「2012年度長谷川ゼミの軌跡」



(1)振り返りレポート

 <セシル>

 <ミシェル>

 <まいまい>

 <まゆゆ>

 <ラッパー>

 <かわしま>

 <ゆーめん>

 <えみし>

 <黒帝>

 <さちこ>

 <ニャンちゅう>

 <りんご>

 <はちべェ…>

 <ちえみん>


◆ゼミ用語集(別窓)



(2)12年度卒業論文 目次案・概要

 <セシル> 1 / 2 / 最終版

 <ミシェル> 1 / 2 / 最終版

 <まいまい> 1 / 2 / 最終版

 <まゆゆ> 1 / 2 / 最終版

 <ラッパー> 1 / 2 / 最終版

 <かわしま> 1 / 2 / 最終版

 <ゆーめん> 1 / 2 / 最終版

 <えみし> 1 / 2 / 最終版

 <黒帝> 1 / 2 / 最終版

 <さちこ> 1 / 2 / 最終版

 <ニャンちゅう> 1 / 2 / 最終版

 <りんご> 1 / 2 / 最終版

 <はちべェ…> 1 / 2 / 最終版

 <ちえみん> 1 / 2 / 最終版




◆ ウィンドウを閉じてお戻り下さい。





<まいまい>



第1章

 私は大学3年までの期間、決して真面目で熱心な生徒ではなかった。今となっては、いつもなんとなく授業を受けていて、自分から学ぼうとする姿勢が欠如していたことを嫌なくらいわかっている。しかしそれまでそれを本気で直したいと自分から行動したことはなかった。わたしがゼミを選択したことを先生や他のゼミ生は意外に思っていたようだ。私がゼミに入った大きな理由は、長谷川先生の話が好きだったからだ。私は自分の口下手を何とかしたいと考えていた。色々な知識を持っていて色々な話が出来る先生に憧れ、自分もそのようになりたいと考えたのだ。
 ゼミが始まる前の春休み期間、先輩たちの口頭試問に同席させていただいた。その時初めて先輩たちの書いた卒論を目にし、まずその分量と重みに驚き、先輩たちが読んだ本のことや自分の気づいたことなどを話しているのを聞いて、私はゼミの1年でそこまで成長できるのだろうかと思った。その後ゼミのガイダンスがあり、これからのゼミ活動でどのようなことを心がければいいのかというお話を聞いた。ゼミは自分の力で論文を書きあげることが出来るように様々な取り組みをすることや、それは決して自分だけで出来るようになることでは無いことを確認した。私は自分の卒論を書き上げるのに、同志として共に戦っていく必要があるという言葉にうなずいていたが、その時は良く理解していなかったと思う。
その後先輩たちと飲み会を行った。私は2次会まで参加することが出来たので、一つ上の先輩だけでなくOB・OGの方ともお話しすることが出来た。その時先輩方は、ゼミで学んだことが今の生活にも生きていると話してくれた。社会人になったとしても、自分のことを一歩引いた目線で見ることが出来る人は少ないのだそうだ。ゼミ活動を通してそれまでの自分とは違った目線を知ることが出来たと話してくださった。その時の私にはそれが遠ようなことなのか想像しきれていなかったが、私がなりたいような、色々な角度からものを考えられるような人になれるのかもしれないと期待を持った。そして自分は今恵まれている環境にいるのだと感じた。
 春休みからはメーリスでのゼミ活動が始まった。私はまだあまり会話できていないゼミ生も多かったので、緊張しながらもなんとかゼミの一員になろうと意識してメールを送るようにしていた。ゼミに何とか自分のいる価値を与えたいと思い、必死だったようにも思う。春休み中の課題も、メーリス上でそれぞれ案を送り、みんなでどんな課題にするか考えていった。この時はメーリスという形をとっていることもあって、自分の意見を文章にするだけで、議論は出来なかった。最終的にみんなの意見を総合した「関心地図」を作ることとなり、春休みは「関心コラム」を作ることになった。自分の好きなものや興味のあるものについて書けばいいのだから、すぐに書けるだろうと思ったが、実際すぐに出てきたのは15個の関心コラムのうち半分ほどだった。残りは苦し紛れに出したようなものだ。今見直してみるとはずかしいような関心コラムが出来上がってしまった。私は自分の関心事がこんなにも少ないということに初めて気づいたのだった。
4月に入り、ゼミがスタートした。細かいところは何でも自分たちで決めていくゼミでは、ブログ・ホームページ・役職についても議論をして決めていく。私はコンパ係りになった。コンパ係とは、ゼミで行うコンパの際、店の予約をしたり、コンパが円滑に進むように注文をまとめたりする役割だ。しかし同じくコンパ係の<まゆゆ>が店の予約をいつもしてくれていて、最初の頃はコンパの度に自分が何の役にも立っていないような気がして、もどかしかった。ゼミ最初の頃は議論して決めるべきことが多く、外が暗くなるまで話し合いを重ねた。もちろんゼミをうまくいかせたいという気持ちはあったのだが、当初は毎回長時間ゼミ室にこもっていることに少しイライラしていた。議論がうまく進んでいかず、何時間もかかることに疲れてしまっていたのかもしれない。ゼミ外の友達やサークルとのつながりも希薄にしたくないと思っていた私にとって、友達や仲間が集まる飲み会などに自分が参加できない状況もいい気持ちがしなかった。そんなわけで、4月段階の私はゼミに対して苦手意識があったことを認めなくてはいけない。
 4月中には、卒論テーマ決定のための第1回発表があった。この時、私は関心コラムを書いた時と同じように、自分の関心領域が狭くて浅いことを思い知った。関心コラムで真っ先に出てきたはずの「ファッション」や「パッケージ」について自分の言葉で十分に語ることが出来なかったのだ。自分の関心があることについて知識を深めることもしてこなかったので、どこが好きなのかという紹介にすらならないくらい、浅いものだった。さらに、自分一人でふわふわと考えているようなことから発展させた話をすることが出来なかった。これは事前にゼミ生に十分に自分の話を聞いてもらわなかったことが原因である。
発表中に関しても、課題の残るものとなった。先生から「聞く側が大事」というアドバイスを何度ももらっていたのだが、発表に対してどうしても受け身になってしまい、ろくに質問をすることもできなかった。それに気付いたのは自分の発表の後のディスカッションだった。ゼミ生は思ったことを言ってくれて、それによって自分の思い込みに気付くこともある。そういうことを通して自分の関心について考えが深まっていくのだ。自分はそうやって指摘をもらっているのに自分からは発言しないということは失礼だと思った。しかしそのことを意識していても、その後発言をうまくすることが出来なかった。今まで人の発表に対して質問をしようという意識か低かったため、何を聞いたらいいのかわからなかったのだ。しかし今考えれば、そもそも私はそれまで、他の人が何に興味を持っているのかについて、興味を持ってこなかったのだと思う。

