<ミシェル>
第1章 新しい環境の中で動けない自分
私がゼミに入った理由は、「大学生活で何かを残したかったから」という漠然としたものでした。ゼミを志望するかどうかも直前まで悩んでいて、自分に卒論を書くほどの根気があるのかもわかりませんでした。私は3年間長谷川先生の授業をとっていて、自己紹介ツール、デジタルストーリーテリング、集中講義などに全力で取り組んできました。全力でしたが、なかなか自分と向き合うということが難しく、考えを深められなかったこともありました。そのため、自分は卒論を書くことができるのだろうかという不安が募り、ぎりぎりまで志望を決めかねていたのです。しかし、ここでゼミを志望しなかったら、自分は成長できないままであり、何年か先にこのことを後悔するのではないだろうかと思い、私は長谷川ゼミを志望することにしました。
私は、「新しい環境」というものが苦手で、人やその場になかなか馴染むことができません。そのため、春休み中に行われたメーリス上でのやりとりや、毎週のゼミでの話し合いに積極的に参加することができませんでした。他のゼミ生が意見を出しているのを、黙ってうなずいているだけのことが多かったです。また、ゼミ内での役職決めの際に、みんなが様々な役職に立候補していく中、私は最後まで何の役職にもつかず、自分はゼミにどうやって貢献できるのだろうかと考えました。他にも、ウェブサイト作りのために、分かれた【!】班と【?】班の中では、私は常に聞き役で、相変わらず積極的に参加できない自分に、常に悶々としていました。自分から考えて行動しなくてはならないとわかってはいたのですが、具体的に行動に移すことはありませんでした。この時はまだ、「自分は卒論を書くことができるのか。」ということよりも、「自分はゼミの中でやっていけるのか。」という不安の方が大きかったです。
このように当初を振り返ってみると、ゼミに入る前、入った直後の私は、自分のことでいっぱいいっぱいだったと思います。志望理由だけでなく、自分が何をしなくてはいけないのかということさえも漠然としていて、自分自身はっきりわかっていませんでした。4月の後半に行われた第1回発表においても、発表前にゼミ生と話し合いを行ったのですが、どのように考えを深めたらいいのかわからずに、ただ話を聞くだけという状態でした。ゼミ生とは、それぞれの関心事について質問を交わしたりしましたが、なかなか濃い話し合いはできていなかったと思います。
私は、3年の集中講義のときに、話し合いの大切さについて学んでいました。他人の意見を聞くことで、自分の見方でしか見られていなかったものを多角的に考えられるようになるので、なるべく色んな人に自分の話を聞いてもらうことが大切なのです。しかしゼミは、集中講義のときのように何か1つのテーマがあるというわけではありません。ゼミ生それぞれに、自分の興味のあること疑問に思っていることがあり、それらを一緒に考えて行きます。自分が今まで興味を持ったこともないようなもの、例えば「乙女ゲーム」や「ヒップホップ」、「ギター」などの話が出てくると、自分は何を言ったらいいのだろうと悩んでしまい、あまりアドバイスや指摘をすることができませんでした。
その興味の対象となるものをよく知らない立場の人から出る指摘は、とても重要なものであり、自分の決めつけやイメージに気がつくチャンスです。しかし、この時はその重要さをあまり理解しておらず、気になったことやわからないことをとりあえず質問して、話をしていました。でも、そういったやりとりが無駄だったわけではありません。この積み重ねが今の自分につながっているのであり、最初から今の状態を目指すというのは無理な話です。4月は、「自分はこんな状態で大丈夫なのだろうか。」と悩むことが多かったですが、話し合いを繰り返し行うことで、自分がどう考えたらいいのか、どう行動に移したらいいのかということが少しずつわかっていった時期でした。
第2章では、5、6月のことをお話しします。この時期は、少しずつではありますが、ゼミでの活動や話し合いにおいて積極的に自分から動き始めた頃です。ブログやツイッター、ウェブサイトの作成の他に、『アトラクションの日常』の講読やフィールドワーク、座談会、夏ゼミなど卒論以外にも多くの活動を行なわれた月でした。4月までの「自分は大丈夫か」という不安を持っている暇もないほど、様々なことに挑戦したと思います。これらの活動が今の自分にどうつながっているのかを振り返り記述します。
