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2024年度 卒業式・修了式 式辞・祝辞

今尾 真 Makoto Imao
学長
学長(経済学部教授)村田 玲音

卒業生の皆さん、修了・卒業、誠におめでとうございます。
また、保証人の皆さまにおかれましては、ご子息、ご息女の本学のご卒業を、心よりお慶び申しあげます。

さて、皆さんに対し、大学を代表して一言お祝いの言葉を述べさせていただきます。

皆さんは、明治学院大学の建学の精神である「キリスト教による人格教育」と学問の自由を基礎に、創設者ヘボン博士が生涯実践した「Do for Others(他者への貢献)」の教育理念に則り、自由清新な学風 が漂う本学で、この理念の具体化である「自由・平等・正義と社会貢献を尊ぶ精神」を、学部・大学院における学問を通して学びました。すなわち、「人としての生活と社会の構造の関係を学び、その学びの意義を深める豊かな知とそれを応用して社会で実践できる力」を身につけ、「気概」と「志」をもって、社会に貢献できる能力を修得したわけです。世の中が変わっても、このような能力を有した人材は時代を超えて求められます。

ところで、皆さんが在学した4年間を振り返りますと、最初の1年間はコロナ禍が猛威を振るい、個人の行動・移動制限が課されるとともに、在宅でのオンライン授業を強いられるなど、皆さんの期待どおりの大学生活を始められなかったかもしれません。さらに、世界に目を転じると、独裁的な指導者が増え、その言動や政策がマスコミ報道を賑わせております。特に、ウクライナの戦争も3年目に入り、またイスラエル・シリアの紛争など多数の犠牲者がでております。また、人と人との交流が閉ざされ、経済活動の停滞は、多くの失業や経済的困窮を生み、世の中が殺伐として格差も広がっております。

皆さんは、こうした状況の中で、学生生活を送り、本日、大学を卒業し、社会に出るわけです。なかなか周りの人のことを思いやる余裕がなかったかもしれません。しかし、そうした中で、本学が掲げる「Do for Others」の教育理念は輝きを増しています。まず、自分を理解すること、そして他者を理解することを基盤に、学問、課外活動を通じて、教職員や学生同士の交わりの中で、「他者への貢献」を可能にする力が、皆さんには自ずと身に付いております。明学出身としての誇りをもって、社会で他者への貢献を実践してください。

最後に、皆さんの卒業に際して、私がこれまで心がけてきたことをお伝えして、参考にしていただければ幸いです。

皆さんは、これから社会に出て必ず壁や障害にぶつかるはずです。会社で失敗して上司に怒られるとか、人から何か嫌なことを言われて落ち込むとか、悲しい出来事があって悲しむとか、いろいろネガティブな気持ちになることがあると思います。そうしたとき、私は常に、「いつまでもクヨクヨするなよ、明日には朝日が昇って新しい1日が始まるさ」と自分で自分に励ましの言葉をかけます。

そう言い聞かせて一晩寝て朝日を浴びますと、気持ちがスーッと楽になります。

偉人の言葉を借りれば、「過去と現在とで葛藤すれば、未来を失ってしまう」、「過去にこだわるな」ということです。(ウィンストン・チャーチル=中西輝政監訳『チャーチル 名言録』〔扶桑社、2016年〕)

If we open a quarrel between the past and the present, we shall find that we have lost the future.

生きている限り、誰にも明日はきます。朝のまぶしい太陽が、新しい自分に生まれ変わらせてくれます。翌日雨だったら、明後日には出ます。お日様は出ない日はありません。いつかは出ますので。

たわいのないようなことと思うかもしれませんが、割りと効果があります。

皆さんが、困難に直面したとき、落ち込んだとき、「過去にこだわるな、明日の朝日が自分を新しくしてくれる」ということを思い起こし、これを乗り越えて、社会で活躍することを期待いたします。