page top




第2章

 毎週2回更新することになったブログの添削は、書いた人以外のゼミ生全員でしていた。添削するのが最後の方になると10人以上が添削した後の文章を読むことになるので、どこを直したらいいのかわからなかった。当時パソコンを持っていなかった私は、そのたびにマンガ喫茶に向かい、限られた時間で添削をするというタイムトライアルに苦戦していた。たまに、「新たに添削箇所はありません」とメーリスで送ることもあった。しかし先生は、卒論では自分自身で添削をしなくてはいけないので添削をすることは重要だという事と、私たち全員が添削をして直した後の文章でも、いくらでも添削することが出来ると話してくださった。ゼミでブログアップするときに添削をすることを知った時、誤字脱字を直す程度のものを想像していたが、実際はもっと、内容に突っ込んで書かれていないことを引き出したり、全体を見渡して話の流れを考えたりしなくてはいけない。ブログ担当者と同じくらい、添削する側にも文章に真剣に向き合うことが必要だったのだ。添削をするということがどういうことなのか初めて知った。
5月には、私のブログの担当も回ってきた。内容はゼミの集まりの報告的なものだったので、書くのは簡単だという気持ちがどこかにあったが、多くの添削を受けることになった。その時は、自分の文章に添削を受けるということが苦手だった。分かりにくいというコメントをもらう度に、じゃあどうしたら良いんだという気持ちになってしまう。話すよりは文章を書くことの方が得意だと思っていたが、実際はうまく話せないことはうまく書くこともできていなかった。私は良く母に「主語がない」と言われていたが、ブログで改めて指摘され、それから少しずつ直すようにしていった。また、自分の気持ちについてもうまく書けないということが分かった。「この時どう思ったのか」「この気持ちを具体的に」というコメントをもらう度に、私は考えたことを書くのが苦手なことや、文章を簡潔にまとめようとしてしまうという癖が分かっていった。
 【!班】と【?班】に分かれて行った班活動でも、自分の意見を出していくことがなかなかできなかったように感じる。大人数で行われるゼミ活動より、班に分かれて少人数で自由な内容を話しあえる【?班】での活動は、私にとってとても楽しいものだった。しかし、みんなで楽しく進めていて、あまりホームページや関心地図などをどのようなものにするかという案を固めることが出来なかったと思う。もととなるような案を早々に決定し、細かいところはやりながら考えることになった。議論を重ねていくつもの案を出している【!班】の様子を見て、自分達はこんなにトントンと決めていってしまって大丈夫だろうか?と考えたこともあったが、私は作業しながら考える【?班】だからこそ面白いものが出来たのではないかと思う。この時私は人の案にすぐに乗ってしまう悪い癖に気が付いた。作業しながら進めるにしても、自分でもっと工夫できないかと考えながら作業するべきだったと思う。アイディアが浮かばないのは、自分が今までいろんなものにアンテナを張ってこなかったことも影響しているだろうなと思った。色々なことに興味のある班員は面白いアイディアをいっぱい出してくれたので、羨ましいと思った。【?】班で作っていて一番面白かったのは「関心絵本」のゼミ生のプロフィールづくりだ。ゼミ生の特徴をとらえたキャラクターを考え、それが形になっていくのが面白かった。それぞれにはキャッチフレーズがついており、みんなで爆笑しながら考えていたのを覚えている。
 6月ごろから『アトラクションの日常』の購読も始まった。今まで文章読解は苦手意識があり、量をこなしてこなかったが、今回みんなで本を読んで話し合うことに面白さを感じた。文に書かれていることを追ってわからないことを調べていけば、ちゃんと理解できるようになっている。わからないことは調べればいいが、私はあまりに知らないことが多いようだった。自分に基礎的な知識がないことに焦りを感じた。近代以降の歴史についてもあまり知らないし、基本的な語句の意味も理解していなかった。そのようなことをひとつひとつ理解していかないといけないので、講読には今まで本を1冊読むのと比べ物にならないほど、多くの時間をかけることになった。この時、本を初めてちゃんと精読した気がした。
 色々なゼミ活動をしていたが、肝心の卒論テーマについて私は何も進歩していなかった。第二回発表までに時間があったにもかかわらず、準備を怠っていたのだ。私は自分の関心がどこにあるのかということを考え、またも人に話すということが出来ていなかった。この発表では、自分の発表はひどくつまらなく、内容のないものになってしまった。ファッションに興味があると言いながら、新たに調べたことを少し話した程度で、どうしてファッションに興味があるのかという事が満足に話せなかった。前回も反省したはずなのに自分の話をしなかったのは、人に話すほど自分の関心について考えられていなかったことも関係しているし、まとまった考えを話さなくてはいけないと意気込んでしまったことも影響している。今まで自分のことを人に話すことをなんとなく避けて通ってきた私だったが、卒論テーマを考えることになって初めて、人に自分の話をしなくては前に進めない状況になったのだった。この第二回発表の時点で私が分かったことは、自分の関心が「他人の目線」にあるということだった。私は今まで、人にどのように見られるかということに関心が集中していたのだ。場の空気を読むということが自分の中でいかに当たり前になっていて、自分にとって最も大事なものになっているのかということに、気が付いた。

