明治学院大学
JPEN
2025.12.15

友情と芸術に包まれた4年間──明学で得た人生の財産が執筆活動を支えている

卒業生
キャリア
文学部

『熊はどこにいるの』で第61回谷崎潤一郎賞を受賞した作家・木村紅美さん。社会の周縁で生きる人々の孤独や葛藤を描き続け、デビューから19年。会社員時代の辛い日々、恩師・四方田犬彦先生との出会い、そして何よりも芸術学科で得た友情──。明学での経験が、どのように創作の土壌を耕してきたのか。盛岡で執筆活動を続ける木村さんに、明学時代の思い出や作品への想い、そして人生を支える芸術の力について語っていただきました。

木村 紅美

小説家
1999年 文学部 芸術学科卒

明治学院大学文学部芸術学科で映画史を専攻。卒業後、アルバイトや会社員を経て、2006年『風化する女』で第102回文學界新人賞を受賞しデビュー。2022年『あなたに安全な人』で第32回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。同作の英訳版が2025年にイギリスで出版された。同年『熊はどこにいるの』で第61回谷崎潤一郎賞受賞。ほかの著書に『月食の日』『夜の隅のアトリエ』『まっぷたつの先生』『雪子さんの足音』『夜のだれかの岸辺』などがある。

目次

芸術学科で見つけた「自分らしさ」と「居場所」

明治学院大学を受験した当時、第一志望は心理学科でした。結果的に芸術学科に合格し進学することになったのですが、これが人生最大の幸運だったと思います。

私の父は転勤族で、子どもの頃は福岡、千葉、仙台と小学校を3回変わりました。転校が多いとなじむのが大変で、話の合う人はなかなかできませんでした。人づきあいが苦手なせいもあり、友達づくりに苦労してきた私でしたが、明学に入学後たちまちたくさんの友達ができたのです。芸術学科だからこそ、どこか通じる感性を持つ人たちが自然と集まったのかもしれません。ようやく自分らしくいられる居場所を見つけた——そんな感覚でした。

横浜キャンパスには歩いて通える距離に住んでいたので、私のアパートの部屋は友人たちのたまり場のようになっていました。近くに住む友人と頻繁に行き来して、一緒にご飯を食べたり、何かをつくったり。大学生らしい学生生活を謳歌しました。


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1、2年次は白金祭の実行委員としてライブの企画を担当したり、友人と劇団を立ちあげ活動していました。脚本も一作、自分で書きました。大学時代はほとんど小説を書いていませんでしたが、脚本にも小説と通じるものがあると感じています。

今でも忘れられないのが、1年次の白金祭での出来事です。「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」の所属事務所から「メンバー4人中3人が明学の卒業生で、来年メジャーデビューするのですが、白金祭に出演可能ですか?」という打診がありました。残念ながらスケジュールが合わず実現しませんでしたが、貴重な思い出です。

明学出身のバンドといえば、「フィッシュマンズ」も有名ですが、苦しい浪人時代に彼らの音楽は私の心の支えでした。当時は知らなかったのですが、入学後に明学の卒業生だと知って驚きました。何か引き寄せられるものがあったのかもしれませんね。


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明学には「自分らしさ」を追求する表現者が集まる文化があると実感しました。同時に、その個性を生かして活躍している先輩方がたくさんいらっしゃることを誇らしく思いました。

恩師・四方田犬彦先生との出会いから学んだ読書観

芸術学科では映画史を専攻しました。四方田犬彦先生が選んだ百本の名画を鑑賞してレポートを書く課題があって、深く印象に残っています。多くの映画に触れたことは、後に「映画のような小説」と評されることもある私の作品に、大きな影響を与えているのではないでしょうか。

大学4年次に、四方田先生との面談で「君は将来どうしたいの?」と尋ねられ、「文章を書く仕事に就きたい」と答えました。すると先生は「それなら、古い文学作品をたくさん読みなさい」とアドバイスしてくださいました。今考えても本当に的確な助言だったと思います。それからはドストエフスキー、カフカ、カミュなど、19世紀から20世紀ぐらいの近代文学を手当たり次第に読みました。時代を超えて評価され続けている古典作品に触れた経験が、私の創作活動の礎になっているのは間違いありません。


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築240年の蔵を改装した喫茶店が木村さんの小説の生まれる場所。柔らかな照明と木のぬくもりに癒やされ、さまざまなイメージが膨らむという。

学生時代は恐れ多くて気軽にお話しできる存在ではなかった四方田先生ですが、作家デビュー後も交流が続いています。新作が出るたびにすぐに読んで感想をくださいます。その素早さは母親に次ぐほどです(笑)。『熊はどこにいるの』も「すごいものを書きましたね」と温かい言葉をいただき、大きな励みとなっています。