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第2章 悩むよりも動いてみる
この2ヶ月は、多くのことを経験してきましたが、その中でも『アトラクションの日常』の講読や、関心地図座談会が、私の中で少しずつ動けるようになったきっかけだと思います。
『アトラクションの日常』の講読は、私は第2章「乗り込む」を<さちこ>と一緒に担当しました。3年時のテクスト講読で一回読んだ章だったのですが、ゼミでは3年時とは異なり、もっと高いレベルの読み込みが問われます。本の中で引用されている文献にあたり、それぞれの章が本全体においてどのような位置にあたるのかということまで考えなくてはなりません。そのためゼミの授業がない日は、2人で話し合い、第2章を読み込んでいました。お互いに「乗り込む」で扱われている参考資料についての説明をし、それが第2章ではどのような重要性を持っていたのかということを考えました。
また、自分の担当している章だけでなく、他のゼミ生の講読発表に向けて、事前に他の章も読み込むということが、私の中でとても重要な経験となりました。自分が担当する章は1つですが、他の章を読み込むことにより、第2章「乗り込む」が『アトラクションの日常』においてどういう位置のものだったのか、ということを考えることができます。また、講読発表では、他のゼミ生と意見を交わすことで、本の読み方や考え方を具体的に学ぶことができました。私は、本を読むのが苦手なので、毎回ノートに本の内容を手書きで整理するということを行っていました。他の人の発表を聞いていて、少しではありましたが、自分はこのように読んだという意見を言うことができ、自分の発表の時にも、出された質問に答え、みんなと一緒に考えて行くことができました。
今までの人生において、私はこのように他人と1冊の本を読み、それについて話し合うということをしたことがありませんでした。3年のテクスト講読の授業で少し行ってはいたものの、ゼミのように事前にこんなに読み込んで参加するということは初めてです。ひとつひとつの文章に注目し、その段落にはどのようなことが書いてあったのかということを読み解いてみて初めて、「本」というものがどのように書かれているのかとわかりました。『アトラクションの日常』を読むことで、本の読み方というものを学ぶことができました。
そしてその経験は、自分の卒論にもつながっていると思います。この頃は、まだテーマも決まっていない状態だったので、『アトラクションの日常』の講読が、自分の卒論に活かすことができるのかわかりませんでした。しかし、今考えてみると、こうして1冊の本をみんなで講読したことにより、章と章のつながりや文の構成、脚注のつけ方、資料の参考の仕方など、様々な面において学べたことが多くありました。本を読むということは本を書くということにしっかりとつながっていたのです。
4月のゼミ開始直後に、私は「自分はゼミでやっていけるのか」ということが不安だったのですが、5、6月に入り、やることがたくさん溢れてくると、自然にその不安はどこかへいってしまいました。悩んでいるよりも、身体や頭を動かしてみることで、自分がどのようにひとつひとつの課題に向き合っていくべきなのかわかるようになったのです。
長谷川ゼミでは、それぞれの班で関心地図を描いてみてどうだったのか、というテーマで座談会を行いました。私はカメラ係を担当したのですが、そのことが現在にもつながっていると思います。私はこの1年間のゼミを通して、ゼミ生の活動の様子を写真におさめてきました。記録係に任命されたわけでも、誰かに頼まれたというわけでもないのですが、みんなの活動記録というものを残したいと思い、勝手にゼミの写真を撮り続けています。記録を残したいと感じたのは、この座談会が行われたときからでした。初めは、ウェブにあげる目的で写真を撮っていましたが、私は、座談会という場を準備する人や、メモを担当する人、タイムキーパーを担当する人の写真も多く撮っていました。公にはなりませんが、裏で支える人がいるからこそ、座談会は成り立っているのだということを記録に残すのは、準備している人にとってもやりがいが生まれると思います。また、みんながゼミ活動を行う姿を撮るのは私も楽しかったので、これを続けて行こうと思いました。