page top




第3章

 ゼミでは7月にフィールドワークを行うことになっていたので、それに向け候補地の議論をした。その結果、上野公園に行くことになった。私は上野に行きやすいところに住んでいたこともあって、中学生の頃からよく遊びに行っていて、なじみの深い場所だった。しかし上野公園には動物園に行くときやお花見をする時にしか行ったことがなかった。動物園のついでとか、桜が咲いているから、という理由ではなく、公園自体を見に行くというのは初めての経験だった。フィールドワーク調査に向けて、私たちは上野公園に関する調査を行った。それぞれが上野や上野公園に関係する文献を読み、レジュメにまとめて報告し合った。私はこの調査によって初めて、上野公園が日本に初めてできた公園なのだということを知った。それまで日本に公園という場所はなかったのだ。さらに外国から入ってきた公園や博物館、動物園などが集結している上野公園は、明治時代の日本にとって日本の理想の姿を実現させようとした場所だったのだと知った。今はいたる所に公園があり、存在自体に疑問を持ったこともなかったが、私たちが歴史を知らないだけだった。自分の身の回りのものの歴史を学ぶことに大きな意味を感じた。そして、公園のモデルとして建てられた上野公園は、今では正直栄えているとは言えないし、暗くて汚いところもある。歴史を学ぶことで、今の上野公園の現状に少し違和感も覚えた。
 場所を決定した私たちだったが、そこに何かテーマを見つけることが出来なかった。上野公園という場所のことはわかったが、今の上野公園で何を調査すればいいのか、まったくアイディアが浮かばなかった。結局、先生にアドバイスをいただいて、貼り紙の悉皆調査をすることになった。テーマは決まらなかったので、悉皆調査をしてみて何か考えてみようという事になったのだ。この時私は、この時まだ実感のわいていなかった卒論を重ねて考えた。テーマを見つけることは、卒論を書くときにも当然必要なものだ。自分たちの疑問からテーマを見つけることの出来なかった今回の経験は、卒論で自分のテーマが見つけられるだろうかという不安を感じる事にもつながった。
 場所とアプローチ方法が決まったので、次は準備段階に入る。そこで、当日、私を含めた4人はみんなとは違う動きをすることになった。私たちは夏に控えている集中講義で、「記録班」としてカメラやビデオを使って3年生の活動の様子を記録することになっていた。失敗の出来ない集中講義に向けて、ビデオの使い方や編集のやり方を練習しようという理由から、私たちはフィールドワークでも、みんなの活動の様子を記録する「記録班」として行動することになったのだ。バッテリーやテープの本数、撮影する順番や時間についてもあらかじめスケジュールを組んでいった。これは、集中講義でも必要なことである。そうして、集中講義のことを念頭に置きながらフィールドワークを行うことになったのだ。
 当日、初夏の暑い日だった。ゼミ生はみんな2人一組の調査隊に分かれ、上野公園のエリアを分担して調査していった。調査隊は自分のエリアをくまなく調査し、一つ一つ貼り紙や看板を記録していく。私たち「記録班」は、そんなゼミ生たちを記録していった。悉皆調査は膨大な量があって、ゼミ生たちはなかなか苦戦していた。班によって調査方法の違いなども見えた。より効率的な調査方法を探し、みんなで話し合っている様子もビデオで記録した。今になってみるとこ私がこの時撮った映像は、班ごとの調査の違いをとらえることが出来ていなかったし、調査対象との距離も遠く取ってしまっているため、臨場感が伝わりにくい映像になってしまったように感じる。ビデオの不具合で手間取った場面もあった。集中講義前にこのような反省点や手順を確認しておいて良かったと思う。
 調査後、私が良く使っていた京成線に乗って日暮里―上野間を移動した。私が中学の時からずっと怖いと思っていた、使われていないホームをみんなに見せたかったからだ。日暮里から上野に向かう電車は地下を通るのだが、その途中で今は使われていないホームを通る。フィールドワークに向けての調査の結果、そのホームが昔使われていた「博物館動物園駅」という駅であることが分かった。かつて文化の中心だった上野公園内にあり、動物園や博物館を利用するために多くの人が使ったのだろう。そのホームがまだ壊れないでしかし朽ちた様子で残っている。暗いので見えなかった人もいたようだが、黄色い壁が色あせていて暗い、あのホームをみんなに見せることが出来た。私は昔から何度もそこを通り、上野に向かう度に「ここ怖いホームがあるんだよ」と言いながら友達に見せていた。あの怖いホームの謎が解けた感動は、たぶんみんなとは違うものだっただろう。

