこともできず、達成感があるわけでもなかった。もっと書き直したいところがたくさんあったという思いと、それも含めて今の自分の実力を知ることができたという思いだった。
 卒論を提出してからは、口頭試問へ向けてまた自分の卒論を読みなおした。あんなに見直したはずだったのに、様々なところに誤字脱字やミスが見つかった。どうしてこんなに簡単なミスを見つけることができなかったのかと恥ずかしく思った。また、私は卒論を書いている間読めていなかった新書をまた読み始めた。卒論を書き終えてからは、とにかく勉強をしたいという思いが強くあった。いろいろなことを考えるために、自分には勉強が必要だと思ったのである。


5-3 口頭試問へ向けて

 口頭試問へ向けて、ゼミ生が集まって原稿の読み合わせをしたりもした。毎週のゼミが終わってからは、皆に会う機会もぐっと減ったため、久しぶりに会えるのが嬉しくもあった。口頭試問には、どんな評価を言われるのか、どんな質問をされるのかと緊張しながらのぞんだ。
 口頭試問当日は、はやく集まって最後の原稿の読み合わせや教室のセッティングなどを行った。口頭試問が始まってからは、私の順番は後ろのほうだったために、他のゼミ生が評価を受けているのを聞いていたが、先生の言葉をノートにメモを取りながら、その評価がまるで自分のことのように感じた。
 私は、口頭試問では思ってもみなかったいい評価をいただけた。特に、ルポルタージュの部分の記述について評価していただけた。私は自分がおでん屋に入って感じた、自分があくまでも部外者であることを書いていたにも関わらず、それがどういうことかという考察には至ることができなかった。自分のなかで、自分の考察には何かが足りないと思っていたが、それが何かというのは自分ではわからなかった。しかし、口頭試問で評価をいただいたときに、文化人類学においては、フィールドに入る研究者自身がどういう存在かということが問題にされるという指摘を受け、私にはそのような視点が足りなかったのだということがわかった。私はそのことに納得し、文化人類学においてそのようなことが考えられていることについて勉強し、自分の卒論についてもっと考えを進めたいと思った。
 口頭試問を終え、正規のゼミの活動は全て終了した。しかし私はやはり、終わったという感覚があまりなかった。私は卒論にも書いたように、あくまでもこのとき、ここが出発点だと思ったのだ。私は4月からカフェをやっている会社に就職し、従業員として働くことになる。しかし、考えることはこの先もずっと続けたいと思っており、時間を見つけて勉強したり、考えたことを文字にしたりしたいとも思っている。長谷川先生から教わったり、この1年間をかけて自分たちでつかんだりした考え方を、これからどのように生かしていけるか楽しみだとそのとき思った。

page top




第6章 卒業論文を書き終えて、これからのこと

 私はこの1年間で自分の人生の集大成になるようなものを書きたいと思い、ゼミを志望した。自分のこれまでの人生を振り返り、自分がこれまで「理想の家族像」というものにいかに囚われていたかということがわかった。家族が近代に入って作られた制度でありながらも、実際に家族と呼ばれる関係を作る人がいることや、自分自身がそうであるということも考えることができた。だからこそ、家族というものから距離を取り、捉えなおすことは難しい。私は未だに、人と人との関係や、家族という関係を実体として、そこにあるものとして考えてしまっているのだ。
 これまでの人生を捉えなおすことは、同時にこれからどのようにして生きていくのかを考えることでもあった。私は、カフェを作る会社に就職を決めた。就職してからは、実際に店舗で料理を作ったり、お客様に接したりする日々になる。私は、いつか自分でお店を作りたいと考えている。自分の中に漠然とあったそのような思いを人前で話したのも、長谷川先生の授業で行ったデジタルストーリーテリングの発表のときが初めてだった。私はこれまで、長谷川先生や一緒に従業を受けていた友人やゼミの仲間たちとともに、考えることをし、お互いに意見を言い合い、さらに考えを深めることができてきた。この先卒業したら、そのあとは自分一人でさまざまなことを考えていかなくてはいけない。私はいま、ゼミ生と集まる機会がなくなって約1ヶ月ほどが経つが、自分がいかに恵まれた環境にいたのかということをひしひしと感じている。就職へ向けた研修に追われる日々のなかで、私は卒業論文を書き終えた時点で考えたいと思っていたことをほとんど考えることができずにいる。本を読もうと思っていても、いくらでも作ることができるはずの時間を、「時間がない」と言って無駄にしてしまっていたりする。就職したらなおさらそうなるであろう状況に、不安がある。この1年間で学んできた考え方や、ものの捉え方を忘れないように、さらに考えを進めていけるようにしたいと思う。また、研修をしている店舗では、身体を壊して退職する人がいたり、先輩社員の話を聞いたりして、自分がこれからどうなってしまうのか、不安を隠せずにいる。しかし、私がこの会社で働くことは、いつか自分がお店を作るための修行のようなものだということを忘れずにいたい。私がこれから働いていくなかで、デジタルストーリーテリングで発表した漠然とした思いや、この1年間ゼミの仲間と考えてきたこと、また、卒業論文を書くことができたということは大きな支えになるだろうと思っている。卒業論文を出発点として、私はなにかを始めることができているかと言えばわからないが、その思いを忘れることなく、これからの日々を生きていきたいと思っている。

page top