第1章で、役職決めの際に、私は何の役職にもつけず、ゼミにどのように貢献していくのか悩んだことを記述しましたが、何の役職にもついていなくても、このように自分から何かやりたいことを見つけて動けばいいのだと感じました。このようにゼミ活動が始まってから、色々な経験をすることで、自然と自分から考えて動くことができるようになりました。今まで撮りためた写真は、何らかの形で長谷川ゼミの記録として残せたらいいなと考えています。
第3章では、7、8、9月のことを振り返ります。この時期に一番私に大きな影響を与えたのは、やはり「夏ゼミ」と「合宿」です。中でも「夏ゼミ」の活動では、様々な面で成長することができたと思います。夏ゼミ班は集中講義班とは異なり、決まった作業が最初からあったわけではありませんでした。そのため、初めは何を行ったらいいのか悩んではいました。しかし、夏ゼミメンバーで話し合いを重ねるにつれ、どんどん活動は、中身の濃いボリュームのあるものになっていきました。うまくいかないことや、考えを深められないこともありましたが、ここでの経験は私にとって非常に重要なものです。そのことについて次章では述べたいと思います。
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第3章 今までの経験と今の自分とのつながり
この章では、主に7、8、9月に行われた「合宿」と「夏ゼミ」について振り返ろうと思います。芸術学科メディア系列は、3年時の夏に「集中講義」という授業を行います。そして、長谷川ゼミは毎年、受講生が講義に集中して取り組むためのサポートをしています。12年度の長谷川ゼミは人数的な問題もあり、集中講義をサポートする班と、集中講義とは異なる活動を行う夏ゼミ班に分かれました。私は夏ゼミのメンバーに選ばれたのですが、まだ活動内容が何も決まっていない状態だったため、まず何をするのかというところから考え始めることになりました。
夏ゼミのメンバーは、私を含めて6人で構成されています。チーフである<ちえみん>、<さちこ>、<黒帝>、<えみし>、<コンカ>がメンバーに選ばれました。そして、夏ゼミでは、今までの長谷川先生の授業で作成した「自己紹介ツール」や「本ではない本」の作品をアーカイブにまとめるという作業をすることになりました。それに加えて、他にも様々な企画を自分たちで考えました。自分たちとは異なる視点からゼミを考えるための、ゼミの先輩へのインタビューや、3年間の長谷川先生の授業を振り返るムービーを作り、それらが今の自分にどうつながっているのかを考えるというものなどがあります。3年間を振り返るのは、私たちにとって大事なことでした。
当時は、なぜ自分がこの課題をやるのかわからないと思っていたことも、4年生になった今だからこそ、その授業が自分の中でどういう位置づけだったのか考えることができます。このように、夏ゼミ班では、HP作成をすると同時に、今までの私たちを振り返ってきました。
また、8月にあるゼミ合宿に向けて、主に夏ゼミ班の人々と卒論について語ってきました。私は夏合宿において、「子どもらしさがいかに作られるのか」というテーマに、アンパンマンこどもミュージアムにフィールドワークをすることでアプローチしていくことが決定しました。このテーマは簡単に決まったことではありません。夏合宿までの間、私は一体自分が何をわかりたいのかということがわからなくて悩んでいました。そんな時に、長谷川先生や夏ゼミの人々に相談することによって、自分の関心が一番どこに向いているのかを考える手助けをしてもらいました。自分が話したことに対してゼミ生が「これはどうしてそう思ったの?」など質問してくれることによって、自分の物の見方というものを客観的に見ることができるようになっていきました。他にも、ただ文字に書いてみるだけではなく、自分の疑問や関心事を図にして描くことで、自分の考えをわかりやすく可視化することにも挑戦しました。
夏合宿でテーマが決まったといっても、これは自分の力だけで決められたテーマだとは思いません。自分の話を聞いてくれる人々がいるからこそ、私はこのテーマにたどり着くことができたのだと思います。卒論を執筆するのは自分ですが、卒論を作り上げるのは、私ひとりの力ではできなかったと思います。そのため、この夏合宿やそれまでの道のりは、とても貴重な過程でした。