 フィールドワークを終えると、あっという間に夏合宿が迫ってきた。夏合宿の発表では、卒論のテーマか題材を決定することになっていた。私は今までの発表でろくなことを話すことが出来ていなかったので、合宿が迫ってきて焦っていた。その頃のゼミ活動は、「記録班」で集中講義の手順を確認することが多かったので、記録班の人に話を聞いてもらった。今までの発表でも思い知ったように、私はなかなか自分の話を人にすることが出来ずにいたが、そんなことを言っている場合ではなかった。まとまっていなくてもとにかく聞いてもらおうと思い、何度か話しているうちに、自分の関心が自分を高めることになるのではないかということに気が付いた。メイクや服装に気を使って可愛くなりたい、色々な知識を身に付けて色々な話が出来る人になりたい、人に対して優しくなりたいなどの自分のなりたい姿があって、そこに向かっていくための手段に自分の関心が集まっているのだと考えた。
 発表では、今までのような一般論ではなく自分自身の話をしようと意識した。自分には周囲の人に受け入れられたいという気持ちがあり、そのために自分を変えていけるようなものに興味があるということ、そのための手段としてファッションが大きな役割を担っているということをまず話した。そしてその上で、自分が今までどのようにファッションと付き合ってきたのかを、自分自身の考えていたことと共に話した。その結果「ようやく中身のある発表になった」と言ってもらえたが、私としては小学校からの話を順にしていっただけなので、正直どこにポイントがあるのか全く掴み切れていなかった。しかし自分がファッションの言説に囚われている事はわかったので、その言説をファッション誌に見ていくという方向性を決めることが出来た。しかし、合宿では発表を終えて終わりではない。目次案を考えるという課題に対して、3日目にもう一度3分間で発表することになった。そして3日目。私は昼食をとるレストランで、課題だった目次案について発表した。しかし先生からは、「浅い」という指摘をいただいた。その理由は他のゼミ生の話を聞き、帰り道に考えているとすぐに明らかになった。私は目次案を考える際、どのように調査するのかということが頭の中で先行し、テーマを深めようとしていなかったのだ。まだテーマを掴み切れていなくて、ファッションのどのようなことを明らかにしたいのかを考えなくては、適切な目次案が書けるはずがない。私は卒論のテーマが決まったような気がしていたが、実際はテーマと題材の大枠が決まっただけだったのだ。今になって考えてみると、この時にいたっても私は「目次案」という形にきれいに収めることを考え、中身のことを考えているようで考えていなかったのだと思う。それは、これまでの2回の発表の時に「発表の形をした中身のないもの」を話していたのと何も変わっていない。他でもない自分の卒論を書くための意識を、まだ強く持つことが出来ていなかったのだと思う。
 そこから、目次案を考え直すことになった。夏休みの間は、「記録班」の活動と並行しながら、自分自身がどのようなファッション言説を信じていて、どのようにファッションを受け取っているのかということを考えていった。私が題材にしようと思っていた雑誌は『steady.』というOL向けのファッション誌だった。OL向けのファッション誌を学生である私が読むというのは、どのような意味があるのだろう。ファッションを無条件に良いものとして受け取っていたが、どうしてそのように思うようになったのだろうか…。考えるべき手掛かりはいくつかあるようだった。私は夏休み明けにある第4回発表に向けて、ファッションに関する基本図書を読みつつ、自分が信じているファッション言説について向き合っていくことになった。