卒業、おめでとう。 



鵜殿 博喜 Hiroyoshi Udono
学院長
学院長小暮 修也

みなさん、ご卒業おめでとうございます。
また、保証人のみなさま、ご関係のみなさまにも心よりお祝いを申し上げます。

昨年の1月1日に起こった能登半島の大地震は2011年の東日本大震災のことを思い起こさせました。今もって多くの被災者の方々が苦しい避難生活を強いられています。毎年のように地震や台風が襲ってきます。
私たちはこのような大きな自然災害に遭うたびに、あらためて自然の恐ろしさと人間の小ささを思い知らされます。自然の強大な力を前に人間はなすすべを知らないことをあらためて自覚させられました。

みなさんはパスカルのあの有名な「人間は考える葦である」という言葉をご存知でしょう。パンセの347番です。その箇所を引用してみます。「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙はなにも知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。」

自然が、あるいは社会が、あるいは人間自身が私たちに襲いかかってきても、私たちは自分が卑小であること、自分が死ぬ存在であることを知っていることにおいて、尊いし、そういう意味で人間は他の動物とは異なる存在だと思います。

みなさんの多くはこれから社会人になります。また、海外で勉強しようとする人、資格をとるために、あるいは何かの試験を受けるために準備をする人と、さまざまな進路を考えている人もいることでしょう。いずれにしても、大学という場を離れて、みなさんは未来に向かって歩み始めるわけです。
みなさんは大学という、おそらく人生のなかでもっとも自由な時間をもつことのできた場から、かなり不自由な世界に出て行きます。しかし、不自由な時間が多いということは、自由な時間が貴重になるということでもあり、その自由な時間をどう使うかは、みなさんの生き方に関わってきます。

ところで、みなさんはヴィクトール・フランクルという人をご存じないでしょうか。心理学者で、ナチスの時代に、まずアウシュビッツ強制収容所に入れられ、そのあと別な収容所に移されて、なんとか生き延び、戦後はウイーン大学の教授として国際的に活躍し、老年までウイーン大学の人気教授として多くの学生の指導に当たった人です。フランクルは戦後まもなく1冊の本を書きました。原題は「心理学者が強制収容所を体験する」で、日本では「夜と霧」というタイトルで翻訳出版されました。一心理学者であるフランクルが体験した強制収容所の記録であり、心理学者として、あるいは真の思想家として、フランクルが収容所のなかで観察したこと、考えたことが内容になっています。この本は、ある特定の時代にだけ当てはまるたぐいのものではなく、人間が人間として生きていくなかで経験するであろう普遍的な問題を扱っています。だから、強制収容所などない、生死を分けた戦いなどもない、日本という、一見平和に見える国でも、私たち人間の生きる問題として、この本の記述は読者に迫ってきます。

今日は祝辞として、最後にみなさんにこの『夜と霧』のことを少しお話ししたいと思います。

みなさんがこれから生きていく社会は、ときにやさしい面を見せることもありますが、ときには冷酷な顔を露にすることもあるでしょう。そのようなとき、みなさんはさまざまな決断をしなければならない場面もあるでしょう。社会で生きるなかでフランクルの言葉は私たちに重要なことを教えてくれます。

そこでフランクルが収容所の中で悟った言葉をいくつか紹介しましょう。

「脆弱な人間とは、内的なよりどころをもたない人間だ。」

私たちはときに外面的なことに目を奪われたり、外面的なことをよりどころに生きがちです。財産とか家柄とか社会的な地位とか学歴とか、そういう外的なものしかよりどころにできない人を、フランクルは脆弱な人間と言っています。

またフランクルは次のようなことも言っています。
「自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が『なぜ』存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる『どのように』にも耐えられるのだ。」

人は一人では生きていけません。たしかに、ときには孤独が必要です。しかし、人は誰かによって助けられ支えられて生きていくものです。フランクルは、妻の面影を思い浮かべ、生きているか死んでいるかわからない妻への愛を抱き続けて過酷な収容所を生き延びました。そのときはすでに殺されていた妻に支えられたのです。

どんなに外面的に自由を奪われても、けっして奪われないものがあります。おそらく人間しかもっていないもの、人間を人間ならしめているもの、それは精神の自由です。
パスカルの「考える」ということも、この精神の自由ということも、人間にしか与えられていないものです。

どうぞ卒業される皆さんも自分を大切にして新たな人生の海原に漕ぎ出してください。皆さんのこれからの歩みに神の導きと守りがあるように祈って、祝辞といたします。
卒業おめでとうございます。

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