しかし、私は自分がみんなに話を聞いてもらったように、ゼミ生の話を聞くことができたのだろうかという反省が残ります。ただ話を聞くだけでなく、それぞれが自分の一番知りたいことやテーマに近づけるために、聞く側である私たちも様々な質問をして視点を広げていかなければなりません。それは決して簡単なことではありませんでした。みんなの関心が自分の関心とはまったく違うため、何をどう聞けばいいのだろうか悩みました。自分について話すことが難しいのは、2、3年のときの長谷川先生の授業で痛感していたのですが、他人の話を聞いて深めて行くのも難しいものだと、ゼミに入ってから感じました。そして、最後まで私はうまくゼミ生たちの話を聞いてあげられなかったと思います。
私は、他人の持っている考えに対して、「なぜそう考えるようになったのか」ということを追って行けるように話しを聞くことを心がけていました。しかし、話し合いの中でアドバイスや指摘をすることがあまりできないまま、ゼミでの1年が終わってしまいました。これが私の反省点ですが、ここで反省して終わりというわけではなく、自分の話をすることや相手の話を聞くということは、これからもいくらでもできることです。すぐに人の話が聞けるようになるとは思いません。このゼミに入ってから学んだように、経験を少しずつ積み重ねることで、だんだん人の話をどう聞くべきかということがわかってくるのだと思います。私はゼミを卒業したあとも、様々な人と話し合い、お互いの考えについて意見を交わしたいです。
合宿が終わったあとの夏休みも、私たちは夏ゼミの作業を続けていました。作品をアーカイブにまとめる、リフレクションムービーを作ると言っても、簡単に終わる作業ではありませんでした。作品の撮影を担当するものや、タグ打ちを担当するもの、リフレクションムービーを担当するものなど、役割をわけて行いました。
私は、リフレクションムービーの作成や夏ゼミの作業風景の撮影を手伝っていました。みんなが作業している様子を撮影するのはとても楽しく、「メイキング」という形でHPに残すことができました。また、リフレクションムービーを作るのは大変でしたが、ムービーの構想を練るために、みんなと3年間の授業を振り返るのは、とても貴重な時間でした。
ゼミ生とは3年間一緒に授業を受けてきましたが、それぞれが異なる姿勢で授業を受けてきたため、どの時期が重要だったとは一概に言い切れません。また、自分たちの作品などをアーカイブにまとめていましたが、その作品ができるまでにどのような話し合いや発表が合ったのかという過程を振り返るのがリフレクションムービーにおいて重要です。そのため、ゼミ生と「あの時受けた授業がどう今につながっているのか」ということを話し合い、当時とは異なる視点で自分たちの大学生活を考えることができました。
この夏は非常にたくさんのことに時間をかけて取り組めたと思います。夏ゼミの活動をHPという形にすることはできましたが、HPを作るまでに、自分たちがどのように考え話し合ったのか、そういった過程が私にとっては非常に貴重な体験となりました。そして、それは卒論を書くということにも同じことが言えるのだと思います。自分たちがまとめたHPが直接に卒論に関係するというわけではないのですが、ここで経験したことや考えたことは、卒論を書く上でも間接的に関係しています。今までは、自分の視点からしか見ることができていなかったことが、他のゼミ生からの様々な視点を知ることによって、対象を多角的に見ることができます。それは今までの大学生活を振り返ることにも、卒論でテーマを考えることにも必要な視点です。ゼミで培ってきた経験は、直接自分の卒論のテーマに関係するというものばかりではなく、もっと根底のところにある、自分の考え方やものの見方というものを捉え直すことにつながっているものなのだと思いました。
次の章では10、11月のことについて振り返ります。いよいよ卒論の執筆に本格的に取りかかり始めた時期です。個人での執筆が主な活動となってきましたが、前期のゼミでやってきたことが、卒論執筆にどのように影響していたのかということを振り返りたいと思います。そして、自分が卒論とどのように向き合って来たのかを記述します。
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第4章 ゼミという環境
夏休みが終わると、いよいよ卒論執筆が本格化され、主に個人での活動となりました。個人の活動といっても、前期までゼミ生と行ってきた活動や話し合いなどが、自分の卒論執筆にも大きな影響を与えています。これまでの積み重ねがあるからこそ、卒論を執筆することができたのだと思いました。