 夏合宿が終わると、いよいよ集中講義に向けて準備を詰めていく。集中講義には何が必要になるかを考え、ビデオやカメラを流れ良く使うためにスケジュールを考え、カメラの設置にかかるタイムを計りながら、手際よく準備できるように練習を重ねた。記録班内で担当をローテーションするのだが、基本的にビデオ班、カメラ班、全体監督に分かれることになった。私は集中講義の中間発表や最終発表を収めるビデオの担当で、その他の時間は手持ち式のビデオを撮ったり、受講生の話し合いの様子を記録するためのメモを取ったりすることになった。私は担当する固定カメラで発表の映像が万が一撮れなかったらと思うと、恐ろしかった。集中講義は一回限りだし、受講生にとって重要なものだ。途中で固定カメラが止まった場合連絡はどうするかなど、細かく打ち合わせをした。1年前には自分自身がこの集中講義を受ける立場だったのだが、このように先輩方が準備に時間をかけてくださっていたとは知らなかった。私たちのミッションは、受講生たちが考えることに集中できる環境づくりと、その様子を記録することだった。1年前の自分たちが気づかなかったように、受講生が私たちゼミ生のことが気にならないように注意し、しかしきちんと記録をしたいと思った。
 集中講義が始まると、1年前の自分たちの姿を見ているような気になった。最初はふざけ半分で話し合っていた顔も、だんだん真剣なものになっていき、悩んで話が進まなくなったり一つの考えに囚われてしまったりしている後輩たちの姿が、1年前の自分と重なった。そして自分たちの思い込みから逃れられず、どこかに正解があるのではと探してしまう姿は、今の自分にも重なるものだった。多くの班が指摘されていた、自分の具体的な経験から考えていくことは、卒論のテーマを考える自分にとっても大事なことだ。何度も聞いてきた言葉だったが、今違った状況や立場で聞くことで1年前よりも腑に落ちていく感覚があった。集中講義中は、受講生が主体となって考える環境を作るため、裏方に徹していたが、講義が終わった後ビデオを持って受講生にインタビューしに行った。発表に対して悔しさが残ると話していた人も多かったが、充実した話し合いが出来たようだったので、手伝いが出来て良かったと思った。
集中講義最終日には、後輩たちが打ち上げに向かう頃『アトラクションの日常』の発表の続きを行った。私の担当していた章には「イデオロギー」についての記述があり、出典として示されている『再生産について』という本を読めていなかったので、担当の2人で分担して読んでいった。そこでは、労働力の再生産という事が書かれていた。労働者は、労働者として生命を維持するために賃金が与えられ、また労働力としての子供を育てるためにその賃金を使うという事が書かれていて、衝撃だった。その時課題として読んだ『再生産について』だったが、自分のテーマについて考える時に、この本の話からヒントを得たところがある。自分自身の意思によって自由に職業を選択しているように思っていたが、実は労働力として再生産されているのではないかということを考えたのだ。これについて考えたのはもう少し先なので、第4回発表のところで詳しく記述する。

 さて、無事に集中講義が終わり、きちんと記録も取れていたのだが、記録班のメインはむしろ終わった後にある。撮った映像や話し合いの様子をホームページという形にしていかなくてはいけない。毎日のように学校に集まりホームページの方向性を話し合ったり、集中講義では13班に分かれて講義を進めていたのだが、その各班の文章の執筆をしたり、撮った映像や写真の確認をしていった。膨大な量の写真を順番に確認してホームページに載せるものを選んだり、映像を見てダイジェストムービーを作ったりしていった。3年生の記録を逃さないようにと撮っていた映像や写真だったが、ホームページに載せることの出来る量は限られているので、どこを選ぶのかという作業は終わりの見えないものだった。また、ホームページには映像や写真の他に文章もたくさん載せる。私たちは中間発表や最終発表だけでなく、3年生が話し合った大事な「過程」を記録したいと考え、班ごとのレポート部分を多く書くことにした。1班数行で説明するのではなく、1日ごとにそれぞれの班がどのように話し合いを進めていき、どこで躓いたのかという事を文章にしていくのだ。私は1班から7班のレポートを担当しており、あとで3年生がホームページをみた時に、「自分達で振り返りを書いたんだっけ?」と思うようなものを残したいと目標にして書いていた。
 文章を書き、それに対して添削を受けるのは、今までブログなどで何度もしてきたことだが、今回は自分のことを書くのではなく、3年生が考えたことを文章にしなくてはいけない。この作業は、思ったより大変だった。添削を受けた部分に対して適切な言葉を補うために、またメモや映像を見直さなくてはいけない。自分の文章でないからこそ、想像だけで文章を補うこともできないむずかしさを感じた。