会社員時代の苦労が作家への道を開いた

大学生活があまりにも楽しすぎて、卒業後とのギャップが本当に激しかったですね。1年ほどフリーターをした後、見かねた父が商社の事務職を紹介してくれました。いわゆる昔ながらの職場環境で、時として理不尽な扱いを受けることもあり、自分らしさを押し殺しながら働く毎日でした。会社員時代の5年間、小説はほぼ書きませんでした。書こうと思っても、うまく書けなくて。挫折を経験しました。

その後会社を辞めて時間ができ、書き始めた作品が認められて小説家デビューしました。「辛かった日々をネタに」と書き上げた小説です。振り返ると、この会社員時代の体験や苦悩が社会の中で生きる女性たちの孤独や葛藤を描く原動力となっているのかもしれません。


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世界に届く作品、盛岡で紡ぐ創作活動

2006年にデビューしてから、こつこつと書いて、今年で作家生活19年目を迎えました。このたび『熊はどこにいるの』で第61回谷崎潤一郎賞をいただき、大変うれしく思います。

受賞作『熊はどこにいるの』の着想は、コロナ禍に盛岡の実家で過ごした日々から生まれました。子育て中の妹のサポートをしながら、母と2人の妹と私の4人で赤ちゃんの世話をする時間は幸福感に包まれ、新鮮な発見の連続でした。ミルクを飲ませたり、おむつ替えや絵本の読み聞かせをしたりといった何気ない日常が、物語の種になると感じたのです。

一方で、同時期に県内で起きた乳児の遺棄という痛ましい事件を知り、深く心を揺さぶられました。周りに幸せを振りまく赤ちゃんと母親に手をかけられ遺棄される赤ちゃん。その対比を書きたいと思ったのが執筆のきっかけでした。


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第61回谷崎潤一郎賞『熊はどこにいるの』(右)、第32回Bunkamuraドゥマゴ文学賞『あなたに安全な人』の英訳版(左)

小説の構想は、実体験から生まれることが多いですね。特に意識していないですが、自然とたまっていく感じです。洞察と心の動きを組み合わせて物語を構築していきます。読者には特別なメッセージを伝えようというよりも、読者それぞれが感じ取ったものを大切にしてもらえればと考えています。多くの方が作品から何らかの問いを見出してくれることがうれしいです。

小説家という仕事は日々挑戦の連続です。書いては削り、また書いては見直しの繰り返し。若手作家が次々と登場する一方で、筆を折る人も少なくありません。デビュー後も作品を発表し続けることの難しさを痛感しています。それでも続けられるのは、作品が読者に届いた時の手応えがあるからです。意図を超える深い感想に出合ったり、作品が誰かに届いているのだなと実感できる瞬間が、何よりのやりがいです。


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執筆は慣れ親しんだCampusノートに。

2022年に第32回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した『あなたに安全な人』の英訳本が、今年イギリスの出版社から出ました。英訳されると世界各国の書店に並びます。先日はインドのWebメディアからもインタビューを受けました。もっと英語が話せるようになりたいとあらためて感じました。学生時代にもっと勉強しておけばよかったなとも。まさか自分が将来、英語で取材される日が来るとは当時は想像もしなかったですから。


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明学で得た友情という財産、そして芸術の力

大学時代に得た一番の財産は友人です。明学で多くの友人に出会えたことは人生を変える経験でした。その交流は大人になった今でも続いています。芸術学科の友人で集まると一瞬で大学時代のノリに戻ります。小説家だからといって特別扱いされることもまったくないですし。

私は幸いにも今、自分の好きな仕事をしていますが、たとえ辛い仕事に就いていても、愚痴をこぼせる友人や、旅行や食事を一緒に楽しめる友人がいることは、精神的な支えとしてとても大切だと思います。

明学の教育理念“Do for Others(他者への貢献)”の5つの教育目標のうち、「他者を理解する力」は大学で学んだように思います。明学は多様性を認めてくれる場所であり、学生の自由な活動を尊重してくれる大学です。きちんと目的や問題意識を持って活動をする学生に寄り添ってくれるでしょう。この恵まれた環境で、全国から集まった仲間とのつながりをぜひ大切に育んでほしいです。


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辛い時期を乗り越える力として、文学をはじめとする芸術作品が果たす役割は計り知れません。会社員時代の辛い日々を支えてくれたのも、さまざまな文学作品との出合いでした。「芸術なんて何の役に立つんだ」と言う人もいますが、実は一番心の栄養になるのではないでしょうか。そういう支えになるようなものを一つでも持っていると強いです。音楽、映画、絵画など、心の支えとなる芸術分野やエンターテインメントを見つけてみてください。それは人生の困難と向き合う際の大きな力になるはずです。

私の小説がその一つになれたらうれしいです。今後の目標は、心に響く作品をこれからも精一杯書き続けること。明学で築いた友情や映画との出会いが私の執筆活動を支え続けています。