私の卒論は、『「子どもらしさ」はいかに作られるか―アンパンマンこどもミュージアムから探る』というテーマです。アンパンマンこどもミュージアムにおいて、「子どもらしさ」に関わる全てのアイテムを記録し、その中にいる人々の振る舞いを見るというフィールドワークをアプローチ方法としていました。フィールドワークは、9月から始めていたのですが、なかなか進めることが難しく、この時期まで停滞した状態でした。
今まで私は、子どもを「子ども」というイメージとして見てきました。私にとって子どもというものは「純粋でかわいい存在」であり、無意識のうちのそのイメージを全ての子どもに当てはめて見てきたのです。そのため、フィールドワークにおいてその場で起こる具体的な事実を記録するということは、今まで自分が見えていなかったイメージに当てはまらない子どもや大人を見るということであります。物事をフラットに見ることの大変さを痛感しました。大学3年生の頃、長谷川先生の授業で「認識は現実とは違う」、「私たちは選択的にものを見ている」ということを学びました。この授業を受けていたときは、言葉では理解しているつもりでしたが、自分に引きつけて考えることができていませんでした。しかし、実際にゼミで卒論を書くことで、これらを自分のこととして実感できました。大学生活を通して学んだことが、ただ学んだだけでなく、自分からそのことを具体的に考えられるようになったのだと思います。そう考えると、自分は少しずつ成長していたのだなと感じました。
自分から考えて行動することができるようになってきたとは言っても、私は11月まで、思うように進まないフィールドワークの作業をだらだらと続けていました。対象となるものを写真に収め、配置を確認する作業を行っていましたが、人々がその空間でどのように過ごしているのかという肝心な部分を記録できていませんでした。しかし、ゼミ生と卒論の進捗状況について話すことで、私は自分に甘えていたのだと気づかされました。ゼミ生の中には、同じようにフィールドワークというアプローチ方法をとっている人や、図書館に通い雑誌を読む作業をする人などがいます。卒論について悩んでいることや、調べてみてわかったことなどを話すことで、みんな自分の卒論に向き合い、時間の許す限り精一杯やろうと頑張っているのだとわかりました。私は、アンパンマンこどもミュージアムはいつでも行けるからと言って、なかなか作業に区切りをつけずにいたことが恥ずかしいと思いました。自分が卒論を書くのだという意識が低かったのです。自分がこのテーマについて考えたいから、このアプローチ方法で卒論を書くのだと決めたのにも関わらず、うまく進まないために滞っていた自分を反省しました。
自分の卒論を執筆するのは他ならぬ自分でしかありません。しかし、執筆までにゼミ生と話し、考え、お互いにアドバイスをすることによって、私は卒論を書くことができました。ゼミという環境があることが大変ありがたいことだと感じますが、私はいつまでもこの環境の中にいられるわけではありません。しかし、当たり前のようになっていた環境がなくなるからといって、自分ひとりでは何もできないというわけではないと思います。ゼミで経験したことや考えたことを、これから様々な面において活かすことができるはずです。そのためにも、今までやってきた文章を書くことや、本を読むこと、考えること、人と話すことなどを継続していきたいと思います。
次章で振り返り文はラストとなります。卒論執筆を終えるまでの1ヶ月と、卒論を終えてからのことを記述します。
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第5章 卒論を通して見えてきた自分
12月に入ると、いよいよ卒論ゼミ内提出まで24日、本提出まで1ヶ月となりました。ゼミ生は24日までに、卒論を一通り書き終えるという目標を掲げて作業に取り組んでいました。振り返るといっても、この1ヶ月は怒濤のものであり、正直あまり覚えていません。自分が行ってきた調査などを取りこぼすことなく卒論に反映させようと必死になっていました。
しかし、実際に文章にしてみると、自分が考えてきたことや調べてきたことに対して多くの不足点が浮き出てきました。例えば、読んできた本が少ないということです。「子ども」についての歴史を調べるにしても、歴史のほんの一部分しかまとめられていないため、多角的にものごとを見るということができませんでした。今までとは異なる見方をできたとは思いますが、また異なるひとつの方向からでしか「子ども」について考えられていません。また、フィールドワークの記録をまとめても、そこから自分がどういうことに気がついたのか、気がつけなかったのかということがまだ曖昧で、アプローチするだけでは足りない勉強不足な部分があるのだと痛感しました。