page top




第4章 ゼミという環境

 休み明けに第四回発表があった。この発表の目的は、それぞれのテーマをよりクリアにするということだ。夏合宿までの発表では、自分の関心が何にあるのか、自分が今までの人生の集大成として卒論を書くにあたって、どのようなテーマにしたらいいのかを考えるものだった。そして夏合宿で私はファッション誌を題材にし、そこに見られる言説を見ていくという方針を決定した。しかし具体的にどのような言説を見ていくのか、何を明らかにしたいのかという事が決まっていなかった私は、この第四回発表に向けて、文献をあたったり自分が信じてきた言説について考え直したりしていた。
 私が夏休みの間考えなおし、発表で話したことは大きく分けて三つある。一つは自分が信じてきた言説について。私が小さいころから「おしゃれは良いこと」「身なりには気を使わなければいけない」「新しい服を着たい」「誰にでも好印象を与えられるような服装をしたい」等の考えを当たり前のように持っていたことを話した。そしておしゃれな服を着たい、可愛く見られたい、などの欲求を持っているにも関わらず、そのように欲求通りにいかない現状に不満を持っており、着ている服にもすぐに飽きてしまうことなども話した。私が持つ、ファッションに対する感情には否定的なものが多いことに気が付いたのだ。
 もう一つは、『steady.』を愛読するようになったきっかけについて。私は今まで、人から自分がどのように見られているのか、という事を気にして、周りから好感を持ってもらえるようにファッションでも実現しようとしてきた。だから私は、つねに自分の周りの人の影響を受け、浮かないように無難に、でも可愛く見えるように、とファッションを選択してきたのだ。『steady.』を読み始めたのは、大学3年生を控えた春休みだった。その時私は3年生に始まる就職活動を意識し始めたころで、社会人になったらどのような格好をすればいいのかと思っていた。そんな私にとって、「先輩ウケがいい」「第一印象で決める」と言ったキャッチフレーズでファッションスタイルを紹介している『steady.』は、私の考えにピッタリよりそってくるように思えた。
 最後は、それらの自分の状態に違和感を持ったこと。卒論を書くにあたって、ファッションが好きだ、好印象に見えるようにふるまうのは当然だという自分の考えについて話し、それらに対してコメントをもらい、文献などを読んでいくにつれて、本当にそうなのかと考えるようになった。私がみんなに好感を持ってほしいと言った時の「みんな」とは誰のことなのだろうか、どのように言説を信じていったのか、これらのことを明らかにするために、ファッション誌『steady.』を扱う理由も改めて考えてみた。改めて『steady.』を読み返し、読者が好感を得たいと思っている相手を考えてみると、そこには「企業に勤めている人」しか含まれていないのではないかと思った。そして、企業に勤める人を母体とした「みんな」の中で、好感を持ってもらえるような服装というのは、読者に企業人の再生産を促しているのではないかと考えた。『steady.』は読者に、「企業人」にふさわしい身なりをインプットさせているという事だ。アンケートなどを見ても、そのような「ふさわしい企業人」になる事を読者自ら志向しているように感じた。これは、夏休みに読んだ『再生産について』にヒントを得て考えたものだ。(3章を参照)このように文献をもとに考えたことに対して、発表の場でみんなに意見を言ってもらい、私はこの発表でテーマと題材、題名を決定することが出来た。
 文献にヒントを得て考えたことが卒論に繋がったことがきっかけで、今まで卒論に関係のないと思っていたゼミ活動であっても、無駄がなかったのだなと思った。『アトラクションの日常』の購読を通して『再生産について』に目を通すことがなかったら、テーマのきっかけとなる疑問にも気が付けたかどうかわからない。今までの発表では自分一人で考えている事の浅さを知った。そして話を聞いてもらうこと以外に、文献にあたって、自分の知らない知識を増やしてさらにそれをもとに考えることの重要さも実感することとなった。
 私の卒論のタイトルは「好感度の政治学―ファッション誌『steady.』に見る言説分析―」に決まった。「政治学」は、私が考えていたことに対して先生が与えてくださったキーワードだった。しかし、私は「政治学」を勉強したこともなかったし、政治学について大きな影響を与えたミシェル・フーコーのことも分かっていなかった。卒論まで時間がないが、まずは政治学について勉強し、理論的なことを学ばなくてはいけないと思った。図書館で「ミシェル・フーコー」「政治」「権力」などで本を探し、何冊か読んだ。それまで私が「政治」という言葉に対してもっていたようなイメージでは、政治は国による行政や統治といったようなものでしかなかったが、実際はもっと多くのものに「権力」が働いていることを感じた。自分の欲望に従って行動していると思っている事でも、実際は権力が個人個人にインプットされていて、欲望を持つように導かれているようなことがあると知った。今まで自分でおしゃれな格好がしたい、新しい服が着たい、可愛くなりたいと思っていたことに、権力が働いていたのだということがわかった。このように考えると、ファッションについて私が思っていたことは、何かの権力を受けて、そのように思うように仕向けられていたのだ。それはファッションのみに言えることでもないので、あらゆるところで知らないうちに自分の欲望までコントロールされているのかもしれない、という事が怖いと思った。
 実際に雑誌を読んでいく作業は、一番大変だった。文字が小さく膨大に書かれているため、全部をきちんと読んでいこうとするととても時間がかかる。調査を始めた最初の頃は一日に4冊くらいを読むのが精いっぱいだった。しかし、卒論の執筆の時間を考えていると明らかに足りない。調査にかけられる時間が刻々と少なくなっていく中で、このままのやり方ではいけないと感じていた。しかし、実際にどのように調査を進めて行ったらいいのかという事はなかなか掴めず、とにかく気が付いたことをメモしていくという作業を行っていた。昼間は国会図書館に通い雑誌の調査をし、夜は気づいたメモをもとに文章にしていく、という作業をしていった。

