ヘボンの足跡を訪ねて
ヘボンにまつわる数々の史跡を訪ねます。
ゆかりの洋風建築をめぐる港町コース
日本の玄関口、横浜。開港後、ヘボン夫妻の日本の第一歩は、この地から始まりました。
横浜指路教会 よこはましろきょうかい
ヘボンから最後の贈り物として
献堂された教会
横浜指路教会は居留地39番のヘボン邸で創立した「横浜第一長老公会」が前身です。1892年の献堂時は赤レンガ造り。ヘボンから日本人への最後の贈り物となりました。関東大震災での倒壊後、1926年に再建されました。1945年、空襲で内部を全焼しましたが修理され、現在は横浜市の歴史的建造物となっています。
プレートに刻まれる功績
入り口には、ヘボンの功績や、この教会が建てられた経緯、名称[指路(シロ)]の由来が記されたプレートがあります。お見逃しなく!
横浜開港資料館
ヘボンの資料も展示される資料館
横浜開港時のさまざまな資料が展示されています。2階の展示フロアの床は横浜居留地の地図になっていて、施療所のあった39番の上にヘボンが手掛けた日本初の本格的和英・英和辞書『和英語林集成』や写真が展示されています。
▶ 横浜開港資料館
ヘボンの筆跡も必見
展示されている資料には、『和英語林集成』(写真右)のほか、ヘボンが書いた手紙(複製)もあります。
横浜海岸教会
日本人が創立した
初めてのプロテスタント教会
へボン塾を引き継いだJ.C.バラの兄、J.H.バラが1871年に建てた小会堂が発展し、1872年に日本基督公会がここに創立されました。この小会堂で始められた英学塾は「バラ塾」と名付けられ、青山学院院長の本多庸一、東北学院創設者押川方義、明治学院幹事の熊野雄七などが、英学を学びました。
日本基督公会発祥地の石碑
敷地内には、「日本基督公会発祥地」の石碑があります。台座には関東大震災で倒壊した小会堂の礎石が使われているそうです。
ヘボン塾跡
明治学院の源流、
ヘボン塾が開かれた地
1862年12月にヘボン夫妻は成仏寺からこの地、横浜居留地39番に移り、住居、施療所、礼拝堂兼教室が建てられました。現在は横浜合同庁舎前の緑地になっており、ヘボンの銅製レリーフがはめ込まれた大きな顕彰碑と解説板が立てられています。翌年1863年にはこの地でヘボン塾が開かれ、クララ夫人が中心となり、タムソンやルーミスたちも英学を教えました。また本格的な施療所を構え、医療伝道に専念した場所でもあります。
ヘボン来日90周年記念に建立
この記念碑は、ヘボン来日90周年にあたる1949年に建てられました。毎年有志によって記念礼拝と清掃が行われています。