このようにして12月は、卒論を書いて見直しを行うたびに、自分の不足点が浮き彫りになり、今までの行動の甘さを後悔する日々が続きました。私は卒論を書く前、自分の持っている力を卒論という形で表すことができると感じていました。大学で学んできたものの「集大成」として卒論の執筆を行ってきたのですが、いざ書き終えてみると、今の自分の力というものがどれ程のものなのか痛いほど見えてきます。
しかしこれは実際に行動に移してみたからこそ知れることであり、今の自分というものを見るのはとても大切なことです。自分に足りない部分をまず把握するということが、次に自分が何をすべきなのか、考えるべきなのかという具体的な行動へとつながるのだと感じました。
1月には卒論を書き終えて口頭試問を行いました。そこでは、先生からの卒論の講評をいただきました。私は、アンパンマンこどもミュージアムにおける子どもと親の振る舞いや期待をとらえられてはいるが、その重要性には気づけていないという指摘をもらいました。子どもらしさというものは、施設と人々の相互行為で構築されて行くものであるにも関わらず、私は既にそのイメージが出来上がったものとして施設や人々を見ていたのです。相互に作り上げるものであるという重要な点を押さえられていないため、考察も弱いものとなっていました。また、フィールドワークというものについても、利点や危険性を整理し、確認することができていないと指摘されました。
これらの指摘を受けて、さらに自分の卒論の不足点に気がつくことができました。ゼミは卒論を書けたらそれで終わりだと思っていましたが、このように自分に対する課題というものがまだまだ残されています。卒論に対しても、提出できたからと言って、ここで終わってしまうのはもったいないと感じました。この問い立てに対して考えきれなかった点や、書ききれなかったことというのは、ゼミという環境がなくても、自分からアプローチすることができるはずです。もちろん、自分の中だけで考えるのではなく、人に聞いてもらい、また人の話しを聞くということでさらに新しい視点が開けて行きます。今までやってきたことは、卒論という形で一旦終わりましたが、これからもまた別の形で自分の考えや疑問を育て続けて行きたいです。
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第6章 1年間を通して
ゼミでの1年間は、自分がこれから日常において、何を考えてどう行動に移していくのかという具体的なことを学びました。
最初は、うまくゼミの中で振る舞うことができない自分に不安を抱いていましたが、だんだんと自分が何をすべきかがわかってきて、自分の考えをゼミ生に話すことができるようになりました。しかし私は、他の人が最初に行動してくれるのを待っていることが多く、自ら進んで行動することは、なかなかありませんでした。それが反省点です。
ゼミの中では、全員がひとつひとつの活動に真剣に取り組んでいて、ゼミ生ひとりひとりに向き合ってくれます。この環境はとても恵まれているものでありますが、いつまでもこの環境にいられるわけではありません。卒業したら、また別の新しい環境へと入っていくのです。しかし、ゼミ生がいないからといって、自分のことについて話せなくなるわけではありません。どんなところにいても、自分でものごとを考えて人と話すということはできるはずです。
今まで私たちは、「卒論を書く」という目標で様々な活動をしてきましたが、それはただ卒論にだけつながっているというものではないように思えます。ゼミ生それぞれがこれから向かうべきものや作業というのは異なりますが、その根本にある、ものの見方や考え方というのはつながっています。ゼミでの様々な経験が、自分の卒論執筆にもつながっていたように、この1年間で経験したことはこれから先の自分にも必ずつながっていくのだと思います。そのために、私はこれからも考えること、書くこと、人と話すことというのを継続していきたいです。
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