page top




第5章

 そのように模索していた調査の方法を見直すきっかけとなったのは、第五回発表だった。この発表は決まったテーマについてどのように調査を行い、どのような論文を提出するつもりなのかという事を話す、卒論の最終チェックポイントのようなものだった。私は、この最後の発表の場できちんと自分の考えを発表できるようにと、気づいたことを分類してまとめていくことにした。すると、ばらばらと乱立していた気づいたことを、いくつかに分類することが出来た。「読者代表」としての紙面づくり参加する読者に関することや、好感度を得たい相手による演出するイメージの違い、ビジネスシーンで求められるイメージについてなど、大きな項目に分けることで、そこから何が分かるのかという事を考えやすくなったのだ。
 自分の中でぼんやり考えているだけではなかなか考えが発展しない。しかし、周りのゼミ生に話を聞いてもらったり、ブログに自分の考えていることを書いてみたり、きちんと話そうと思って発表の準備をしていると、自分の中で考えが整理されることがある。そういうことを、この第五回発表で改めて実感した。
 調査もいよいよ大詰めになっていく。毎日図書館に向かう生活では、図書館でゼミ生に会えるのが楽しみだった。お互いに進行状況や近況を話しあうのが、いい息抜きになっていた。他のゼミ生の調査の進行状況を聞いて焦ったり、励まし合ったりすることでモチベーションを保って一日の調査を進めることが出来たと思う。
12月の中ほどになってくると、執筆が追い付かず、毎日のように焦っていた。パソコンを持ち込み、雑誌調査を効率的に出来るようになったのは12月に入ってからだったので、もっと早くこのような調査が出来ていたら、もっと時間があったら、と思ってしまうこともあった。しかし、このように時間が足りなくなってしまうことも含めて今の自分の実力なのだと思い、反省した。提出の日までぎりぎりのスケジュールで卒論の書き加え、書き直しをしていった。
そして1月8日、無事提出日に卒論を出すことが出来た。最終的に書き終わった卒論は14万字というボリュームになった。今まで自分が書いたものの中で一番長く、時間をかけてこの量を書き上げたという事の達成感があった。ゼミが始まったばかりの頃は、長谷川ゼミの目標だった、最低4万字書くという事がどのくらい大変なのだろうかと不安に思うこともあったが、きちんと必要なことを勉強して研究をまとめて調査をしていくと、とても4万字では書ききれなかった。今まで授業のレポートなどで、2000字書くのも大変だと思っていたが、やり方が間違っていたのだという事を実感した。きちんとした手順を踏み、書きたいことをはっきりさせてから、必要な調査をしていけば、書くべきことはたくさんあるのだなと思った。
 しかし、こんなにも長い卒論を書き上げたという達成感はあったが、自分の卒論の内容には十分満足することが出来なかった。考察の執筆中は、自分自身が今まで囚われていた言説について、どのような力がかかっているのかという事をひも解いているような気になって、勢いに乗って執筆を進めていた。しかし提出後に自分の卒論を読み返していると、なんだか普通のことしか書かれていないのではないかと思った。『steady.』に書かれている理想の女性像について「このようなイメージが求められている」という事をシーン別に書いているだけのようだった。
 不安な思いを持ったまま、口頭試問の日になった。評価の中で多くの足りないところが明らかになっていった。まず、文章に誤字脱字が多かったことだ。これはもう少し時間をかけていれば改善できたことなので、最後の踏ん張りが足りなかったのだと思う。誤字脱字があることで論文の信用性が低くなってしまうので、これからも気を付けるべきところだと思った。そしてもう一つ足りなかったことは、論文の中心となるべきだった考察だ。主査からは、「読者の視点から抜け出せていない」と指摘を受けた。わたしが卒論を見直した時に感じた、普通のことしか書けていないのではないかという不安はいつも雑誌を読んでいた自分の目線から離れることが出来なかったからだったのだ。読者の目線から抜け出し、雑誌に書かれている言説を政治学の視点から考察することが私の卒論の趣旨だったのだが、肝心の考察が出来なかったのだ。政治学について勉強し、言説をとらえ直そうと意識して執筆をしていたにも関わらず、今まで自分が囚われていた視点から離れることが出来ていなかったのでショックを感じたし、意識していても難しいという事を知った。

page top




第6章

 卒論提出や口頭試問がおわり、自分の卒論を振り返ってみると、情けなさを感じた。私の卒論のテーマであるはずの政治学の視点から『steady.』をとらえ直すことが出来なかったことに、どうしようもない悔しさがこみ上げてきた。今まで授業やゼミを通じて養おうとしてきた、自分の視点をとらえ直そうとするメディア論的な視点。その視点を持って雑誌にあたることが出来なかったことで、今まで勉強してきたことを何も生かすことが出来なかったのではないか、ちゃんと勉強できていなかったのではないかと思った。そのことを考えて落ち込む日もあった。しかし卒論を提出してから今までの振り返りをしていく中で、全てを無駄だったと思ってしまうのは違うと思った。卒論を書く時点でその視点が自分に備わっていなかったからといって、今まで学んできたことは、少しずつ少しずつ自分の糧になっていることに気が付いたのだ。そしてそれは、すぐに出来るようになったものではなく、あくまでゼミ活動を通して少しずつ出来るようになっていったり、気が付いたりしたものばかりだった。発表の時や、ブログで文章を書くときや、HPなどのコンセプトについて案を出す時など。何度か同じ間違いをして反省して、やっと人に自分の話を出来るようになっていったり、より良い文章を書けるようになったり、積極的に自分の意見を言えるようになったり、自分の関心・囚われているものに気が付くことが出来たのだった。
 今回、卒論を通して、自分がいかに他人にどのように思われているのかという事を意識しているのかということや、雑誌の影響を受けてその意識を強固なものにしているのかということに気が付いた。また、そのような自分の姿を意識していても、その読者の視線から抜け出し、自由な思考で雑誌を見ることがいかに難しいのかという事を実感した。ゼミは終わってしまったが、卒論提出を終わりではなくこれからにつながる通過点として考えようと思う。そのために、社会人になっても読書や勉強を続けて、メディア論や社会学のことをもっと理解したい。そして、今回意識しつつもなかなか逃れられないことを知った自分のものの考え方や枠組みを超えて、自由に物事を考えられるようになりたい。

 卒論を書いていく中で、12月半ばになると一日中家にこもって執筆をする毎日になり、なかなか家から外に出なくなった。自分の卒論テーマとパソコンに毎日向き合い、一人で執筆していくのは孤独に感じられた。ゼミ以外の友達や家族には、「卒論大変そうだね」とよく言われたが、最後まで頑張れたのは、他のゼミ生の存在があったからだと思う。卒論のテーマ決定からアプローチの方法、調査の方法、文章のおこし方まで、ゼミ生同士発表や相談しあって決めていった。いくら先生に教えを請うても、自分一人だったら今回書いたような卒論を書き上げることは出来なかった。ゼミ生同士で話し合い、その中で自分の興味について再発見したり、自分にとって当たり前になりすぎていて気がつかなくなっていた価値観を知ることが出来た。また、同じように頑張っているゼミ生の姿を見ることで、卒論に対するモチベーションを保つことが出来ていた。ゼミのオリエンテーションで話していただいた、みんなでみんな分の卒論を書き上げることがどういうことかを1年通して実感していった。学ぶための「ゼミ」という場が最初からあるのではなく、そこにいる人たちで作っていくものなのだと実感し、その重要性を知ることが出来た。みんなで作り上げていく活動だからこそ、今まで受けていたような多くの情報を次から次へと教えてくれる授業よりも、ゼミ入ったこの1年の方が何倍も多くのことを学ぶことが出来たのだと思う。ゼミに入って幾度か思ったことだが、この環境に自分の身を置くことができて、とても恵まれていたと思うし、自分のこれからにとって大きな意味のあるものだったと思う。

page top